年末にわしも色々考えた:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

さて、 コロナは完全に収束したわけではないですが、一時期の社会全体の鬱屈した雰囲気はかなり解消されましたね。我がfieldとしては2022年の10月より恒例のアイリッシュセッションを復活させ(現状は週イチの毎週土曜日だけですが)、年に5回行っていたパーティ(ほぼライブパーティです)もコロナ前のペースで復活させたので、今年2023年はfield完全復活および再出発の年という意識でやってまいりました。

こういうふうに、もぞもぞと動き出している中で、音楽的には何も動けなかったコロナ鬱屈期の間、私の中では音楽のことが頭の中だけでぐるぐると回り続けていたわけで、いざ解放!となると足がすくんでしまって1歩も踏み出せないという心境になっていました(考えすぎ)。

そこで、今年は、そのいろいろな迷いをこのクランコラ誌上にぶつけて来たということになるのですが、その今年ももう12月です。何かまとめのような事を書いてみたいと思いつつもいまだぐるぐるとしていて納まる所を見つけられないような状態ではあります。。

思うに、私などの年配者が音楽を愛好し始めた頃、つまり、だいたい中学生だったわけですから1970年代前半の時代ですね。例えば、クラスで音楽の話をする友達と言っても2人か3人。彼らはたいてい年上の兄弟がいて、その影響で音楽に興味を持ち始めたというようなスタイル。音楽の媒体はもっぱらレコードですが、中学生にはほいほいと買えるモノではありませんから、時には誰々君のお兄ちゃんが親切にもレコードを貸してくれるとか、そんな幸運にも恵まれるわけです。しかし、レコードプレイヤーやステレオセットがどの家にもあったわけではありませんから、結局はそういうものを持っている誰々君の家に遊びに行って応接間に鎮座している高級家具調ステレオセットで聴かせてもらうと、まあこんな具合になります。

そんな、クラスの2,3人と音楽の話に興じていると、運動部の荒い連中から、お前ら女みたいやなあ!と罵声をあびるのも日常だった。そもそも、普通に中学生として生活してると、音楽というのはお茶の間のTVでほぼ毎日のようにやっている歌謡曲番組で耳にする以外にはほぼ無いわけですから、そういうTVではやっていないような音楽は誰も知らない。なんかわけの判らない音楽の話をこそこそとしている女の腐ったような(今は禁句ですか)奴らがいるぞ!という目でみられるわけですね。大多数の男子はプロレスが大好きで、マンガでは闘魂モノの巨人の星。カッコ良さとはそういうものであって、そうでない男は女の腐ったような情けない奴らという烙印を押されるのです。

ただ、1970年というと、団塊の世代と言われる膨大な数の若者がエネルギーを爆発させた時代であり、有名な学生運動のみならず、文化面にもいろいろなムーブメントを起こして行くような時代だったわけで(音楽で言えばフォーク)、私たち都市近郊の中学生はその時代の狭間に位地していたものと思われます。

高校生になると、女子の中には音楽の話をする子たちがちらほら見つかるわけですね。そんな女子も一緒になって、こそっとレコードの貸し借りなんかをしていると、机の中に入れておいたレコードが誰かにめちゃくちゃに傷をつけられたりするような嫌がらせもされます。女子とこそこそと仲良くしやがって!というやっかみもあったでしょうが、まだ、音楽というのはそういうものだったのです。

折しも、70年代と言うのは前述のような時代ですから、高校生にも流行始めていたラジオの深夜放送などでは、時の新しいムーブメントだったフォークががんがん流されます。すると、だんだんそういうちょっと年上の兄さんお姉さんたちの新しい文化がカッコイイという雰囲気が時の高校生にも芽生えて来るわけで、徐々に、私たちへの風当たりが和らいで行くのを肌で感じたものでした。

そういう中で、私の高校では文化祭になると視聴覚教室が開放されて有志のバンドが演奏するというような催しがあり、先輩達がそこでロックを演奏するのを目の当たりにして、私もそういう音楽を演奏する方にまわってみたくなります。しかし、当時の高校生にとってはエレキギターなどというのはやはり高価なもので、毎日下校時に家とは反対方向の電車に乗ってその頃に出現し始めた都会のショッピングモールの中の楽器屋に足繁く通い、吊り下げられているエレキギターを舐め回すように見つめては帰るという毎日を繰り返します。

