【バックナンバー:クラン・コラ】Issue No.282

アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。

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クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.282

アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
Editor : 竹澤友理
November 2018

Jean-Michel Veillonコンサートツアーを振り返る:hatao

このメルマガで度々紹介しておりました、フランス・ブルターニュのフルート奏者Jean-Michel Veillon(以下ジャンさん)とギター奏者Yvon Riou(以下イヴォンさん)の10/31〜11/12の13日間にわたる初来日ツアーが無事に終わりました。ご来場くださいました皆様にはお礼をお伝えいたします。

今回は台北・関西・関東の11会場でコンサートとワークショップを開催し、300人以上の方に参加いただきました。すべて私一人で企画・実行しました。素人公演ですから赤字になるのではと心配でしたが、結果的にはなんとか黒字で終えることができました。

ツアーを振り返り、今後につなげていきたいと考えています。

<ツアーの収支>

どんなに内容が良くても赤字が出たらイベントは失敗です。二人からは、交通費+宿泊費はすべて経費とし、飲食費は各自持ち、宿泊はホテルのシングル、出演料は別途各コンサートごとにウン万円という条件を出されていました。

私がプロのエージェントではないことと、ジャンさんの「小さな会場でもいいからできる限り空き日を作りたくない」という意向を汲んで、出演料についての条件は免除してもらいました。

ただし赤字が出たら私がすべてかぶり、CDの売上は別途全額を渡すことは絶対条件です。関西での宿泊は経費節減のため自宅を利用しましたが、結果的に彼らもゆっくりでき、疲れずに済みました。

経費は自分の分も合わせて70万円ほど、経費を引いた利益はそれなりのまとまった金額が出て、CDは110枚すべて売り切れました。これにはお二人とも満足していただき、「また来たい」とおっしゃっていただけました。言い出した時点で赤字は覚悟の上でしたが、持ち出しはなく、自分としてもほっとしました。

<反省点>

初動の遅れが最大の反省です。出演交渉は2017年のうちに終わっていたのですが、2018年前半は楽器店の開業に集中しており、実際にコンサート会場のブッキングを始めたのは2018年の6月からでした。

チラシを配布開始したのは7月で、半年前には作っておくべきでした。ホテルの予約に至っては10月に入ってからで、条件の悪いホテルばかりでした。もっと早く動いていれば、音楽ホールや労音さんに企画を買い取ってもらうこともできたかもしれません。また、リスクを減らすために次回はクラウドファウンディングを検討したいです。

ブッキングについては、ある会場では人が集まらず、赤字すれすれになってしまいました。一箇所の人数が多いほどチャージバック率など経済効率性が上がるので、小さな会場で連日開催するよりも、100人収容の会場を3箇所くらいに絞ったほうが良かったです。

台湾公演については今回は彼らがたまたま取った航空券が台湾のエバー航空のものだったので、思い入れからコンサートを企画しましたが、私の渡航費で利益が飛んでしまいました。期待していた観光も一切できませんでした。

東京はホテルや駐車場が高く、また都民の平均収入も高いようなので、東京だけ入場料を高く設定しても良いかもしれません。

CDは200枚あっても良かったと思います。これらを改善すれば、もっと余裕のあるスケジュールで日本を楽しんでもらい、より多くの出演料を渡せたはずです。

<運営>

今回は私一人で企画、宣伝、販売、会計、料理や洗濯などお世話、荷物の運搬、運転、通訳から前座まですべてワンオペで行ったツアーでした。2週間予定を空けてくれるスタッフなどいるわけもなく、いたとて人件費を支払えませんでした。

それは問題なかったのですが、彼らより早起きして支度して彼らより遅く寝ていたので睡眠不足が辛かったです。最も心配だった運転は意外と問題ありませんでした。そのうち何かあるとジャンさんから「ハタオ〜!」と呼ばれるようになったので、すっかりお世話役が板につきました。

<主催者の意義>

毎日奇跡のような演奏を観ることができ、ファンとして、音楽を学ぶものとして最高に幸せな日々でした。毎日たくさんの音楽の話を聞き、ワークショップも含めて自分が一番勉強になりました。

また、hatao & namiの演奏を3日間見て肯定的なコメントをいただき、いま取り組んでいることに自信を得られたこと。次に出版するフルート教本に、直前になって多くの付け足すべき内容を教えていただけたことは、お金を払っても得られないことでした。

