アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。
当ブログにて、不定期にバックナンバーをお届けします!
クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.271
- アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
-
Editor : 竹澤友理
June 2018
お薦めCD コンサーティーナ編:吉田 文夫
今回から、蛇腹楽器の代表的な奏者のCDをご紹介していきたいと思います。
先ずはコンサーティーナ編からです。コメントは入れられるアイテムだけに
させて頂きます。
■Noel Hill(ノエル・ヒル)
コンサーティーナ音楽のメッカ、クレア地方の音楽一家で産まれ、小さい頃より、周りのレジェンド演奏家達から大きな影響を受けながら、驚異的に卓越した演奏テクニックを身につけた唯一無二の存在。1958年生まれで、70年代以降数々の演奏活動や録音を重ねましたが、2008年に瀕死の重傷を負った後、苦境から復活を果たしは現在は再び活発に演奏活動を行っている様です。つい先日も来日公演が各地でありました。これまで伝統音楽を正統的に伝える指導者としての活動も多く、彼の教えを受けて第一線で活躍する演奏家の数は知れません。
<ソロアルバム>
・The Irish Concertina (1988)
・The Irish Concertina Two (2005)
・The Irish Concertina 3: Live in New York (2017)
大ケガからカムバックした熱い思いが伝わる迫真の演奏。
<デュオやバンドとして関わったアルバム>
・Noel Hill and Tony Linnane”(1979) w. Tony Linnane (fiddle),
Matt Molloy (flute), Alec Finn (bouzouki and mando-cello) and
Micheal O’Domhnaill (church harmonium)
楽器を問わず、アイルランド音楽を志す人には聴いてもらいたい名盤の一つ。
・I gCnoc Na Grai (1985)w.Tony MacMahon(Button Accordion)
ダンサーの足音もふんだんに入った、パブでのライブ録音。
・Aislingi Ceoil(1993)w. Tony MacMahon , Iarla O Lionaird(sean-nos siiging)
絶妙な蛇腹楽器デュオの2枚目はスタジオ録音。Iarla O Lionairdの歌も
心に染みます。
■Edel Fox(イデル・フォックス)
そのノエル・ヒル氏等から教えを受けた若い世代の代表的女性プレイヤー。やはりクレア地方出身で身体に染みついた伝統音楽のエッセンスを、チャーミングな彼女が演奏家として、また指導者として伝える事で次世代に大きな影響を与えていると思います。
・Edel Fox & Ronan O’Flaherty (2006)
彼女を世に知らしめた名盤。テクニック抜群の若い二人の元気いっぱいのデュオ演奏が満載。
・Chords & Beryls (2010)
唯一のソロアルバム。
・The Sunny Banks by Edel Fox & Neill Byrne(2013)
夫でフィドラーのNeill Byrneとのデュオ。演奏、選曲共に素晴らしい!
・The Irish Concertina Ensemble (2015)
Tim Collinsを中心に男女5人の代表的コンサーティーナ奏者によるユニット。
■Michael O’Raghallaig(ミホール・オ・レイリー)
ミース州にルーツを持ち首都ダブリンで育ち、1990年代のダブリンでは、知らない人がいないくらいの優れたプレイヤーとしてパブ・シーンで活躍し、バンドProvidenceの中心メンバーとして活動する傍ら、2枚のソロアルバムやデュオ、トリオ等のアルバムもリリースしています。また前述のThe Irish Concertina Ensembleのメンバーでもあります。
<ソロアルバム>
・The Nervous Man (2001)
w. Michael Rooney (harp), Eoghan O’Brien (guitar), Frank McGann (bodhran)
・Inside Out (2008 )
w. Michael Rooney (harp), Eoghan O’Brien (guitar), Triona Ni Dhomhnaill (keyboard)
<バンド、デュオ、トリオ等>
・Providence (1999)
・Providence / A Fig for a Kiss(2001)
・Providence / III (2005)
プロビデンスの現在のメンバーは、ミホールの他は、Paul Doyle (vocals,
guitar, and Irish bouzouki), Troy Bannon (Irish flute), Cyril O’Donoghue
(vocals, Irish bouzouki, guitar), and Michelle O’Brien (Fiddle).