そして、ついにはお年玉やお小遣いを貯めて念願の楽器を手に入れます。友達同士で、僕はギターを買うからキミはベースというものがあるのでそっちを買え、とかなんとかぶつぶつ言いながら。

と、言っても、当時の高校に軽音楽部などは存在しません。街の練習スタジオがその頃もうあったのかどうか。少なくともそういう場所があることすら全く知らなかった。なので、確か演劇部が使っていた旧体育館の舞台裏でおそるおそる音を出したり。果敢にもドラムセットを買ったやつはそこにずっと楽器を置かせてもらってなどなどの想い出があります。

いやもう、こういう風に書いていると次々にいろいろと思い出してきてしまって、とりとめもない思い出話になってしまいましたが。要するに、音楽というものは昔はこういうものだったということを言いたかったのです。

今のように、誰も彼もが何らか好きな音楽があるとか、まして、プロスポーツ選手がウオーミングアップ時にイヤホンで音楽を聴いているなんて、とても信じられない。つまり、音楽の社会的位地が昔と今ではまったく違っているということなのです。

逆に言うと現在はこれほどまでに音楽の社会的位地が広がったということで、恐らく音楽を聴く人間の総数は極端な右肩上がりに推移して来たことが想像できます。

音楽への需要が爆発的に増えた。イコール、音楽というものの人間の生活に及ぼす効能がとてつもなく広がったということなのではないでしょうか。50年前の音楽愛好者が想像もできなかった音楽の使い方がどんどんと開発されて、加速的に広がって行く。そして各人がそれぞれの目的と効能に合わせて音楽を使う。

そのような音楽と、50年前の音楽とは、音楽そのものは同じでも社会的位地と意味がまったく異なるのは、言わば当たり前のことですね。私のような、中学生の頃から音楽を愛好し続けた人間にとっては、これまでの時代の流れの中で少しづつ変化していくその音楽の社会性ということにはその都度、ある程度追従して来ている自覚はありました。例えば、ゲーム音楽がひとつの大きな需要として確立されて行った時代のことは鮮明に覚えています。が、ある時からこの変化と広がりのスピードはとんでもなく早くなって行って、もはや私などは着いて行けていないのではないか!

今年のクランコラのどこかでしつこく書いた覚えがある、音楽の楽しみ方は人それぞれです、という言葉すら、もはや、色あせている。楽しみ方などという自由そうな気分ではなしに、今は音楽は効能別に需要されるのではないでしょうか。そうです。サプリのようなイメージです。医薬品が従来の音楽だとすれば、あたかもサプリメントです。化学的な効果はいざ知らずそれらしい気分を補強する役割り。こうなると、いい音楽というのはいったい何なのだ!という議論も完全に不毛も不毛。何の意味もなさなくなって来る。

そうは言っても、この音楽をかけると仕事がはかどるんですよ。

このカップラーメンはお湯を入れてこの曲を聴き終わるとちょうどよい具合に出来上がるんです。

試合前は、この曲をイヤホンで聴いて精神を集中させるんです。

タケモトピアノのCM曲を流すと泣き止まない赤ん坊が泣き止むんです。

などなど。音楽は昔に比べると、確実にあらゆる場面で使われている。まさに、使われている。

では、アイルランド音楽にはどんな効能があるのか?!

私などは、初めて本物のアイルランド人フィドラーとセッションをした日から、この音楽はいったいどんな風になっているのかと20年間悩み続けて来ました。原始的でシンプルな故にその複雑な奥底。これまでの音楽のイメージだけでは解釈出来ないような確実なナニカ。こんなに難しい音楽が、しかし、何故か徐々にすの裾野を広げてこの日本で愛好されていく。医薬品としての化学的な裏付けもまだ確率していないようなサプリが、これほどまでに広がって行くような感覚。

私は、一度、このあたりに視点を移してみる必要があるのではないかと考えています。私自身の立場としては、単にアイルランド音楽演奏者ではなく、このような愛好者の皆さんに場を提供するアイリッシュパブを営んでいるという事実も再認識し直す必要がありそうです。

というわけで、2023年の年末にあたり、さしずめ新年への抱負として以上の事を強く思う次第です。私は音楽を考えるにあたってこれらの視点を付け加えつつ、自分の音楽の立ち位置をはっきりとつかんで行こうと考えます。

またなんか大げさなことを言うてますが、内容はさほど大したことない雰囲気も漂いますね笑。(す)