【最新号:クラン・コラ】Issue No.343

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森

Editor : hatao
November 2022 Issue No.343
ケルトの笛屋さん発行

アイリッシュ・トラッドミュージックシーンの女性たち:松井ゆみ子

アイリッシュ・トラッドミュージックシーンの女性たち:松井ゆみ子

わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめて
アイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その16:大島豊

音楽は土地に生まれ育ちます。このことはアイリッシュ・ミュージックの愛好家であればあたり前すぎて、何を今さらと思われるかもしれません。とはいえ、生まれ育った土地ではないところに観光客ではなくある期間暮らしてみると、そのことがあらためて実感されることがあります。

ぼくがロサンゼルスに半年暮らしたのは自主的な選択ではありません。当時の勤め先の都合で、つまりは仕事でした。アメリカ人との共同作業でしたので、夜や週末はフリーです。古本屋めぐりをしたり、映画を見たり、レコードを買いにいったりという、つまりはそれまでしていたことを続けていました。安いステレオ装置も買いこみ、買ってきたレコードを聴いていました。むろんレコードはアナログです。家で音楽を聴こうとすれば、ラジオかアナログ・レコードのどちらかになります。

ライヴという選択肢はあったわけですが、1979年から80年のポピュラー音楽の主流はパンクの全盛期。有名な Troubadour にも一度行ってみましたが、出てくるバンドはどれも1曲3分以内の曲をハイスピードでくり返すだけで、音楽とも思えません。印象に残っているのは、曲が鳴っている間中ステージの前で、おかっぱ頭で体格も服装もそっくりの二人の女性が、両腕をぴったり付けて直立した体を、これまた高速で左右にくるくる回しながらぴょんぴょん跳ねていたことだけです。あれも一種のダンスだったのでしょう。ライヴそのものは探せばいろいろあったはずですが、当時はぼくも仕事の相棒も、ライヴを見に行くという習慣がなかったせいもあり、情報収集にも熱心ではありませんでした。

土地というのはまず空間です。地形、気候、それが織りなす時間の流れ。アイリッシュ・ミュージックはアイルランドの土地から生まれているので、北米の大平原の真只中で生まれることはない。ロサンゼルスは基本的に砂漠です。のっぺりと広がった平原に縦横に片道6車線のフリーウェイが走り、その間にスプロールとなって都市が続きます。高層の建物はダウンタウンに少しあるぐらいで、平屋か二階建が大部分です。少なくとも当時はそうでした。そうしたところを毎日車で走りまわっていると、普段聴いていたアイルランドやブリテンの音楽は似合いません。その土地に似合う音楽を聴くようになります。

わずか半年ではありましたが、それでも人間は土地になじみ、感化されます。前半の1979年の間は、買ってきたドロレス・ケーンやフェアポートを聴くこともありましたが、年が明けてからは、どうしてもイーグルスのファースト・アルバムや、これもリアルタイムで新譜を買ったジャクソン・ブラウンの《Running For Empty》に手が伸びるようになりました。イーグルスは家だけでなく、カセットにダビングして車の中でもよく聴きました。とりわけ冒頭の〈Take It Easy〉のあのビートは、フリーウェイを走りながら聴くと、車線を区切るラインが過ぎてゆくのにぴったりと合うのです。こういうことも住んでみないとわかりません。この半年間の経験は、望んでそこに暮したわけではありませんでしたが、かえってそのおかげで音楽とそれが生まれる土地との関係を皮膚感覚として捉える契機になりました。

1980年の春に帰ってきて、ふだんの生活にもどると、まただんだんと音楽の嗜好も元にもどりました。わが国の土地、風土はどうやらアメリカ西海岸よりもブリテンやアイルランドに近いのでしょう。島であることは何よりも大きいと思われます。大陸の感覚との最大の違いは、今立っているこの陸地に限界がある、どこに向かって行こうとすぐに海につきあたると常に感じていることです。大陸では土地は続いています。1週間や1ヶ月旅を続けても海は見えない。人によっては生まれてから死ぬまでついに海を見ないこともある。その感覚は島に生まれ育った人間には仮にも想像すらできません。

