【エピソード30後編】アイリッシュ・ミュージック・ストリーズ

画像出典 Irish Music Stories

アメリカのアイリッシュ・フルート奏者シャノン・ヒートン(Shannon Heaton)さんが月1回ペースで無料で配信しているポッドキャスト、アイリッシュ・ミュージック・ストリーズ。

その中から、hataoさんや中藤有花さん、中村大史さん、豊田耕三さん達が出演した「エピソード30」の日本語訳を前後篇の2回に分けてお届けします。

前編はこちら
https://celtnofue.com/blog/archives/5268

翻訳:村上亮子

エピソード30後編(日本語訳)

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アコーディオンとブズーキを弾く大史のことを覚えていますね。

彼の妻の詩織さんは舞台の装飾やケーキを用意してくれた方です。

どうしてアイリッシュ音楽に引きつけられたのか、あるライブの前に大史に聞いてみました。

大史:最初は日本のシンガーソングライター「あけぼし」に刺激されたのです。

歌:After the Rain Clouしds Goより“Messed Up Mind”
アーティスト:あけぼし

大史:彼はイギリスのリバプールに住んでいました。彼の作品の中では、ティンホイッスルやフィドルが使われ、時には(ジグのリズムを口ずさんで)ダンス曲のリズムでした。それで彼のスタイルが好きになりました。

曲:“Sabai Sabai”、アイリッシュ・ミュージック・ストーリーズのためのオリジナルBGM
アーティスト:マット・ヒートン(ギター)

大史はアイルランドや他のケルト圏の音楽の音色やリズムが好きでした。

そして伝統の持つ社交的な面に引かれていきました。

彼は新たにアコーディオン、ブズーキ、ギターを習得して、他の人と一緒に演奏できるようにしました。

大史:僕は以前クラシックのピアノを弾いていました。ということは、いつも独りで弾きます。でもケルト音楽のスタイルは、仲間とのユニゾンですね。それがとても楽しいのです。

シャノン:ええ、アイリッシュはとても社交的ですね。

大史:ええ、社交的です。人と交流することができます。それがとても気に入りました。

それは本当に多くの人にとっても良いことです。アイルランドでも、アメリカでも、日本でも。

アイルランド音楽とケルト文化への関心は1970年代に日本に根付き始めました。

当時は小さなコミュニティーで、わずかな人々がスティーライ・スパンやフェアポート・コンベンション、ボシー・バンドのようなバンドを聞いて、楽器を手に取りました。

当時はユーチューブで伝統音楽のバンドを探したり、オンライン・レッスンで曲を覚えたり、ネットで演奏写真を見たりすることはできませんでした。

しかし、その小さなグループは、どの地域でも、90年代の終わりに大きな追い風を受けることになります。

歌:“My Heart Will Go On (‘Titanic’のテーマ)”
アーティスト:ジェームズ・ホナー&セリーヌ・ディオン

世界中で、映画タイタニックとリバーダンスがはやり、アイルランド音楽とケルト文化への関心を引き起こしました。

アイリッシュパブが東京や京都に次々と生まれ、毎週セッションを行うようになりました。

アイルランド音楽が演奏される機会が増えるにつれて、ケルト音楽のファンも増えてきました。

曲:“G# Fade In and Out”、アイリッシュ・ミュージック・ストーリーズのためのオリジナルBGM
アーティスト:マット・ヒートン(ギター)

それから20年、今も日本では伝統音楽を始める人が多くいます。

大史はSNSが発達したからだと考えていますが、同時にライブや音楽クラブのような実際の出会いも関わっていると思っています。

大史:大学生の頃、ケルト音楽クラブがありました。友達でフルート奏者の豊田耕三が、2005年に立ち上げたのです。それで僕は彼らが演奏するのを聞きました。いい雰囲気でした。僕も参加したくて、ケルト音楽を始めました。

大史の生活は伝統音楽を中心に回るようになってきました。

彼はいくつかの日本のアイリッシュバンドと演奏し、その中には豊田耕三のプロジェクトも含まれていました。

豊田耕三は東京芸術大学ケルト音楽研究部を立ち上げた人です。

大史がケルト音楽に関わり始めたのもそのクラブでした。

曲:Via Portlandから“Roundabout”
アーティスト:O’Jizo

豊田耕三は日本にアイリッシュ音楽を広げる原動力でした。

日本中で演奏活動やレコーディングを行い、多くの若い演奏家を育てました。

2016年にはトヨタ・ケーリー・バンドを率いてアイルランド音楽祭に参加しました。

これは毎年夏に50万人もの人を集める恒例のコンクールです。

東京のアイリッシュパブ、アンソラスでのセッションの前に、私は耕三と話をしました。

数人のフルート奏者がその夜の支度をしている時に、金管楽器での経歴について話してくれました。

豊田耕三:以前はクラシックをしていました。トランペットを吹いていました。でも、アイリッシュ音楽は独特ですね。家族でできているバンドがたくさんあります。兄妹とか、父と娘とか、夫婦とか。クラシックと比べると独特です。

シャノン:音楽祭のコンクールに参加するために、はるばる日本からアイルランドへ、日本のアイリッシュ音楽を持って行ったのですね。どうでしたか。

耕三:緊張しました!でも自分自身を向上させるためにとてもいいチャンスでした。そして多くのすぐれた音楽家に出会いました。

曲:Gathering Cloudより“An Paistin Fionn”
アーティスト:トヨタ・ケーリー・バンドHPから

耕三は大学で音楽民俗学と音楽教育を専攻したそうです。

耕三:教育は僕にとって一番大切なことです。若い学生は素晴らしい。多くの学生がアイリッシュ音楽やダンスを学ぼうとしています。実はアイルランドの人が驚いているのです。アイルランドではセットダンスをするのは年配の方だけですから。でも日本では若い学生が素晴らしい。

シャノン:そうなのですか。何か音楽をしましょう。

曲:アンソラスのセッションから“Father O’Grady’s Trip to Bocca”
アーティスト:東京セッション・ミュージシャンズ

豊田耕三が東京の音楽シーンに現れる前、フルート奏者の守安功と妻でコンサティーナとハープを弾く雅子は、若い音楽家に大きな影響を与えていました。

彼らはパディーとブリジットという名前でアイルランド西部を広く旅行し、演奏していました。

功は日本にもどって、日本の演奏家に役立つ本を書きました。

そしてそこから、多くの若い音楽家がクレア州に向かうことになりました。

そして東京、京都、大阪やほかにもっと小さな都市でも、多くのセッションが開かれるようになりました。

甲府のライブの後でコンサティーナ奏者の近藤美奈子に会いました。

日本で定期的なセッションが行われる所は昨年12月の時点で55ヶ所ある、と美奈子が教えてくれました。

彼女の知識は確かです。このテーマで修士論文を書いたのですから。

そして当然ではありますが、大きな都市では伝統音楽をする人も多いこともわかりました。

しかしアイルランド音楽は日本の20都道府県のパブリックセッションでも演奏されています。

北の北海道でも南の沖縄でも。[全国で38、東京12、京都3、大阪2]

美奈子は東京に住んでいた時は、定期的にセッションで弾いていました。しかし最近はソロで弾くことが多くなっています。

近藤美奈子:東京にはセッションが多いのです。

シャノン:東京から2時間のところに引っ越してきたのですね。こちらのアイリッシュ音楽事情はいかがですか。

美奈子:ここにはセッションがありません。

シャノン:では、あなたはどうしているのですか。

美奈子:独りで家にこもってコンサティーナを弾いています。練習です。

美奈子が教えてくれたように、大きな都市にはセッションできる場所も多く、ミュージシャンも大勢います。

京都のトリコロールのライブの後で、ライブに来てくれた4人のミュージシャンが一緒に吹こうと誘ってくれました。

京都御所から少し行ったところ、SSSビルの地下にあるアイリッシュパブ、ノームでのライブです。

曲:ノームでのセッションから“Noisy Curley”

アーティスト:京都セッションミュージシャンズ

ボストンを中心に活躍するイリアンパイプス奏者ジョーイ・アバータは、東京で過ごした1年の間に、このようなセッションで友情を築きました。

彼は東京ディズニーシーのショーで演奏していたのです。

ジョーイ・アバータ:ディズニーシーは水をテーマにしたテーマパークです。海底3万マイルのリトル・マーメイドの世界があるし、ケープ・コッドの村を模したレクリエーション施設もあります。

曲:“Trip to the Jacks, Where is the Cat”  シュリアヴ・ルークラの音楽から
アーティスト:ジャッキー・デイリ。

台詞:ディズニーシー、ケープ・コッドの村の歓迎の言葉

シャノン:わー。

ジョーイ:いいでしょう。

シャノン:このためにイリアンパイプスが必要だったのですね。

ジョーイ:ええ。移民者のバンドを結成したみたいなもので…。それがテーマみたいなものです。それでニューヨークやオーストラリアから人を集めて…

シャノン:へぇ。そういうことで日本に来たのですね。

ジョーイ:ええ。おもしろいですね。

シャノン:それがお仕事だったのですね?

