【バックナンバー:クラン・コラ】Issue No.288

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.288

アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
Februay 2019

ケルト音楽の古楽 その2:hatao

『アイルランド最後の吟遊詩人〜オ・キャロランの世界』TRCD0013
『Celtic Succession 〜ケルトの幻影〜』TTOC0030

前回はアイルランドを代表する17〜18世紀の作曲家ターロック・オキャロランにスポットを当てて紹介しましたので、今回はちょうどその頃、スコットランドで活躍していた作曲家をご紹介します。

スコットランドはアイルランドと同じくケルトの文化を受け継ぐ地域ですが、イングランドと陸続きでつながっているためか、アイルランドよりも早い時期にイングランドに併合されました(アイルランドの正式な併合は1801年で、スコットランドは1707年)。海を隔てていたために文化的に遅れていたアイルランドに比べて、ヨーロッパ大陸の文物によりアクセスが容易だったこともあるのでしょうか、音楽的には、アイルランドでは宮廷音楽や室内楽が発達しなかったのに比べて、スコットランドではクラシック音楽の伝統が根付いたため、近代から多くのスコットランド風のクラシック音楽作品が生み出されました。

スコットランドのバロック音楽に興味がある方は、入り口としてWikipediaの記事がありますので、参考にしてください。今回のコラムはこの記事に基づいて書いております。

https://en.wikipedia.org/wiki/Classical_music_in_Scotland

イタリアを中心に花開いた17世紀のバロック音楽は、ヨーロッパ各地へと広がっていきました。その特徴は、ヴィヴァルディの作品に代表されるように、ヴァイオリンを花形楽器に据えた華やかなスタイルです。しかし17世紀のスコットランドではそれを演奏できるほどの演奏技術を持った演奏家が少なかったようです。そのため18世紀になると、イタリアの音楽家達が作曲家や演奏家としてスコットランドで活躍しました。18世紀中頃にはスコットランド民謡や民謡風の作品が作曲されました。今回はその中から2人をご紹介します。

1人目にご紹介するウィリアム・マクギボン William McGibbon (1690 ? 1756)はスコットランドのグラスゴー生まれの作曲家、ヴァイオリニストです。マクギボンはイタリアに旅行をしイタリアのバロック音楽に触れて、その後の生涯をEdinburgh Musical Society orchestraの首席奏者として過ごしました。

2人目にご紹介するのはJames Oswald (1710?1769)です。オズワルドはチェリスト、作編曲家、音楽出版者として活躍しました。スコットランドの民謡を採集し、編曲して作品にまとめています。代表作は、花の名前をつけたソナタ集”Sonata on Scots tunes”です。リールやジグのリズムの曲がたくさんありますので、ケルト音楽ファンには聴きやすいかと思います。

以上の二人の作品はいくつものCDに収録されていますが、私が好きなCDをご紹介します。

★Chris Norman & Chatham Baroque “Reel of Tulloch” (2001)Dorian

古楽団Chatham Baroqueにカナダのフルート奏者Chris Normanがゲスト参加している作品。アメリカのレーベルDorianから発売されており、クラシック音楽専門のディストリビューターNaxosがディストリビューションしているようです。このCDでは、スコットランドの作曲家数名の作品や、オキャロランの作品も収録されています。

★Concerto Caledonia “Colin’s Kisses- The Music of James Oswald”
(1999)Linn Records

スコットランドのバロック作品を多く取り上げるConcerto Caledoniaがオズワルドを特集したもの。上記と同じく、カナダのフルート奏者ChrisNormanがゲスト参加しており、伝統音楽のリールのノリそのままにオズワルドの曲を活き活きと収めています。

★The Broadside Band
“Airs for The Seasons- Floral Suites of James Oswald”
(1998)Dorian

こちらはかなり古楽よりの演奏。オズワルドの集大成としては私の知る限り最大です。

★楽譜集
Schott “Baroque around the world Series”の中の”4 Scottish Sonatas”

William McGibbon、James Oswald、General John Reid、Robert Mackintoshの4人の作曲家の作品を取り上げています。参考演奏と通奏低音のカラオケCDつき。演奏はThe Broadside Band。日本のAmazonでも購入できます。

