アイリッシュ・ミュージックの100枚・その7:おおしまゆたか

ライター:大島 豊

011. Mick O’Brien, Emer Mayock & Aoife Ní Bhriain, TUNES FROM THE GOODMAN MANUSCRIPT

ここでフルートを吹いている Emer Mayock は Catherine McEvoy と並んで、女性フルーティストの草分けである。マカヴォイと同じ1996年にファースト・ソロ・アルバム《Merry Bits Of Timber》を出した。もっともこの人はむしろ女性イレン・パイパーの草分けとしての方が有名だ。Afro Celt Sound System にパイパーとして参加していたからである。この人、さらにフィドルの名手でもある。あたしはダブリンでこの人の参加しているセッションを見るチャンスに恵まれた。誰がやっているのかわからずに見たセッションで、やたらフィドルが良いので、案内してくれた、当時アルタンのマネージャーだったトム・シャーロックに、あれは誰だと訊ねて、Emer Mayock との答えに驚いたものである。

《Merry Bits Of Timber》は当初「百枚」に入れようとしたのだが、ストリーミングに無くて断念した。メヨックは2001年に《Playground》という、こちらは主に自作で固めたセカンドを出している。これまたストリーミングには乗っていない。どちらもどこかで見つけたら迷わず買うことを薦める。

そのメヨックが参加したアフロ・ケルト・サウンド・システム以外の録音で、ネットで聴けるほぼ唯一の録音がこれ。そして、幸いにこれは近年稀に見る、選曲、演奏、録音三拍子揃った傑作だ。嬉しいことにこれには《More Tunes From The Goodman Collection》という勝るとも劣らない続篇がある。合わせて聴かれるべし。この2枚は通常のストリーミングではなく、Bandcamp にある。Bandcamp は2回は無料でストリーミングで聴くことができる。3回目に聴こうとすると、音源を買えと言われる。この2枚は買うべし。

https://goodmantunestrio.bandcamp.com/album/tunes-from-the-goodman-manuscripts

The Goodman Manuscript はディングル生まれの James Goodman (1828-1896) が収集した2,000曲以上のチューンと80曲以上の歌の楽譜集だ。グッドマンはトリニティ・カレッジ・ダブリンのアイルランド語教授で、口誦、肉筆原稿、出版物からこれらの曲を集めた。ソースの中には今では散逸しているものもある。死後、6巻におよぶ資料はトリニティ・カレッジ・ダブリンに寄贈され、現在は Irish Traditional Music Archive のサイトで見ることができる。

https://manuscripts.itma.ie/goodman/

このアルバムはそこから他では見られない秀逸曲を選んで演奏している。したがって、まずはとにかく曲が良い。楽器ができる人なら演りたくなるだろうし、踊れる人ならこれで踊りたくなるだろう。あたしのようなリスナーはひたすら繰返し聴いてにやにやすることになる。

パイプ、フルートの Mick O’Brien は Caoimhín Ó Raghallaigh との共演盤ですでに「百枚」に出ている。フィドルの Aoife Ní Bhriain はそのオライアラと並んで、アイリッシュ・ミュージックの地平を切り開いている若手フィドラーの一人だ。ウェールズのハーパー Catrin Finch と組んだ《Double You》2023 や、昨年のソロ《Cosán Casta》がたいへん面白い。

012. Matt Molloy

ボシィ・バンドのメンバーは、バンドの成功をバネにして、各々個人としてのキャリアを積んでゆく。とはいうものの、モロイの場合は他とはいささか異なる道を歩んだ。チーフテンズに入ったからだ。かれがチーフテンズに入った理由はともかく、チーフテンズに入ることによってモロイの音楽は歩みを止めた。つまりそれ以上変化しなくなった。モロイが参加するのと時を同じくして、チーフテンズは、というよりパディ・モローニはバンドの音楽のスタイルを固定する戦略を選んだ。この辺の事情はずっと複雑と思われるが、今はチーフテンズの話をしている時ではない。プライヴェートなセッションなどの場があるなら、そこではおそらく異なっていただろう。しかし、チーフテンズとして表にあらわれるモロイの音楽は常に同じだ。いかにその技が神に入っていたとしても、そして、かれのソロは常にそう見え、また聞えたが、にもかかわらず、毎回まったく同じにも聞えた。

こうした事情からこのファーストは、フルートだけのフル・アルバムとして史上初のものであるばかりでなく、マット・モロイのフルーティストとして絶頂期を示すものでもあり、またフルートによるアイルランド伝統音楽のアルバムとして最高のものでもある。モロイがその後結核にかかり、その後遺症も考慮に入れれば、病気になる前の演奏とはやはり別物と言わざるをえない。

ここでは終始ドーナル・ラニィが相方を務めるが、ネット上にはこれと同じ時期のミホール・オ・ドーナルとのデュオのライヴ映像もある。

013. Kevin Burke & Mícheál Ó Domhnaill, Promenade; 1979

ケヴィン・バークとミホール・オ・ドーナルはまずデュオとして活動してゆく。この後、2人ともアメリカに渡り、3年後《Portland》と題したアルバムを作る。こちらはオレゴン州ポートランドで録音された傑作だ。さらに二人のライヴ・ビデオも出ていて、これまた必見である。その後ミホールはやはり渡米したトゥリーナ・ニ・ゴゥナルと共に、スコットランドのフィル&ジョン・カニンガム兄弟と Relativity を組み、さらにアイルランド出身のフルート奏者 Brian Dunning たちと Nightnoise を組む。バークの方は、ソロや Open House、Celtic Fiddle Festival などのユニットで活動してゆく。

1970年代末からアイルランドは絶不況で、北米への移民が大幅に増えた。バーク、ミホール、トゥリーナはその移民の一部だった。この時北米に渡った中には後にアルタンのメンバーとして来日するギタリストのダヒー・スプロールもいた。かれはフィドルのリズ・キャロル、蛇腹のビリィ・マコミンスキィと Trian というトリオを組み、優れた録音を残している。

ドーナル・ラニィによれば、ボシィに入った途端、バークのフィドルはがらりと変わったという。確かにバークがボシィ・バンドに入る前にアメリカで録音した《Sweeney’s Dream》は、ボシィ・バンドのバークと同じフィドラーとも思えない。マット・モロイ、パディ・キーナンと組んだことで隠れていた面が現れ、「機関車」と呼ばれるまでになったのだろう。ここでのダンス・チューン演奏が興味深いのは、ボシィの集団としての演奏の構成要素の一つが顕わになっていることだ。バークのフィドルはその後、色々に変化してゆくが、ここではボシィ・バンドの余韻がまだ色濃く残る。ミホールのギターはボシィの時と基本的に同じだ。多重録音などで音を重ねているのは、ボシィ・バンドの再現を期待されていることを意識したのかもしれない。

このアルバムのもう一つの魅力はシンガーとしてのミホールだ。ボシィ・バンドではヴォーカルはもっぱらトゥリーナに任せていて、それは適正な判断だと思うが、リリース当初このアルバムを聴いた時、ミホールの特異なまでにやわらかい歌唱は衝撃だった。こういう歌唱は伝統音楽の世界では、アイルランドだけでなく、スコットランドやイングランドでも、またヨーロッパ大陸でも他にはまず聴いたことがない。ミホールがリード・シンガーをつとめるのは、バークとの2枚だけなので、貴重でもある。(ゆ)