【最新号:クラン・コラ】Issue No.329

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.329

Editor : hatao
October 2021
ケルトの笛屋さん発行

続スライゴー・ミュージック 「歌」編:松井ゆみ子

https://celtnofue.com/blog/archives/8817

わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめて
アイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その3:大島豊

ぼくの生家のあったところは整地されて、タワマンというよりはソフトクリームないしキノコ型の超高層マンションの敷地の一角となりました。往時の面影は一切残っていません。麻布十番から登ってきて、仙台坂上に通じる尾根の道は細くてぼくが住んでいた頃から一方通行になっていますが、面白いことにこの道の南と北で、様相ががらりと変わります。南側は全て空襲で焼けましたが、北側は焼けませんでした。そのため、子どもの頃はまだ戦前のお屋敷が残っていて、深閑と静まりかえっていました。現在、南側は住宅もほぼ消え、道路の位置も変わって、かつてとはまるで様相を異にしていますが、北側はお屋敷がマンションに代わって、多少背が高くなったくらいで、路地などもそのままです。

ソフトクリーム・マンションの麓には低層の付属の建物が伸びています。オフィスなどが入っているようですが、その一角にアイルランド大使公邸があります。ここにはホールもあり、アイルランドからミュージシャンが来たり、わが国のアイリッシュ・ミュージックの演奏家たちが出たりして、何度か行きました。最初に案内をもらった時には、生まれた家の跡地にこういう施設があるという縁に驚いたものです。この公邸は、アイルランドの在外公館の中で家賃が飛びぬけて高いということで、アイルランドの議会でも問題になったそうですが、その後廃止ないし移転したとも聞きません。

家族・親族、隣人はすべて音楽に無縁だったぼくが音楽にどっぷり浸るようになったのはなぜか。その理由、要因として考えられるものに二つある、とつらつら考えて思いあたりました。

まず一つはテレビの子供向け番組の主題歌です。祖父は新しもの好きで、機械好きでもあり、わが家にはいわゆる「三種の神器」テレビ、冷蔵庫、洗濯機がぼくが小学校に上がる前から揃っていました。その代わり、この古いものがいつまでも残っていました。テレビなど、近所がカラーテレビを買う中で、いつまでもモノクロのそのテレビを見ていました。

テレビが普及するのは、昭和天皇の皇太子、今の上皇さんが皇太子で美智子さんと結婚する一部始終がテレビ中継されたとき、と言われます。ウチにはその前からあったらしい。その結婚中継の時には、近所の、つまり三番地と呼ばれていた路地の住人がこぞってうちに集まって見たそうです。

このテレビで小さい頃から子ども向けのマンガ、ドラマを見ていました。あくまでもテレビ・マンガで、アニメではまだありません。アニメと呼ばれるようになるのはずっと後、ほとんど今世紀になってからではないでしょうか。ぼくの子どもの頃、ということは1960年代前半ではテレビ・マンガでした。『鉄腕アトム』を嚆矢として、『鉄人28号』『8マン』『レインボー戦隊ロビン』『狼少年ケン』『冒険ガボテン島』といったプログラムです。ドラマの方では『隠密剣士』『黒百合城の兄弟』『忍者部隊月光』、そしてもちろん『チロリン村とくるみの木』『ひょっこりひょうたん島』『ネコジャラ市の十一人』『空中都市008』、さらには『サンダーバード』『キャプテン・ゼロ』などなど。内容などはもうさっぱり忘れていますが、見ていた、という記憶はあります。

20年ほど前になるでしょうか、『テレビ・マンガ主題歌の歩み』というCD2枚組が出ました。今でも手に入りますし、続篇も出ています。最初のアルバムは『鉄腕アトム』に始まるテレビ・マンガの主題歌を放映開始順に並べたものです。2枚組のうちの1枚目に並んでいたタイトルを見た時、それらの歌が即座に浮かんできたのには驚きました。聴いてみれば、そのほとんどの、少なくとも1番は、ソラで歌えたのです。ここには『8マン』だけはありませんでした。歌っていた克美しげるが殺人事件を起こしたため、タブーとなっていたからですが、この歌はテレビ・マンガ主題歌数あるなかでも名曲と思うので、がっくりしました。カヴァーがリリースされてもいましたが、上記のアルバムはオリジナル収録が建前だったので、入らなかったわけです。今はオリジナルもCD化もされています。

数十年も歌うことは愚か、耳にすることもまず無かった歌を、暗記していて歌えたというのは、幼ない頃の体験の大きさを物語るものでしょう。もっとも、同じ歌を番組を見るたびに聞かされるわけですから、総計少なくとも数十回は聞くわけです。