★こちらのHardie Pressからは、スコットランドのバロック作品が多数出版されています。

https://www.hardiepress.co.uk/category/Scottish%20Baroque%20Music

この2人の作曲家を中心として掘ってゆくと、Nicola MatteisやFrancesco Barsanti などたくさんの作曲家を見つけることができますが、これらは本格的なバロック作品で、民謡的な要素が少なめです。古楽が好きな方は調べてみてください。

私の気の向くままに展開してゆくこのシリーズ。次回は、もう一つ
スコットランドを続けます。

日本のトラッド系アーティストのCDレビュー 豊田耕三 Internal Circulation: 呼吸の巴:大島 豊

笛類はカラダと直結した楽器です。楽器は皆カラダに直結していると言えますが、生存に欠かせない呼吸をそのまま使って演奏する笛は、いわば我々の生命と直結しています。呼吸によってカラダにとりこまれた酸素は体内を経巡って生命を維持しています。英語タイトルからはそのことがまず連想されます。一方、日本語タイトルの「巴」からは、単純な循環ではなく、中心へと向かうものと、外へと開くものの二つの方向への運動が連想されます。このアルバム全体の構成をそのまま現していると言えましょう。

トラック・リストは一見普通のものに見えますが、これらは半分ずつ二つのトラックを構成しています。ほぼフリーリズムのスローな曲から始まり、曲が進むにしたがって徐々にテンポが速くなっていって、最後の曲でトップ・スピードのリールに爆発します。この間、曲と曲の間に休止は無く、つながっています。それが2回繰返されます。つまり長いメドレーが2本、収録されています。

それぞれのメドレーにかかる時間はどちらも約30分。この30分という時間には理由がある、と豊田氏は言います。豊田氏が一つのメドレーに30分かけるのを初めて体験したのはもう6年前。大腸がんから生還して1年経った頃で、やはりギター1本を相手にしたライヴでした。その時のラストは「パッフェルベルのカノン」で、この曲が炸裂した時のカタルシスには、抗がん剤治療の苦しさもどこかへ吹っ飛んだものでした。

30分かけてメドレーを積み上げてゆくことの意味を豊田氏が感得したのは、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの演奏からであろうことは、この選曲からも想像できます。ヘイズ&カヒルのあのメドレーを録音で聴いた時の衝撃は、アイリッシュ・ミュージックを聴いてきて最大のもの、いや音楽を真剣に聴きだして以来、最大のものの一つでした。溜めに溜めて、じっくりと積み上げてきたものが、時を得て、すぱーんと一気に解放される、その快感は、音楽を聴くときの最大の悦びに数えられます。

当然、これは綿密な構成が必要です。30分というような、あるまとまった長さの時間も必要です。ですから、この悦びを味わわせてくれるのはクラシックが多くなります。たとえばリムスキー・コルサコフ『シェエラザード』第四楽章のクライマックス。この楽章のモチーフ、それまでの各楽章のモチーフが巧妙に織りなされ、トランペットの細かく素早いパッセージが繰返されては押えられていたものが、最後の繰り返しでフルオーケストラの最大音量で一気に解放されるところ。

そうして見ると、マーティン・ヘイズの試み、ひいては豊田氏のこの試みは、アイリッシュ・ミュージックの基本的性格からはいささか離れたものであるかもしれません。一方で、異なるタイプの音楽の手法を取り入れ、大好きな音楽をより多様に、より豊饒にしてゆくこともまた楽しいものです。かつてチーフテンズは、「古くさい」とされていたアイルランド伝統音楽に新たな魅力を見出すため、クラシックの編曲手法を適用して成功しました。マーティン・ヘイズの、豊田耕三の試みもまた、それに連なるものと言えるでしょう。チーフテンズとは取り入れるものも、取り入れ方も異なるにしても。

ちなみに、アイリッシュ・ミュージックでは今、また別の形でクラシックやジャズの手法を取り入れる試みが現れています。かつてロックのスタイルと手法を取り入れて伝統音楽を現代化したような試みが見られなくなり、アイリッシュ・ミュージックにおいて進取の気性が弱まっているのではないかと実は思っていました。しかし、天の時も地の利も異なるところで、それにふさわしい形で新たな試みが行われているようです。マーティン・ヘイズ自身にしても TheGloaming では、また一歩、大きく進んでいます。