音楽を学ぶ人は、世界的な一流の演奏家や先生を日本に招いてイベントをすると、先生との結びつきが強まり勉強になりますから、短期留学よりもずっと効果的な学びが得られることと思います。音楽以外に企画や宣伝の上でも勉強になりました。

<宣伝>

今回はチラシ6000枚(配りきれず2000枚以上が余りました)、SNS、YouTube、楽器店のメルマガ、お店のホームページを使っての宣伝でした。今考えれば、フランス大使館、日本のブルターニュ関係の飲食店や雑貨店、日仏会館など宣伝協力を依頼できたところがありましたが、当初は思いつきませんでした。

ジャンさんはフランスでは実績があるので、新聞やプロフィールなどフランス語の資料をもらってそれらの機関にPRすればよかったです。

チラシは会場以外に配布先が見つからず、ミュージックプラントの野崎さんに頼んで、Flookのコンサートで配布をしてもらいました。それでもツアーが始まるまでチケットの売れ行きが悪く、ツアーが始まってからSNSを中心に話題作りを頑張りました。多くの方がSNSで良い感想を書いてくださったのも効果があり、後半になって一気に予約が入りました。

日本では知名度が低いブルターニュ音楽ですが、人気のあるアイリッシュに絡めた売り方は一切したくなかったので、そこは私の意地でした。

<ふたりのこと>

演奏が最高なのは言うまでもありませんが、二人の人柄がおちゃめで、演奏以外の時間が楽しかったです。ジャンさんのおとぼけと、無口だけどジャンさんのボケをしっかり拾ってあげるイヴォンさんのコンビは友達としても相性抜群です。

観光にもグルメにも興味がなく、いつも音楽のことで頭がいっぱいで、会場に着くなり楽器を取り出す二人。お腹が空いていても、疲れていても文句を言わず、その日のコンサートを最高のものにしようという集中力は、私には足りないものでした。

時間にルーズで起床時間も出発時間も守れないのですが、そのマイペースぶりも計算に入れて行動したのでストレスにはなりませんでした。

どんな時もユーモアと感謝の気持ちを忘れず、誠実に自分の音楽を届けることにひたむきな姿が最も印象に残りました。

<今後のこと>

赤字を出さずにイベントを終えることができたので、今後は「ケルトの笛屋さん」の事業として招聘公演を手がけたいと考えており、早速、同じブルターニュのフルーティスト、Sylvain Barou(シルヴァン・バロウ)氏にオファーを出しました。今後は大手エージェントは絶対呼ばないような素晴らしいアーティストを呼ぶことで、日本のケルト音楽の振興、ひいてはお店の事業の発展につながれば、好循環を生むことができます。

また、私自身が演奏家でありながら来日公演を企画することは、一般のエージェントが得ることができない多大なメリットがあると感じました。万一公演が赤字になっても、少なくとも私にとっては大きな学びとインスピレーションを得ることができますし、これをきっかけにアーティストとの信頼関係を築くことができます。

以上です。今回の公演に関わってくださった皆様に、改めて感謝いたします。今後もケルトの笛屋さんの活動を支援してくださいますと幸いです。

最後に、本メルマガのライターでもあります、大島豊さんがブログにレビューを書いていらっしゃいます。読み応えがありますので、ぜひそちらもご覧ください。

http://blog.livedoor.jp/yosoys/archives/54861223.html

Colleen Raney——アメリカで伝統をうたう試み・その12:大島 豊

アメリカのケルト系シンガー、コリーン・レイニィの録音を聴くシリーズ。

4枚めのアルバム《Here This Is Home》の2回め。

02. The Boys of Mullaghbawn
アルスター出身の Len Graham の録音が有名な伝統歌。グレアムはアーマー州南部のある地主を讃える歌とする。18世紀後半、ほとんどが不在地主である中で、謳われている Richard Jackson は所有する土地に住み、小作人の面倒をよく見たことで、後世まで名が残った。

A・L・ロイドはじめ、大部分はアーマー南部のこの地方の若者たちが、1798年のユナイティッド・アイリッシュメンの叛乱をきっかけに、複数の罪をかぶせられて流刑になったことを悼む歌とする。

まずは最も伝承に近い歌唱。

Paddy Tunney《The Mountain Streams Where The Moorcocks Crow》, 1975
パディ・タニィ (1921-2002) は母を通じてドニゴールの歌の伝統を豊冨に受け継ぎ、すぐれた声と歌唱で後に続くうたい手たちのソースとなり、手本ともなった。アイルランドだけでなく、イングランドのミュージシャンにも影響を与え、スティーライ・スパンのレパートリィにはタニィをソースとするものが多い。