ジョーイ:これが僕の仕事でした。で、いつも仕事が終わったらすぐに飛び出してセッションに行く…
ほとんど毎晩、どこかでセッションをやっていました。変な話だけど僕は独りで行きました。まだ日本語は話せない。だって日本に来て1ヵ月かそこらですから。セッションを見つけて、セッションで人に会う。いつもこんな調子です。振り返ってみても、信じられないほどです。東京ではこちらのように通りがわかりやすくないのです。通りの番号は行ったり来たり。上がったり下がったり。この番号のビルに何かがあるらしい。でも7階だったりします。

シャノン:20歳の若者にはなかなか大変な経験ね。でもアイリッシュ音楽という人を結びつける力を持っている。その場所さえ見つければ、信頼に足る人々の輪があるのですね。

ジョーイ:ええ、本当に。アイリッシュ音楽のいい所ですね。どこへ行っても誰か友達がいる。たとえその人を知らなくても、すぐに知るようになります。

曲:“D Major Walk Down” アイリッシュ・ミュージック・ストーリーズのためのオリジナルBGM
アーティスト:マット・ヒートン(ギター)

ジョーイはこの1年で、たくさん友達ができて、たくさんの音楽を一緒に演奏して、たくさんの東京のバーに行きました。

ジョーイ:こういったバーによく行ったものです。音楽が聞けます。その頃バーでは喫煙できました。今でもできると思います。バーでタバコを吸うのは違法ではないのです。たばこの煙で、ぼうっとしていました。奥の方に演奏する人が座っていて、みんな日本人で、やっている音楽は他の国と同じ。で自分はそこに座って、誰も英語を知らないけれど、3時間も座って、飲んで、楽しい時間を過ごし、一緒に演奏していました。実に面白いことです。

アイリッシュ音楽を始める時は、日本人も僕がしたのと同じようにしました。

彼らの親世代はアイリッシュ音楽をしません。

彼らはある日アイリッシュ音楽を聞いて、やってみたくなります。

それから一歩一歩伸ばして、アイルランドのフェスティバルへ行って、演奏できる人を探して、教えを請う。

全く同じです。僕を駆り立てたのと全く同じなのです。アイリッシュ音楽を一度聞くと、もっと、もっと、もっと聞きたくなりました。

僕は次々と人に会いました。1つのセッションに行くと、別のセッションのことを聞きます。

それで出かけていって、ほとんど毎晩どこかで演奏しました。

本当に楽しみました。

みんな本当に親切でした。

そう、ジョーイも親切です。

彼も人を引き合わせるのが好きです。

曲:“Bonny Bunch Of Roses/The Ashgrove”、 Swimming Against The Falls/ SnámhIin Aghaidh Easaから
アーティスト:ジョーイ・アバータ

ジョーイ:東京にいたとき、バグパイプをやる人に集まってほしいと思いました。それでこの町で知っている2人に声をかけ、その2人が何人かに話してくれました。これを「東京パイパーズクラブ」と呼ぼう、僕の家で会って、音楽を聞いたり、希望があれば曲などを教え合ったりしようということになりました。始めてみると、休みの日に3時間も4時間もかけて来てくれる人もいました。そのうちの1人で日本の北の方に住んでいる人は、たぶん最初のセッションで会ったのですが、中津井眞という名前でした。彼は今では世界でも有数のイリアンパイプスの製作者です。日本だけじゃなくて世界での、です。

シャノン:そうなのですか。

ジョーイ:家で集まれないときは、誰かがカラオケルームを借りることを思いつきました。日本のカラオケはすごいです。防音の部屋がプライベートに使えるのです。僕たちはカラオケで歌うのではなくて、そこでバグパイプの練習をしました。部屋を何に使っても文句は言われませんから。みんなバグパイプを運び込みました。それからドアが開いてビールやおつまみが運ばれてきました。僕たちは座って、ビールを飲んで、演奏しました。本当に素晴らしくて…本当にみんなハマりました。想像以上に人々を結びつけました。

人を結びつける努力をする。

カラオケルームのビールとおつまみのようなちょっとしたことにお金を使う。

あるいは豪華な木の舞台装飾、10品もの食事、十周年記念のケーキ。

それは気持ちを伝える万国共通のことばです。

幸いにも私は世界中で―アイルランド、イタリア、タイ、ニューイングランドで多くの心のこもったおもてなしを経験してきました。(友達のフィル・マクアンタイがたくさんのシラカバの枝とクリスマスの電飾で特別なショーのために階段を飾りつけてくれました。)

曲:“Heartstrings” アイリッシュ・ミュージック・ストーリーズのためのオリジナルBGM
アーティスト:マット・ヒートン(ギター)

しかし日本の伝統音楽のイベントで私が経験したのは食べ物、飲み物、おもてなし―そしてケーキ―へのこだわりでした。

このことでジョーイはまた別のケーキがらみの話を思い出しました。

歌手のスティングに関わることです。

ジョーイ:あのお気に入りのクリスマスアルバム、スティング、知っているでしょう?

シャノン:ははは

ジョーイ:で、彼は古いイングランドの歌“A Soul Cake “を歌ったのです。ご存知でしたか?

シャノン:いいえ、調べてみなくちゃ。

ジョーイ:はは。とにかく、クリスマスになるとこのイギリス人の女性を思い出すのです。たぶんあのころで70代だったでしょう。彼女はいつもパーカッションをいっぱい積んだカートを曳いて来ました。彼女はバウロンをやっていたのです。150㎝位だったかな。ずっと、ずっと長い間日本に住んでいて、大相撲の同時通訳者でした。

シャノン:へー。

ジョーイ:ええ、そうでした。彼女はよくあの歌“A Soul Cake, A Soul Cake”を歌っていました。こんなフレーズがありました。「ピーターに2つ、ポールに1つ、… 創造主に1つ。」

シャノン:で、毎回十字を切っていたのですか?

ジョーイ:お祈りをするように手を合わせていました。それからまた歌いました。何度も何度も。国外在住者によくある特徴です。彼女はタンバリン、ベル、エッグシェイカー、バウロンなどを叩きました。

シャノン: では日本で体験した風変わりな行いというのは外国の人によるものなのですね。

ジョーイ:そうです!

