【メルマガ:クラン・コラ】Issue No.259

アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。

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クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.259

アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
Editor : 竹澤友理
November 2017

こんにちは!今月は編集がまったく納期にまにあってないですね!!編集担当は猛省中です!!

Editor’s Choiceのコーナーですが、諸事情により来月から再開致します。

毎月読んでくださっている皆様、お待たせいたしました11月号でございます〜!

エモーション?:field洲崎一彦

先日のセッションでのこと。突然何の前触れもなくものすごく久しぶりに、デイル・ラス(fiddle)さんがおいでになった!デイルさんはアメリカのシアトルを中心に活躍しているアイリッシュフィドラーなのだが、fieldがパブになる前から何かと細々とご縁があって、今もまだ細おーく長あーくご縁が続いている。

この日のセッションには他にも久しぶりで大物な人達が割と偶然に参加していただいてたのだが、今回はこのデイルさんの印象にスポットを当てたいと思う。

デイルさんのfieldでのエピソードをひとつ紹介しておきたい。

ある日、デイルさんとジェイさん(この時はguitar)のライブを行った時の事である。この時、ジェイさんは遅刻してしまった。それで、もう観客は集まっているし、仕方がないのでデイルさんがソロでライブを始めることになったのだった。

このソロフィドルがなんとも形容しがたいものすごい演奏だったのだ。

私が側を通ったタイミングで、ライブのお客さんでは無いとある中年カップルの方が、ライブが始まっておしゃべりするのもアレかなと思ったのだろうか、そそくさと席を立つ素振りを見せた。で、彼らが玄関先まで来た時に奥さんの方がステージで演奏中のデイルさんの方を見たまま動かなくなった。玄関口では旦那さんが早く出ようと手招きして奥さんを促している。

ここでその奥さんは、

「何かよく判らんけど、すごいから私聴いて行くわ」

と、言った切り、その中年カップルは玄関先で立ち尽くしたまま、ライブを最後までご覧になってお帰りになった。

恐らく、彼らはたぶんアイルランド音楽などに接した事が無い人達だったのだと思う。でも、そういう人達を釘付けにしてしまうデイルさんの演奏というのはいったい何なんだ!

そして、相棒のジェイさんは結局もうすでにデイルさんが数曲演奏し終わったあたりで息せき切ってやって来た。彼はすぐにギターを出してステージに上がって行くものなのかなと思ってそれをフォロウしようと構えていたら、ジェイさんは言った。

「彼は今すごい演奏をしてるから私が入らない方がいい」そして、ジェイさんは私と並んでPA席の横に立って、デイルさんの演奏を1ステージが終わるまでずっと一緒に聴いていたのだった。

この日のセッションに話を戻します。

デイルさん以外の参加者も相当な腕前の持ち主ばかりなので、私はもう気分は完全に聴く側にまわっていた。しかし、さきほど、デイルさんに、「僕は最近はフィドル練習してるんですよー」などと挨拶してしまったので(彼はブズーキを弾いている私しか知らないと思って)、何か1セット私から始めろというような空気。これは緊張する。そして、私はいつもやってるジグのセットを崖から飛び降りる気持ちでグリグリっと弾き始めた。

どーんと飛び込んでしばらくはものすごい集中と緊張。すぐにデイルさんのフィドルが入って来た瞬間をはっきり覚えている。ここから先は夢心地。いやまさにそんな感じだった。

デイルさんのフィドルの音が後からかぶさって来た瞬間にふわっと身体を持ち上げられて、何か絶対安全な乗り物に乗ったような感覚になり、フィドルを弾いているという能動的な自覚は遠ざかって指が勝手に動いて行く。そして3曲セットの最後のエンディングはものすごく自然にものすごくスムーズに地上に軟着陸するかの如しで、音が止まった瞬間はふっと何かから目覚めて覚醒したような気分だった。

本当は最後の曲を何回繰り返してエンディングにするかは、そのセットを弾き始めた私が決めてコントロールしなければならないのだが、その時の私はそんなことは全く忘れてしまってただ自然に任せていただけなのだった。