半年アメリカに暮らした間に、内陸部に一泊の小旅行をしたことがあります。ネヴァダからアリゾナへかけて車で走りました。インターステイトと呼ばれる幹線道路は片道2車線。対抗車線は分離帯というには広すぎる、数十メートル先です。真平らに伸びる道路の前後に他の車は見えません。季節としては冬でしたが小春日和で陽射しは強く、車内の温度が上がり、運転していたアメリカ人は助手にハンドルを押えさせて、着ていたセーターを脱ぎました。走ってゆく左右も、ごくわずかな起伏や盛土のような地形の他は、ただただひたすら平らにまっすぐな地平線まで広がっています。そこを走っていたどこかで、この土地がそのまま遙かに東まで続いていることを想像してみようとしました。アタマの中で想像はできても、実感としてはまるで何も浮かんできませんでした。

アメリカでもアイリッシュ・ミュージックが盛んなところはあります。が、ボストン、シカゴ、サンフランシスコ、ポートランドなどと数えてみれば、どこも都会です。アイリッシュ・ミュージックを大陸のど真中にたとえ持っていったとしても、そこで暮して演奏しているうちに、それがカントリーやオールドタイムへと変化することは避けられないと、これまた実感したことでありました。

望まない土地でやむをえず暮らすことは移民や難民の形を待つまでもなく、ごく普通にありえることですが、それは必ずしもまったくのマイナスばかりではないことも実感したことでありました。

幸いぼくはロサンゼルスに放置されることなく、ぶじ帰ってくることができ、そこでまた自分の生まれ育った土地の性格をより客観的に見ることもできました。そしてそこでアイリッシュ・ミュージックをあらためて「発見」することになります。そこにはたまたまドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《Broken Hearted I’ll Wander》をロサンゼルスで手に入れたということだけでなく、アメリカという、アイルランドから見ても、わが国から見ても異質の土地でそれを聴いた経験もまた一役買っていた、と今になってふり返ると思えてきます。つまりこのアルバムそのものの異質性、アイルランドという土地の特異性が、アメリカが間に一枚はさまれることによって浮きあがってきたと言えるのです。以下次号。(ゆ)

ガンダムに学ぶ4:field 洲崎一彦

もう何回になるでしょうか、ここでアニメ「ガンダム」に言及し始めてから。実はそろそろガンダムから離れようかと思っておったのですが、いやまた最近、問題作を観てしまったのです。「ガンダムNT」です。

前回まで、私が特に引用していた作品は「ユニコーン・ガンダム」でした。この物語の内容は複雑で深いものなのですが、終盤には、結局、「論理」のフルフロンタル大佐と「愛と情熱」のバナージ&ミネヴァ姫の対決になり、「愛と情熱」が辛くも勝利する物語、ざっくり言うとこういう作品でした。

実は私は物語の中盤以降において内心「論理」のフルフロンタル大佐の方に半ば共感を覚えていたので、この結論には少々不満が残りました。不満は残ったものの、日頃から、現代の風潮と申しましょうか、「論理と意識」偏重の雰囲気に違和感を覚え始めていた私としては、時間がたつにつれて、このユニコーンの物語が妙にひっかかって来ていたのです。

そうか!

