アイケンノカミ?:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

前回は、1月下旬のfield pub24周年パーティー前夜の焦りをぶちまけましたが、では、そのパーティはいったいどうなったのか?と。え? まあ、そんなに関心はないから気にしないで、とおっしゃるのは判ります笑。判りますが、話題の連続性を考えて、すでにもう少し前のことになってしまいますが、このパーティの様子がどうだったのか、これを今回はご報告することにします。

さて、前回のクランコラを書いてからですね、数日後に開催された我がfieldパブ24周年パーティですが、fieldアイ研24周年をテーマに何を如何に繰り広げるか。具体的には何の作戦もなく幕が切って落とされたわけです。

ただ、さすがにぶちょー氏は、「新しいアイリッシュのリーダーズ」というユニットをひっさげて登場したのと、かつてのアイ研全盛期にアイルランドに移住し、「ひとりアイ研アイルランド支部」を自負してくれているL女史が、アイルランドに帰る直前というタイミングでこのパーティに参加してくれたこと。

また、最近のパーティではアイルランド音楽以外の演芸ものがプログラムの多くを占めていたという流れに反して、冒頭2つと後半のビンゴ大会以外のプログラムがすべてアイルランド音楽の演奏になったという偶然の出来事!

これぞ、何か見えざる手が働いたと申しましょうか。確かに、この日は、そこにアイ研があった!と言えるパーティになったのでした。めでたしめでたし!

読者の皆さんにおかれましても、ほぼ、これは笑わせ企画だろうとタカをくくっておられると思います「新しいアイリッシュのリーダズ」。私もタカをくくっていました。正直言って。
 
ぶちょー氏いわく

アイルランド人が日本人に対して、「アイルランドには地域ごとに色々な音楽のスタイルがあるけれども日本スタイルのアイリッシュミュージックは産まれるのかい?」とたずねている動画か何かを見たらしいのです。そこで彼は、ジャパニーズスタイルはあり得る!とひらめいたという事なのです。多くのアイリッシュソングは元々はゲール語で歌われていたものが現在は多くが英語に替えて歌われていることにヒントを得て、彼は日本語で歌詞を作ろうと思い立ちます。そして、今回はクラナダの有名な歌に新しく日本語歌詞をつけてやって来た。

それを、クスリともせずにマジ顔で彼とデュエットで歌うY女史。2人のこの大真面目さはいったい何や?私らは当然いつもにように笑かしに来たもんやと思ってたのに! 会場は静まりかえって皆さん聴き入っているではないか!

続いて、Y女史のボタンアコとぶちょーガットギターで演奏されるスローなリール。これが途中から徐々にリズムが跳ねてきて会場から手拍子が湧き起こる。気が付くとこの手拍子が見事にドドンパドン!になっているではないか!これ、ぶちょー全部計算ずくやったんか?!

という、見事にジャパーニーズスタイル・サウンドのアイリッシュミュージックが出現!したのでした。

次が、僭越ながら私スザキと店長佐藤輝(ひかる)によるユニット、すーちゃんヘイズ&デニスひかる。そうです。私たちが敬愛する超有名なユニット、マーティンヘイズ(フィドル)&デニスカヒル(ギター)にあやかって作ったユニットです。デニス氏は2022年に他界されているので、もうこのユニットを生で聴くことは出来ない。そこで、私たちは立ち上がったのです!もっとも、私のギコギコフィドルではマーティンのマの字も真似出来ない。まして、佐藤ひかるはギターさえ弾けない。あんたらそれで何をどうするつもりや!と緊張が走ります。

まあ、この結果?……これは私としてはここに詳しくは書きたくありません。お察しください笑。

この次からが圧巻の流れになるのです。前述のL女史と、今や各方面で活躍する歌って踊れる(踊りません)女流フィドラーT女史のフィドルデュオです。アイルランド音楽はご存じの通り何百曲もある伝統曲の中に演奏者共通に知っている曲が多くあり、なおかつ、短い曲を繋げてメドレーにするスタイルで演奏されることがほとんどなので、共演者とことさらリハーサルをしなくても、その場の雰囲気で合奏することが可能な音楽です。この2人は文字通りそれをやった。まったく何の打合せもなく突然ステージに出て2本のフィドルで合奏を始めたのです。

また、これもご存じの方は多いと思いますが、前述の通り知っている同じ曲なら確かにまったく同じメロディを奏でるのかと言えば決してそうではありません。同じ曲のメロディが実は弾く人によって微妙に違っていたりするのです。具体的にはその人が誰の演奏を聴いてその曲を覚えたかによって微妙な所が違ってくる。アイルランド音楽が古来口承で伝えられてきた所以ですね。ましてや。主旋律に付加される装飾音などは同じ人が弾いてもその時によってこれまた微妙に変わって来たりする。

アイルランド音楽はとにかく複数の楽器で同じメロディをえいやっと演奏するイメージがあるのですが、セッションなどではこの辺の微妙なずれは初めから織り込み済みで演奏されます。それだけに、セッションはその時の参加者によって全体のサウンドの雰囲気が少しづつ変わってくるのであり、このアバウトさがまたセッションの醍醐味でもあります。が、この日この2人はステージに上がってこの気楽さを放棄した!

