再びブズーキの話をしよう(番外編から急降下着地の巻):field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

思いの他、このシリーズは長くなってしまっているので、これまでの流れを極簡単にまとめます。

まず、ドーナル・ラニー氏とセッションで感じた「揺さぶり」から始まってジャズスクール時代の「スウィング」という語の謎に記憶がさかのぼりました。その次に、ソーラスのコンサートの衝撃から、大学軽音時代にその謎にのたうちまわった「16ビート」の事を思い出します。この謎解きに、さらに高校時代に読んだ雑誌の記憶までさかのぼって悩み続け、大学上回生になってふと学園祭の遊びバンドで唐突にその「16ビート」へのヒントを得た、という所までが前回まででした。

そして、このヒントを、またジャズスクール時代のとある時点で思い出すことになるのです。すんません。また時系列が飛びます。前々前回のジャズスクール時代のエピソードに戻っていただかなくてはなりません。

1980年代中盤に、私はとあるジャズスクールのスタッフの仕事をしておりました。音楽を教える講師ではありません。あくまで、スクールの運営事務員です。しかし、小規模なスクールですから、私たちが机を並べている事務室の一角に講師控えコーナーがあって、熱心な生徒さんが授業の合間にそこにいる講師にいろいろ質問しに来たりします。そんな環境なので、私たちにもその会話は聞こえてしまうのですね。

その時、控えコーナーのソファには例のややこし目のジャズのおっさん講師がくつろいでいました。そこに、ある生徒さんが質問に来ました。その生徒さんは、エレクトーンの先生をしていて上のグレードに上がるためにはアドリブの試験があるとのこと。それで、アドリブができるようにと、本ジャズスクールに来たと。が、しかし、なかなかこのアドリブと言うものが出来ないのだという相談なのでした。

一般にジャズというもののイメージは、外れそうで外れないスリルのある音で即興のアドリブ演奏をするというものが、特にこの時代はメインでした。ジャズと言えばアドリブ、アドリブと言えばジャズ、という感じです。では、この、アドリブというものをこの頃のジャズスクールではどのように教えていたか。

まず、ジャズというのは非常に凝った和音構造をしていまして、通常の音楽なら3和音で済ませてしまうところを必ずと言っていいほど4和音、つまり同時に4つの音が重なる和音を多用します。これによって、これらの和音が連なるコード進行にも複雑な法則性と自由度が生まれて来るので、とあるコード進行の中で使われる音階の自由度が上がり、その時々の和音から外れている音なのか合っている音なのかがスレスレ感覚の音階がいくつも考えられてしまうわけです。そこで、この使える音を使う限り即興でのメロディ演奏が可能となるので自由な即興アドリブ演奏ができるという理屈になります。なので、ジャズを勉強するという事は、そのほとんどの時間をこれらのコード理論と音階理論を理解することに終始するのが普通です。実際、この理論は複雑を極めるもので、私のいたスクールでも毎年脱落者が何人も出るのが普通でした。

で、上記の生徒さん。彼女はこの理論を猛勉強して、校内の試験でも常に上位につけるほどにこれを理解されていたのです。が、しかし、実際に演奏の場面になると思うようにアドリブ演奏が出来ないという悩みを、このジャズおっさん講師に投げかけていたわけです。

おっさん講師がこう言いました。

「頭の中ではこの音が使えると判っていても、すっと手が出ない感じやろう?」

「はい、そうですね。頭の中ではいくらでも音が浮かびます」

「手が出ないのは、スウィングが身体に入ってないからやね。とにかく、ジャズの生演奏を聴いて聴いて聴きまくりなさい」

「はあ。。。」

彼女は、もっと、ノウハウ的な助言を期待していたようで、ケムに巻かれたような表情です。そして、それを聞いていた私も、とにかくこのジャズおっさん講師はヒト癖もフタ癖もある怖い感じの人だという印象を持っていたのもあって、ありゃりゃ、またうまくケムに巻きはったな、おっさん、ぐらいに思った。

が、その時に、はっと、大学軽音時代の久保田早紀体験を思い出したのですよ。前回の終わりに書いたあの体験です。いやほんま。つながるもつながらないも、そのまんまの事をこのジャズおっさん講師が言わはった!え?そうやんな?と何度も自問自答したほどのびっくり。

このあたりの言語化は非常に難しい。つまり、その音楽が要求する拍動と言うかエネルギーと言うか、そういうものが身体の中に入ってこないと、その音楽に加わっていって一緒に演奏しようとする時に、楽器を操作する手指がすっと動かない、ということですね。拍動と書きましたが、単にリズムと言ってしまうとちょっと薄っぺらい。音楽の進み方、流れ方のすべてを支配しているエネルギーが前に前に進んでいるとでも言いましょうか。こういうものがあるのだと。そして、それは、ジャズの「スウィング」にもあって、久保田早紀の「16ビート」にもあったのです!

それから、少しづつ探っていくとですね。この時代に、私のスクールで語られていたこの手のお話が以下のように私の頭の中で整理できるようになります。

つまり、私が思っていたジャズ特有の「スウィング」と呼ばれているものは、実は「4ビート」と呼ばれているものだったこと。そして、このスクールの講師達が扱う音楽は主に「4ビート」「8ビート」「16ビート」の3種類に整理されていて、そのそれぞれに前述のエネルギーのようなものがあること。そして、「スウィング」とは、「4ビート」における。このエネルギーのとこだったということ。

何はともあれ、私の大学軽音から始まった「16ビート」への旅は、この頃に、私の中では、だいたいこのあたりまでたどり着けたわけです(まだまだ、確信にはほど遠いのですが)。

そこで、お話は一気にソーラスのコンサートの場面に着地します。ここで時感じた「16ビート」。そして、特にソーラスのフィドラー、ウィニフレド・ホランのフィドルの音に「揺さぶり」を感じたこと。そうです。あのドーナル・ラニー氏のブズーキに感じたのと同じ「揺さぶり」をこの時に感じたのです。「16ビート」にも「揺れ」があったのか?というひらめき。と、言うか、これが「16ビート」のエネルギーというものなのではないか!という、到達感。

そこから、この「16ビート」のエネルギーというものが、前述のジャズおっさん講師の台詞と大学軽音時代の久保田早紀体験までの記憶を駆けめぐったというわけです。

そして、私の頭の中で焦げ付いていた、ドーナル・ラニー氏の「揺さぶり」と「スウィング」との接点が、「スウィング」を「16ビート」まで広げることで、ソーラスを通してつながったのでした!すごい!

これらの○○ビートの話は、あくまで、私の個人的体験の中でのストーリーなので、こんなのをヒトに吹聴したら炎上すること必至かも!笑。(す)