歌:“Soul Cake”、Broadway’s Carols for a Cure, Vol. 16, 2014より
アーティスト:”The Last Ship,”ブロードウェイのキャスト。スティング

私がhatao と演奏を楽しんだ京都のセッションには少なからぬイギリス人の歌手がいました。

たくさんのジグやリールを吹いて、いっぱい笑いました。

そして翌朝hataoの素敵な楽器店で続きを楽しみました。

曲:“Grupai Ceol Memories” アイリッシュ・ミュージック・ストリーズのためのオリジナルBGM
アーティスト:マット・ヒートン(ギター)

シャノン:昨夜は楽しかったです。

hatao:楽しい夜でしたね

シャノン:ええ。で、今度はあなたのお店に来ました。素敵なお店ですね。

hatao:ええ。1年前に開店しました。でもその前も7年前から笛の販売をしていて、ホイッスルやフルートをたくさん売りました。

「ケルトの笛屋さん」はアイリッシュパブ・フィールドの上の階にあります。

店は小さいですが、きれいに整えられ、ホイッスルやフルートがいっぱいです。

ハープやダルシマー、ブズーキ、マンドリン、バウロン、バンジョー、それに本当に素晴らしいアコーディオンもあります。

取り揃えた楽譜やCD。日本のアイリッシュ・ミュージシャンのものを多く取り揃えています。

hataoは日本のミュージシャンを応援しようとしているのです。

hatao(本名:畑山智明)は自分の店を、彼が愛し、彼の人生を変えたアイリッシュ音楽への感謝の気持ちだと言っています。彼は18歳の時アイリッシュ音楽を始めました。

hatao:大学の時にティンホイッスルを始めました。映画タイタニックが大ヒットした年です。僕も映画館に見に行きました。そこで初めてティンホイッスルの音色を聞いたのですが、それがどんな楽器なのか想像もつきませんでした。

曲:“Bb Whistle Set” 2008年頃のキッチンでの録音から
アーティスト:マット&シャノン・ヒートン

彼の友達にアイリッシュ・フィドルを弾く人がいて、いろいろと教えてくれました。

彼はティンホイッスルを手に入れるのにも手を貸してくれて、hataoはティンホイッスルを始めました。

hatao:CDを繰り返し聞き、全てコピーしました。若い頃は毎週火曜日と土曜日はセッションに行っていました。意欲的に、夢中になって曲を覚えました。録音して、練習もいっぱいしました。

最初hataoはアイリッシュバンドで演奏していました。

しかし最近はプロのミュージシャンとしてはアイリッシュ伝統音楽はやらないと固く決めています。

自分のオリジナルを中心に、日本、中国、台湾、韓国での演奏を楽しんでいます。

でもアイリッシュ音楽は好きなのです。

彼が言うには、今でも伝統音楽に夢中になっているし、よく聞いて練習するし、アイリッシュ音楽に敬意を抱いています。

初期に最も影響を受けた人―ミュージシャンとしての成長を促し、自分自身の音楽を見出す助けとなったのは、フルート奏者の守安功でした。

hatao:守安功&雅子ご夫妻…彼の本は学生時代に全部読みました。アイリッシュ音楽に関する最初の本は1997年に刊行されました。

曲:“Celtic Grooves”  アイリッシュ・ミュージック・ストリーズのためのオリジナルBGM
アーティスト:マット・ヒートン(ギター)

hatao:あの本を読んで多くの若者がアイルランドに向かいました。彼のおかげで…

シャノン:あなたもアイルランドに行ったのですね?

hatao:ドゥーリン、エニス、エニスティモン

シャノン:歓迎されていると感じましたか。

hatao:はい。今とは全く違いました。旅行者も少なくて。最初の時は2月で、本当に静かでした。静かなパブに暖炉の火が燃えていました。90年代の終わりにアイルランドに行けたのはラッキーでした。スマホのない時代でした。LCCもなかった。

シャノン:ライアン・エアーもなかった?

hatao:日本ではLCCと呼んでいます。旅行者は本当に少なかった。アイルランドにはアジア人はほとんどいなかったのです。だから自分にとって特別な体験でした。今では夏にアイルランドに行くと大勢の日本人がいますし、中国人、韓国人、台湾人がアイリッシュ音楽をやっています。アイルランド人はアジア人がアイリッシュを演奏するのを見慣れています。90年代後半には、プロの演奏家にとってもアジア人の演奏を聞くのはあまりないことでした。

シャノン:特別な体験というのは、ユニークで人々が慣れていないということですね?それとも歓迎されていないように感じたということですか?

hatao:うーん。90年代後半、僕はエイリアンみたいに見られていましたね。アジアから来たヘンな人。

シャノン:目立っていた?

hatao:ええ。子供があとをついてきました。

シャノン:ついてきたの?で、逃げたのですか?

hatao:ははは。僕と写真を撮りたがりました。

シャノン:どんな気持ちでした?

hatao:僕もまた、不思議な気持ちでした。

曲:“さかさまの道”、「雨つぶと風のうた」から
アーティスト:hatao&name

追いかけられたり、「不思議な」感じがしたりした他に、hataoは音楽的にも落ち込むことがありました。

最初の熱意と自信はアイルランドで試されることになりました。

hatao:アイルランドでは高校生でも本当にうまいのです。この音楽の世界で僕がプロとして立つ場所はどこにもありませんでした。辛い時でした。

シャノン:自信を無くしたのね?

hatao:自分自身に絶望しました。

しかし彼は諦めませんでした。学び続けました。フルート奏者でフルート製作者でもあるイーモン・コッターに連絡を取り、レッスンを請いました。

hatao:僕のフルートを作った人の名前を調べてみました。イーモン・コッターという人でした。彼に電話して、日本から来ていて、何曲か教えていただきたいとお願いしました。「OK、おいで」と言ってくれました。でも彼が住んでいたのは田舎の方だったです。

シャノン:ヒッチハイクしたのですか?

hatao:はは。ええ、そうです。

hataoは90年代後半にクレア州をヒッチハイクして回り、多くを学びました。

新しい技術と新しい展望を日本に持ち帰りました。

hatao:日本へ帰ったのは25歳の頃でした。そして「自分の」音楽を始めました。オリジナル曲の作曲を始めたのです。今もそれは変わりません。ですから僕はアイリッシュ音楽のプロではありません。フルート奏者です。

曲:“月をさがして” 「雨つぶと風のうた」から
アーティスト:hatao&name

hatao:僕はアイリッシュ音楽が好きだし、今でも学んでいます。でも僕が目指しているのは自分の音楽を造ることなのです。

シャノン:私も同じように感じます。アメリカ人として、アイリッシュ音楽の中に自分の居場所を求めるのは、心の折れることでした。

hatao:でも、あなたは伝統音楽の家系なのでしょう?

シャノン:ええ。でも私はアメリカ人です。時には、受け入れられていないと感じることもあります。

hatao:ええ、…アイルランドでは。アイリッシュ音楽は社会、文化、そして歴史にも関わっていると思います。この文化的な背景から音楽だけを切り離すことはできないのです。だからパブのセッションでは彼らのジョークがわからなかったのです。

シャノン:そうです。言語です。ユーモアという言語。所変わればユーモアのセンスも変わってきます。

hatao:アイルランド音楽ではユーモアがとても大切です。

シャノン:ええ、そう思います。

hatao:それがとても難しかったのです。いつも真面目過ぎて…

シャノン:…アイルランド音楽でバランスが取れるわ。

hatao:ええ。

シャノン:昨夜のセッションでは音楽をして、飲んでおしゃべりもいっぱいしました。とても社交的でしたね。それが普通ではないのですか。

hatao:もっとおしゃべりは少ないし、ジョークもありません。

シャノン:少しは変えることができるかもしれませんね。こちらのやり方は尊重したいと思いますし、流れに沿って行こうと思います。でも少しはユーモアもね。

hatao:昨夜は本当に良い雰囲気でした。

シャノン:楽しかったです。

楽しくて、また音楽のレベルは非常に高いものでした。

私の旅行中に、多くの新しい演奏家に出会ったけれど、技術的には熟達しているけれど、音楽の持つ何らかの要素、文脈に欠けているように思われました。

再びバグパイプのジョーイ・アバータに登場してもらいましょう。

ジョーイ:東京で会った人は、僕たちが始めた時と同じようでした。アイリッシュ音楽のビッグバンドを聞く。ダニューとかダービッシュとか。

そうです。みんな人前で演奏するために集まった新しいタイプのアンサンブルを聞いています。

実際、立派な伝統音楽を演奏するバンドです。

曲をセットにして、独自の華やかなバリエーションで演奏する。

で、そのセットに“The Sunset Set”のようなタイトルをつけています。

ジョーイ:セットを覚える時、例えば“The Sunset Set”というセットだとしましょう、―みんな同じようにやります。とても真面目なのです。そのままの装飾で覚えるのです。寸分違わないのです。でも、そんなのはアイリッシュ音楽ではありません。わかりますか?でも私も最初はそうしました。丸々コピーしたのです。

