わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その24:大島豊

ライター:大島 豊

1990年代のアイリッシュ・ミュージックの状況をこんなリストに現してみるのはどうでしょうか。

  • (1980, U2, Boy)
  • 1983, Mairead Ni Mhaonaigh & Frankie Kennedy, Ceol Aduaidh
  • 1985, The Chieftains, In China
  • 1987, PATRICK STREET
  • 1987, Mairead Ni Mhaonaigh & Frankie Kennedy, Altan
  • (1987, U2, Joshua Tree)
  • 1988, Van Morrison & The Chieftains, Irish Heartbeat
  • 1989, Altan, Horse With A Heart
  • 1989, Patrick Street, No.2
  • 1990, Altan, The Red Crow
  • 1990, Patrick Street, IRISH TIMES
  • 1992, Altan, Harvest Storm
  • 1992, Dervish, The Boys Of Sligo
  • 1992, Kevin Burke Open House
  • 1993, Dervish, Harmony Hill
  • 1993, MARTIN HAYES
  • 1993, Patrick Street, ALL IN GOOD TIME
  • 1993, Altan, Island Angel
  • 1993, The Celtic Fiddle Festival
  • 1994, Kevin Burke Open House, SECOND STORY
  • 1994, Sharon Shannon, OUT THE GAP
  • 1995, Dervish, PLAYING WITH FIRE
  • 1995, Martin Hayes, Under The Moon
  • 1996, Altan, Blackwater
  • 1996, Dervish, At The End Of The Day
  • 1996, Patrick Street, CORNER BOYS
  • 1997, Altan, Runaway Sunday
  • 1997, Dervish, LIVE IN PALMA
  • 1997, Kevin Burke, HOOF AND MOUTH
  • 1997, Martin Hayes & Dennis Cahill, The Lonesome Touch
  • 1997, Patrick Street, MADE IN CORK
  • 1997, Sharon Shannon, EACH LITTLE THING
  • 1998, Sharon Shannon, SPELLBOUND
  • 1999, Kevin Burke, IN CONCERT
  • 1999, Martin Hayes & Dennis Cahill, Live In Seattle
  • 1999, Patrick Street, LIVE FROM

またレコードか、と言われそうですが、インターネットによってアイルランドのみならず海外に往来することがごくあたりまえになるのは今世紀に入って、それも10年代以降です。1990年代はまだそう簡単に行くことはかないませんでした。それでもインターネットの爆発によって、海外からの情報量は格段に増えましたし、レコードを買うことも容易になりました。

それにはもう一つの要因、アイルランドの経済成長とは別に、よりグローバルなレベルでの要因としてLPからCDへの転換があります。CDすなわちコンパクト・ディスクは1982年に音楽ソフトの販売が開始され、1980年代半ばから新譜がLPではなくCDで出るようになります。この転換はジャンルによって前後します。真先に全面的にCD採用に踏みきったのはクラシックでした。CD規格がカラヤン&ベルリン・フィルの演奏するベートーヴェンの交響曲第9番がちょうど入る長さとして決められたように、CDは一般に長時間演奏の多いクラシックがまず恩恵を受けました。LPでは曲の途中で裏返したり、時には2枚目のディスクに交換したりしなければならないところを、CDならば一度プレーヤーにかければ、最後まで音楽を聞きつづけられるようになりました。

LPからCDへの転換は一夜にしてなった、という印象がぼくにはあります。ある日を境にLPの新譜が出なくなり、すべてCD一色になった、という印象です。もちろん実際には並行して出た時期もあります。クラシックが先行し、ジャズが続き、ポピュラーが追う、というように時間的幅もあったはずです。それでも各々のジャンルで、CDにある日ぱっと替わったように見えました。

レコード会社がLPからCDに一斉にと思えるほど短時間で切替えた理由は製造と流通のコストを大幅に下げられたことがあります。たとえばアナログ盤の最低製造ロットは通常500枚でした。つまり再版、追加のプレスをする場合でも500枚単位になります。英国の伝統音楽レーベル Topic Records はほとんどのタイトルが初回500枚で、それも売りきるのに四苦八苦していました。CDでは最低ロットはずっと少なく、100枚にもできました。流通つまり製品の貯蔵と運送のコストは遙かに大きく下がりました。おおまかにいってサイズは五分の一、プラスティックのいわゆるジュウエルケース入りのディスクはそう簡単には壊れたり、反ったりしません。1980年頃だったかと思いますが、ある日、ヨーロッパから1枚のLPを受けとったことがあります。どうやらレヴュー用サンプルとして一斉に送ったものの1枚だったようで、船便でした。ヨーロッパからでしたら赤道直下を通らざるをえません。盤は熱で変形し、反りかえってほとんど鉢のようになっていて、再生など考えられませんでした。CDであれば、そうなる心配もありません。