Paul Doyle とCyril O’Donoghueの揺るぎない伴奏が素晴らしい、2000年代を
代表するバンドの一つ。
・Comb Your Hair and Curl It (2010)
w. Catherine McEvoy (flute), Caoimhin O Raghallaigh (fiddle)
・Danny O’ Mahony & Micheal O Raghallaigh / As it happened (2014)
■John Williams(ジョン・ウィリアムス)
米国シカゴ出身。彼の父親、祖父共にクレアでは有名なコンサーティーナ奏者で、1960年代に家族は米国に移民して、父ブレンダンは数々の在米演奏家達と共に活躍していました。1967年に生まれたジョンは、幼い頃から家族から伝統音楽の影響を受けて、ピアノ・アコーディオンを経て14歳でコンサーティーナを始め、その後は度々アイルランドに渡ってサマースクール等に参加し、米国出身者として初めての全アイルランド・チャンピオンになり、以後ボタン・アコーディオン奏者としても含めて、同賞を5度も受賞しました。
<ソロアルバム>
・John Williams(1994)
・Steam(2001)
・John Williams & Dean Magraw / Raven
<バンド、デュオ、トリオ等>
Solas / Solas(1996)
Solas / Sunny Spells and Scattered Showers(1997)
V.A / Dear old Erin’s Isle (1992)
以上、上記のCDは入手が難しい物もありますが、「ケルトの笛屋」さんにも
幾つかは置いていますのでご利用ください。他にも聴いて頂きたい演奏家が
数多くいますが、名前だけご紹介させて頂きます。(ABC順)
<男性>
Cormac Begley, Terry Bingham, Chris Droney, Noel Kenny, Aogan Lynch,
Tommy McMahon, Tony O’Connell, Gearoid O hAllmhurain, Jason O’ Rourke ,
Padraig Rynne, Jack Talty, Nial Vallery, Packie Russell, etc…
<女性>
Niamh Ni Charra, Mrs Elizabeth Crotty, Caitlin Nic Gabhainn, Kitty
Hayes, Mairead Hurley, Claire Keville, Jacqueline McCarthy, Mary
MacNamara, Michelle Mulcahy, Dymphna O’Sullivan, Aoibheann Queally,
etc…
Colleen Raney——アメリカで伝統をうたう試み・その10:大島 豊
コリーン・レイニィのうたを聴くシリーズ、コリーンの3作め《CUAN》の続き。
残り5曲だが、うち[08][12]は相棒のマカーシィがリード・ヴォーカルなので、正規に聴くのはあと3曲ではある。が、うち2曲は有名なもので、[09]は11ヴァージョン、[10]も7ヴァージョン、各々少なくともある(ネット上にはもっとあるが、全部をとりあげる必要はあるまい)ので、今回も含めて最低でもあと2回は必要だ。
08.Roger the Miller*04:35England
相棒のコルム・マカーシィのヴォーカル。コリーンはコーラスを合わせる。
これはカラン・ケーシィがソーラスをバックにしたソロ《Songlines》で唄っているのが元歌。美しく金持ちの娘のもとへ求婚に来た男が、父親の牝馬まで欲しがったため、けんもほろろに追い払われる話。
09.Mary and the Soldier02:49Ireland
これには何といってもポール・ブレディの決定的と言える名唱がある。1976年の《Andy Irvine Paul Brady》は決定的名唱ばかりが詰まった奇跡のようなアルバムで、これもその一つ。フィドルはフランキィ・ゲイヴィン。
ポールはこれに続いて一層素晴しいソロ《Welcome Here Kind Stranger》をリリースしてアイルランドの伝統歌最高のうたい手の地位を確立し、リリース直後、アルバムと同じ布陣でライヴも行なった。永年行方不明になっていたそのライヴの録音が今世紀に入って偶然発見され、《The Liberty Tapes》としてリリースされた。そこにもこの歌が収められている。
