(20歳の頃の私)
ライター:hatao
先日京都と神戸で、フォルクローレ(アンデス音楽)の笛とギターのデュオ、アルボリ・ビエントとのジョイント・コンサートをしました。ケーナ奏者の勝野勉さんはかつて私の生徒としてティン・ホイッスルとアイリッシュ・フルートを学んでいました。現在では、アイルランド音楽のテクニックも取り入れた独自の演奏スタイルを築き、またステージではティン・ホイッスルとフルートも演奏します。アンデス音楽の愛好家にもアイルランド音楽の笛の魅力が知られるのは嬉しいことです。
実は私自身もかつて、ケーナやサンポーニャ(アンデスのパン・フルート)を熱心に演奏していました。90年代末の大学生の頃です。北海道から京都の大学に進学した私は、軽音ジャズ部に入ったことをきっかけに未知だった音楽の世界が一気に広がり、音楽に夢中になりました。同じジャズ部に所属していた民族音楽が好きな友人が、ろくに弾ける楽器のない私にいくつかの笛を貸してくれました。その中にケーナとティン・ホイッスルがありました。当時手に入れやすい民族音楽だったのでしょう。
ティン・ホイッスルはすぐに音が鳴りました。当時大流行した映画「タイタニック」のテーマ曲をなんとなく音を拾って吹いてみました。一方でケーナはただの筒で、どう鳴らすのかわかりません。友人の話では、達人はこんなシンプルな笛で3オクターブを鳴らせるのだそうです。しかし何度かトライするうちに、なんとか音らしいものが出ました。気を良くした私はケーナの練習に打ち込みました。路上で演奏しているグループが売っていたCDをコピーして学びました。ケーナの朗々と響く音色と、手に音の振動が伝わる感じが気持ち良く、学生会館の裏やキャンバスの裏山で、毎日何時間と飽きずに吹きました。学生の間では授業時間中にケーナが聴こえる、と噂になっていたそうです。
98年にケーナ奏者の岸本タローさんが教えていたカルチャーセンターの講座に入門しました。その教室は年配者が多くて進みが遅く数ヶ月でやめてしまいましたが、岸本さんを追いかけてどこにでもコンサートを聴きに行ったものです。やがて社会人バンドに拾われてスナックや飲み屋などで毎月のように演奏活動をするようになります。
一方で当時の京都ではアイルランド音楽も勢いづいていました。学生の間でも人気が出始めており、セッションに顔を出していた同級生とバンドを組んで、こちらではホイッスルとフルートを演奏していました。私にはどちらの音楽も楽しく、このまま両方の音楽をやっていこうと思っていました。
私が初めてアイルランドに行ったのは2000年の冬です。初めての一人での海外旅行。私は旅行の予定を一切決めず、武者修行のつもりで偶然のなりゆきにまかせていました。当時はケーナも続けるつもりでいたので、バックパックにはケーナも入っていました。岸本さんに作ってもらった、普通は売られていない特別な設計のケーナです。ところがロンドンのヒースロー空港に降り立ち荷物を見ましたら、気圧や乾燥の関係なのでしょうか、大事なケーナにはたくさんの亀裂が入り、完全に壊れていました。私は大いに落ち込みましたが、これは天の啓示と受け止めて、旅行中はフォルクローレのことは忘れてアイルランド音楽に打ち込みました。
帰国後もケーナの演奏機会がありましたが、色々なことがあり気持ちがフォルクローレから遠ざかっていきました。社会人バンドからも脱退し、2001年頃には完全にアイルランド音楽にシフトしていきました。それ以来、自分のケーナも持っていませんし、サンポーニャなどの楽器も誰かにあげてしまったのだと思います。
ハタチの私には、フォルクローレとアイルランド音楽のどちらを取るか、進むべき道は見えていませんでした。しかしアイルランド音楽の道を進んだあとで振り返ると、自分が進むべき道は明らかだったのです。私は実際にアイルランドの地を踏みましたが、ペルーやボリビアに行こうとは思いませんでした。私には憧れのアイルランド音楽家がいましたが、フォルクローレにはいませんでした。アイルランド音楽でやりたいことはたくさんありましたが、ケーナで何がしたいというヴィジョンもありませんでした。しかし、当時はそんなこともわからず、ただケーナを楽しんでいました。悩みの中にあるとき、人から見ればすべきことは明らかなのに、自分だけが見えていないことはよくあるものです。
話は現在に戻ります。例のジョイント・コンサートの前の週に、不思議なことがありました。ある会場でコンサートをした際に、そこの会場にケーナがあったのです。埃をかぶった古いケーナをいたずら心で吹いてみると、良い音が出ました。嬉しくなった私は持ち主に頼み込んで、そのケーナを借りてきました。ジョイント・コンサートまで一週間あります。アンコールで何かをやってみようと思ったのです。
ケーナの演奏法をすっかり忘れてしまった私は、アイルランド音楽の演奏法を修得したあとの新鮮な気持ちで、イチから思い出しました。ケーナらしい音の切り方、強弱、揺らし方…。コンサートでは、アンコールでボリビアの名曲「出会い」を演奏しました。学生時代の私の得意曲でした。観客からは好評で、その日のハイライトでした。
勝野勉さんもまた、大学でフォルクローレに出会い、その道を歩み、ボリビアで修行し、表現者になられた方です。私が歩まなかった道を歩んだ方として、もうひとりの自分を投影する思いでした。私があの時ケーナ奏者になる道を選んだら、どんな奏者になっていたか想像もつきません。もっとも、勝野さんは私が学生時代にいたステージよりも遥か上を歩まれています。
同じくらい打ち込んでいたフォルクローレを選ばず、アイルランド音楽を選んだ私。なぜかと問われると、「私が私だったから」としか答えられません。出会い、そして人生の道とは不思議なものです。
これまで笛好きとして趣味でトラヴェルソ、リコーダー、オカリナ、中国笛、篠笛、バグパイプといろいろと手を出してきた私ですが、ケーナに関しては昔の記憶から、再びやろうという発想はありませんでした。今回の縁をきっかけに自分でも1本、持っておこうと思っています。