30分かけることの意味にもどります。30分かけて初めて上がることができるギアがある、と豊田氏は言います。前述のライヴの折りの「パッフェルベルのカノン」の炸裂は、文字どおり「炸裂」でした。いかにリール仕立てにしたとしても、あの曲をいきなり単独で演奏しては、あのように炸裂はしなかったはずです。2、3曲、あるいは4、5曲連ねた後でも、小さく破裂ぐらいはしたかもしれませんが、それまでだったでしょう。それはいわば線香花火のようなものです。30分かけて、じわじわと積み上げ、溜めこんできたものが炸裂するのは、言うなればスーパーノヴァ、超新星のようなものです。大きく爆発するには、それなりの蓄積が必要です。そして蓄積には時間がかかります。

時間をかけずに大きく爆発するように見せることも不可能ではないでしょう。しかし、時間をかけて初めて得られる効果は、それ以外の方法で、たとえばプロセスを人為的に加速するなどして同様の効果を得ようとしても、ホンモノにはなりません。実際に時間をかけて熟成させた醗酵食品、味噌や醤油には、化学的に醗酵を促進して短時間で作ったものはどうやってもかないません。アイリッシュ・ミュージック、いや音楽は醗酵食品です。音楽全体としても、個々の楽曲としても、そうです。一つひとつのプロセスの手を抜かず、必要な時間をかけ、丁寧に積み重ねた末に、初めて音楽は本来の力を発揮します。

時間とともに必要なのが、綿密な構成です。その場の思いつきで、適当にやればうまくゆく、はずはありません。どの曲を、どの順番で演るか。それぞれのテンポの違いをどの程度にするか。リピートの回数。音量。アクセントと装飾音の入れ方。フルートの場合には息継ぎをどこでするか、もあります。30分続けて吹き続けることは、並大抵のことではありません。須貝知世がフルートを吹くのをマラソンに譬えていました。ただ気分に合わせて気ままに走ったのでは、マラソンは走りきれないでしょう。ましてや、競技として走るならば、綿密な計画をたて、守らねばなりません。フルートでアイリッシュ・ミュージックの楽曲を、30分以上、しかも徐々にテンポを上げながら吹き続けることは、フル・マラソン以上、トライアスロンに相当するかもしれません。必要な心身のコントロールがどれくらいのものか、筆者などには想像もつきません。

そうした困難を乗り越えた先に待っているものは、しかし、他では味わえない、ユニークかつ見返りのまことに大きなものです。これはリスナーにとってだけではなく、いや、おそらくむしろプレーヤーにとって大きいものでしょう。音楽家として一段、それも高いステップを上がることに相当するのではありますまいか。

ミュージシャン自身にとっての収獲は想像するしかありませんが、リスナーにとっても、これは大きいものがあります。

30分の時間は、最後の炸裂のための準備時間ではありません。むしろ、一瞬一瞬、一つひとつの音、フレーズ、楽曲を味わい、愉しんでこそ、最後の炸裂が炸裂となり、たとえようもないカタルシスを得られます。

実際ミュージシャンはここで、そうしたリスニングに十分応えるだけのものを注ぎこんでいます。録音として繰り返し聴かれることを織り込んでいます。それはライヴでももちろん注ぎこむ必要がありますが、録音としてリリースするには次元が異なる努力が求められます。すなわち、構成、組立ての綿密さは極限まで求められるのです。

選曲、配列、テンポ設定、装飾音の選択・挿入、そして息継ぎのポイントだけでなく、個々のフレーズ、さらには一音ごとの音量、強弱にいたるまでの配慮が求められます。フルートの場合、これは一音ごとに息をどれぐらいの強さでどれくらいの時間、吹き込むか、ということにもなります。

こうしたことは、あらかじめ頭で考えただけでできるものではありません。ある程度まで机上の計算、設計も必要でしょうが、大部分は実際に演奏してみなければどうなるかわからず、決定できないことです。つまり、何度も何度も繰り返して試行錯誤を重ねてゆくしかありません。ここでも時間がかかります。実際、豊田氏は、筆者が初めて見たライヴから、実際にそれを録音するまで6年という時間をかけています。

その6年という時間には、直接音楽に関することだけでなく、音楽を演奏するための土台作りもされたはずです。フル・マラソンあるいはトライアスロンを完走するためには、計画だけではだめで、言うまでもなく、まず基本の体力が無けれなばりません。走り方の工夫やトレーニングも必要でしょう。フルートの場合には、呼吸法やさらには楽器の選定もあるでしょう。楽器によって、ある音量を出すのに必要な空気の量が異なるそうです。重量や、カラダへの馴染み方も考慮する必要があるかもしれません。