そして、セットが終わった瞬間に思わず「気持ち良かったー!」と、口に出してしまった。なんかちょっと厚かましいフィドルビギナーですが、おっさんやから許してください。

この、気持ちいい体験、で、私が何を思ったかということなのだが。。。。

最近のウチのセッションは比較的初心者が多いので、そこで生まれるセッションサウンドは正直言って客観的に極上の音楽という風にはなっていないと思う。だから、デイルさんとは違って当たり前なのだという、そういう、演奏が上手いヘタとかいうかそういうものではなくて、ちょっと危険な言い方をすればもっと何か神秘的な力とでも言うか、エモーションというか気力というか、そういうものの出し方がデイルさんは根本的に私たちとは違うぞ、というような、そんな感覚を覚えたのだ。

確かに、この時のセッションは特別に演奏達者な演奏者が集まったセッションだった。が、それだけでは無いという直感があったのだ。この事をデイルさんの魔法が教えてくれているような気がしたのだ。

初心者が集まる普段のセッションでも本当に時折だが、この感覚に近いエモーションを感じた事はある、それを思い出した。デイルさんは普段は気にもとめていないこのエモーションの存在をはっきり見せてくれたのだ。

自分達はまだ初心者だから、とか、自分楽器上手くないし、とか、そういう気持ちでは絶対に出ない気合いのようなもの。それを仮にエモーションと呼ぶと、そんなものが絶対的に存在するのだ。このエモーションは楽器の練習では出て来ないもの、何かそういう質のものだ。では、どうすればこのような境地に近づけるのか。

この方法論をすらすらと解説できれば苦労はない。はっきり言って私にはわからない。でもしかし、言い古されている事かもしれないが、それに必要なのはやはりイメージトレーニングという事になるのかなと思う。そのためには、デイルさんのフィドルにひょいと身体ごと持ち上げられて遊ばせてもらったような、上記の私のような気持ち良さを、若い人達にどんどん体験してもらいたいというのが切なる願いなのだ。

だから、そうものがある、と言うことを知って欲しい。そういうものがある、と知るだけで、普段は気に留めなかったこのエモーションに気づくきっかけが生まれるのではないかと思うのです。

何故、そんなことに気づかねばならないのか?それは、音楽というものがもっともっと楽しいものになるからです。まあ言ってしまえばそれだけなんですが。。。。

という、若者たちへのメッセージを込めて、今回のこの原稿を書いた次第です。
(す)

Ashley Davis——アメリカで伝統をうたう試み・その4:おおしま ゆたか

本号が配信される頃には Colleen Raney がハンツ・アラキとともに来日しているはずだ。ここであたしなどがどうこう言うよりも、まずそのうたを生で聴く方が遙かにそのすばらしさを実感できるだろう。

そこでちょっと趣向を変えて、もう一人のアメリカ人シンガーの録音を聴いてみる。Ashley Davis がジョン・ドイルとともに作った《THE CHRISTMAS SESSIONS》2015 である。

アシュレィ・デイヴィスはその作品〈Down by the Sea〉をコリーン・レイニィもとりあげている。これをタイトル・トラックとした2010年のアルバムはダブリン録音で、Fionan de Barra がプロデュースを担当し、コーマックやエイモン・デ・バラはじめ、キャシー・ジョーダン、モイア・ブレナン、さらにはパディ・モローニまでゲスト出演している。

今回とりあげるのは対照的にテネシー州メンフィスでジョン・ドイルとほとんど二人だけで作ったクリスマス・アルバムだ。

Ashley Davis: vocals
John Doyle: all instruments, chorus

Gawain Mathews: guitar [07 12], mandolin [01 05], bass [01 12]
Jon Carroll: piano [04 10]
Mike McGoldrick: flute [09]

01. Light My Tree 3:13
02. Have Yourself A Merry Christmas 4:05
03. O Come All Ye Faithful 4:20
04. I’ll Be Home in Christmas 3:10
05. Winter Wonderland 2:15
06. White Christmas 3;25
07. Let It Snow 2:28
08. O Come O Come Emmanuel 4:49
09. The Wexford Carol 5:00
10. The Christmas Song 3:50
11. Silver Bells 3:25
12. Merry Christmas to All and Goodnight 3:39
13. Silent Night 4:03

Recorded & mixed by Ben Yonas & Logan Green @ The Stove, Memphis, TN
Mastered by Justin Weill @ Traxworks, San Francisco, CA

結論から言うと、これは昨今のクリスマスにまつわる、とにかくこれにかこつけて何かを売りつけようという商魂というよりも剥き出しの貪欲とはおよそ無縁、静謐で敬虔で、年があらたまることへの様々な想いを過不足なくうたいこめた、この季節に本来ふさわしい音楽だ。

