「言い訳の巻」から「ブズーキのお話」へ:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

前回の文章は少々説明不足の所があったので、実はちょっとシマッタ!と思っておるのです。あれでは、fieldスザキはリズム感に問題があるのでこれから一緒に演奏する皆さんはそこんとこ配慮してね!という風にちょい居直っている態度に見えなくも無い。。。

なので、今回は、言い訳の巻、ということにしたいと思います。

はい。確かに私スザキのリズム感には問題があるかもしれない。ここにガビーン!となったというのが前回の主旨であるのは間違いありません。が、そこには裏の主旨がありました。それは、

普通にリズム感と言われているものはメトロノーム的な正確さを問われるイメージではないですか? が、メトロノームに合っていても音楽になった瞬間に合う合わないという問題が発生しますよ、という問題提議です。

前回にも出て来た10数年前の練習会において、とある若者が以下のような質問をして来たことがあります。

「黒人ダンサーがメトロノームに合わせて、あれほどノリノリなダンスが出来るのは何故ですか?」

当時、私はこの質問に答えることができなかった。

これはあれですね。黒人ダンサーが下町の街角で肩にごっついラジカセをかついでそこからチープなリズムマシンの音が鳴っている。それに合わせてノリノリのステップを踏んでいる、というような映像イメージが昔わりと普通にあったのです。今のYouTubeというより昔のMTVの時代かもしれません。CMなんかにもあったかも。これはいわゆる、こんなチープな題材に対してもオレはこんなにノリノリに踊れるぜ!という黒人ダンサーたちのアピールなわけですね。

前回の問題提議は、実は、この質問に対する回答になるのではないか。そして、この「メトロノームの聴き方が違う」というポイントが実はアンサンブルにおける合う合わないに非常に重要な要素になっているのではないかという事、これが裏の趣旨です。

ここでは判りやすいように「メトロノームの聴き方が違う」と表現していますが、もっと正確に言うと、音楽における「等拍」に対するイメージやアプローチが違うという意味で、メトロノームが「等拍」を象徴するものと解釈した上での表現です。

さて、前回でも吐露したように、かつて私はブズーキを弾いていて「誰と合わせても合ってる気がしない!」と感じるようになり、しまいにはブズーキを弾くというモチベーションまで失ってしまったという時期がありました。その後、数年のブランクがあって時々はパーティやセッションでそれとなくブズーキに復帰していくようになります。

確かにちょっと構えました。以前の楽器をそのまま使うのにやや抵抗があって新しく楽器を入手したりしました。より、ソフトな余韻があって音質にあまりクセが無いブズーキを見つけたのでこれに飛びついたわけです。また、ブランクを置いて、以前のリズムオタク熱も少しは冷えていましたので、その時々のメロディ奏者に合わせて無難に伴奏するというようなスタンスになって行ったつもりでした(あくまで自分では)。その時はこの構えに対して意識はあまりしていなかったのですが、今ではこのように思っています。

はい。と、いうようなことを思い出してしまうようなエピソードが、まさに、先日起こったのですね。最近、私に起こる音楽刺激はめまぐるしい!かつ示唆に富むものばかりで頭が付いていかない!

当fieldでは恒例として年5回のパーティをしているのですが、コロナで2,3年中止が続いたあと、22年秋にこのパーティが復活しました。fieldのパーティは基本的にライブパーティで、その時々で臨時のユニットが次々に登場し演奏するわけですが、この復活後のパーティでは私は毎回なんらかの演奏でブズーキを弾いていました。そして、1年前ぐらいから何故か昔のブズーキを持ち出してこれを弾くようになっていたのです。

また、このパーティではネット配信をしているのですが、去年あたりから機材が替わって少し音質が良くなったのです。なので、終わってからもそのアーカイブ、特につい自分の演奏動画も見てしまいます。そこで、気になっていたのが、どうにもこのブズーキ、音が悪い!というものでした。