むろん無伴奏で、ゆったりとコブシを回してうたう。テナーとバリトンの中間ぐらいの声域。

The Irish Country Four《Songs, Ballads & Instrumental Tunes From
Ulster》, 1971
この1枚を Topic Records に残して消えたカルテット。ノーザン・アイルランドをベースとし、そのためイングランドを巡っていてA・L・ロイドの目にとまったらしい。ライナーもロイドが書いている。だが、バンドというよりは、気の合った仲間が一緒に巡っていたけしき。3人のシンガーを擁し、歌がメイン。ダンス・チューンもやるし、個々の腕は水準以上だが、アンサンブルとは言えない。楽器はホィッスル、フルート、ギター、バゥロン、それに “union pipes”。バゥロンはまだ後ろが開放。リーダーはダウン州出身だが、他のメンバーは各々ドニゴール、スライゴ、ベスファストの出身。イリン・パイパーはベルファストでパイプを習っている。マクピーク・ファミリーを筆頭に、ノーザン・アイルランドにパイプの伝統があったのだろう。音を延ばす時にビブラートをかける。プランクシティ〜ボシィ・バンド以前で、その後のアイリッシュ・ミュージックに跡を残してもいないが、この録音自体の質は高い。

この曲は男声1人、女声2人のアカペラ・コーラス。女性メンバーは1人なので、多重録音。男性がメイン・メロディ、女性が上下にハーモニー。ほぼパディ・タニィ版を踏襲するが、コーラスにするため、やや簡素化している。アクセントを強調したリズミカルな唄い方でもある。二人ともかなりのうたい手。

http://www.topicrecords.co.uk/the-irish-country-four-songs-ballads-
and-instrumental-tunes-from-ulster-tsdl209/

Tommy Makem《Rolling Home》, 1989
自身のホィッスルのイントロ。ギター、マンドリンが伴奏につき、後半シンセサイザーが大仰なムードをかきたてる。時代を感じる。メイケムは一級のシンガーだが、ここではショウ・ビジネスに流れた平板な歌唱。他にはレン・グレアムだけが唄っている歌詞を、順番を変えて唄う。最もセンチメンタルな演奏。

Skylark《Light And Shade》, 1992
Gerry O’Connor のフィドル、M!)irt!)n O’Connor のアコーディオン、Garry !)Briain のギターの伴奏。この3人がレン・グレアムをかついで作った一種のスーパーグループである。レン・グレアムはもともと無伴奏のうたい手で、伴奏に載せて唄うのに慣れていない。ここではバックがグレアムに寄り添い、グレアムも何とか伴奏に合わせて、等拍で唄おうとする。それが面白い浮遊感を生んでいる。唄のバックではギターのみで、間奏でフィドルとアコーディオンも加わるが、アレンジはあえてメロディからは外れて引き締める。後半、唄のバックにフィドルとアコーディオンも加わり、厚みが増す一方で、ドローン的な付け方で唄を損なわない。

グレアムはアイルランドで現役1、2を争ううたい手であるその実力を聴かせる。

James Kelly, Paddy O’Brien & Daithi Sproule, 1995
ダヒィ・スプロールが自身のギターをバックに、ゆったりとしたテンポで丁寧に唄う。この歌は誰もが丁寧に唄う。はじめジェイムズ・ケリィのフィドル、後でパディ・オブライエンのアコーディオンが各々に味のあるサポートをする。スプロールはまだ若く、やや硬い歌唱。

The Alias Acoustic Band, 《1798-1998 IRISH SONGS OF REBELLION,
RESISTANCE & RECONCILIATION》, 1998
ハーモニウムらしいドローンをバックにロン・キャヴァナがパディ・タニィ版を、コブシまでほぼそのまま唄う。キャヴァナはキャリアの初めはやんちゃな面が表に立っていたが、このアルバムは終始抑えた演奏で、一級のうたい手であることを示す。抑制が効きすぎて、ほとんど陰々滅々の域だが、賑やかに、勢いよく唄われることの多い歌の、そこではわからない美しさがにじみ出る。

Tramps & Hawkers《The Nightingale》, 2003
3枚のアルバムのある、おそらくはアメリカのバンドで、ジャケット写真からは男性ばかりのカルテットらしい。ここでは男声二人のアカペラ・コーラス。Irish Country Four の版に近いが、声に力瘤が入っていて、悪くない。