「論理というものは人に優しくない」

これです。

これまで思ってもみなかった発見でした。

以来、身の回りのあらゆるものの見え方が地味だが少しずつ違って見えてくる。

私にはそれほどのインパクトがある示唆でした。

が、今回、「ユニコーン・ガンダム」で描かれた世界の1年後の世界を描いた小作品「ガンダムNT」を観てしまったのです。

この「ガンダムNT」は映画版として作られたので100分そこそこなのに対して、アニメ版「ユニコーン」は30分22話の長尺となり、そもそもボリュームが違うわけなのです。それで、私は「ユニコーン」の次ぎにすぐに「NT」を観る食指が動かなかったのでした。

が、これが「ユニコーン」の1年後の世界を描いたものであると知って、これは観ておかないと助かる道はないというような焦燥感に駆られてついに飛びついたわけです。

物語は「ユニコーン」と直接関係はありません。「ユニコーン」の周辺の世界や人間を中心とした、いわゆるスピンオフ的内容になっているのですが、「ユニコーン」の中心人物だったバナージ&ミネヴァ姫もかろうじてチラリと登場するのです。

それが、なんとも地味な登場で前後の説明が何も無い。しかし、「ユニコーン」で最終的に勝利したバナージ&ミネヴァ姫の、その1年後というわけですから、少なくとも地球と宇宙において彼らが何らかの大きな役割を演じていても良さそうではないですか。しかし、そんな素振りもまったく見えない。

むしろ、もはや、ミネヴァ姫を適当に翻弄して陰謀を張り巡らせる悪徳政治家が目立つ始末。バナージも意味深に登場するにはするが大勢に影響を与えるわけでもなし。これでは、まるで、「ユニコーン」であんなにも七転八倒した果てに行き着いた「愛と情熱」が、やはり、人々の欲望と高い「論理」性を駆使した陰謀の前ではまったく無力だったと言ってるの同じではないですか!

まあたしかに、上記の悪徳政治家が最後に笑うという結末にはならずに「UC」のストーリーには一応のオチがつくのですが、「ユニコーン」から継続している人類危機の問題は放ったらかしやないか!

つまり、「ユニコーン」での「論理」vs「愛と情熱」の決着が、結局はまた曖昧な混沌に放り込まれるというわけなのです。ひとことで言えば、「現実は厳しい」と言われてるような気がして後味が良くないわけです。

そして、私は、前回のこのクランコラで、「高い意識」を捨て「愛と情熱」でセッションに挑みましょうなどと呼びかけてしまったではないですか!

前回、私は、例え、何ら、深くものを考えなくても「情熱」があれば、それが行動力を生み出すのだという事を主張しました。が、「NT」に登場する邪悪な人々はなんと「論理」的に悪徳でかつ行動力も凄まじいではありませんか。むしろ、ミネヴァ姫などは行動を封じられているが如くで、あげくに彼女が最後につぶやく言葉は「それでも、私達はこれを言い続けねければならないのね・・・・」だったりします。

あかんやん。負けを完全に認めてるやん。

そうですね。確かに「現実は厳しい」ですね。前回私が呼びかけたように「愛と情熱」でもって、セッションに通って好きな彼女をゲットしよう!などと、私の口車にうっかり乗ったせいでエライ目にあう男子諸君も現実には今後出て来るかもしれません。たぶん。

だからこそ、今度は「UC」のミネヴァ姫の台詞をそのままいただいてですね。

「それでも、私達はこれを言い続けねければならないのね・・・・」

「論理」派から「愛と情熱」派に転向してまだ日の浅い私としては、こんなにすぐに負けを認めるわけには行かないので、この同じ台詞をつぶやき続けようと思います。

言われるとおりに頑張ったけど好きな彼女に嫌われてしまって、セッションに来るのが気まずくなりました。

などという苦情は、決して私に持って来ないでね笑。(す)

コンサート感想「山本能楽堂で楽しむ 管弦舞楽スウェーデン伝統楽器と古楽器の音楽会」:hatao

タイトルにある通りスウェーデン音楽側からニッケルハルパと北欧伝統笛、古楽側からリュートとヴィオラ・ダ・ガンバの四人編成の音楽家が、第一部に日本文学の朗読、第二部は日本舞踊とのコラボレーションをする。能楽堂という舞台で行われたこともあり、日本文化の解釈に取り組んだ意欲的な作品。