女性の側からこれを唄って看板にしたのがアメリカのルーシィ・カプランスキィだ。《Flesh And Bone》(1996)収録。闊達なマンドリンをフィーチュアし、発音はアメリカンだが、歌唱はブリテンの伝統歌謡の歌唱スタイルを継承して、感情を表に出さない。コリーンたちの先達と言えないこともない。伝統歌というよりは、イングランドのシンガー・ソング・ライターの作品の趣。
スコットランド、アイルランド、コーンウォルの国際バンド Anam が《Riptide》でとりあげている。唄っているのはオークニー出身のエイミー・レナード。コーンウォル出身の Neil Davey のブズーキと Brian O hEadhra のバゥロンがドライヴするアップテンポな演奏。ここでの「メアリ」はバネを活かして飛び跳ねながら兵士たちを手玉にとる。
アイルランドでは Danu が唄っているが、かれらのオリジナル・アルバムではなく、2001年のライヴ・オムニバス《Folk Festival》。Ciaran O Gealbhain のヴォーカルを核とした演奏はポール・ブレディ直系で、よりノンシャラン度が高くなっているところが現代的だ。
ぐっと近いところで、在日の Felicity Greenland が《Celtsittolke, Vol.3: The Celtic Hearts Club Band》(2013) で唄っている。赤澤淳のブズーキがかれとしてもベストの一つと言える無類の演奏で支え、笠村温子のフィドルが渋く間奏を弾く。初めフリー・リズムでゆっくりと唄い、半ばからややテンポを上げて、ビートにのせるのも面白い。赤澤のブズーキに載せられたか、グリーンランドの歌唱も冴えわたり、ブレディ版と並びたつ名演。
最近ではカナダ東部のバンド Coig が《Five》(2014) に収める。間奏にジグを交え、カナダ大西洋岸で好まれるピアノがベースとビートを支え、フルート、フィドルが引張るアンサンブルにのせて、落ちついた男性ヴォーカルが軽やかにうたう。ブレディ以来、この歌は肩の力を抜いて唄うのが習いになっている。あるいは真剣に考えるとかなりシリアスな話を、俳諧に詠むように唄うことで、聴き手が受けるインパクトを高めようとする手法と言えるかもしれない。
イングランドの新世代のうたい手の一人 Sid Goldsmith がやはり優れたうたい手である Jimmy Aldridge とのデュオのセカンド《Night Hours》(2016) で唄っている。ギター1本をバックに、じっくりと唄いこむ。上記うたい手たちとは一線を画して、正面突破している。ブレディ版と異なる新たな解釈を打ち立てている。これも途中からオルドリッジの五弦バンジョーが加わってテンポが少し上がる。
コリーンは自身のバゥロンとギターのコード・ストロークをバックに、アップテンポで唄う。打ち続けるバゥロンが緊張感を高く維持する。メアリのふるまいが命懸けの危険な綱渡りであることを打出している。
ということで、後1回で終るか。
何故ゆっくり弾けないか?:field 洲崎一彦
前回の「ゆっくり弾け」のお話。それは判っているのだけどどうしても早くなってしまうんじゃないですか!という声をいただきました。ゆっくり弾こうと思ってもゆっくり弾けないという事なのですね。
普通に考えると早く弾くということはそれだけ楽器を弾く指などの運動が早くなり、運動としては難易度が増すわけですから、ゆっくり弾く方が容易なのではないかと思いますよね。なのに何故ゆっくり弾けないか?という問題は非常に面白いポイントだと思うのです。
音楽のテンポというのはいろいろと面白い話があって、例えばロックの話ですね。ロックは元々はロカビリーやロックンロールという当時のツイストなどを踊る為の早いテンポの音楽として始まり、それがハードロックという重厚なリズムを持つものになって行きます。
ここでは面白い事にテンポが遅くなって行くわけです。ここでロックの本場がアメリカからイギリスに移って一時代を築くことになりますが、その後、時を経てイギリスの重いロックは一気に消沈して軽いパンクに移行し、重いロックの一部はメタルとしてその形態が受け継がれて行きます。そしてどうなったか?メタルはそのテンポをどんどん上げて行ってスラッシュメタルとなり早さを競うような音楽にまでなってしまいます。
そこから様々な亜流メタルを生みはしますが、進捗の方向としてはテンポ競争になった時点でこのハードロックの系譜は音楽としては停滞した(その先が無い)と言ってもいいと思います。
では、ロックは一旦テンポを落としてブリティッシュロックの黄金期を迎えた後に、何故突然テンポを上げる方向に突き進んだのかという所が謎なのですが、このあたりには色々な説があります。
