ライター:field 洲崎一彦
前回は、2003年の秋口においでになった元アルタンのフィドラー、ポール・オショネシーさんのフィドルに打ちのめされて、その時の衝撃が実は20年以上も未だに私の中でくすぶっているのだというお話でした。そして、今回は、このポールさんショックの約2ヶ月後に、この衝撃をさらに決定的にするような事態が訪れることになったというお話をします。
ポールさんの衝撃は隣でブズーキを弾いていた私の、ある意味で個人的な感覚だったので、これまであまり大きくは話題にはしなかったのですが、この2ヶ月後の衝撃は、私以外に何人かの人間が同じように体験し同じように衝撃を受けたという意味で、より客観的なものではないかと思われ、過去にも色んなところで話しもしたし書いても来たことなので、ああ、あれか、と思われる方も多いかもしれません。
そうです。今回はパット・オコナー事件です(事件?笑)。
その日、我々fieldIアイ研のメンバー数人は、とある大学の学園祭メインステージに呼ばれて演奏をしていたわけです。日程が合わず、Iさん達エース級が不在でどちらかと言うと若手主体のメンバーによる初めての60分ものステージということで、当日まで、セットを決めたり練習をしたりのけっこう大変なイベントだったわけです。そのメインステージは野外に設置され、6〜7人が横一列に並んでもまだ両サイドに相当なスペースがある広大な舞台の上、夕暮れ時の時間帯で本格的な照明装置に照らし出された私たちは、大興奮のうちに60分のステージを終えて、この日は定期セッションをやっている基地であるfieldに顔を紅潮させながら帰還したのでした。
セッション陣はまだ誰も来ておらず、私たちは一仕事終えてきたという緊張が一気に緩和し、非常に力が抜けた雰囲気でおもむろにセッション席に向かいます。まあ、もっと言えば相当にだらけた雰囲気。だらっと誰かが音を出して、だらっとそれに加わって、あははは、おほほほ、と言った感じ。
そこへ、たまたま、上階のfield STUDIOでプライベイトレコーディングをしていたパット・オコナー氏とそのお友達たちがぞろぞろと降りて来てグラス片手にセッション席に集まってきました。パット・オコナー氏というのはアイルランドはエニスのフィドラーでそれほど超有名なヒトではないけれど知る人ぞ知るというフィドルの名人です。そして、この彼らも楽器を取り出す。
私たちは、もう半分以上ぐだぐだおしゃべりタイム。
と、その時、ひーっと何かが鳴ったと思ったらさらさらと流れる小川のような空気がまわりに漂い始めたのは、それはパットさんのフィドルの音。ざわっと鳥肌が立ったと言ってもおおげさではありません。気がつくとお友達のフルートがすうっと入って来る。私たちは皆ぼうっと口を開けて見ているだけ。楽器の音はどこかに吸い込まれて行き、床を通して私たちの身体に伝わって来るパットさんの足踏みの心地よい振動だけが小川の流れを支配しているような。。。
パットさんたちもレコーディングの後でお疲れだったのだと思います。このセッションはそれほど長くは続かずに終わり、みなさんはグラス片手におしゃべりタイムに入られたご様子。私らアイ研の面々はこそっとセッション席を離れて、今のは何やったんや?とひそひそつぶやき合う。さっきまでワシらも堂々とアイルランド音楽でござい!という顔をして学園祭で演奏して来たのではなかったか?あんなに練習したのではなかったか?たった今、目の前で起こっていたのがアイルランド音楽やとしたら、ワシらは全く別のことをしていたということになるのではないか。。。。絶句
このとき、わなわなと語り合ったのは、記憶しているだけで私を含めて4、5人。この、4,5人がまったく同じ感覚に陥った共通体験を持ったということなのです。
ここから、私たちは、ことある毎に、あそこでいったい何が起こってたのかを探り続けることになります。少なくとも週に2回は顔を合わせて、ああでもないこうでもないと。あるときは音源を持ち寄り、あるときは楽器を抱えながら。そのうち、この数人はさしずめ研究会のような感じになる。ああ。これぞ、fieldアイルランド音楽研究会ですね笑。
そして、何もつかめないまま、他の人達もどんどん巻き込んでこのテーマを追いかけようということになり、週イチで絶賛誰でも参加者募集中の練習会を開くことになります。これが、後年悪名高き「月曜練習会」となって行く始まりでした。
ポール・オショネシーさんの時は私の個人的な感覚による衝撃だったわけですから、それは個人的に密かに持ち続けられるものですが、このパットさんの件は、数人で体験し衝撃を受けたわけです。衝撃を受けたという所は同じなのですがその内容がまったく同じであったかどうかがなかなか不明瞭なのです。
というか、ああでもないこうでもないと常々語り合っているうちに、それぞれの衝撃を言葉を絞り出して語り合い、それぞれの感想や分析をこれまた言葉を絞り出して語り合っているうちに、確かに言葉としてはだんだんまとまって来る。が、ここまで来ると、それが果たして自分がその時に実際に感じたことなのかどうかが怪しくなって来るのですね。つまり、気がついたら自分自身の実感を離れた見てくれの良いストーリーに変わって行くわけです。当然、その時は各人そんな事に気がついてはいません。おお!ワシらの意見はどんどんまとまって行くぞ!とまあ意気揚々な雰囲気になって行く。しかし、そのうちに各個人の違和感はふくらんで行く。お察しのとおり、この集まりはその後仲間割れを起こしてしまうことになります。
一時は、このような混迷にのたうち回る時期もあり、私の中では、ポールさんの衝撃とパットさんの衝撃がなかなか関連付けられなかったわけです。ポールさんは後ろから突き上げられるような感覚、パットさんはさらさらと小川の流れに流されるような感覚。表面的にはこれらは違う感覚なのです。が、確かに底の方に良く似たものがあるような気がする。それが何なのか!