ええ。世界中の新しい、そして大概は若い演奏者はそこから始めます。

いずれかのバンドに入れ込んで、彼らがしていることをそのままコピーし始めます。

彼らが演奏する曲、彼らが演奏するやり方をそのまま真似します。

その曲を自分のものとして取り込み、それを自分のレパートリー、スタイルに紡いでいくのではないのです。

日本だけのことではありません。新しい音楽家の問題です。

フルート奏者のhataoが演奏を始めた時、マイケル・マックゴールドリックやマット・モロイのような人気のあるプレーヤーの演奏をよく聞いたと言っています。

そして同じように吹こうとしました。(私も同じです。)

それから彼はもっと学び、自分自身の音楽と社会に発する声を見出したのです。

hatao:若いころ、人見知りが激しかったのです。目立つことができませんでした。

曲:“Meditation”、 アイリッシュ・ミュージック・ストリーズのためのオリジナルBGM
アーティスト:マット・ヒートン(ギター)

hatao:スポーツは苦手でした。勉強の方はよかったのですが、とてもシャイでした。アイリッシュ音楽に出会いました。アイリッシュ音楽を演奏するなら、人とコミュニケートする必要があります。たとえ話さなくても音楽で表現することができる。音楽が僕を助けてくれました。アイリッシュ音楽の演奏を通じて、多くの友達ができました。そして少しずつ自分のことを話せるようになって来たのです。音楽が僕を変えてくれたのです。僕の生徒たちにも同じ体験をしてほしいと思います。音楽を通して人と意思疎通し、人から学ぶことができると知ってほしのです。

曲:“ちゅうちゅう奥さんのポルカ”、enishi より。
アーティスト:hatao

日本で過ごした短い間に、多くのことを知りました。

例えば出身がどこであっても、演奏者がたどるアイリッシュ音楽の道筋が似ているとか。

アイリッシュ音楽を取り巻く装いや思いを形に表すことがどれ程大切かだとか。

世界的なケルトのコミュニティーを見つけた私はどれ程ラッキーか。

私たちがこの音楽を分かち合うとき、私たちの誰もがこの伝統を守ることができるのです。

スコットランドの音楽家エーラン・ジョーンズは自らのバンド、Old Blind Dogsで日本を訪れました。

彼は日本の生き生きしたコミュニティーについて記録を残しています。

エーラン・ジョーンズ:日本の音楽シーンは途方もないものです。

音楽の技量は素晴らしく、彼らは音楽に関わっているだけでなく、文化に取り組んでいるのです。

そして人生に向ける態度。

それは本当に…素晴らしいものです。

しかしケルトの文化は楽しいというだけではなく、多くの人が願っている心の安らぎでもあると思います。

だから人々の心に響くのです。私たちは誰もが日々の暮らしに一生懸命です。それぞれが重荷を抱えているのです。

だからこそ時には力を抜くことも必要になります。

ケルト文化は私達みんなが持っているこの脱力へ希求に関わっています。

それでアイルランド音楽が広くアピールするのだと思います。

それに、リズムが良くて一緒にタップしたくなります。

それがリバーダンスの成功のカギでしょう。

―親しみやすいのです。

ロケット科学じゃない。

楽しくウキウキする音楽で、みんな明らかに楽しんでいます。

曲:“Dark Haired Lass/Biddy from Muckross,” Blackwaterより
アーティスト:Altan

アルタンの演奏を見て、魅了されたフィドルプレイヤー中藤有花は素晴らしく楽しい時間を過ごしました。

この興奮した聴衆、目くばせで合図しながら演奏する楽しげなミュージシャン達を見たときです。

メロディーをユニゾンで演奏する伝統も、有花の心を打ちました。

日本人にとって特に印象的だったのです。

ソロで演奏するのではなくて、伝統音楽のミュージシャンは一体となって、合わせようとします。

アイリッシュの音楽家はこうやって盛り上げるのです。

―お互いに。

有花:アイリッシュ音楽は…同じメロディー

シャノン:ユニゾン?

有花:ええ。これが日本人にはいいのだと思います。みんな一緒。これがいいのです。

ネットでアイリッシュ音楽にいつでもアクセスできて、国境を越えるソーシャルメディア網がある現代、日本にアイリッシュのミュージシャンとダンサーのコミュニティーがあるのは驚くことではありません。

とは言っても、「日本のフィドル奏者」というのは、例えば「ボストンのアイリッシュミュージシャン」というよりは珍しいものかもしれません。

ボストンには大勢のアイルランド系の人が住んでいるからです。

言語の壁がないことも理由になるでしょう。

ボストンのローガン空港から(アイルランドの)シャノン空港までたった6時間ということもあるでしょう。

ええ、東京への飛行はずっと長いのです。そして日本語は、当然ながら、英語ともアイルランド語とも全然違います。

靴を脱いで会場に入って、アイリッシュ・リールを弾き始める…ちょっと変に感じるかもしれませんね。

でも、すぐにその違和感はなくなります。

これは自分たちと同じ音楽やダンス、愛好家のコミュニティーだと思い至り、一緒に音楽を楽しみ、記念日のケーキのキャンドルを吹き消す友達だと気付くのです。

曲:“Anniversary Reel,”  tricolorの BIGBANDから
アーティスト:トリコロール

*****

アイリッシュ・ミュージック・ストーリーズは私シャノン・ヒートンがプロデュースしています。

有花さん、晃司さん、詩織さん、あちこちを案内してくれてありがとうございました。

マット・ヒートンにはオリジナルBGMに感謝です。

ナイジェルには、スポンサーのことを思い出させてくれてありがとう。

ジェリー・コウ、クリス・マクグロン、サリー・タッカー、ジェレミー・キース、デイヴィッド・ヴァン、クリス・マーフィー、ブライアン・ベンスコター、ジョー・ギャレットの皆さん、今月の寄付をありがとうございます。

寄付をしていただけるのでしたら、IrishMusicStories.orgに「寄付する」のボタンがあります。

おいくらでも結構です。

聞いてくださってありがとうございました。

トラック:“Tawny Owls 2,”2羽の森フクロウのフィールド録音から
アーティスト:Benboncan

エピソード30後編(英文)

From Shannon Heaton’s Irish Music Stories Podcast http://www.IrishMusicStories.org

Episode 30-GMT Plus Nine Keeping Irish time in Tokyo

I’m Shannon Heaton. And this is Irish Music Stories, the show about traditional music, and the bigger stories behind it…

…Like how flute player Hatao has watched the Irish scene in Japan explode over the last two decades:

Hatao) When I started playing, the community was very small. But nowadays there are hundreds of players all over Japan, and sessions every night in major cities in Japan.

Tune: “Feed the Duck a Mandarine,” from Live at 求道会館
Artist: John John Festival

Japan is home to lots of great Irish, Scottish, and Celtic musicians. Like Mana Okubo here on fiddle. And like Yuka Nakafuji.

Yuka Nakafuji) I love Irish music, because it’s not only music. So friendly. Good food, and drink.

Yuka lives in Tokyo. And she and her band tricolor have picked up on the fact that there’s a lot more than music behind Irish and other Celtic traditions. And her guitarist husband Koji Nagao and accordion-playing friend Hirofumi Nakamura all value those extra non-musical elements of trad culture.

I know they really do, because I travelled with them all around Tokyo, Takasaki, Kawaguchi, Kofu, Nagoya, Ise, and Kyoto. I also met up with flute players Hatao, Tomoyo Sugai, and Kozo Toyota. And concertina player Minako Kondo. And I checked in with uillleann piper Joey Abarta and bouzouki player Aaron Jones about their experiences with the trad scene in Japan.

My goals are to learn why and how Irish music has struck a chord in Japan. And to tell you the story of three candles on a cake. And how they summed up years of friendship, collaboration, and community.

* * * *

Before I tuck into this show about Irish music in Japan, my son Nigel and I want to thank our sponsors:

THANK YOU to Gerry Corr, Chris McGlone, Sally Tucker, Jeremy Keith, David Vaughan, Chris Murphy, Brian Benscoter, and Joe Garrett.