ジョン・ドイルのバッキングがまずすばらしい。この人はともすれば、ダンス・チューンでのアグレッシヴで、時に常軌を逸するリズム・ギターが圧倒的な印象を残すが、歌伴も抜群にうまいことは、自身のソロ・アルバムを聴くとよくわかる。ここでは、他人の歌伴だが、一層すばらしく冴えた、しかしでしゃばらない演奏をしていて、ヒロインの歌唱をよく引き立てている。このあたりはリチャード・トンプソンにも肩を並べる。ほとんどが多重録音。数曲で加わるコーラスもむろんすばらしい。

他の3人も、抑制がよく効いてツボを押さえた演奏をしていて、聞き慣れたうたに新鮮な響きを聞かせる。とりわけ、マイケル・マクゴールドリックのフルートは、これまたいつもの先鋭的な演奏は影をひそめて、ドイル同様、この人にもこんな側面があったのかと思わせる。名手は皆、こういう歌伴もうまい、ということだろうか。

ヒロインの歌唱は、こうしたすぐれたサポートを引き出すにふさわしい。コリーン・レイニィと同じく、感情を表に出さず、むしろ無表情といってもいいくらいである。アイルランドやブリテンのすぐれたシンガー、というよりも伝統歌のうたいては、ヨーロッパのどこにおいてもたいてい感情を表には出さない。それはうたい手の役割ではない。

うたい手がうたの感情を現してしまうと、感情はそこで完結してしまい、他へ伝わらなくなる。聴き手はうたい手の感情に圧倒されはしても、その感情そのものは体験しない。うたに備わる、うたが伝える感情が、うたい手のところで燃焼しないように、うたい手が無表情に、うたそのものを流しだすと、うたは聴き手に入って初めて感情を解放する。もっともそこで解放された感情が聴き手の表情を変えるとはかぎらない。

感動したら、いつでも大袈裟な動作と発声でそのことを全世界にアピールしなければならない、というのはテレビのバラエティ・ショーの中だけのお約束である。

感情を殺しているのではなく、あまりに大きすぎる感情があふれて、適切な表情が無い故に、無表情になることもある。

デイヴィスの声がまたいい。これまたアイルランドやブリテンの伝統歌のすぐれたうたい手に多い、アルトないしさらに低い声域で、なめらかではあるが、絹のそれよりも、着古した木綿のようなやわらかさだ。大きく声を上げることもない。耳許で囁く感じでもある。

アレンジはシンプルだが、よく練られている。テンポの選択からして考えぬかれている。録音自体はあっさり済んだかもしれないが、それまでにおそらく試行錯誤を重ね、様々なテンポやスタイルを試したにちがいない。

曲順も絶妙で、伝統歌とスタンダード、童謡の配列が見事。はじめ曲名を見ずに聴いていて、そういえばいつものあれが無いなと思っていたら、ラストに、それも集中ベストのアレンジで出てきて溜息をついた。

聞き慣れた曲を斬新に聴かせるのとはいささか異なる。あくまでも親しみやすく、いわば記憶にある通りに聞える。それでいて手ずれた感じ、耳タコの感覚がまったく無い。たった今生まれでた曲のように、みずみずしい。スタンダードは浮わつかず、甘すぎない。童謡も良いうたとしてうたう。うたの生地が顕わになる。

録音も優秀。声や楽器の微妙な綾までしっかり捉えている。

これまでアメリカのうたい手がブリテン群島の伝統歌をうたうときに、うたをぽんと投げだすことが多かった。おそらくはアメリカにおける人間の距離が、ヨーロッパとは比較にならないほど遠いからだろう。伝統歌にかぎらず、シンガー・ソング・ライターたちのうた、あるいはブルーズでさえも、聴き手に届くかどうかは問題にしない態度がよく見られる。うたはうたわれてほおり出され、誰かに届く、つまり聴かれるのを待つ。永遠に誰にも届かず、聴かれないかもしれないが、当面、うたえただけで、つまり内から出て、ほおり出されただけで満足だ、という態度。ここでのデイヴィスはそういう態度からも対極だ。