Niamh Boadle《Maid On The Shore》, 2015
まだ新人といっていい若手の一人。20代前半と思われる。イングランドのアイリッシュ・コミュニティ生れ育ちの由で、フィドルも弾く。こういうあまり起伏のないメロディの、地味な歌を無伴奏で唄って聴かせられるところ、シンガーとして一級品。

http://www.niamhboadle.co.uk

Dan Possumato《Mostly Melodeon》, 2016
ピッツバーグ出身の、おそらくは60前後のメロディオン奏者で、歌も唄う。ジャッキィ・デイリーの録音を聴いてアコーディオンを弾くようになる。

ここでは、ピアノとマンドリン、ケヴィン・バークのフィドル、本人のメロディオンが伴奏。あっけらかんと明るく唄われるのは、レベル・ソングとして唄われてきたこの歌にとっては、あるいは本来の姿かもしれない。

https://www.danpossumato.com/

コリーンがこのアルバムをアイルランドで録音したのは、一つにはその音楽伝統により深く浸るためという。思惑通り、アイルランドに着いてまず教えられたのがこの歌のレン・グレアム版。グレアムはこれを地主を讃える歌としているが、コリーンは流刑となった若者たちに想いを馳せる。

歌詞は当然グレアム版で、他では聴かれないスタンザがある。イントロとアウトロはスカイラーク版。ビートのとりかたはコリーンの方が巧い、というか慣れている。コリーンはむしろグレアムにならって、なるべく等拍ではなく聞えるように唄う。こういうところがこの人の面白いところで、信用できるところでもある。バックではトレヴァー・ハッチンソンのベースが効いている。

以下次号。

日本のトラッド系アーティストのCDレビュー Shanachie”She Was Under The Tree”:大島 豊

シャナヒーを初めて聴いたのは《TIME BLUE》(2008) でした。もう十年前になる、とあらためて遠い眼になります。今の時代、十年というのはかつての30年ぐらいに相当しましょう。スコットランドやアイルランドの曲やそこに連なるオリジナルを、フィドルと笛とピアノで演奏し、思い切りとセンスの良いパーカッションが引き締めた佳作でした。当時の国産のケルト系の録音では群を抜いたアレンジの巧みさに舌を巻いたものです。そして音楽に対する大胆なアプローチにも感心しました。その代表はラストの〈てぃんさぐぬ花〉で、あえて沖縄の匂いを消し、シャープなパーカッションが拡大するより大きなスケールの中で唄いきってみせた力業は、十年を経ても色褪せません。

5年後の《LJUS》(2013) では変化の大きさに眼を瞠りました。まずピアノが消えて、全面的にハープに交替しています。そして、素材はすべてスカンディナヴィア。ここではまず3人のゲスト・シンガーを迎えての歌に耳を惹かれました。とりわけ歌詞を日本語に置き換えて唄われる2曲は、日本語化の見事さとうたい手の咀嚼消化の徹底に感服しました。全体としてもアレンジはさらに練りこまれています。スキルとセンスともに一段と磨きのかかったパーカッションが、そのアレンジを多彩にいろどります。フィドルも「声」の幅が広がり、楽曲の生まれた場所の空気を感じさせます。本人たちであれ、誰であれ、これを凌ぐ録音を作るのはほとんど不可能とも思えました。

《TIME BLUE》から《LJUS》への変化は《Celtsittolke》(2010) と《Celtsittolke Live》(2012) で少し伺えます。前者ではフィドル、バゥロン、ピアノのトリオによるシンプルな組立てで、アイリッシュを演奏。後者では〈She Moved through the Fair〉が収められていますが、ピアノからハープに交替。

《LJUS》の手応えを本人たちも自覚していたのでしょうか。さらに5年後のこの最新作では、方向を変えています。《TIME BLUE》から《LJUS》への転換に比べれば、一見(一聴?)変化は小さいようにもみえます。

素材は今回もすべて北欧です。スウェーデンやノルウェイ、デンマーク、フィンランドは、各々に音楽伝統の厚い地域で、伝統音楽の現代的展開にも熱心でもあります。アイルランドやスコットランドでもそうですが、音楽のジャンルの間の垣根が低い。とりわけ、フォーク・ミュージックとクラシック、ジャズのミュージシャンたちはおたがい相互交流しています。アバのベニー・アンダーソンは伝統音楽のアコーディオン・プレーヤーとしても知られます。スウェーデンでは1960年代から伝統音楽をジャズに取り入れる試みをしています。1970年代初め以降、ロックの洗礼を受けた若い世代による同時代音楽としての伝統音楽の展開もしてきています。

