アメリカのファイフの歴史

当店で人気のアイリッシュ・ピッコロ、木製ホイッスルや楓フルートを製造しているアメリカ、コネチカット州の楽器工房ミュジク・モルノー。実は「ケルトの」楽器ばかりでなく、アメリカの歴史的な横笛ファイフも製造しています。

代表者で職人のジョセフ・モルノーさんは、もともとはアメリカの鼓笛隊用品会社Coopermanの笛職人としてキャリアをスタートしたのち、先代のラルフ・スウィートが代表だったスウィートハート社に入社しました。

そのような経緯があるため、スウィートさんが引退しモルノーさんが工房を継いでからは、ファイフの取り扱い種類が一気に充実しました。ホームページでは、独立戦争時代から現代までの様々なモデルのファイフを見ることができます。


▲ミュジク・モルノーが製造している19世紀モデルのCloos Model Fife

ファイフとは、ピッコロによく似た短い横笛です。ピッコロがDまたはC管であるのに対して、ファイフはA管やBb管とやや長め。戦場で遠くまで音を響かせることを目的に、第2オクターブ目以上の極めて高い音を大音量で演奏します。

もともとヨーロッパの伝統であるため、レパートリーはイングランドの16世紀以降の伝統曲やそのスタイルによる曲が多く、現代のケルト音楽とも深い関連があります。

また現代ではフルートとピッコロは同族楽器としてみなされていますが、音楽学者のデビッド・マンロウは楽器の発展の歴史を見ると、ヨーロッパの音楽史においてはフルートよりもファイフの方が先に存在し、ファイフからピッコロが生まれたのだとしています。

私達が知らないアメリカの鼓笛隊の文化について、モルノーさんからお話を伺いました。

ファイフとドラムは、アメリカの象徴のような存在になっていますが、アメリカで発明されたものではありません。

14世紀にはスイス人が、戦いの騒音の中で遠距離から信号を伝達するために、笛とドラムを使用していました。 他のヨーロッパ諸国もこれを取り入れ、植民地主義者たちが西半球に持ち込んで、民兵だけでなく、町の集会への呼びかけなどにも使われました。

昔、鐘は高価でヨーロッパで作らなければならなかったので、18世紀半ばまで実際に使われることはありませんでした。

ファイフとドラムはアメリカ独立戦争時代(1861年~1865年)に「アメリカ人の大義(American Cause – 独立戦争の正義的な主張)」と結びつき、笛は訓練を受けた楽器職人だけでなく、旋盤を持ち、木工技術を持つ人なら誰でも作ることができるようになりました。

南北戦争(1775年~1783年)の頃には軍隊では伝統的にファイフが使われていましたが、やがてビューグルのような金管楽器が好まれるようになりました。戦争が終わると退役軍人の協会が作られ、ファイフやドラムを演奏できる者、あるいは学ぶ意欲のある者が楽隊(Fife & Drum Corps)として集まり、パレードを先導したり、単に楽しく騒ぐために、古いお気に入りの曲や新しい曲を演奏したり、作曲したりするようになったのです。

20世紀初頭には、アメリカのニューイングランド地方からニューヨーク、ニュージャージーまで、各地で鼓笛隊を見ることができました。1976年のアメリカ独立200周年が近づくと、鼓笛隊の人気はさらに高まり、メリーランド州からメイン州までの海岸沿いの町には、どんなに小さくても何らかの形の鼓笛隊が存在しないところはないほどでした。

1980年代前半にはほとんどの鼓笛隊が他の団体に合併されたため、1970年代ほどの数はありませんが、これらの団体の最も古い集まりは、「マスター」と呼ばれ、7月の第3土曜日にコネチカット州のディープリバーで行われ、全米から75もの団体が参加することもあるそうです。子供たちの隊もすべて存在するので、彼らのためにファイフを作るのにむしろ忙しくなることもありますよ。

アメリカ独立戦争をアメリカ人のアイデンティティとして今でも大切に思っていること、歴史的な衣装に身を包んで鼓笛隊で演奏することを楽しみとしている人がたくさんいることを興味深く知ることができました。鼓笛隊はもともとは軍隊の文化でしたが、今となっては日本の祭囃子のように地域に根付いた平和な文化なのかなと想像しました。

ケルトの笛屋さんでは、ミュジク・モルノーのファイフを含めすべての楽器をお取り寄せいたします。ご興味のある方は、ホームページをご覧の上、弊社までお問い合わせください。

Musique Morneaux