ひとつ面白いのが、ブリティッシュロックの観客がだんだん踊りたくなって来たというものです。ロカビリーで踊っていた郷愁なのでしょうか、皆立ち上がって踊りたくなって来てしまったと。そうするとテンポの遅い重いブリティッシュロックでは何かもうひとつ発散出来ないぞ! というような事態になって来る。身体動かしたい! 欲求がたまりにたまって来る。ガマン出来なくなった聴衆のひとりがジャンプを始める、首を前後に大きく揺すり始める。そうなると、頼むからもっとテンポを上げてくれ!という声がどんどんエスカレートして行く。
こういう風にどんどんテンポを上げて行く音楽に合わせて身体を動かそうとすると、最後にはもうジャンプぐらいしかできない、いや、ジャンプも出来ない、首を振ることぐらいしかできない、という事になって行きます。結局、ダンスどころではなくなってしまいます。このあたりでもうダンスの要求に応えたのにという目的は尽きてしまいますよね。
いや、実際にはこんな単純な話ではなくて、早くてスカっとするけどもうちょっと踊れるようにしてくれ!という要求が当然出て来るわけですから供給側もいろいろ工夫をするのです。じゃあ、ベースドラムでドン! ドン! と一定の音を入れてみようとか、レゲエを取り入れてみようとか、そういう風にいろいろな試みがなされていくわけです。
ちょっと話が横道にそれましたが、音楽で躍動感を感じて気持ちがいい!とか、踊り出したくなる! という感覚はとても面白く不思議なものだという話なのです。
身体を動かしているうちに、もっと早く前に行きたい! と言いますか、もっと早く進みたい! というような欲求に駆られて来るわけです。それも、ただ進めばいいというものではなくて適度に飛び跳ねたい!というものも涌いて来る。そうすると飛び跳ねて前に行きたい!ということになります。より高くより遠くです。そうですね。これってホームランの快感ですよね。
でも、これ、より高くより遠く、というのは実はどこか矛盾している感覚ではないですか。あまり高く上げると遠くには飛びません。より遠くに飛ばそうと思うとあまり高くは上がりません。この矛盾した気持ちは実際に身をよじるようなもじもじした感覚を発生させるということです。いわゆる、うねりの感覚が発生するのですね。
ここからは、大いにこじつけな話なのですが、大リーグのイチロー選手ですね。ああいう選手はアメリカ人から出て来なかった。彼が出て来るまでは多くのアメリカ人はヒットの快感に気がついていなかった。イチローほどの能力があれば皆気持ちの良いホームランを目指すのが当たり前。これがアメリカだったのではないでしょうか?
はい。見事にこじつけでした。つまり、音楽の躍動感の場合も、日本人は何故かとにかく前に進みたいが先行するように思うのです。弾丸ライナーで三遊間を抜きたい! という快感ですね。打ち上げるとフライになってしまうからボールは下にたたきつけろという奴です。
音楽の躍動感で言うと、先述の身をよじるような矛盾は発生しません。つまり、うねりとは無縁な状態でどんどん前に突き進めるわけです。単純に言ってしまえば、躍動することイコールより早く前に行くこと、ということになるでしょう。
つまり、躍動を感じると、前に行くしかない。高く打ち上げることはどうでもいいから身をよじる矛盾もなくうねるという感覚も生まれない。と、すると、とにかく気持ち良く躍動し続けるためには前に前に進むしかない、と。つまり、一旦躍動感を感じてしまうと、もう後には戻れない。前に前に進むわけです。結局、もうゆっくりなんか弾いてられない、ということになります。
結論です。ゆっくり弾こうにも弾けない! という人は、大リーグのTV中継を観戦しましょう。そこで大リーガーがかっ飛ばす特大のホームランを心ゆくまで楽しむのです。より高くより遠く、の快感に目覚めましょう。
そして、バッターボックスに立った自分を想像して、遠くにも飛ばしたいし高く打ち上げもしたいぞ! という矛盾を抱えてバッドを構えましょう。ピッチャー振りかぶって投球! ボールが来ました。さて、どうしますか?この瞬間に身体の中に身をよじるような何かが生まれて来ませんか?
はい。今回も随分乱暴な理屈で申し訳ありませんでした。
私は日々のセッションでいつもこんな事を夢想してにやにやしています。(す)
オーケストラアレンジで聴くケルト・北欧の伝統音楽:吉山 雄貴
クラシック音楽の作曲家に限定すると、北欧には有名な人物が3人います。
1人は、ノルウェーのエドヴァルド・グリーグ。そして、フィンランドのジャン・シベリウス。最後に、デンマークのカール・ニールセンです。はい。この3人だけだといってよいと思います。——スウェーデンはどうした?