こうして見れば、この録音はフルート奏者豊田耕三の、現時点での音楽家としての集大成になります。ここには豊田耕三のすべてが剥き出しにされています。そして、その音楽のなんと豊饒なことか。

念のため、申し上げておきますが、ここにはラストの「炸裂」はありません。ここはライヴと録音の違いが最も鮮明に出ているところです。炸裂と言うよりも、溶けた溶岩の大きな塊がぬわっと現れる感覚があります。

この録音の成功にはもう一つの要素があります。ギターの久保慧祐です。かれのギターもまた、フルートと同様に、細部まで綿密に考えぬかれ、細心の注意を払って演奏されています。しかも、音楽の活きの良いこと。ここでは、マーティン・ヘイズにおけるデニス・カヒルの役割を見事に果たしています。

二つのトラックはたがいに巴をなしています。一方がもう片方を追いかけるように、次々と回転して止むことがありません。許されるならば、一日中、これをリピートして聴いていたい。

形の上ではこれはアイリッシュ・ミュージックにおいて、これまで類例の無いのであり、その内容の豊饒によって、我々の棲むこの世界に大きく寄与するものです。

<編集者追記>

豊田耕三の「Internal Circulation: 呼吸の巴」はこちらから
送料・税込み2650円で購入できます。


呼吸の巴 / 豊田耕三

Colleen Raney——アメリカで伝統をうたう試み・その18:大島 豊

アメリカのケルト系シンガー、コリーン・レイニィの録音を聴くシリーズ。

4枚めのアルバム《Here This Is Home》の第5回。

06.Lassie Wi’ the Yellow Coatie
組み合わされているリールは Niall Vallely のペンになる〈The Singing Stream〉。

本体は19世紀スコットランド、パースシャー出身の James Duff が作ったバ
ラッドで Robert Ford 編 Vagabond Songs and Ballads of Scotland (1899) に収録された。歌詞に出てくる “jockie” は “jock” の崩れた形で、ジプシーをさすこともあるが、主人公は多少の財産を持っているようだから田舎者の意味だろう。

“coatie” は子ども用のコートないしペティコート。ここは後者だろうか。コリーンの言うように、ここでは誰も死なないが、内容は金持の田舎者の一方的な求愛。財産はあるが、きみのような女性はいない、持ってるものは全部あげるから、結婚してくれ。家屋敷は小さいけれど、ぼくのハートはでっかいぞ。さあ、早く、バラの花が散らないうちに。

コリーンは Kornog のヴァージョンを聞いて印象には残っていたが、ヴァレリィの曲を聴き、これと組み合わせることで録音する気になったという。

Ewan MacColl & Peggy Seeger《Popular Scottish Songs》 1960
まずは御大イワン・マッコール。Folkways から出したアルバムに収録。シーガーのギターのアルペジオがバック。マッコールの最もロマンティックな側面が出た歌唱。この人には〈The First Time Ever I Saw Your Face〉に代表されるロマンティックなところがあることを忘れてはいけない。とはいえ、下記ジーン・レッドパスのロマンティシズムとは一線を画して、その底に流れる哀しみの香りがにじみ出る。

Jean Redpath《First Flight》1989
この人 (1937-2014) の声は甘く澄んで、まことに耳に快い。その甘さがちょうど良く、明瞭なアーティキュレーションとともに、スコットランドの伝統歌の歌唱の一つの典型をつくっている。英語圏を広くツアーし、また大学で?鞭も取って、スコットランド伝統歌にとってのチーフテンズのような存在。人生後半、アメリカをベースとしたが、スコットランドにも家があった。

ここではギターのアルペジオだけをバックにしっとりと唄う。ロマンティックということではベストだろう。

Jim Reid が《I SAW THE WILD GEESE FLEE》1996
スコットランドのベテラン・シンガー。ピアノ・アコーディオン主体のスコットランドのケイリ・バンドをバックにワルツでのんびりと唄う。このメロディはスコットランドではケイリ・ダンスにも使われる。スコットランド人にとってはおそらく最も心の琴線に触れるスタイルなのだろう。ただし、我々にとってはいささか退屈。