Thank you for donating this month, and helping me build the show. To support future editions, please head to IrishMusicStories.org. And thank you.

* * * *

So here we go, an Irish Music Stories exploration of the Irish tradition … in the Land of the Rising Sun.

Tune: “Lorient,” from キネン (kine)
Artist: tricolor

This is the first track off of the newest album by tricolor. Or as they say in Japan Hatao & Yuka pronounce tricolor

The band (sort of randomly) took its name from the French word, Tricolore. Mostly because the image of the French flag is hip in Japan.

But also, each of these musicians has a unique style and color: Fiddle, accordion, and guitar. Blue, White, and Red…. like the French flag.

Or, to be more primary color about things, maybe “Red Yellow Blue.” That’s the name of the tune that I wrote for the band. More on that in a bit.

tricolor has been playing traditional and original Irish music together for a decade. And while some Japanese people started playing trad music during the folk boom of the 1970s, fiddle player Yuka Nakafuji with her guitarist husband Koji Nagao and accordionplaying friend Hirofumi Nakamura are part of a wave of musicians who are helping to ignite even more interest in Irish and Celtic music in Japan today.

Wherever they play, a community of music lovers AND fellow musicians surrounds them.

For their album release tour last month, I had the pleasure and privilege of performing with them. All the gigs were special events. Really, really great. But their hometown show at Senkiya took the cake.

Tune: “D Big Build,” from Production Music Made for Irish Music Stories
Artist: Matt Heaton (guitar)

Literally.

Because Hide who owns the venue (and who is hilarious) presented us with a cake at the end of the show.

He asked the audience to clear their chairs after the encore. And then he brought out
this cake with three lit candles: one red, one yellow, one blue. And he whipped everybody back up into a frenzy. We played one more tune. There was a big dance party. It was great.

And I didn’t want it to end! Because I knew once we’d finished, Hide’s friends would tear down the stage backdrop they had spent hours building.

And when I say ‘backdrop,’ I mean a 10-foot high, 16-foot wide set design. A living landscape. Built by the husband-and-wife team Otogisha. Now, this is a professional design firm that specializes in organic-style decorations for stages and other special events. But this one was personal: they’re big fans of the band. And they had asked Hide at the venue if they could make something special for the tricolor show.

They built a tree. Adorned it with ferns, cherry tree branches, bamboo, flags, and lanterns…

Shannon) So It must have taken them a long time

Hirofumi Nakamura) Yes I think so. I heard they prepared from the night before.

Shannon) It was absolutely beautiful And after our performance, they took it all down.

Hirofumi) Haha! Yes. It took maybe only a half hour

Shannon) To take down all that work.

Hirofumi) Very quickly.

That’s Hirofumi, the accordion player. After the show, he loaded the van while the backdrop came down. And while we finished off the last of the food that Hiro’s wife Shiori had prepared: a gourmet 10 dish meal for nearly 100 guests, in honor of tricolor’s 10th anniversary, and the venue’s 10th anniversary.

It was a colorful, candle-topped celebration.

And while we ate the cake, the Otogisha van, with the last of the backdrop foliage, drove away. The last audience members dissipated. And it was over.

But it wasn’t really over. Because many people at this show will meet again. Many of the people in that audience, and at other tricolor shows, are Irish musicians. Like Tomoyo Sugai who joined us for a few tunes during our set in Kofu. She did a year of Irish music studies at the University of Limerick:

Tomoyo Sugai) Hi, My name is Tomoyo Sugai. I play the Irish flute.

Shannon) And you studied in Limerick?

Tomoyo) I used to study in Limerick, at the University of Limerick for a year

Shannon) And why did you start to play Irish music?

Tomoyo) Because I fell in love with the country, Ireland itself. And then I started the music to get to know the country more.

Tomoyo was an exchange student in Ireland, learning English and living with a family in Limerick, before she got serious about the flute. I wondered what it was about the country that first appealed to her:

Tomoyo) Something attracts me. I don’t know why. But something attracted me. Maybe it was destiny

Shannon) YES, it was destiny. And I think it’s our destiny today to play together. I can’t wait to play our tune together!

Tomoyo) Me, too.

For the show with Tomoyo, the audience sat on tatami mats on the floor. Of course, everybody was speaking Japanese. And still, the whole thing was very rooted in the Irish tradition. The tunes, the rhythms. It was all IRISH.

Tune: “Bluebells are Blooming,” from Thousands of Flowers
Artist: Tomoyo Sugai

And it was also very modern BAND-ish. Like many groups from Ireland, Scotland, America, and beyond, tricolor has this band sound. They write a lot of their own tunes. They add grooves and riffs. They have colorful harmonies. There’s a lot of variety and catchy appeal in their arrangements.

Nothing so Japanese about it, really. It’s a modern, commercial, Celtic band, which is familiar to me.

If I’d had any of my own amazement about all the trad music players in far off Japan, it was quickly fading. And turning into easy enjoyment of great music, wonderful company, delicious food… and celebratory cake.

Tune: “Red Yellow Blue,” from キネン (kine)
Artist: tricolor

So, the cake gig with the stunning stage backdrop– this concert was, in a way seven years in the making.

(YUKA starts story in Japanese)

It all started when Yuka sent me an email. She told me about her band tricolor. Said they were recording a new album. Their third album. And they wanted to record my tune “Anniversary Reel.”

That was back in 2012. And we stayed in touch.

Then for Tricolor’s 10th anniversary, Yuka invited me to compose a tune for the band. I wrote “Red Yellow Blue,’ thinking of the three of them—Yuka, Koji, and Hirofumi, each as a strong primary color. And when they combine, they create a multitude of hues, and moods together.

Yuka wrote a tune to go with it, called Contrail. She imagined a blue sky, with three brightly colored paper airplanes flying in the wind. We recorded the whole thing remotely. And we liked the process so much, we decided to try it in person for tricolor’s 10th anniversary tour, and bring our remote collaboration and friendship, from long distance dream into real life.

I learned a few Japanese phrases, packed a good book and my Nidra sleep mask for the plane. And 20 hours later, I was sitting in a rehearsal room with my pals, running through our set for the shows.

If the experience had ended there, it would have been great enough. But we went on to do concerts around the country. We got to travel together and eat meals together. We played in sessions together. We went to an Owl cafe (where this creepy old owl fell in love with me and flew back and forth over my head. He was weird and not super gracious.)

But except for my owl suitor, everybody else was so yashashi—so kind. And so gracious about speaking English with me:

Tune: “Slip Jig Dreams,” from Production Music Made for Irish Music Stories
Artist: Matt Heaton (guitar)

Shannon)THANK you for speaking English with me, because I can’t speak Japanese. But also we don’t have to speak words

Yuka) I cannot English well, but Shannon and I play music together. It’s so great!

Shannon) It’s so great…

Tune: “Aghaidh Jhanuis,” from Guitarscape Artist: Hirofumi Nakamura

Yuka Nakafuji knows what it’s like to make connections with people, even when you’re not fluent in a language. She knows what it’s like to be a fish out of water. She went to Ireland when she was a teenager:

Yuka) When I was a child I went to Ireland. I can’t speak English. But I went to Irish session. Everybody said, “Welcome. Join the session!” So I played Irish music with Irish people, It’s so fantastic for me.

The thing that GOT Yuka to Ireland—and to Irish music in the first place—was hearing the Irish band Altan. Her family friend gave her a ticket to the Altan’s first ever tour of Japan, and she was mesmerized.

Tune: “Mill Na Máidí,” from Harvest Storm Artist: Altan

YUKA: I had never heard Irish music. And I felt so excited. And I also wanted to play this music!

After hearing Altan, Yuka headed to Walton’s New School of Music in Dublin for a month. There she met fiddle player Brendan O’Sullivan. He showed her the ropes. And he taught her about rhythmic ‘lift’:

Yuka) Irish music and Japanese old folk music is similar melody. And the count is 1234. But we don’t have the…

Shannon) You don’t have the upbeat?

