出典 https://blog.mcneelamusic.com/
アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログの中から、バウロンの起源や歴史について解説している記事を許可を得て翻訳しました。
原文:The History and Evolution of the Irish Bodhran
アイルランドのバウロンの歴史と進化
私は毎年、DCU(ダブリン・シティ大学)で講義を依頼されることをとても嬉しく思っています。さらに嬉しいことに、その講義のテーマが、私が最も情熱を注いでいる「アイルランドのバウロン」なのです。そしてもちろん、その中にはバウロンの歴史も含まれています。
私は何年も前からバウロンについての講義を行っていますが、まったく飽きることがありません。心から楽しんでいますし、自分の知っていることを音楽を愛する人たちと分かち合えることに、より一層の喜びを感じています。
講義の最初では、雰囲気を和らげるために軽いトーンで話し、学生の皆さんと交流を図るようにしています。彼らの関心を引くために、ちょっとした工夫もしています。たとえば、「これから話す事実はすべて嘘です!」と、冗談めかして言ってみるのです。これには即座に注意を引く効果があり、150人ほどの学生が一斉に私をポカンと見つめてきます。
もちろん、その発言は真実ではありません。ただ、私は長年バウロンについて研究を続けてきましたが、正直に申し上げて、アイルランドにおけるバウロンの確かな歴史というものは存在しておりません。私たちはただ、世代から世代へと語り継がれてきた、いわば「伝言ゲーム」のような口伝に頼るしかないのです。
私たちが耳にする情報や物語は、すべて親や祖父母たちから語られたものです。つまり、バウロンの歴史は証言に過ぎず、具体的な証拠に乏しいのが現状です。
バウロンの起源に関する諸説
もしインターネットでバウロンの歴史を調べてみると、その起源に関して非常に多様な意見に出会うことでしょう。その中には、バウロンは古代ドルイドの太鼓であったと主張する説もあります。以下に、いくつか存在する説をご紹介いたします。
ペルシャの唐箕(とうみ)
バウロンの貿易ルートをたどると、数千年前のペルシャにまで遡ることができるかもしれません。バウロンのフレーム(枠)が生まれたのは、どうやらこのペルシャ地域ではないかと考えられています。
なぜペルシャ起源とされるのかというと、「唐箕(とうみ)」として使用されていたからです。これは、種を風で選り分ける作業に使われていた道具であり、この用途が、他のフレームドラム文化において基本的な構造を提供したと考えられているのです。
北アフリカのベンディール
近年では、バウロンは北アフリカに起源を持つのではないかという説もあります。この地域ではフレームドラムが非常に一般的であり、通常は手で演奏されます。北アフリカのこの楽器は「ベンディール」と呼ばれ、古代エジプトでも演奏されていたとされています。アイルランドが地中海諸国と交易をしていたことを考えると、この説も有力であると考えられています。
この説は、バウロンが羊毛を染める道具として使われていたという用途に基づいています。リム(枠)は曲げた柳で作られ、その上に皮を張り、円形の柳に縛りつけて固定した後、染料が通るように皮に穴を開けていたのではないかと推測されています。染色に使われた人気の色は、紫(ヒースの花から)、緑(野菜から)、オレンジ(ニンジンから)などです。紫と緑はケルト文化の色としても知られています。
儀式用の戦太鼓
興味深いことに、バウロンは戦いの場において戦太鼓としても使われていたといわれています。これは、戦士たちの士気を高め、敵に立ち向かうためのものでした。
バウロンが初めて言及されたのは、民間伝承においてです。これは私たちの祖父母から語り継がれたものであり、彼らもまたその祖父母から聞いたのでしょう。その伝承の中で特に語られているのが「レンの祭り」に関するものです。レンとは、異教の儀式だったとされており、18世紀頃にバウロンが使われていたのではないかと推測されています。しかし、もっと以前にすでに存在していた可能性もあり、どれほど遡るのかは証拠がないため分かっておりません。
ジョン・B・キーンは『The Bodhrán Makers(バウロン職人たち)』という本を書きました。これは面白い小説ですが、歴史書ではありません。長年の研究にもかかわらず、未だに書き記された歴史は存在せず、おそらく今後も書かれることはないであろうと考えられています。
レンの伝統
バウロンが長年にわたって存在していたことは確かですが、ではなぜこれほどまでに人気を集めたのでしょうか。
私が長い調査を経て辿り着いた結論は、皮肉にもバウロンが人気となったきっかけは、「レンの日(聖ステファノの日)」の音楽のリズムとして使われていたことにある、ということでした。この祝日は毎年12月26日に行われます。
では、「レン」とは何だったのでしょうか。それは、男性たちが藁の帽子とスカートを身につけ、顔を煤で黒くし、家々を訪れて伝統音楽を演奏したり踊ったりして、人々を楽しませ、その見返りとして食べ物やお金、お酒、そして何より「クラック(楽しさ)」を得るという風習でした。彼らは「レンボーイ」「ママー」「ストローボーイ」などと呼ばれていました。この異教の伝統は千年以上も前に遡るものであり、つまりもしその時代にバウロンが使われていたのであれば、それほど古くから存在していたということになります。