Kornog《Kornog》2000
ブルターニュをベースとしたバンド。スコットランド人メンバーの Jamie
McMenemy がヴォーカル、ブズーキとマンドリンを左右に配して、アップテンポのスリリングなリフを展開、バックで遠くフィドルとシンセサイザーがカラフルな背景を描く。マクメネミィはバックとは対照的にゆったりと唄う。さすがに底の硬い歌唱。ヴォーカルではむしろさりげなく、ノンシャランな風を装うが、その下では、バックの演奏が、この娘が応えてくれるかくれないか、緊張に満ちた綱渡りをしていることを示す。このバンドならではの、切れ味のよい一方で含みの多いヴァージョン。

Colin Douglas《Journeyman》2000
スコットランドの “the ceilidh singer” を名告る人。太いバスで朗々と唄う。バックはギターのゆったりしたコード・ストロークとフィドル。ワルツのリズムを明瞭に出す。一聴、ロマンティックに響くし、本人もそのつもりかもしれないが、巧まざるユーモアが出るあたり、なかなか侮れない。

Jim McGuire《Where Two Hawks Fly》2018
スコットランド出身で、オーストラリアのパースをベースにする人。オーストラリアでクラシックのテノールの訓練を受け、エディンバラでギターを学んだというのは異色だろう。ギターの同級生にはハード・ロック・バンド、ナザレスのManny Charlton がいるそうだ。

ここではクラシックではなく、フォーク・シンガーとして自身のギター、それに女性ヴォーカルのハーモニーで、やはりしっとりと唄う。上記のコリン・ダグラスといい、表面的にはロマンティックだが、ぐずぐずにならずに踏み止まって、歌としてしっかり聴かせるのは面白い。マッコールにも通じる悲哀が入りこむからだろうか。これがアイリッシュだと、極甘の、我々にはちょっとどうしようもないものになりがちだ。

Colleen Raney
ギター、アコーディオン、ベース、後でドラムス。アラキがコーラスをつける。リールを歌の途中から挟み、歌の後、そのまま続ける。アコーディオンを入れたのは、スコットランドへのオマージュか。

コリーンはアクセントの置き方を変えて、ワルツのリズムを分解し、リールに自然につなげている。スコットランドのシンガーたちとはがらりと変わって、明るく、主人公の若者はどこまで「真面目に」愛を訴えているのか、という向きもあるかもしれないが、一見軽薄なのは、真剣さを隠すはにかみということもある。ヴァレリィのリールはハッピーエンドを示唆してもいる。コルノグと並んで、やはりこういうモダンな解釈の方が、我々には納得できる。

以下、次号。

そうだ!セッションに行こう!:field 洲崎一彦

先日のことです。ちょっと面白い人がやって来ました。何が面白いかと言うと、彼はもう15年以上昔になるfield我がアイルランド音楽研究会が一番元気だったころに在籍し、2006年か2007年ごろには京都を去って郷里に帰って行ったという経歴のアイリッシュ音楽愛好者なのです。つまり、彼にとっての京都、あるいはfieldは、いわゆる「あの頃」の記憶で止まっているわけです。「あの頃」からの日常の流れの果てに今を過ごす私たちにとっては「あの頃」はあくまで、今振り返る「あの頃」ですから、こういう彼と今話をするとタイムカプセルを開けたような非常に面白い感覚に襲われるのです。

彼は現在も郷里でアイリッシュ音楽の演奏を続けていると言います。彼がUターンした時期にはまだ愛好者がほとんど居なかったとのことですが、現在は少しは愛好者も増えて来たとのことで、これは本当にすごい事です。やはり、アイリッシュ音楽は確実にこの日本に広まっているのですね。

しかし、よく話をしてみると、彼は今のその郷里の現状に色々な不満を抱えていました。彼のアイリッシュ体験は「あの頃」の京都に端を発しています。なので、「あの頃」の混沌とした、あるいは、皆がやたら自分勝手な楽しみ方をしていた「あの頃」の京都fieldアイ研の文化そのものが、彼にとってはアイリッシュ音楽そのものなんですね。

私は彼と話をしながら、ああ、そうやったなあ、そうやったなあ、と、いちいちうなづくしかない状態になりました。

そして、今、私のまわりで行われているアイリッシュ音楽は「あの頃」のものとは全く別物だ!という事に気づかされてしまうのでした。いや、アイリッシュ音楽それ自体は同じものです。「あの頃」に聴いたCDを、今もやはりまだ聴いている。音楽そのものは全く同じものです。では、何が違うのか。それは、楽しみ方がまったく違ってしまっているということなのです。