アメリカの伝統歌のうたい手たちが、こうした術を身につけるようになったのはいつ頃からか。今は詳かにしない。今世紀に入ってのことであるようにも思える。音楽伝統は個人に属するものではなく、コミュニティに属することに、ようやく気がついたようでもある。ネットの時代にあって、コミュニティは必ずしも地理的なものに限られない。仮想世界、ヴァーチャルなものもありえるし、ローカルな伝統社会が崩壊しないまでも巨大な変容を経ている現代にあっては、それも健全性を確保する方策の一つである。アイリッシュ・ミュージックがアイルランドやアイルランドからの移民社会以外の世界に拡がっているのも、そうした「仮想記憶」を介してのことだろう。

ヴァーチャルな伝統を今、最も活用しているのはジャズの世界のようだ。ジャズは出自からして仮想伝統、アナログの仮想記憶に基づく伝統を土台として展開されてきた。それが今世紀も10年代に入って、仮想記憶をデジタル化することで新たな段階にヴァージョン・アップしている。仮想記憶デジタル化のきっかけになっているのが、どうやらヒップホップの普及らしい。ヒップホップは今や、世界中に広まり、話者人口が少ないマイナーな言語でも行われていると聞く。その淵源たるアメリカでは音楽の社会基盤にまでなった。ある世代以降は、好むと好まざるとにかかわらず、ヒップホップを聞きながら育っている。とすれば、アメリカの伝統歌のうたい手たちがジャズと同じく、ヒップホップによって伝統の仮想化を示唆され、そこから伝統の本質に開眼した可能性も考えうる。

ざっくり学ぶケルトの国の歴史(7)ウェールズ最後の抵抗:上岡 淳平

時は1200年ぐらいのお話、ノルマン人がイングランドを支配していた。

ウェールズの北東部の領主のオーウェンくんは、スコットランドでの戦いにも時の王様の軍隊に加わり忠実に闘ったような忠犬タイプのお兄さんだった。そんな彼を知る人たちからすれば驚天動地だったろうけど、このオーウェンくんが突然、国境沿いのイングランドの町を襲撃し始めたんだ。

そう、オーウェンは反乱軍のリーダーになったんだ!

ちょうどその頃、黒死病(ペスト)やら百年戦争の影響で経済的にガタガタになっていたイングランドは、ウェールズからも税を厳しく取り立てたんだけど、それらのうっぷんが一気に爆発。またたく間に、反イングランドの火花は炎となってウェールズ中に燃え広がった! 大規模な軍隊に対する常套手段、ゲリラ戦を有効に用い、イングランド軍を退け、さらに反イングランドを掲げるお金持ち一家を取り込んで軍費も調達。さらには、フランスの協力まで取り付けた。

かくして、(イングランド大嫌いな)フランスは大儀を持って侵攻!一部の地域を陥落させることに成功したが、フランスが相手となっては負けるわけにいかないイングランド人の反フランス魂に火が付き、次第に形勢が逆転。結局、不利になったら、フランス人たちはさっさと帰国してしまった。(オーヴォワール)

フランスが敗走した影響はすさまじく、途端に孤立無援になってしまったウェールズ。彼らが再びイングランドの手に落ちるのにそれほど時間がかからなかった。さらに反乱を引き起こしたことで、そこから80年間、超厳しい措置が取られてしまうんだ。

ヘンリーが8世を数える頃、スコットランドでは、はじめてウィスキーが醸造された。血みどろの権力争いを横目に、そんなことしてたんだね、たくましいじぞスコットランド人!実際、独立後もイングランドに攻められたりしたが、それでも独立を崩すことはなかった。その上で、立派にスコッチを開発したんだから、エラいってもんだ。

さらに時が過ぎて、いよいよカトリックとプロテスタントの争いが激しくなってきた。

形勢が傾いたきたら、その反対側の権力者が幅を利かせて反対を弾圧、で、そっちに形勢が傾いたら今度はまたその反対側の権力者が幅を利かせて処断されて、という言わばエゴとエゴのシーソーゲーム状態になっていったイングランド。

政治の大変なところは、国のトップがどっち側を支持するかで、同盟国もコロコロ変わってしまったこと。ある時なんかは、真反対の立場のおばさまが王位についた途端、前女王を処刑、信者を焼き殺して回り、カトリックの盟主スペインとBFF(ベスト・フレンズ・フォーエバー協定)なんて言い始めた挙句に、結婚しちゃったもんだから、王様がスペイン人にすり替わってしまった。