2人が同じフィドルという楽器で同じメロディを弾く。しかし、同じでも微妙に違う部分が出て来る。これをセッションの時のように流してしまわずにお互いを注意深く聴き合って、より上手く音が混じるようにとっさに装飾音の変化を付ける。とっさにオクターブ下に移る。とっさに間を作る。お互いのメロディの動きに対してお互いに瞬時の反応する。ある意味これは小編成凄腕ジャズマンのアドリブが持つ緊張感に匹敵する高揚を生み出したのです

私は、アイルランド音楽の生演奏でこの種の高揚を体験したことがありません。実はこの2人の演奏の途中から私がブズーキで伴奏に入る手はずになっていた。しかし、こんな音楽の中にとても正気では入って行けない、、、と客席で楽器を抱えて足がすくみ動けなかった。が、打合せは打合せです。曲の合間に私は勇気を出してステージに上がろうとしました。が、L女史の右手のゼスチャーで制止された。このままもう1曲やらせてと小声で私に言う。いやいや、是非このまま私ももう1曲聴きたい!どんどんやって!

本当はプログラムというものがあってこのステージにも制限時間があったのですが、そういう事はもうすでに私の頭の中からは消え去っていました。

いやはや。これもある意味ジャパニーズスタイルなのかもしれません。確かに、私が昔から口癖のように吠えてるところの、日本人の演奏にはノリと言うものが無い!というお話し。これは、アイルランド音楽に限ったことではなく、私が若い時に接したロックやジャズでも常に同じことが言われていた。あえて、ノリという考え方を排した無味乾燥なテクノミュージックとして世界に受け入れられたYMOなどは、そういう日本人のノリの無さを逆手に取ったクレバーな戦略だったのだとか。そういう論評が普通に語られていた。

ある歌を子ども達に教えるとする。日本の子どもの勘のいい子はすぐにそのメロディを覚えて歌いだし、更に勘のいい子はとっさにハモりを入れたりする。同じことをニューヨークでやると子ども達はメロディを覚える前に身体を動かしで踊り始める。と、こんな話もまことしやかにささやかれていました。

そうです。このメロディに対する過敏な感受性というのはもしかしたら日本的のものなのかもしれないのです。セッションで各人の装飾音の違いが無視されるのは、もともと、そんな細かい事はどうでもいい、これはダンス音楽なんだから気持ち良く踊れるようなノリのいい演奏をしようぜ!というアイリッシュの欲求の方向の差から来ていたものではなかったのでしょうか。

そして、彼女達の最後の曲で、いやはや本当にサウンドを壊しに行ったようなものなのですが、私が伴奏に入りました。はい。小さな音で控えめに。プログラム上ではそのままL女史と私がステージに残り、私とL女史のデュオユニット、りさすの演奏に移るのですが、これには私は実に困った。L女史は先ほどの研ぎ澄まされた耳と緊張感みなぎる弓使いがいつでも炸裂出来る体制でスタンバイOKな状態なのです。その状態で1曲やりましたが私はもう押される一方で倒れそうになります。泣きたい気分です。

2曲目に移る間合いにL女史はマイクで呼びかけて、T女史、ぶちょー氏、デニスひかるに呼びかけて彼らをステージに上げた。で、昔懐かしいアイ研セッションと行きましょう!と。

そうです。かつてのアイ研セッションというのは、スピード競争などとも揶揄されたことがある、どんどんがんがんテンポが上がって行く、無理やり体育会系ノリノリセッションなのでした。皆それを知っていますから、このL女史の号令一発で身体が反応し、ガシャガシャセッションが炸裂します。そしてかつでのアイ研セッションのラストチューンの定番であるグラベルウオークに至って全員そろって昇天!という水戸黄門の印籠のごとく定番のフィナーレ!会場ももちろんやんややんやと盛り上がります。

いやもうここでパーティが終了というのが一番キレイだったように思うのですが、それだと、ただ、アイ研同窓会の様相になってしまって、若いお客様や一般のお客様には少々不親切ですよね。この意味でも、この後はビンゴゲームに移行して、いかにもパーティぽい雰囲気に会場全体が様変わりします。会場の皆様のほぼ全員が笑顔笑顔の平和な光景が繰り広げられました。

そして、ラストが私と新鋭若手フィドラーK君のユニット、gold fieldの演奏でシメということになります。K君とのデュオはまだ始めたばかりでしばらくこの曲で練習しようという曲が決まっていまして、それを冒頭にやったのです。こういう練習中の曲ですから、コードなども決めてあって構成もセッションとは違ってある程度決まっているので、私ブズーキはコード表を見ながら演奏するのですが……私の中にはさっきのアイ研セッションのイケイケ気分がまだ身体から消えて居ない。つい、そんなコード表なんて見て弾いてられるか!と、コードもちゃんと弾かずにぐんぐん加速する、なんてことになってしまい、最後はフィドルとピタッと合わせて終わる所を合わせることが出来なかった。いわゆる最後でコケてしまった笑。

コケついでに残り数分のパーティ終了時間までがんがんリールで突っ走って大団円!

このように、どこにも作為的なものは無く、あたかもアイケンのカミの見えざる手に導かれるようなアイ研24周年パーティ、いや、fieldパブ24周年パーティは、会場全員が独特の高揚感と笑顔のうちに終了したのでした。いやあ、めでたしめでたし!

結局、ぶちょー氏の首振りダンスは飛び出しませんでした笑。(す)