観客を信頼できますか?:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

さて、 前回は、今ワシは断然迷っているぞ!を前面に出しすぎてしまったかもしれません。迷っているということを声高に主張したところで、誰かが迷える子羊に優しい手を差し伸べてくれるわけではありません。むしろ、怪しがって敬遠されるフシさえあります。というか、すでに、どんなに迷っていてもこんなおっさんを誰も子羊には見てくれない。

そうやねん。いったいワシのことを、普段周りに居る皆さんはどんな風に見ているのか?

こういうふうに言うと、スザキさんでも人目を気にするのですか?と言われそうですが、気にするというとちょっと違うかもしれません。昨今の風潮である、SNSやネット空間での人目を気にする人達の感じというのは確かにワタシら年配者には少し違和感ありますが、そりゃあ、私も人並みに人目は気になりますよ。

つまり、私が何らかの発言や発信をした時に、それを受け取る人が私のことをどういう風にイメージしているかで恐らくその伝わる内容がぐっと違ってくるのではないかと思うのです。と、なると、たとえ対面して対話をする場合であっても、その相手が私のことをどう思っているかで、どれほどの誤解を生んでしまうかと考えると、慎重にならざるを得ないではありませんか。

少なくとも、私をはじめから受け入れてくれている人なのか、私になんらかの違和感を感じている人なのか、によって、同じ言葉で同じことを話しても伝わる内容は微妙に違って来るでしょう。

ところで、オールドタイムという音楽があります。アパラチア音楽とも言われますが、その昔、アイルランドやスコットランドからアメリカに移民した人達のうちアパラチア山麓に定住した人達と、黒人労働者との交流の中で発生した音楽で、ケルト音楽と黒人音楽が融合したものとも考えられ、また、カントリーミュージックやブルーグラスの祖とも言われている音楽です。

先日、日本のこの音楽の第一人者である京都在住のBOSCO氏が、先日、アメリカから来ていたオールドタイムのミュージシャン2人を連れて、ウチでライブを企画されたのです。

オールドタイムは日本ではまだアイリッシュ以上にマイナーです。私はその方達の名前すら初めて聞いたわけで、玄関に貼り出すライブの案内に、私は1人の方の名前を間違って表記してしまった。2人は見るからにアメリカの田舎のおばちゃんで、これを笑って許してくださり、ひとりはフィドル、ひとりはギターと歌という構成。急なライブ告知ということもあって、BOSCO氏のお仲間以外には目指して来られたオーディエンスもほとんどいない。店内に居合わせたのはライブのことなど知らなかった一般のお客さまという場内。

すると、いきなりおばちゃんの1人がぼそぼそとMCを始めた。もちろん英語で。そして、何ともどっしりとした貫禄の野太い声で歌をうなり始めた。そう。まさにうなり始めた。ひとしきり終わると、また、ぼそぼそと何やら語り始める。時々ニコリと笑みを浮かべる。。。

残念ならが、私は英会話が苦手でして何を言ってるのかすっとは判らない。しかし、BOSCO氏とお仲間の人達以外には場内に居る人でこういうMCをすっと聞き取れる人はほとんど居ないであろうという空間です。

おばちゃんは、特定の誰かに話しているのではなく、場内にいるすべての人達に語りかけているのはその目線や姿勢から明白なのですが、この堂々たる雰囲気は何やろう?という、独特の空気を私は感じてしまったのです。

ひとつ演奏が終わると、客席からは暖かい拍手が生まれ、客席の視線はもれなくそのおばちゃん達に注がれている。これは、まあ、普通のライブの時の光景なのですが、その時私の脳裏にかすめたのは、皆!あのおばちゃんのしゃべってる事が理解できているのか?!ということと、恐らく、初めて耳にするこの音楽に対して心から拍手しているのか?という事でした。

にもかかわらず、おばちゃんの表情には居合わせる人々への信頼感と申しますか安心感と申しますか、非常にくつろいでリラックスしている雰囲気に満ちているのです。そして、その雰囲気があるから醸し出されてくる堂々たる貫禄。

その時、はっとした事がありました。私たちはライブの観客でいる時、往々にして、となりの人が拍手するとそれに釣られて拍手しているではありませんか!英語のMCが理解できなくても、話者の顔がほころんだら自然に会わせてほほえんだりうなずいたりしているではありませんか!

おばちゃん達が母国で接している地元の観客はたぶんこんな行動原理は持っていないのではないか?彼らは、自分が良いと思ったら拍手し、良いと思わなかったら拍手しない。あるいは、MCが面白くなければ普通にぶ然とした顔をしているに違いないのです。きっと。

おばちゃん達は、あまり自分達の音楽に親しんでいるわけではない日本のパブに来てライブをするわけで、さすがに当初は構えていたかもしれませんが、ステージでMCをすると皆ふんふんにこにこうなずいてくれているようだし、演奏をすると全員が拍手してくれる。これですっかり安心されたのではないか?

これを思った時に、例えば、私たちが逆にステージに上がる時、目の前の観客がMCにうなずこうとも、拍手してくれようとも、どこかで、それって本心?と、どこか信用しきれていない部分がある。そりゃ、立場を換えて自分が観客の時のことを思えば当然なわけです。少なくとも日本における演奏者と観客の関係はこのような予定調和で成り立っていたのではないか。

つまり、演奏者は、私らの演奏って本当はどうなのよ?!と言うかすかな違和感を常に持ちつづけるわけですね。常に観客に対してわずかではあっても一定の疑心暗鬼を持つわけですから、逆に観客の一挙一動が気になってしょうがない。そんな事が気になっていては演奏にも集中できない。結果、良い演奏ができない。そんな悪循環もあり得ます。堂々となんて出来るわけがない。

まあこれは、アマチュアミュージシャンの場合かもしれませんね。プロの方であれば仕事という意識によってまた別の部分で居直ることができるかもしれませんから。

で、何を言いたかったかと言えば、このようなアマチュアミュージシャンである私の迷いは、こういう所からもじわじわ湧き出て来ているのではないかという事なのですね。

つまり、皆!こうやって音楽を聴いてくれているけれど、、、そもそも私の事をどう思ってくれてるのよ!?に行き着くと言うわけです。

これからは、ライブで隣の人に釣られて拍手することはもう絶対にやらない!笑。(す)