Yuka) Yeah! Ch-ch-ch-ch

Brendan taught Yuka how to play with rhythmic style, and made her feel welcome in Dublin. And just as Yuka had been welcomed in Ireland, she opened the door to me in Japan

Shannon) Thank you for welcoming me to Japan. It’s been an honor and a pleasure

Yuka) YES! My pleasure. And my dream!

Shannon) Mine too

Yuka) Arigato-gozaimas!

* * * *

Arigato-gozaimas and thank you for listening! Here’s a short message from my son Nigel

It takes a lot of time and a lot of travelling to create this show. If you can kick in, just go to IrishMusicStories.org. Any amount helps. Thank you.

* * * *

You remember the accordion and bouzouki player Hirofumi. His wife Shiori is the chef who catered our show with the backdrop and the cake. Hiro and I chatted before one of our shows about how he got the Celtic music bug:

Hirofumi) At first I was inspired from the Japanese singer songwriter Akeboshi.

Song: “Messed Up Mind,” from After the Rain Clouds Go
Artist: Akeboshi

Hirofumi) He used to live in Liverpool, UK. In his work, in his compositions, sometimes it’s with tin whistle or atmospheric fiddle. Sometimes (sings jig rhythm), rhythm of dance tunes. So I love his style of composition.

Tune: “Sabai Sabai,” from Production Music Made for Irish Music Stories
Artist: Matt Heaton (guitar)

Hirofumi liked the sounds and the rhythms of Irish and other Celtic music styles. And he was drawn to the social aspects of the tradition. He added accordion, bouzouki, and guitar to his repertoire of instruments, so he could play easily with other people:

Hirofumi) I started my music career from classical piano. So I always play alone. But Celtic music style is unison with my friends. So that thing is very enjoyment for me.

Shannon) Yes, it’s very social.

Hirofumi) Yes, social. I can communicate. That thing is very good for me.

It IS really good—for a lot of people. In Ireland, in the States, in Japan.

Interest in Irish music and Celtic culture started taking root in Japan back in the 1970s. It was a small community back then—just a few folks who took up instruments after hearing bands like Steeleye Span, and Fairport Convention, and The Bothy Band. They weren’t finding trad bands on YouTube, or learning tunes from online tutors, or seeing performance photos in social media feeds.

But that small group got a big boost in the late 90’s—near, far, and wherever people are.

Song: “My Heart Will Go On (Love Theme from ‘Titanic’),” from Titanic (Music from the Motion Picture)
Artist: James Horner & Céline Dion

Around the world, the movie Titanic and the dance sensation Riverdance raised interest and awareness of Irish and Celtic music and culture. Irish pubs popped up in Tokyo and Kyoto. And those pubs started weekly sessions. With more public performances of Irish music, more folks caught the Celtic bug.

Tune: “G# Fade In and Out,” from Production Music Made for Irish Music Stories
Artist: Matt Heaton (guitar)

And now, two decades later, Japanese musicians are still finding trad. Hirofumi attributes this to social media, but also to real life encounters, like concerts and music clubs:

Hirofumi) I was a university student, there was a Celtic Music Club. Our friend Kozo Toyota who plays flute, he made that club in 2005. So I saw them playing. A very good atmosphere. And I loved to join. So I started to play Celtic music.

Hirofumi went on to build his life around trad music. He performs with several Japanese Celtic bands, including a project with Kozo Toyota, the guy who founded the Tokyo University Celtic Club. That’s the club that got Hiro started in the first place.

Tune: “Roundabout,” from Via Portland
Artist: O’Jizo

Kozo Toyota has been a driving force in popularizing Irish music in Japan. He has performed and recorded extensively throughout the country. And he’s taught a number of younger players. He also took the Toyota Ceili Band to compete at the All Ireland Fleadh in 2016. That’s the annual Irish music competition that brings in half a million people each summer.

Kozo and I chatted before a special session at the Tokyo Irish pub An Solas. He told me about his brass background as a half dozen other Irish flute players were setting up for the night.

Kozo Toyota) I used to play classical music before. I used to play the trumpet. But Irish music is very unique, because there a lot of bands that consist of familie —like a brother and sister, or father and daughter, or a couple. It’s very special compared with classical music.

Shannon) So you took Irish music from Japan over to Ireland to compete in the Fleadh. What was that like for you?

Kozo) Nervous! But it was a very nice chance to improve myself. And to see a lot of great musicians.

Tune: “An Paistin Fionn,” from Gathering Cloud
Artist: Toyota Ceili Band HP

Kozo told me in college he specialized in ethnomusicology and music education.

Kozo) Teaching is one of my most important things. The younger students are amazing. A lot of students are trying to learn Irish music and dance. And actually Irish people are very surprised; because in Ireland, only old people enjoy set dancing. But in Japan, young students are amazing.

Shannon) Yeah? Okay, let’s play some tunes!

Tune: “Father O’Grady’s Trip to Bocca,” from Session at An Solas
Artist: Tokyo Session musicians

Before Kozo Toyota came on the Tokyo scene, flute player Isao Moriyasu and his concertina and harp-playing wife Masako were influential figures for young musicians. They travelled and played extensively throughout the West of Ireland, traveling with the names Paddy and Bridget
[Paddy & Bridget at Custys, Feb 2010: https://www.youtube.com/watch?v=BkpAWeqWn3g]

Back in Japan, Isao published books to help Japanese players. And from there, many young musicians began making pilgrimages from Japan to County Clare. And more sessions popped up in Tokyo, Kyoto, Osaka, and smaller Japanese towns.

When I met concertina player Minako Kondo after a show in Kofu, she told me that as of last December there were 55 venues all over Japan with regular Irish music sessions. And she would know. She did her master’s thesis on the subject. And learned, not surprisingly, that big cities have the largest trad populations.

But Irish music is also played in public sessions in 20 of Japan’s 47 prefectures. Even in Hokkaido (the north island) and Okinawa (the south island).
[All over Japan…38; In Tokyo…12; In Kyoto…3; In Osaka…2]

Minako used to play in sessions regularly when she lived in Tokyo. But these days she is doing more solo playing:

Minako Kondo) There are many sessions in Tokyo

Shannon) And now you’ve moved here, 2 hours from Tokyo. How’s the Irish music scene here?

Minako) We don’t have Irish sessions here

Shannon) So what do you do for music these days?

Minako) I’m playing the concertina by myself at my home… just practice.

As Minako reported, there are more Irish music venues—and musicians—in bigger cities. After the tricolor show in the big city of Kyoto, four of the musicians who’d come to the gig invited us for super-charged flute tunes after the show.

Here we are, live at the Gnome Pub, in the basement of the SSS building, just down the
road from the Kyoto Imperial Palace.

Tune: “Noisy Curley,” from Session at The Gnome
Artist: Kyoto Session musicians

It was at Irish music sessions like this one that Boston-based uilleann piper Joey Abarta forged friendships during his year in Tokyo. Joey played for a show at Tokyo Disney Sea

Joey Abarta) It’s a water-based theme park. They have the Little Mermaid, 10,000 leagues under the sea. But then they also have a recreation of a Cape Cod village.

Tune: “Trip to the Jacks, Where is the Cat,” from Music from Sliabh Luachra
Artist: Jackie Daly, with dialog/welcome from employees at Disney Sea Cape Cod Village

Shannon) Wow.

Joey) Yeah, it’s pretty trippy.

Shannon) And they wanted a piper for that?

Joey) Yeah, they kind of put together an immigrant band. That was like the theme. So they brought people over from New York, Australia….

Shannon) Wow. What an unusual way to go to Japan.

Joey) Yeah. It was really trippy.

Shannon) That was your day job?

Joey) That was my day job.. And I would always be rushing out of there and going to sessions. …
And there was one almost every night. The funniest thing is I would go out alone. I don’t speak Japanese yet. You know, it’s my first month or so there. Finding the sessions and then meeting everybody at the sessions, it was like this whole crazy adventure. When I look back at it, it’s unbelievable. Because streets don’t work in Tokyo like they do here. The streets go forward and backward, but then up and down. So something might be on this number building, but it’s on the seventh floor.

