スウェーデンのバグパイプ

ジョン・クリーガーJohn Creager氏による「スウェーデンのバグパイプ」についての解説記事を、当店でおなじみの翻訳家・村上亮子さんの翻訳でお届けします。

原文:The Bagpipe In Sweden: A Brief History – Lark in the Morning

スウェーデンのバグパイプ(抜粋)

バグパイプ小史

バグパイプがスウェーデンで長く深い歴史を持っていることはあまり知られていません。バグパイプといえば、まずスコットランドとアイルランドが思い浮かぶでしょう。しかしバグパイプはもっと広く分布しているのです。ヨーロッパ、アジア、北アフリカの各地で、それぞれ異なった形のバグパイプが見つかっています。簡単に言ってしまうと、バグパイプは世界で最も普通にみられる民族楽器の1つなのです。

この楽器が最初に見られたのはアジアで、たぶんチャンターのないドローンだけの原始的な伴奏楽器だったと思われます。人の移動、交易、戦争を経て、バグパイプは徐々にヨーロッパに広がっていきました。

ヨーロッパのバグパイプの最初の記録は、ドイツのシュバルツバルトのザンクト・ブラージンにある9世紀の修道院の木彫です。2人のパイパーが、ブローパイプと革袋とチャンターだけでドローンのない初期のタイプの楽器を吹いているのが描かれています。

中世のヨーロッパで、バグパイプはますます広く使われるようになりました。13世紀中ごろから14世紀中ごろまで様々なバグパイプが現れてきました。それらのバグパイプは優れた職人技で作られ装飾されていました。この期間にドローン管が導入されました。

スウェーデンのバグパイプ

スウェーデンのバグパイプが最初に描かれたのは14世紀前半のゴットランド島のMartebo教会です。15世紀になるとさらに多くの資料が主に教会の絵画として残っています。バグパイプがスウェーデン中に広まったのはこの時代で、おそらく大陸からの吟遊詩人によるものだと思われます。

中世後期の優れた年代記作者Olaus Magnusは、北欧の人々に関する記述の中で、バグパイプのことをダンスのための楽器であり牧童の楽器であると紹介しています。これはバグパイプが存在したほとんどの文化圏で言えることです。

現存する記録によれば、中世後期から17世紀中ごろまでスウェーデンのバグパイプは最盛期を迎えましたが、その後、他の多くの民族楽器と同じように、国中のいたる地域で精彩を失っていきました。フィドルが登場し、より穏やかな音色を伴った新しい音楽様式の影響もあり、バグパイプのような「荒々しい」楽器の生き残る場所はなくなったのです。

1800年代以降、ベステルダールVasterdalalvenの多くの教区でバグパイプの関心が再び高まりました。保存されているこの時代のバグパイプの多くは実際に使えるドローン管は1本だけです。しかし中には2本目の短い「飾りの」ドローンをつけた物もあります。

スウェーデンのバグパイプは、それがよく使われた地域によって、さまざまな名前で呼ばれます。dramba、koppe、posu、balgpipaなどです。

この楽器が最も長く使われたのはヤーナJärnaで、初期においてもバグパイプが最もよく使われた地域でした。ベステルダール川で丸太流しをするとき、ヤーナの若者はバグパイプ奏者を同伴したことで知られています。ウル・アンナOr Annaとその娘ホール・ブリッタHol Brittaという2人の女性の名前が、ヤーナのパイプ奏者として記録に残されています。

1940年代、フォーク・ミュージックへの関心が高まると、古いスウェーデンの楽器にも関心が向くようになりました。1970年代の終わり頃から、レイフ・エリクソンLeif Eriksson とペール・ギュトムンドソンPer Gudmundson は共同でバグパイプを作り、スウェーデン中のミュージシャンに演奏されています。

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