実は、上記のセッションの時に私が1番印象的だったのが、パットさんの足踏みだったのですが、私はそれをパットさんに直接たずねた記憶があるのです。
「パットさんは足踏みに合わせて弾いているのですか?弾いてる音に合わせて足踏みしているのですか?」と、
これに対してパットさんは、うーんとしばし考えてから「同時だ」と言ったのです。この「同時だ」という彼の言葉が後々まで私の中で引っかかり続けます。
確かに、今では、アイリッシュダンス音楽を奏でる時、ほとんどの皆さん足踏みをするのが普通になっています。一種、それがスタイルのようにもなっていますね。でも、昔はそんな情報も行き渡ってはいなかった。だから、時々足踏みする人もいるなあというぐらいな認識。今のようにYouTubeで世界中のアイリッシュセッションやライブの模様が見られるわけではありませんから。
それからというものの、私は楽器を弾くときに足踏みしたりしなかったりといろいろ試すのですが、このパットさんの言う「同時」というのがとてつもなく難しい事であることに悩むのですね。
そんな時に、上記の練習会で、若者2人が並んで演奏している姿を正面から見ていて、ん?となったのです。彼らは2人ともホイッスル。ともに足踏みをしている。その足踏みの動きが合って無いのです。見て判るぐらい合って無い。一緒に同じ曲を真横で演奏しているのですよ。初めは合ってるのです。それが曲が進むにつれて足の動きが微妙にずれてくるのです。これは、何がどうなってるんや!
試しに、最初に2人並んで音を出す前にまず足踏みをそろえてもらう。足がそろった所で同時にホイッスルを吹き始める。すると、なんと、曲が進むにつれてそろっていた足がだんだん微妙にずれて来るのです。他の人の組み合わせでもやって見ました。今度はフィドルとホイッスル。2人並んで演奏してもらいます。これも同じ結果!
これはいったいどういう事が起こっているのでしょうか。はじめに隣の人と足踏みをそろえる時は、隣の人の足の動きを見ながら、あるいは足音を聴きながらそれを頼りに自分も足を踏む。これをお互いにやっているから動きが合う。が、それぞれ楽器を奏でた瞬間から足の動きは自分の出す音が頼りになってしまう。つまり、自分にとって自分の出す音の方が大きくなるというか、そっちに引っ張られてしまうということでしょうか。
そうすると、結局は、足踏みというのはどうしても自分の出す音に合わせて足を踏んでしまう以外に進みようがない。これを、パットさんは、足踏みに合わせて楽器を弾くのも同時にやれと言う。そんなことが、出来得るものなのか?!
これで、私は、どんなに頑張っても意識して「同時」というのが難しかったことが納得できたのです。
たったこれだけの例なので、人間は生理的にこうなるのだとまでは言えません。もしかしたら、これが出来る人がいるのかもしれません。そのための訓練であったり、才能であったり、があるのかもしれません。
また、強烈なノリを生み出すアメリカンブラックミュージック(ヒップホップ等)の人々は、足踏みという運動のインパクトがはるかに強力で感覚に対して支配的であるのかもしれません。例えば、彼らはただ歩いているだけでも私たちと違ってうねっているというか何と言うか、身体を動かす感覚がそもそも異質な感じもします。そういう、血というか、文化的な要素もあるのかもしれません。ごにょごにょ。
今なら、いろいろと多方面から冷静に考えられる要素も思いつくのですが、当時の私は短絡的にわっと悟った気持ちになってしまった。足踏みに合わせて楽器を弾く、ましてや、それらが相互に同時だなんて、到底無理なんや!と。
ほな、あの、セッションの時に皆さん一斉に足踏みをしている、あれはいったい何やねん。何の為にやってるねん。あれって、みんなで演奏を合わせる為に足踏みして合わせようね!だと思っていたけど、実はその逆かもしれないと。まわりの音に惑わされないように自分を保つための足踏み?それならなんとなく理にかなってる。足踏みの動きが合って無くてもぜんぜんええのや。まわりに合わせるためではなく、まわりに惑わされないための足踏みだとすれば、それでぜんぜんええんやん。人に邪魔されず我が道を行く!のですよ。
ここ!ここでしょ!ポールさんとパットさん共に通じる雰囲気は!この、我が道を行くぞという強力な意思!エモーション! パチパチパチ。
話はここまで来た。が、こっから先が大変。何故かというと、この時はまだピンと来てなかったのですが。。。私はブズーキという伴奏楽器担当のヒトだったのでした笑!
お察しの通り、ここから始まるのは惨憺たる悲劇の物語。乞うご期待!
自分の体験を振り返って思い出して、今の視点や考えを脇に置きながら、できる限り当時の自分を再現するのってめっちゃパワー要りますね。続きモノぽくなってしまったのは失敗やったかも笑。(す)