驚いたことはもう一つあって、このテレビ・マンガの主題歌の大半が名曲といっていい歌であり、しかも実に多種多様なジャンルをとりいれて、念入りに作られていたことです。今聴いても、名曲名演名録音と、三拍子揃っているのです。当時全盛の歌謡曲はむしろ少なく、欧米のポップスとも呼ぶべきものから、ジャズ、ラテン、クラシック、中にはかなり実験的なものまであります。現今のアニソンのおよそ対極にあるといってもいい音楽です。

テレビ・マンガ主題歌だけではなく、当時のわが国のポピュラー音楽全体に言えることですが、技術的な制限から、演奏は生身の人間によるもので、それを正直に録音するしかありませんでした。録音したものの加工も実質的にはできませんでした。それが、今聴いても色褪せない、演奏と録音を生んでいたわけです。

こういう質の高い、多種多様な音楽を、物心つくかつかない頃から叩きこまれていた、というとちょっと違う、やはり吸収と言うべきでしょう、吸収していたわけです。もちろん、まだ良し悪しも好きとも嫌いともわからず、音楽を聴いているという意識すらなく、聞きこんでいたわけです。

音楽として聞いていたわけではないことは、これらの歌をぼくはテレビでしか聞いたことはありませんでした。こうした主題歌は当時シングルが出ていたはずですが、買ってもらったことはありませんでした。録音として聞いたのは、CDとして出た時が初めてです。祖父は大の機械好き、新しもの好きではありましたが、ステレオ装置、後のオーディオには手を出しませんでした。ここにも音楽に対する嗜好というか、嗜好の無さが見てとれます。

トシバウロンや豊田耕三さんにアイリッシュ・ミュージック、ケルト・ミュージックとの出逢いを訊ねると、ゲーム音楽という答えでした。ゲームも音楽を聞くというよりは、ゲームをやる中で音楽を繰返し聞くという点ではテレビ・マンガ主題歌と通じるものがあります。ただ、ぼくがテレビ・マンガ主題歌を聞いていた年齡はもっと幼なかったですから、あるいはその分、より深い部分に刻みこまれたかもしれません。それに当時は他にこれに匹敵するエンタテインメントはありませんでした。ゲームもSNSもありません。子どもが行けるライヴや芝居も無い。映画はありましたが、それも東映動画ばかり。他に娯楽といえば本を読むくらい。マンガは出はじめていましたけど、ぼくの場合、それは家ではなく、床屋で読むものでしたから、これも限られていました。それだけテレビ・マンガ、ドラマに集中していたとも言えるでしょう。そういえば東映動画では音楽の印象がほとんどありません。映画音楽としてそれだけきっちり作られていたからでしょうか。

もう一つは少し長じて、小学校4年からのことになります。これは次回。(ゆ)

振り出しに戻る?:field 洲崎一彦

さて、ここで、天下一品!とわめいてからもう2ヶ月が経ってしまった。結局、私はまだ天一のラーメンが食べれないでいる(クランコラ8月号参照のこと)。

世界中の多くの人々がそうであるように、私はこのコロナ時代の到来によって日常のほとんど全てががらっと崩れてしまった。当然、最大の問題はアイリッシュパブという仕事が立ち行かないという重大事が第1なのだが、他にも色々な問題に四方八方を取り囲まれてしまったのだ。

気がつくと、それまでの日常環境はキレイに消え失せ、イメージとして持っている日常は過去の幻でしか無いという現実に直面していた。

そんな中でアイリッシュミュージックを主とした私の音楽趣味全般がふわふわと根無し草のように遊離し拡散し、久しぶりに昔の音楽仲間としゃべっている時に、かつては自分の中にあった音楽脳らしき部分がまったく動いてるいない事を自覚してしまうのだった。

それを何とかしようと、クランコラ8月号誌上でぶち上げた天下一品作戦もすみやかに実行できずに2ヶ月が経ってしまったのだが、このタイミングで、先週、わがアイリッシュパブfieldの店内に久々に生のアイリッシュミュージックが鳴り響く機会がやって来たのだ!