言い換えればCDはLPよりもずっと作りやすく、売りやすいのです。このことの恩恵を最も大きく受けたのは、いわゆるマイナーなジャンルの音楽、就中、世界各地の伝統音楽とそれに基くポピュラー音楽でした。500枚売りきれると予想されなくてもレコードにできてしまいます。1枚からでも全世界に販売し、送ることができるようになりました。かくて1990年代、まずアイルランドはじめヨーロッパ各地の伝統音楽のCDのリリースが爆発的に増えます。こんなところにこんな音楽があったのか、こんな音楽をやっている人たちがいるのかと驚くレコードがわっと現れたのでした。

CDが普及する前はローカルな音楽を販売するパッケージとしてはカセットが主流でした。CDが普及しても、しらばくはカセットも並行して販売されていましたし、アフリカなど、CD制作のインフラ整備が遅れたところではその後も長くカセットがメインのメディアでした。ところがカセットは世界的なレコードの流通網には乗らなかったのです。欧米でもわが国でもLPとともにカセットもレコードのパッケージとしては販売されていましたから、いささか不思議なところではありますが、実際にはカセットで出たものは国境を越えて販売されることは例外的でした。後になって当初カセットで出たものがCD化されることがあれば、そこで初めてそのレコードの存在を知るのが普通でした。現地へ行けばあたりまえのように売られているものでも、それが出ていることすらわかりませんでした。

アイリッシュ・ミュージックにおいてLPからCDへ切り替わったのは1990年でした。上記のリストで1989年のアルタンの《Horse With A Heart》、パトリック・ストリートの《No.2》は当初LPでリリースされました。翌年のアルタンの《The Red Crow》、パトリック・ストリートの《Irish Times》はどちらもはじめからCDで出ました。

このリストはアルタン、ダーヴィッシュ、パトリック・ストリート、マーティン・ヘイズ、ケヴィン・バークに代表してもらっています。もちろんこの他にも傑作、重要作は目白押しに出ていますが、このリストを眺めるだけでも、1990年代の活況は感じていただけるのではないでしょうか。前半のアルタン、後半のダーヴィッシュがピークを作り、パトリック・ストリートが10年代全体を支え、シャロン・シャノン、マーティン・ヘイズが鮮やかに登場して駆けのぼり、一方ケヴィン・バークは活動の幅を広げる。それは1970年代後半の活況を自乗したような、沸騰しているというのが最もふさわしいものでした。大量のレコードが出てきて、聴けばどれもこれも面白く、新たな発見があるということが毎月、毎年続いたのです。

10年間というとひどく長い時間のようであり、見方によっては実際に長いものになりましょう。ですが、当時のぼくにとって、1990年代の10年間は次から次へと湧いてくるアイリッシュ・ミュージックのレコードをとにかく夢中で聴きまくった10年間であり、ふりかえってみれば、時間の長さを感じませんでした。個人的には1992年に会社をやめてフリーになったことで、それまでより時間に余裕ができたことも作用していました。会社をやめた理由はアイリッシュ・ミュージックとはまったく関係がありませんが、アイリッシュ・ミュージックにどっぷりと浸りこむ条件が整うめぐりあわせになったのでした。ぼくにとってアイリッシュ・ミュージックが「もどってゆくところ」になったのは、この10年間に浴びつづけた結果でしょう。

1990年代も末近くなると、リリースされるタイトル数はさらに増えて、大富豪でもないかぎり、全てを買うことはできなくなり、ましてやそれを全部聴いている時間はなくなるレベルになります。聴ける音源の量が個人が使える全時間を遙かに超える状態は以後、こんにちまで続き、おそらく今後も続くでしょう。

この連載もようやく先が見えてきました。この後、ぼくの音楽生活に起きたことにできるだけ簡単に触れ、できれば将来、といってももう残りはそう長くありませんが、耳が聞えるうちは続けるだろう将来の展望をもってまとめとしたいと思います。(ゆ)