実は、知名度では上記3名に大きく差をつけられていますが、スウェーデンにも、たいへんチャーミングな曲を書く人物がいます。その名も、ヒューゴ・アルヴェーン(1872-1960)。
手元にある辞書や百科事典を引いてみると、物理学者のハンス・アルヴェーン(別人)しかヒットしませんでした。あな悲し。
でもいちおうこの人、スウェーデンで唯一、国際的な評価を獲得した作曲家といわれています。反面スウェーデン国内では、ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエルという別の作曲家のほうが、深く愛されているとも聞きますが。……なぜなのさ。アルヴェーンの代表作にして、スウェーデンのクラシック音楽でもっとも人気があるとされる楽曲が、今回とり上げる「夏至の徹夜祭」です。
「夏至の徹夜祭」は、アルヴェーンの3つある「スウェーデン狂詩曲」の中の1曲目。スウェーデンの伝承曲を引用しています。長さは15分ほど。
さて、北欧では、夏至の日の夜は本当に、眠らずに踊り明かすそうです。なんたって高緯度ですからね。たとえ白夜のおこらない地域でも、夜10時ごろまでふつうに明るいらしいです。べ、別にうらやましくなんかないんだからねっ!この狂詩曲のテーマは、そんな夏の一夜のようすだとのこと。まずは聴いてみてください。
冒頭、いかにも民族音楽って感じの旋律が流れます。描かれているのは、若者たちがダンスに興じている光景。ちょっとしたきっかけで口論がおき、ほどなくして殴り合いに発展。曲も狂乱の様相を帯びてきます。
この曲はThe Sessionにも登録されています。曲名はズバリ、The Swedish Rhapsody(スウェーデン狂詩曲)。原曲の名前、誰も知らんのかい。
https://thesession.org/tunes/7111
ところでこの部分、「きょうの料理」というテレビ番組のオープニングテーマと似ている、と一部で指摘されています。コレが問題のテーマ曲。
こちらの作曲は、冨田勲先生(1932-2016)。彼、先行する作品へのオマージュを、けっこう頻繁におこなうかたです。最晩年の「イーハトーヴ交響曲」なんか、フランスの伝承曲を元に書かれた「セヴェンヌ交響曲」という楽曲を、もともと日本の民謡だったように聞こえるくらい、和風テイスト濃厚な作品に書き換えてるし。まさに換骨奪胎! それを考えると「きょうの料理」も、「夏至の徹夜祭」へのオマージュであることが、十分に考えられますね。
さて、若者たちの大ゲンカはますますヒートアップ。身の危険を感じたのか、男女2人がそそくさと退散します。
真夜中。真夏の太陽をのぞいて、完全に寝静まった自然。そんな場面を描きだすのが、Vindarna sucka uti skogarnaという伝承曲。
この曲、You Tubeに投稿されている動画のいくつかでは、Sorrow Winds(嘆きの風)などといった英訳がつけられています。その名のとおり、聴くだけで心まで凍りつきそうな、悲しい曲調です。が、この狂詩曲におけるアレンジは、せいぜい踊り疲れて眠くなってきたような、気だるい感じ。
朝がくるのを待って2人が祭りの場に戻ると、いつの間にかケンカも収まり、踊りはすでにクライマックス。冒頭にも増して、活気に満ちています。ここで使われているのは、Morsgrisar !)r vi allihopaという伝承曲です。
幸福な雰囲気に包まれたまま、曲はフィニッシュ。
「夏至の徹夜祭」をもっとよい音質でたのしみたいかたは、コチラのCDをお試しあれ。
【スウェーデン管弦楽曲集】
ヘルシンボリ交響楽団
指揮:オッコ・カム
録音年:1994年
レーベル:ナクソス
スウェーデン出身の、6名の作曲家のオーケストラ作品が、収録されています。いちおう、同国で書かれたものの中では、比較的有名な管弦楽曲がえらばれているようです。が、「夏至の徹夜祭」も含めて、私ははじめて聞く名前のものばかりだったな。
ざっくり学ぶケルトの国の歴史(13)近代ヨーロッパ最後の大飢饉:上岡 淳平
ダニーが「英国とアイルランドの統合撤廃」に向けて、ロンドンの議会下で準備をしていた頃、アイルランド国内では、ダニーの穏健でゆるやかなペースの運動に我慢しきれなくなった若者たちが「青年アイルランド党」という組織を作った。