Shannon) Yeah, that sounds like a pretty daunting experience for a 20 year old. And yet you had this organizing element of playing Irish music. So if you could find the places, there was a built in community of people that you could probably trust.

Joey) Yeah, totally. That’s one of the gifts of Irish music…. Everywhere you go, you have somebody that is your friend. And if you don’t know em, you’ll know em quickly enough.

Tune: “D Major Walk Down,” from Production Music Made for Irish Music Stories
Artist: Matt Heaton (guitar)

Joey made a lot of friends, and played a lot of music, and went to a lot of bars during his year in Tokyo.

Joey) I would go into these bars. And you could hear the music. But they still smoked in the bars— I think they still do now even. It’s legal to smoke in bars. And you kind of waft through all this cigarette smoke. And there’d be all these players sitting in the back. All Japanese, playing music that would be the same as anywhere. And you could sit down and none of them can know English. But you could sit for three hour,s and drink and have a good time, and kind of mess around and play music with them. And it was a really interesting thing. I thought.

The people in Japan that started playing, they did what I did. Their parents don’t play Irish music. They just heard it one day and they were like, oh, I really want to get into this. And then they’d step by step, they’d go to Ireland for festivals. They’d seek out people that can play, they take lessons from them. So, it’s same exact thing. It’s the same thing that kind of drives me. It’s just when I heard it, I just wanted to hear more and more and more.

I just kept meeting people. It was crazy. Like I would go to one session, I would hear about another one. And you can go out and play almost every night of the week, you know? I enjoyed it a lot. All the people were really, really kind.

And yeah, Joey is also kind. And he likes bringing people together, too.

Tune: “Bonny Bunch Of Roses/The Ashgrove,” from Swimming Against The Falls/ SnámhIin Aghaidh Easa
Artist: Joey Abarta

Joey) Well, when I was there, I wanted pipers to get together. So I basically got the word out to a couple that I knew in town. And they told some people. And they told some people. And I said, we’ll just call it the Tokyo Piper’s club. We’ll meet at my house, listen to music and then if people want, will teach each other tune or whatever. And we started doing that. And people would come from three hours, four hours away on the day off. And one of them who lives in the north of Japan that I met at probably one of the first sessions I was there, his name is Makoto Nakatsui. And he is now probably one of the best uilleann pipe makers in the world, not just Japan.

Shannon) Wow.

Joey) I remember even if we couldn’t get together at a house, somebody would sort out renting a karaoke place. Karaoke in Japan is super serious. You have your own private room sound that’s sound proof. So we weren’t doing karaoke, we were just playing pipes. Because they don’t care what use the room for. We just brought all our pipes in. And a door would open up, and beer and appetizers would come through. And then we’d sit and drink beer and play. It was really weird. … but … they were really, they were really into it. And they would go above and beyond to get to people together.

Making a real effort to get people together. And investing in special touches like beer and appetizers in a karaoke room. Or a gorgeous tree backdrop. Or a 10-course meal. Or an anniversary cake. This is the universal language of celebration. And I’ve been lucky to experience many celebrations all over the world—in Ireland, Italy, Thailand, and New England (when our friend Phill McIntyre adorned a staircase with dozens of white birch branches and hundreds of Christmas lights for a special holiday show).

Tune: “Heartstrings,” from Production Music Made for Irish Music Stories
Artist: Matt Heaton (guitar)

But there was a particularly consistent dedication to food, drink, and hospitality—and cake—that I experienced at traditional music events in Japan. And this reminded Joey of another CAKE story, that involves the singer Sting,

Joey) You know what was a great Christmas album, one of my favorites: Sting?

Shannon) Hahah!

Joey) And he sings this old English song “A Soul Cake “ You know that?

Shannon) No, I’ll have to check it out.

Joey) Haha! But anyway, I remember around Christmas there was this English woman, who I think was in her seventies then. And she used to come in with a full trolley cart of percussion. She played bodhran. And she was like maybe five feet. And she was living in Japan for a really, really, really long time. And she was a real time translator of Sumo matches.

Shannon) Wow.

Joey) That’s what I remember. But she used to sing that song, “A Soul Cake, A Soul Cake.” There was one part says, “Two for Peter, one for Paul, [pause] one for the Lord that made us all.”

Shannon) And she would cross herself every time?

Joey) She would put her hands together like a prayer. And then she would sing another verse. She would do that again and again and again. Just a character, you know, like all those ex pats that were around. But she would play like tambourine, she would play bells. You would have egg shakers, a bodhran.

Shannon) So the eccentricities that you experienced in Japan were from expats?

Joey) Right!

Song: “Soul Cake,” from Broadway’s Carols for a Cure, Vol. 16, 2014
Artist: The Broadway Cast Of “The Last Ship,” feat. Sting

There were no tiny English singers at our session in Kyoto, where I played tunes with Hatao.
Just lots of jigs and reels, and good laughs. And we continued our hang the next morning in Hatao’s lovely Celtic music shop:

Tune: “Grupai Ceol Memories,” from Production Music Made for Irish Music Stories Artist: Matt Heaton (guitar)

Shannon) I enjoyed the tunes last night

Hatao) It was a great night

Shannon) It was. And here we are in your shop. It’s beautiful.

Hatao) Ah, yes, we opened just one year ago. But before that, we were in business for seven years. And we sold lots of whistles and flutes.

The CeltNoFue store, which is Japanese for Celtic Flute, is upstairs from the Field Irish Pub. The upstairs shop is small, beautifully organized, and FILLED with Irish whistles and flutes. And also harps and dulcimers, bouzoukis and mandolins, bodhrans and banjos, and really nice accordions. And well-curated sheet music and CD collections, featuring Japanese Irish musicians prominently). Hatao is committed to promoting local musicians.

Hatao (his full name is Tomoaki Hatakeyama) calls his shop a tribute to the Irish music that he loves, that changed his life. He started playing when he was 18.

Hatao) I started playing tin whistle when I was at university. That was the year the movie Titanic made a huge hit in Japan. So I also went to theater to watch that. And I heard the sound of the tin whistle for the first time. But I didn’t know what instrument it is.

Tune: “Bb Whistle Set,” from Kitchen Recording circa 2008
Artist: Matt & Shannon Heaton

One of his friends played Irish fiddle and oriented him. He helped him find a tin whistle.
And then Hatao got to work

Hatao) I listened to CDs again and again. And I tried to copy everything. When I was younger, I went to sessions every Tuesdays and Saturdays. I was very motivated and enthusiastic to learn tunes. So I recorded everything. And I practiced a lot.

In his early days, Hatao performed with an Irish band. But these days, he is adamant about NOT playing Irish traditional music as a professional musician. He focuses on his own compositions instead, and feels most comfortable performing in Japan, China, Taiwan, and Korea.

But he loves Irish music. As he says, he still has the trad music bug, and is still listening, learning, and respecting Irish music. One of his biggest early influences—that helped him mature as a musician, and find his OWN voice—was flute player Isao Moriasu (AKA Paddy):

Hatao) Isao Moriasu and Masako… I read all of his books when I was a student. His first book about Irish music was published in 1997.

Tune: “Celtic Grooves,” from Production Music Made for Irish Music Stories
Artist: Matt Heaton (guitar)

Hatao) That book invited lots of young people to Ireland. Because of him…

Shannon) You went to Ireland.

Hatao) Doolin, Ennis, Ennistymon.

Shannon) And did you feel welcomed?

Hatao) Yes. It was much different from these days. Less tourists. The first time was in February, so it was very quiet. I remember quiet pubs, with fireplaces. I was very lucky to be able to go to Ireland in the late 90s. Because there was no smart phone. No LCC (low cost carrier)

Shannon) No Ryan Air?

Hatao) We say LCC. And very few tourists. Few Asians in Ireland. So it was very special for me. Nowadays, if you go to Ireland in the summer, you see lots of Japanese, even Chinese, Korean, Taiwanese playing Irish music. Irish people get used to it— seeing Asian people playing Irish music. But in the late 90s it was so special even for professional musicians in Ireland.