音楽そのものの楽しみ方という部分になると、これは、また、ややこしい話に突入してしまうので、ここは、あえて音楽そのもの以外の面で説明したいと思います。それは、セッションです。セッションという文化です。

アイリッシュ音楽におけるセッションというものは、まさに、アイルランドの民族文化というべきものだと思います。他の音楽ジャンルでもセッションはありますが、その内容は全く違います。それだけに、今思えば「あの頃」の私達はスッとはこれを理解できなかったのです。

私は、fieldがまだパブになる以前の1999年ごろにアイリッシュ音楽を通じて知り合ったK氏にセッションというものの存在を教わりました。自分のお店があるのだからセッションをしてくださいよ、え?それ何ですか?と言った具合です。

そして、彼はその頃にアイリッシュセッションをやっていた大阪のとあるお店に私を連れていってくれました。実際に、そういうセッションを目の当たりにしてももうひとつピンと来なかったのを覚えています。

でも、とにかくやってみようと言うことになり、KさんにKさんの師匠格の人物H氏を紹介していただきました。おそらく、H氏はセッションがどういうものなのかを懇切丁寧に教えてくださった。しかし、今思うと、私はそれをほとんど理解できていなかった。H氏はこのCDから曲を覚えたらいいよと具体的なCDを提示してくださったのと、セッションには専制君主が居てそれぞれ好きにやるものだから結局は自分の好きなようにすればいいのです、と、おっしゃったことしか今となっては頭に残っていません。

そうしてとにかく始めた第1回目のセッションの事は今でもよく記憶しています。KさんHさんが中心となって、Kさんの音楽仲間の方や、その頃私が一緒にアイリッシュ音楽のバンドを組んでいたそのメンバーが集まってくれました。でも、今思うと、そこで行われたのが果たしていわゆるアイリッシュセッションだったのかどうか。。。。実は非常に疑わしい。

私達は自分のバンドのレパートリー以外はまったく演奏できなかったし、KさんやHさんの演奏をただ聴いていることしか出来ない。でも、そういうもんなんだと思ってそれはそれですごく楽しい会でありました。

このセッションは当初、月1回で開催しましたが、そのうちに近畿一円から色々な人達がやって来るようになります。その中にはアイルランドに行って実際にセッションを見て来たという人もいましたし、そのセッションの模様をカセットテープに録音して来たという人もいました。そいうヒト達がやって来るたびに私達は目を丸くして彼らの話を聞き彼らの演奏を聴いたものです。この頃はアイルランドに実際に行ったことのある愛好者もまだ少なかったのです。

そして、すぐに当セッションは月2回の開催となり、そのまま雪崩のようにアイリッシュパブ開店まで短期間の内に突っ走ることになるのです。

アイリッシュパブになってからは、セッションは一気に週2回のペースでおこなわれます。すると毎回やって来る馴染みの人達が自然に形成されていく事になり、fieldアイルランド音楽研究会というまとまりが形成されます。その中からは場を仕切るリーダー格の人も出て来る。この人というのがこれまたやたら張り切る人だった。頑張ってアイルランドにも行った。そして、ある日その彼が私達を集めて訓辞をたれる。

いわく、セッションは勝負の場だ!と。

また、同じ頃には、京都からは少し遠い大阪北摂から通っていたH女史から今や伝説となったクレームが飛び出すのです。私はわざわざ猥談を聞くために遠くから来るのではありません!と。

いったい、何の勝負をしていた事やら、なのです、まったく。

そんな頃に前述の彼はやって来たのです。そして、アイリッシュ音楽と出会いセッションと出会ったのです。

若い彼にとって、アイリッシュセッションは何と猥雑な文化だった事でしょう。

今はどうか。ネットにはアイリッシュセッションとは、と言った記事が踊り、アイリッシュセッションのルールや作法みたいな記事すら目につきます。実際にアイルランドに行く人達も多く、現地のセッションを体験して来た人も数多い。アイルランドという国の民族文化である以上、アイルランドで行われている事が正しいというのはこれは当たり前の事。

アイルランドではそうかもしれないけれど、ウチでは昔からこんな風にやってますと言っても、それは間違ってますよと一笑に付されてしまうというか、あ、そうなのねと、こちらも、当たり前にゴメンナサイという姿勢になってしまう。そういう年月が何年も流れました。