そこで、3月から9月の約半年間はパーティ空白期間にあたるので、私はこのブズーキの弦を何種類も取り替えて試したり、音を増幅する(パーティでは音響PAを使いますから)ピックアップも何種類か試して色々と試行錯誤をしておったのです。しかし、生音ではあのPAで増幅した時の音質がわかりませんから、半年ぶりに開催された先日の「field創業37周年パーティ」を、この楽器のテストの機会だとして待ちに待っていたのです。そこでは、以前のパーティでもデュオ演奏をしたことがあるとあるフィドラー君とのデュオ演奏を予定していました。

そして、本番です。初めは軽く始めて、だんだん私はテスト意欲が高まっていきます。ステージ上で聞こえている自分のブズーキの音は足下のモニタースピーカーから出ている音なのであてになりません。だから、とにかくいろいろな弾き方をして後で配信アーカイブを確認するのが目的です。これは、はっきり言ってライブと考えた場合、ちょっと不遜な態度ではありますが、まあ自分とこのパーティの中での事でしょうという風に正直言ってちょっと軽く居直っている。また、相棒のフィドラー君はあまり気を遣う相手ではない(失礼!)。私が何か変な音を出してフィドル弾けなくなったら止まってもいいよ!てな感じです。

ここで強く弾いたらどうか、ここでミュートしたらどうか、と気が付くと、私は非常に悪ノリをした演奏をしているのでした。ある曲ではフィドーラー君思わず止まりかけた一瞬もありました。まあ、パーティ演目のラストだったのでオーディエンスはそれなりに盛り上がってくれてる。外国人のお客様もやんややんやと目立っていたし、まあええんちゃうのって。

じゃーん!はい、終了! これをもってパーティは終了します!とMCをして引き上げます。相棒のフィドル君に、なんか悪ノリしてごめんねと声をかたり。

翌日、私はこの時のアーカイブを確認します。うーん。思ったほどブズーキの音色は改善されていない。。。と、したら、この楽器は確か2002年あたりのモノなのでけっこう古い。木の楽器は古いほど木が乾燥して良い音になるというようなイメージがあります。確かに木は経年変化をしますが良く変化するものもあれば悪く変化するものもある。なので、手入れも含めてそれほど神経質に丁寧に扱ってきた楽器でもないからな。と思うと、これはもう経年変化と手入れ不足で楽器としてダメになってしまったのだろうかと肩を落としていた次第です。

すると、パーティに来ていたある人からメールが来た。いわく、昨日のブズーキは最高でした!と。これを皮切りに2、3人の人から賞賛の声をいただいた。なんで?! 自分のブズーキが褒められるなんて1000年ぶりやで! 何?何?何?って感じです。

え?自分はどんな演奏をしていたんやったか?

と、思い直して、今度は演奏面に注目してアーカイブを見直しました。なるほど。ああ、昔はこんな弾き方をしていたなあと何かこみ上げるものがあるような懐かしい感じ。つまり、あの頃の弾き方が蘇ってしまっていたのです。

が、もっと驚いたのは、相棒のフィドル君がそのクセのある伴奏に食らいついていたことです。いわゆる、メトロノーム的には外れても何度もめげずに取っ組み合いをしてくる。それで音楽が前に進んで行っているのです!これは???

何が起こっていたのか?

昔の楽器を弾くことで何かの記憶が触発されたのか?

共演者に一切気を遣わずに良い音楽を奏でようなどと少しも思わず楽器の音色テストに集中していたからか?

あるいは、この時のフィドラー君が食らいついてくれたからなのか?

このあたりはよく判らないのですが、私の中で何かがどんでん返りして、なんとなく、やっとブズーキに復帰できたかもしれないとうっすら思えた瞬間でした。

こんな風に言うてしまうと、これからブズーキ弾くのちょっとハードル高くなってしまいますね。また構えてしまうと元の木阿弥になったりして笑。