Shannon) Special like unique and people weren’t used to it? Or special like you did not feel welcome?

Hatao) Hmmm. In late 90s, I was looked at like an alien. Special people from Asia.

Shannon) You stood out?

Hatao) I stood out. And kids chased me

Shannon) They chased you? Did you run away?

Hatao) Hahaha. They want to take photo with me.

Shannon) How did you feel?

Hatao) I also felt very special.

Tune: “さかさまの道,” from ⾬雨つぶと⾵風のうた Songs of Raindrops and Breeze
Artists: hatao & nami

In addition to getting chased and feeling ‘special,’ Hatao also felt musically discouraged. His early enthusiasm and confidence was put to the test in Ireland:

Hatao) I found that even high school students can play very well there. And I found no place in this music, as a professional musician. That was a most tough time for me.

Shannon) You felt discouraged?

Hatao) Yes, disappointed about myself.

But he didn’t give up. He kept learning. And he contacted flute player and flute builder Eamonn Cotter for a few lessons:

Hatao) I looked up the name of my flute maker. And that was Eamonn Cotter. And I called him, said I was from Japan and I want to learn a few tunes from you. And he said okay, please come. And he lives in countryside.

Shannon) Did you hitchhike there?

Hatao) Haha! Yes!

Hatao learned a lot, thumbing around Clare in the late 90s. And he brought new skills— and a new perspective—home to Japan:

Hatao) When I came back from Ireland I was around 25. And I started to play MY music. I tried to compose my pieces. And still I am doing that. So I am not a professional Irish musician. But I’m just a flute player.

Tune: “⽉月をさがして,” from ⾬雨つぶと⾵風のうた Songs of Raindrops and Breeze
Artists: hatao & nami

Hatao) I enjoy Irish music, and I am still learning it. But my focus is creating my music.

Shannon) I feel the same way. As an American, to find my place in Irish music for a long time was discouraging .

Hatao) But you have heritage in your family?

Shannon) Well, yes. But I’m an American person. At times, I admit, I have not felt always welcomed.

Hatao) Yeah… In Ireland. I found that Irish music is a social, and cultural, and even historical. And I cannot cut only music from this cultural background. So in pub sessions I didn’t even understand… I didn’t get their jokes.

Shannon) Right. There’s language. And then there’s the language of humor. It’s very different in different places.

Hatao) Humor is very important in Irish music

Shannon) I think so

Hatao) But I found that very difficult for me. I’m too serious always

Shannon) Well… So Irish music can balance you

Hatao) Yeah

Shannon) Last night at the session, we had music, drink, and a lot of conversation. It was very social. Is that not normal?

Hatao) Sometimes fewer conversations. No jokes.

Shannon) Well, maybe we can change that a little bit. I certainly want to be respectful and go with the flow, here in Japan. But maybe a little humor…

Hatao) It was a very good atmosphere last night.

Shannon) It was fun.

It was fun. And the music was on a very high level. Though during my trip I did meet newer players who, though technically proficient, seemed to be missing some of the dimension and context of the music. Here’s piper Joey Abarta again:

Joey) Some people in Tokyo would be like when we all started out: maybe listening to what I call big, big bands in Irish music, like Danu and Dervish.

Right. They’re listening to modern ensembles assembled for performance. Bands who, in fact, DO play good traditional music. And have put tunes into sets, and worked out their own dressy variations. And have given the sets of tunes short titles like “The Sunset Set.”

Joey) When you learn a set, and it’s called “The Sunset Set”—that’s kind of where… well, they’re doing the same. Because they’re very serious. So they learn all the same variations. Everything very, you know, precise. That’s not really Irish music, in a way. You know what I mean? But that’s what I did when I started. I copied all that stuff.

Yeah. Newer, usually younger players around the world over can start here. They get into some band, and then they start copying what they do. Copying the tunes they play, the way they play them. Instead of internalizing the tunes. And weaving them into their own repertoire and style. That’s not really a Japanese thing. It’s just a new musician thing.

When flute player Hatao started playing, he admits that he listened to popular players like Michael McGoldrick and Matt Molloy. And he tried to sound just like them. (So did I).

Then he learned more. And he found his own music and SOCIAL voice.

Hatao) When I was younger I was very shy. And I just didn’t stand out by any means.

Tune: “Meditation,” from Production Music Made for Irish Music Stories
Artist: Matt Heaton (guitar)

Hatao) I was bad at sports. And maybe I am good at studying. But I was very shy anyway. I found Irish music. And if you play Irish music you need to communicate with people. Even if you don’t speak, you express yourself through music. So music helped me a lot. And through playing Irish music I made lots of friends. And gradually I got used to speaking about myself. And so music changed me a lot. And I want students to experience the same thing. That through music, we communicate to each other, learn from each other.

Tune: “ちゅうちゅう奥さんのポルカ,” from enishi
Artist: hatao

I learned a lot from my short time in Japan. Like how similar the Irish music journey can be for players, no matter where they come from. Like how important the trappings and the celebrations that surround Irish music are. Like how lucky I am to have found this global Celtic community. And how we can     all be keepers of these traditions, when we share them.

Scottish musician Aaron Jones has visited Japan with his band Old Blind Dogs. He took note of the active community in Japan:

Aaron Jones) In Japan, the scene there is incredible. You know, the the standard of musicianship, it’s brilliant. They’re engaged in not just the music, but the culture. And the attitudes to life. And it’s, it’s great to see.

But I think Celtic culture, it’s not necessarily a hedonism; but it’s a release that a lot of people like the excuse to have. So that appeals to people. We all work very hard. We all have our crosses to bear. And so once in a while it’s nice to have an excuse. And Celtic culture tends to engage that, that need in all of us. Which is I think why it’s universally appealing.

Plus, you know, the rhythms are easy to tap your foot along to. I think that’s what is the success of Riverdance—it’s just really approachable. It’s not rocket science. It’s just fun, uplifting music, and people clearly having a good time.

Tune: “Dark Haired Lass/Biddy from Muckross,” from Blackwater
Artist: Altan

It was that good, fun time that lured fiddle player Yuka Nakafuji in, when she saw Altan perform. When she experienced this excited audience, and joyful musicians making eye contact with each other.

And also the tradition of melody instruments playing in unison struck Yuka as part icularly resonant for Japanese people. Instead of taking turns soloing, traditional musicians aim to blend and match. THAT’s how
Irish musicians lift up the music—and each other.

Yuka) Irish music = same melody.

Shannon) Unison melody?

Yuka) Yes. It’s good for Japanese, I think. So, everybody together. I love this.

With 24/7 online access to Irish music, and social media streams that reach across borders, it should be no surprise that there’s a community of Irish musicians and dancers in Japan.

And yet, the idea of a Japanese Irish fiddle player can be more surprising than, say, a Boston Irish musician. Maybe because Boston has a big Irish population. Maybe because there’s no language barrier. Maybe because it’s only 6 hours from Boston Logan to Shannon airport..

Yeah, the flight to Tokyo is much longer. And the Japanese language has, of course, a
very different feel from English or Irish.

And to remove your shoes as you enter a venue, and then tuck into a set of Irish reels… …well, perhaps there’s something a little strange about this combination.

Until it’s not so strange. Until it’s just back to music and dance and community. Until it’s just friends playing music together, and blowing out candles on an anniversary cake.

Tune: “Anniversary Reel,” from tricolor BIGBAND
Artist: tricolor

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Irish Music Stories was written and produced by me, Shannon Heaton. Thank you to Yuka, Koji, Annie, and Shiori for showing me around their country. Thank you to Matt Heaton for the production music. Thank you, Nigel, for acknowledging our sponsors. And Thanks again to Gerry Corr, Chris McGlone, Sally Tucker, Jeremy Keith, Chris McGlone, David Vaughan, Chris Murphy, Brian Benscoter, and Joe Garrett for underwriting this month’s show. If you can kick in, there’s a donate button at IrishMusicStories.org. Every little bit helps. Thanks again for listening, everybody.

Track: “Tawny Owls 2,” from stereo field-recording of two male Tawny owls
Artist: Benboncan, used by attribution license

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