これは以前に予定していたイベントで、緊急事態中だからどうしようか迷ったものの、お酒は出せないし時間帯も夕方からに繰り上げることでもOKかな?ということで実施に踏み切った。hatao君と名古屋の小松君によるアイリッシュ無伴奏デュオライブとセッションである。感染対策の為に舞台と客席の間には透明ビニールのカーテンを吊り、客席のテーブルにはアクリル板を置き、換気のために窓を開けたのでPAを使わずまったくの生音だけの演奏となった。

それでも、20人前後のお客様がおいでになり、感染防止という観点では少しハラハラもしたが、当fieldとしては本当に久しぶりのアイリッシュパブらしい空間がもどって来た。

私はこの時、少々体調の問題があって、ずっと客席にいることが出来ず何度か事務所に退散していたのだが、ライブが始まった時はぞくっとした。事務所にいて表のアイリッシュの生演奏の音が聴こえて来るこの感じは本当に久しぶりで、おお!あの日常が返ってきた!と感慨にむせぶ場面である。

そう。感慨にむせぶ場面であるのは重々わかっている。が、どちらかと言うとぽかーんとしてしまったのだった。自分でもあれ?っと思った。これは充分に感激する場面ではないのか。

馴染んだよく知っているアイリッシュのメロディー。以前なら、ああ、これ知ってるやつや、これは知らんやつやとか。フィドルの運指がぱっとイメージできたり、伴奏のコードがありありと浮かんだりしたものだが、この時はそういうことが全く無くて頭の中は淡々としていた。

もう永い時間アイリッシュを演奏していないので、楽器の操作のイメージを完全に忘れてしまっているとも言えなくもないが、それで、あ、忘れてる、、という焦りも感じない。淡々と自分の居る空間にアイリッシュのメロディーが漂っているだけの時間が流れていたのだった。

本当は、最近、私は少し焦っていた。音楽脳が働いていないと自覚してもう数ヶ月。そんな状態に少し焦りを覚えていたはずなのだ。溺れる者は藁をもすがるではないが、溺れる者は天下一品にすがるというわけだ。

が、ようやく判って来た。世の中はすべてがリセットされたのだ。私の個人的な話なだけではなかったのだ。大きく言えば社会全体が、人間を含めてすべてがリセットされたのだ。コロナ以前に惰性として流れ続けていたものごとは、今や全部幻なのだ。

そして、今はこの世の中に大きく3種類の人間がいるのではないか。ひとつは、コロナ以前の価値観を持ち続け、ひたすら社会がコロナ以前に戻ることを待望している人々。もうひとつは、そんな社会はすでもう二度と戻って来ない幻であって、今やまったく新しい価値観で生きていかなくてはならないと感じている人々。そして、この両方の考えに両腕を引っ張られてふらふらと迷っている大多数の人々。

自分はまさに、この3番目の大多数の内のひとりだったということをずしっと自覚したのだ。

現在の私の中の理性的正解は2番目の思いだ。おそらくもうあの世界は存在しないのだ。その頃に自分の中にあった日常的な思いなども今はもう幻なのだ。そんな頃の音楽趣味はおおまかには自分の個人的な環境によって支えられて来たものだった。何年にもわたって私はそういう環境を身の回りに作り続けて来たのだ。そしてその環境が一瞬で破壊されたのだから、記憶にあるあの頃の自分の音楽脳など幻の最たるものではないか。

あのアイリッシュミュージックが、7月のお寺のイベントでは夏の夕立の後の気持ちのいい夕方の路地に意外にも優しく響き、今回わがアイリッシュパブの店内に意外にも淡々と漂っているこの音楽に流れ方。これは、とても異な感じもするが、考えようによればむしろ新鮮なのかもしれない。もしかしたら、初めてアイリッシュミュージックを聴く人にはこうのように聞こえるものなのかもしれない。アイリッシュに対してこんなにふわふわした優しい音楽のイメージは、コロナ直前には私は持っていなかった。もっと、尖った、切羽詰まったイメージが先行していたと思う。つまり、これは、むしろ素直に新鮮な体験として受け止めればいいのかもしれない。

20年前に、fieldアイ研というサークルを作って、当時の大学生サークルと一緒になってアイリッシュ音楽の黎明期を駆け抜けた記憶、そんな中でいろいろと音楽的にも面倒くさい硬派な意見を戦わせてきた記憶、そんなものは皆幻なのだろう。現に、この当時の大学生サークルは今年の春に廃部になった。 アイリッシュパブ field は、もう1年半もいわゆるアイリッシュパブとしての営業をしていない。これが現実だ。

つまり、私の音楽環境は、ここから、またゼロから作り始めるということなのだろう。もう、けっこうトシを取ってしまったことはコロナ前から意識し焦ってはいたが、こうなった以上、トシなんか関係ない。老いも若きも、ここからまた始めるのだ。

振り出しに戻る?とは、言ってもなあ。。。。(す)

編集後記

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

ケルト音楽に関係する話題、例えばライブ&CDレビュー、日本人演奏家の紹介、音楽家や職人へのインタビュー、
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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
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