能舞台は正面と横からの二方向に加え二階席もあり、さまざまな角度から鑑賞されることを想定して、4人の演奏席をL字に配置、朗読を除いてすべて生音である。

音量が控えめな伝統楽器と古楽器だが、観客席の近い能楽堂では音量の不足は感じさせない。残響の少ない室内だが案外にリュートの小さなつまびきまで、はっきりと聴くことができる。

北欧伝統楽器や古楽器はそれぞれの音楽に最適化されており、現代の西洋楽器のように汎用性があるわけではなく、また音色や演奏法に強い個性と制約がある。それら出自の異なる楽器同士が音楽アンサンブルをするだけでも高度な技で、それを成立させるにはそれぞれの楽器の特徴を理解した上で、相当の工夫が必要となる。ましてや日本文化との共演となると、うっかりすると取ってつけたようなチグハグな印象になりかねず、それが成功したしても西洋と東洋の対比を演出できるかどうかというところだ。

しかし今回の舞台ではそのような楽器の特徴を生かしつつも、そうであることを忘れさせるくらい、朗読や舞踊と一体となり一つの作品を作り上げていた。ひとつは大森さんの作編曲の力であり、もう一つは作編曲家からの難しい要求に応えることができる優れた演奏者があってこそだ。作品の完成度を高めることで、朗読や舞踊という日本文化側から西洋文化に歩み寄る必要はなく、もっとも自然な形で日本文化を表現した上で、それを換骨奪胎してしまうという離れ業が可能となるのである。

音楽については、小泉八雲作品の朗読の音楽はまさに劇伴奏で、朗読のシーンに寄り添って、主張しすぎず、かと言って退屈させない。邦楽合奏のような部分もありつつ、古楽で見られる楽器同士の対話やガンバの通奏低音を垣間見ることができて興味深い。題材が怪談ということで、現代音楽に通じる不協和音や微分音が効果的に使われて聴き手の心理に寄り添うような不安定さを表現していることも聴き所。

これは純粋に西洋音楽だけを得意とする作曲家には出ない発想で、さまざまなジャンルに取り組んでこられた大森さんだからこそ成し得た作曲技法だろう。古楽、北欧音楽、邦楽など音楽の背景を連想させながらも、全く未知の作品となっていた。

朗読の上手さも際立っており、発音、発声、間の取り方がプロフェッショナルで、語り手を超えて物語の世界に引き込まれてしまう。シーンや声に合わせて音楽を奏でるのは普段のコンサートとは違う気配りが必要なはずだが、それを感じさせないくらい良く練られていた。

休憩を挟み第二部の日本舞踊との共演は、平安時代から伝わる安珍・清姫伝説を題材にした「道場寺」の上演。日本舞踊については全く無知なので評論を避けるが、場面ごとに分かれつつも拍手の間を挟まず全体として一つの作品となるように構成されていた。舞に集中しているうちに知らぬ間に終演となっていたが、一体、何分あったのだろう。20分くらいに短く感じた。これは18世紀に上演された作品の新解釈ということだが、原曲を知らないながらも、このアンサンブルのために作られたかのように自然な姿で音楽が舞踊と共演していた。第一部が情景描写の伴奏音楽、第二部は踊りと音楽の対等な器楽作として、違いが際立っていた。

このほか、音楽のみの演奏として第一部に北欧音楽のスタイルによるオリジナル作品が2曲と、アンコールに古楽を代表する作曲家ジョン・ダウランドの作品が1曲。それぞれの楽器やその音楽のルーツを感じさせる選曲で、演奏も巧みで大変素晴らしかった。

普段は伝統音楽を拠り所にしている私だが、クラシック音楽も伝統音楽も作品の再現や、楽器の技術を向上させて演奏の完成度を高めることに音楽家の活動の重点が置かれることが多く、その中で真に創造的な活動が占める割合は少ないのではないだろうか。その点で、今回の作品は創造的芸術と呼ぶにふさわしい企画であり、刺激的な挑戦だった。難しい課題に取り組まれた演奏家の皆さんを改めて賞賛したい。

編集後記

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

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