伝説によると、聖ステファノが敵から身を隠していたとき、おしゃべり好きなレン(ミソサザイ)によって居場所を知られてしまい、捕らえられて石打ちの刑にされたとされています。そのため、レンもまた同様に追い詰められて処刑される対象とされたのです。
もうひとつの伝説では、6世紀のヴァイキング襲撃の際、アイルランド兵が夜の闇に紛れてヴァイキングの野営地に近づいたところ、レンがバウロンの皮の上に残っていたパンくずをついばみ始め、くちばしでドラムヘッドをつついた音がドラマーを起こしてしまったといわれています。その結果、警報が鳴らされ、アイルランド兵は敗北し、レンは裏切り者として非難されたのです。
このように、もしレンが紀元初頭から祝われていたとすれば、バウロンもまたその頃から存在していた可能性があるといえるでしょう。
出典 https://blog.mcneelamusic.com/
レンの歌詞
レン、レン、すべての鳥の王様、
聖ステファノの日に、いばらの中で捕まりました。
彼は小さくとも、一族は偉大です。
奥様、どうかごちそうをください。
この箱にも舌があれば、きっと何か語るでしょう。
シリングを二つ三ついただければ、何の害もありません。
ヒイラギを歌おう、アイビーを歌おう――
ほんの一滴でも飲めば、憂鬱も吹き飛びます。
もし極上の酒を注いでくだされば、
天国であなたの魂は安らかに眠れるでしょう。
でももし劣った酒を注げば、
それはレンボーイたちには合わないでしょう。
バウロンの最初の録音
バウロンが初めて録音されたのは1920年代のことで、78回転のレコードに記録されました。その後、1950年代から60年代にかけてアイルランド伝統音楽が再び人気を得るとともに、バウロンも広まり、当時の製作家たちに活力を与えました。たとえばスライゴのソニー・デイビーSonny Davey、ティペラリーのチャーリー・バーンCharlie Byrne、リムリックのパディ・クランシーPaddy Clancyなど、多くの名工が現れました。
こうしてバウロン作りは小規模産業(カッテージ・インダストリー)となりました。1978年、私もこの「バウロン製作家」の仲間に加わりました。バウロンはショーン・オ・リアダSeán O’Riadaによって彼のアレンジ作品に取り入れられ、彼のグループ「Ceoltóirí Chualann」(後のチーフタンズ)で使用されました。ショーンは、ケーリーバンドで一般的だったスネアドラムよりも、バウロンを好んでいたのです。
なお、「バウロン」という言葉には「音をかき消すもの」という意味もあるようで、レンボーイたちが大きな音を立てるために使っていたことに由来する可能性があります。ジョン・Bによれば、レンボーイたちは時につぶした硬貨を側面に付けて音を鳴らし、それがタンバリンの語源「bourine(ブーリン)」に繋がったのではないかとも言われています。
誤解されがちなバウロン奏者たち
バウロン奏者は、一部の人々から嘲笑や懐疑の目で見られることがあります。そのような見方には理由があるのかもしれませんが、私はもちろん同意いたしかねます。
バウロンは、一見すると簡単そうに見えます。音楽家でない人が音楽家らしく見られたいとき、バウロンは手軽に“仲間入り”できる道具のように思えるのかもしれません。また、音楽というものを誰もが参加すべき娯楽と捉えている場合もあるでしょう。しかし、動機が何であれ、時にその結果は悲惨です。たとえば、ピアノアコーディオンの演奏に対して、4人も5人もバウロンを叩く人たちがそれぞれ自分勝手なビートを奏でていたら、それはもはや音楽とは呼べないかもしれません。
一方で、バウロンはセッションやソロ演奏に素晴らしい勢いを与えることもできます。アイリッシュフルートとバウロンの組み合わせはよく知られており、多くのフルート奏者は良いバウロン伴奏を好む傾向があります。
木材とヤギ皮
バウロンの枠にはさまざまな木材が使われますが、最も一般的なのは合板です。クロスバー(横棒)を入れることで強度を高めています。皮は主にヤギの皮が使われていますが、他の動物の皮を使う人もいます。ただし、ヤギは皮を取るために殺されているわけではなく、あくまで副産物として得られるものです。現在使用されている皮は、主にアイルランド、北アフリカ、インド、パキスタンなどの国から来ています。
最後に、私の研究仲間が「バウロン」という語について調査していたところ、アイルランド語の「bodhraigh(ボーリー)」に由来しているのではないかという説にたどり着きました。これは「怒らせる」「かき乱す」といった意味を持ちます。
この意味は、穀物を選別する「唐箕(とうみ)」の動作に通じるかもしれません。皮に当たって跳ね返ることで、穀物が揺さぶられ、もみ殻と分離されます。この農具が、もしかすると「バウロン」と呼ばれていたのかもしれません。
以上が、バウロンの簡単な歴史です。多くの情報は推測に過ぎませんが、私の専門的な見解として、これが最も可能性の高いバウロンの歴史であると考えています。