また、私の立場としては、パブ側の立場という側面があります。パブというものは、音楽と集客に実力を持ったセッションホストを雇わなければいいセッションを維持することは出来ないよ、というようなアドバイスも何度も受けました。

当初は、何?それ?と驚いていたものですが、最近では確かにアイルランドではそういうものらしい。それが本当っぽい。つまり、セッションは文化でもありアイルランド独自の経済活動として一種完成された構造を持っているというわけですね。そこで、音楽家は収入を得られるしパブは集客を期待できる。つまり、経済が回る。

これって、この日本でこのまま応用出来る話なのか?こういう風に経済が回る前提がこの日本社会にそもそも存在するのか?

いい演奏をしていると店内のお客さんがわらわらと寄って来てセッションミュージシャンを取り囲み、次々にミュージシャンのテーブルにギネスのグラスが並ぶというようなそんな光景を見るのは当店でも年に1度あるかないかぐらいなもので、たまたま、そういう文化を持っているお国からやって来た観光客の方が一定数ご来店いただいている時に限られるわけです。例えば、そんな光景が毎晩繰り広げられるような状況であれば、確かに、この文化は経済活動として一種完成されるでしょう。

しかし、そうなれば、これはまた、前述の彼が懐かしむ「あの頃」のセッションとはまったく違うものなのですが、パブとしては確かにそれは美味しい商売のネタになりますね。でも、そうなら、私としても、こうこうこうなっているからセッションはこうなったのですと胸を張って彼に説明もできるというものです。

つまり、そうもならず、こうもならず、という所に今の当セッションの中途半端さが露呈しているのだし、じゃあ、なんで変わってしまったのですが!という、彼の無念にスマートに答えることも出来ない。

こんな、複雑な気分に陥った後、私は猛然と反省するのでした。

昨今、私は多分に当セッションの出席をさぼる傾向にありました。皆が集まって来ていてセッションが成り立っているなら、狭いスペースに私がわざわざ割り込んで入ってちゃちゃ入れるよりは皆で好きにやってもらった方がいいだろう、などと自分には言い訳しているのですが、ようするに、忙しさにかまけてさぼっているわけです。

よし!彼の無念さを胸に秘めて、私は私のセッションに堂々と参加するぞ!

と、まあ、この様に宣言したものの果たしてどうなりますか。おす!(す)

オーケストラアレンジで聴くケルト・北欧の伝統音楽 第12回 富める人とラザロの5つのヴァリアント:吉山 雄貴

【富める人とラザロの5つのヴァリアント】オーケストラアレンジで聴くケルト・北欧の伝統音楽

編集後記

4つめの言語習得のために韓国に1ヶ月留学しています。韓国でもアイリッシュ・ミュージックは盛んで、ソウルでは毎週のようにセッションが開催されています。友好的に和気あいあいと楽しんでおり、また演奏レベルもとても高いです。

先日、アメリカ人フルート奏者でアイルランド音楽のジャーナリストでもあるShannon HeatonさんのPod Cast”Irish Music Stories”のインタビューに日韓ミュージシャンで参加しました。放送日が決まれば、こちらでお知らせします。いずれアジアのケルト音楽祭ができればと思っています。(hatao)

クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor : 竹澤友理

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日本のケルト音楽普及に尽力されたライターのおおしまゆたか氏と、京都でアイリッシュ・パブ feildを経営する洲崎一彦氏が編集し発行されていた、国内におけるケルト音楽の情報を網羅したメールマガジン「クラン・コラ」。

2011年に一度休刊しましたが、5年の沈黙を経て2016年に復刊!
編集・発行をケルトの笛屋さんが引き継ぎ毎月2回のペースで発行中です!

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毎月2回、10日・20日に発行しています。

10日発行のPart 1は「情報編」として、発行日近くに行われる国内のケルト音楽ライブ情報をぎっしりと掲載!また、コンサート、ライブ情報の掲載依頼も随時募集しています。

20日発行のPart 2「読み物編」では、アイリッシュやケルト音楽・文化にまつわる話題お届けしています。クラン・コラの創刊者のおおしまゆたか氏、洲崎一彦氏をはじめ、さまざまな連載陣(店長含む)やゲストライターによる濃密で読み応えのあるメルマガとなっています!

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