スペインとしても、英国全土カトリック化計画、そしてスペインの傘下へ…みたいな壮大な計画を夢想したと思うけれど、そんな夢の計画(仮)はひとりの女性により頓挫させられた。

彼女こそが、最も有名な女王エリザベス 1世(ちなみにプロテスタント)。

国民の大半は出自がいまいちはっきりしないエリーよりも、もっとふさわしい人がいるんじゃない、という空気だったんだけど、そこは実力で信頼を勝ち取っていった。

まず、国の中心に触手を伸ばしていたスペイン勢力を即刻追い出し、国民に対しては「まぁまぁみなさん、もうここらで諍いはやめにいたしやしょう。それぞれ信ずるものがあるってのもわかっていやす。だからわっしも自分たちのことはプロテスタントは名乗りやせん、今日から英国国教会となりやす。それぞれの教えをええ塩梅に受け継いでおりやすし、こちらからごり押ししようというわけじゃぁありやせん。だから、みんな仲良く英国国教会、それでよござんすね?」という、座頭市みたいな達観した姿勢を貫いた。(かどうかは全く知らないけど、映画「エリザベス」おもしろいです)

スコットランドはというと、すっかりフランス化されていたんだけれど、エリザベス女王の支援もあり、フランスから独立することができた。そして時代の移ろいとともにスコットランド、ウェールズもプロテスタント化していったそうな。(つまりイングランド化)

ちなみにアイルランドだけは頑としてカトリックの教えを守ったため、後々イングランドとの対立を激化させてしまうことになる。(だってアンチイングランドの国だからさ!裏を返すとフランス、スペインと仲がいいということ)

紀元1580年ごろ、ヨーロッパ中を巻き込んだ英国宗教問題がひと段落した頃のお話。

連載:欧州伝統音楽の旅 第四章 伝統音楽とナショナル・アイデンティティ:hatao

ヨーロッパ旅行もいよいよ後半、僕はUKからスウェーデンに飛んだ。今回の旅行では7つの国を訪れたが、北欧はスウェーデンだけである。スウェーデンに訪問するのはこれが3度目となる。スウェーデンにはすでにたくさんの音楽家の友人・知人がおり、彼らと再会し、音楽をともに演奏し、インスピレーションをもらうことが訪問の目的だった。

スウェーデン人の心の故郷と呼ばれる中部ダーラナ地方では、チェロやバグパイプや笛を演奏するStefan Ekedahl氏と再会した。彼の影響でバグパイプの演奏を始めて2年経ち、さらに演奏を深めることが目的のひとつだった。ダーラナは自然豊かな森と湖の土地。約1週間の滞在期間中、僕たちは庭の野菜を調理したり、ベリーを摘んだり、散歩したりとのんびりと過ごしながら、時々音楽を演奏したり音楽について語ったりした。生活の中に自然な姿で音楽が存在している、この距離感はアイルランド音楽となんら変わらない(ただ、彼らはアイルランド人とちがって演奏中に酒を飲むことはめったにない)。とても心地よい音楽との向き合い方だ。

滞在中、始めて伝統音楽の祭典「ステンマ」を見に行くことができたし、週末には彼の音楽仲間を招いてパーティを開き、僕が調理した和食を楽しんでもらった。音楽にあふれた幸せな滞在だった。スウェーデンのみならず、ヨーロッパで語られる話題は、なんといっても移民問題である。ダーラナのとある音楽家は、移民はスウェーデン社会にとって深刻な脅威である、と語った。彼らは社会保障を食いつぶし、スウェーデン語を学ぶことなく、ただ生活保護に頼って暮らすためにスウェーデンにやってきて、子供をたくさん産む。やがてはスウェーデンを乗っ取ってしまう。だから、移民は今のうちに排斥すべきである。ストックホルムやマルメといった都市は移民が多く、犯罪が多いが、移民はダーラナの田舎にまでやって来ているという。しかしEUは移民の受け入れを進めており、政治家もマスコミもこの問題を語るのはタブーだと、不安げに語った。先進的でリベラルな印象があるスウェーデンでこのような問題があることを知らず、僕は少なからずショックを受けたのだった。

続いてダーラナから首都ストックホルムにやってきた。ここでは、最初のスウェーデン訪問から4年来のつきあいになる笛吹きのDag Strombergの フラットに滞在した。ストックホルムは多忙な首都でありながら、少し郊外に行くと森や湖があり、北欧の大自然の中にできた都市であることを実感する。人々は夏になると森を散歩し、湖で泳いだりボードを漕いですごしている。サックスも演奏するダグさんに連れられ、僕たちはストックホルムのジャズ・フェスティバルに行き、洗練された北欧のジャズを楽しんだ。