彼らは、ダニーより過激で勢いがあり、アイルランドの自治権を取り戻すため国民の愛国心に火をつけようと試みた。
そこで彼らは、”古き良き”アイルランドを思い出してもらい、自分たち独自の文化を残したい!と思わせようと計画した。具体的には自主制作の新聞を作り、そこにポエムやコラムなどを載せ、改めて自国の素晴らしさや英国化で失ってはいけない伝統を明確に提示してみせたんだ。
彼らが猛プッシュしたアイコンの中には、今ではアイルランドを語る上では欠かせない「ケルティック・クロス」「ハープ」「円塔」なんてものも含まれている。そして、何よりアイルランド人としてアイルランド語(ゲール語)を話すべきだ、と一大リバイバルも行った。(学校で教えるようにする、とかね)
アイルランドの英雄ダニー・オコンネルは比較的ドライな視点を持っていたため、英国政府に割り込めた部分が大きいけれど、そのドライな視点から漏れ落ちてしまった「アイルランドらしさ」を拾い集め世間に広く伝えたのが、そんな青年たちだったわけだ。
この時点ではずいぶん素晴らしい団体じゃないか!と思うけれど、彼らは幾分(従来のアイリッシュらしく)過激で乱暴だった。そんな中で起こったジャガイモ飢饉(後述)に対して、冷たい態度しか取らなかった英国に反乱を起こしたりもしたんだけど、結局はお腹がすきすぎて、どれもうまくはいかなかったんだ。
でも、「文化の復興を伴う独立思想」という点では、後世の人たちに大きな影響を与えたんだから、若者も立派なものだよね。
さて、アイルランドの歴史を語る上で避けて通れないこと、それは近代ヨーロッパにおける最後の大飢饉として有名なジャガイモ飢饉。
よく、当時のアイルランド人はジャガイモしか食べていなかったことについての補足。「ジャガイモしか育たなかったからジャガイモばっかり食べてたんだね」と思われがちだけど、実際はジャガイモ以外の食物を英国に土地代として渡していたからなんだ。
そんな、1845年の冬に突然、疫病が発生しジャガイモを根こそぎ枯らしてしまった。
瞬く間にその現象はアイルランド全土に広まってしまう。そんな惨状を見かねて、当時の英国首相はトウモロコシなどをアイルランドに送ってくれてたんだって。(ありがとう)そのジャガイモを枯らす謎の疫病は全く衰えを知らず、翌年も同じように不作に見舞われた。
そんな中、不幸なことに英国の内閣が総入れ替え。前内閣の政策から一転、「自分の国の面倒は自分でみるのが常識でしょ」とトウモロコシなどの支給を一切ストップしてしまったんだ。
そこからなんと4年間(1849年まで)もこんな状況が続くことになる。
その間、英国はアイルランドのことなんて、ほとんど気にもかけなかった。それどころか地主に圧力をかけ、地代を払えない人たちを追い出すことにつながった。
その結果、いたるところが家をなくした人であふれかえってしまったんだ。さらに熱病(チフス、赤痢、壊血病など)が流行りはじめ、恐怖にかられた人たちによる犯罪も多発。どうしても、飢饉の影響を受けていない富裕層がターゲットになってしまう。
そんな状況だったので、まずアイルランド中の富裕層が国を捨て、新天地へ移住。さらに、どうにかして海外へ…と、とても安全とは思えない危険な船で国を出る人が続出。
飢饉が収まるまでの数年間で、人口は20%も(!)減ったんだって。そして200万人が故郷を捨て、新天地へ移住していった。
これら飢饉の被害の大部分は、特にゲール文化を持つカトリック系の人たちに襲い掛かった。元々、英国寄りな町(つまりプロテスタント)は、農業以外にも資源があったからなんだけど、これを機に、ゲール文化、そしてとりわけゲール語話者は一気に衰退することになった。
この当時の英国政府のヒドすぎる対応について、150年が経った1997年に(当時の)首相トニー・ブレアが正式に謝罪している。
もうひとつ、今アイルランド音楽が世界的に有名になっている大きな要因は、アイルランド人が世界中に散らばって、そこにプチアイルランド文化を築いたからだったりもする。(アメリカでも大々的にセンパトを祝うように)もしジャガイモ飢饉が起こっていなかったら、今のケルト音楽のカタチはもっと違ったものになっていたのかもしれない。
1840年ごろのすこし悲しいお話。