短いストックホルム滞在を経てさらに南に進み、学園都市ルンドを訪れた。ここがスウェーデンの最終訪問地である。ルンド大学で出会い、ともに学んだという僕と同い年のフルート奏者、Markus Tullbergとその奥さんでフィドル奏者のMaria Bojlundさんと会うのはもう3度目だ。僕たちはすっかり気が合い、彼らは3日間僕を泊めてくれて、お子さん2人とともにいろいろな場所へ遊びに行ったり、音楽や仕事や政治について語ったり演奏したりと楽しい時間をすごした。

スウェーデンの伝統音楽では今は圧倒的にフィドルやニッケルハルパといった弦楽器が主役だが、20世紀までは主に南部において「アイリッシュ・フルート」と同じタイプの木製フルートが演奏されていたようだ。スウェーデン南部ではマルクスさんとその相棒でフルート奏者のAndreas Ralsg?rdさんはMarukus & Andreasというデュオでフルート音楽の復興と普及に励んでいる。そのおかげもあって、南部では実力のあるフルート奏者が何人かいる。マルクスさんは僕のためにフルート・ミーティングを企画してくれて、デンマークからも奏者があつまり、セッションを楽しんだ。

さて、移民問題であるが、ストックホルムのダグさんも、ルンドのマルクスさんやマリアさんも、そのような問題は右翼の宣伝であり信じてはいけないのだと、正反対のことを語った。移民は最初は文化の違いから住民と摩擦を起こすこともあるが、彼らはやがてスウェーデンで職を得て、社会保障費を支払い、我々スウェーデン人を助けてくれるのだ。だから、社会問題の原因を移民に押し付けてはいけないと言う。それを聞いて、すこし安心した。

このような意見の食い違いは、スウェーデンだけの問題ではなく、ドイツやベルギーでも耳にすることがあった。ヨーロッパを二分する論争になっているのだろうか。伝統文化が色濃いダーラナだから、より保守的な政治的立場を取るようになり、移民と隣同士で暮らしている都市部ではリベラルな立場をとるようになったのかもしれない。それが彼らの音楽にどのような影響を与えているのか、という点は非常に興味深い。

スウェーデンがまだ貧しかった19世紀は、民族主義を高揚しスウェーデン人の誇りを高めるために、田舎の伝統文化に注目する風潮があったのだという。その頃は伝統文化は都市住民の郷愁をさそうものとして描かれた。

続いて1960年代頃からはヨーロッパ中で伝統音楽へのリヴァイバルがあり、当時に若者に伝統音楽は新しいものとして映り、若者たちはフィドルを持って週末ごとに田舎に通ったのだという。そのころ、都市部ではジャズやロックや他の伝統音楽の影響を受けて、新しい伝統文化を作っていった。そのような時代を経て、さらに伝統に回帰するもの、新たな音楽を模索するもの、様々な立場が交錯しているのが現在の伝統音楽の状況だという。その音楽性に政治的な立場が影響を与えていることは、まったくないとは断言できないだろう。

アイルランドにおいても、独立運動と関連付けてゲーリック・リーグが「伝統的なダンス」を創作したことがあったようだが、民族主義と伝統文化は非常に深いつながりがあり、どのような政治的な状況や文脈で音楽やダンスが存在し、当事者が発言しているのかを知らなくては、無自覚に自分が特定の政治的立場を取ってしまう恐れがあることを感じた。

このテーマは大変興味深い。大学で政治学を専攻していて、伝統音楽を演奏している読者はぜひ、卒論のテーマにいかがでしょうか。

https://youtu.be/E1zosgw7xoQ

編集後記:竹澤 友理

今月は自分も久しぶりに何か書くつもりでいたのですが、あれやこれやとしているうちに編集自体が間に合いませんでした…笑

一人だと難しい時に、いっしょに分担してもらえる方がいないかなーと、最近なんとなく探しております。もし詳しくおしえて!という方がいれば、竹澤からオーナーに相談させていただきますのでぜひ連絡ください!笑!

来月からはフルコーナーでお届けしますので、お楽しみに!(たけざわ)

クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)

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