アジアのケルト音楽 東南アジアのアイリッシュ事情について:hatao
私が2回目にアイルランドに行ったのは2000年の2月頃だったかと思います。タイ航空でバンコク経由でロンドンまで行ったのですが、バンコクのカオサン通りの路上でティン・ホイッスルの練習をしていたら、突然フィドルを持った若いアジア人が演奏に参加してきました。後で話をすると、ネパールにトレッキングに訪れたアジア系アメリカだとのことでした。タイのねっとりとした空気感とともに強烈な思い出として残っています。
アイルランド音楽の良いところのひとつに、「共通の曲があれば誰でも一緒に演奏できる」というところがあります。おかげで、旅行先でパブに寄ってセッションに加わるなんていうことができるわけです。団体のパック旅行ではかなわない現地人との交流も、楽器ができれば簡単にできてしまいます。
そんな魅力にはまって、私は好きなアジアの国々に出かけては、セッションに参加しています。
最近、中国や台湾に旅行に行きセッションに参加する人の話を聞きますし、問い合わせがあれば現地の友達を紹介したりもしています。こうやって、アジアのアイリッシュにも目を向ける人が増えて交流が盛んになるのは、とても嬉しいことです。
さて、今回は東南アジアのアイリッシュ事情について、私の知っている範囲で書きます。と言っても、私自身はマレーシアしか知らないのですが、どうやらインドネシア、タイ、シンガポールにも楽しむ方がいるようです。
マレーシアに行ったのは2017年。かねてFacebookを通じて交流のあったクアラルンプールのパイパー、Fariq Auri氏をたずねました。Fariq氏はプロのサックス奏者としてマレーシアのポップスシーンで活躍する傍らで、イリアン・パイプスやティン・ホイッスルの演奏、普及に取り組んでいます。ときおりアイルランドに行き、伝統音楽の研鑽を積んでいるほか、インドネシアのガムランの音階を取り入れた曲などを作り、マレー文化とケルト音楽を融合させたスタイルのバンドで演奏活動しています。
https://www.youtube.com/watch?v=pJKN0oYQ-FQ
https://itunes.apple.com/jp/album/village-life-in-malaysia-single/957985746
彼によると、クアラルンプールではアイルランド音楽の愛好家は数名おり、定期的ではないものの時々パブなどで集まってセッションを楽しんでいるとのことです。また、インドネシアは文化的にも地理的にも近いため相互にインドネシアのアイルランド音楽演奏家とも交流があるとのことでした。
以前はタイ人のフルート奏者が一時期東南アジアのアイルランド音楽シーンや音楽家を紹介するホームページを公開していましたが、現在はfacebookに機能を移転し、ホームページは閉鎖しています。
https://www.facebook.com/Irish-Music-Asia-273023806142363/
このグループはシンガポールでの活動の紹介が主なようです。
まだまだ東南アジアでは知られていないアイルランド音楽ですが、盗難アジアにヴァカンスに行く際には、ボイジャー号の惑星探査のような気持ちで、広い東南アジアに同好の友がいるかどうか、検索してみるのも楽しいことでしょう。
なお、この回を書くに当たり、アジアのアイルランド音楽シーンを紹介する新たなホームページを立ち上げようか、なんていう話をたった今、Faliqさんとしているところです。また、ワクワクしてきました。
編集後記
大阪北部の地震で被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
宝塚の私の家では、生ゴミの収集者はきっかり朝8時にやって来ます。うとうとと布団の中で、ゴミを出さなければと寝ぼけていた8時前に揺れがやってきました。かなり揺れましたが、大したことがなさそうだったのでゴミを出し、お隣さんと揺れたねえ、なんて話していました。隣の箕面ではCDが棚から落ちるほどだったそうなので、地域によってずいぶん差があったようです。しばらくは用心してすごしましょう。
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