わが国のミュージシャンたちが、そうした成果に本格的に触れるのは前世紀末、デンマークのハウゴー&ホイロップやスウェーデンのヴェーセンなどを通じてですが、2010年代も後半になって、急速に関心が高まっているようにみえます。京都のドレクスキップと並んで、《LJUS》はそうした動きの先駆けでもありました。

それにしても、このアルバムでの北欧音楽の消化の徹底していることは、他には肩を並べられるものが見当りません。その消化は、精緻を極めたアレンジを施してゆくことで可能になったとも見えますし、またその消化があったればこそ、極限とも思えるアレンジができたとも思えます。あるいは各々が互いにあざないあって、どんどんと深みにはまっていったのかもしれません。

今回は歌はなく、すべて器楽曲。しかし、どの曲も実に「雄弁」です。アレンジの編み込み方は、前作と比べてもほとんど次元を異にすると言えるほどに複雑に緻密になっています。どの楽器が何をやっているのか、うっかりするとわからなくなります。例えば[02]では、ハープからフィドル、ヴィオラ、オルガンへとメインのメロディが受け渡されてゆきます。受取る前も、受け渡した後も各々の楽器はハーモニーに回ったり、裏メロを奏でたり、時にはユニゾンにもなります。どの楽器もメインのメロディを演奏していない時もあります。

こうした手法はチーフテンズのお家芸で、クラシックからの借用ですが、この録音ではチーフテンズのものがごくプリミティヴな試みに聞えてしまうくらい遙かに洗練されています。チーフテンズでは担当している楽器はユニゾンですし、渡してしまえば休みます。こちらでは、各楽器の関係も錯綜していて、簡単には追っていけません。時には眼が眩むほどですが、しかし、全体としては整然として美しい。聴くたびに新鮮な曲が姿を顕わします。クラシックの管弦楽法なら、チーフテンズをモーツァルトとすれば、こちらはリムスキー・コルサコフやラヴェルの域にあります。というよりはジャズのビッグバンドの最先端に近い。マリア・シュナイダーの音楽や、あるいはいっそカマシ・ワシントンのものにも通じましょう。

[02]はパーカッションを外していますが、[03]では多彩なパーカッションがリピートごと、フレーズごとにカラーを変えてゆきます。ここではハーディガーディも加わって、[02]とは対照的なダイナミズムあふれる演奏。

例えていえば、ビザンティンのモザイク画、あるいはモロッコの緻密華麗な紋様を思い起こします。個々の要素をとりだすと、それぞれ勝手なことを勝手にやっているようですが、全体として見ると、鮮明で美しいイメージを生み出します。

細かい役割分担と相互の緻密なやりとりを重ねて複雑精緻なアレンジを編みなし、静謐かつダイナミックな美しさをかもしだす手法は、《LJUS》の〈Marionette Halling〉や〈Sleepers, Awake!〉の後半にすでに顕れています。もっとも編み目はずっと緻密になり、生み出されるイメージの豊饒さも一段と深い。

アレンジだけではありません。スキルの点ではまずフィドル。もともと深い響きが、一種鄙びた味わいを帯びてきました。いなたいといっては失礼になるような威厳があります。[07]の後半のリードのタイム感は絶妙ですし、[06]で、ハープに対してシンプルなリフというよりいくつかの音をドローン的に置いてゆくときの響き。これはハーダンガー・フェレで、また一段と響きが豊かです。そして[10]の後半での無伴奏ソロには、自然と背筋が伸びます。ちなみに[06]ではラストにダブル・ベースが残ってメロディを奏で、鉦がリーンと相槌を打つのが粋。

パーカッションのセンスにはもともと並はずれたものがありましたが、この鉦にも顕われるように、また一皮剥けたようでもあります。時にはまるで的外れな音を一見気まぐれにはさんだりもします。それが一々、はまってゆく時の快感は筆舌に尽くしがたい。随所で入れるビブラフォンやグロッケンシュピール、あるいは[08]でビートを刻む捻ってキリキリリリという音を出すもの(すみません、無知で名前を知りません)など、ユーモアのセンスが全体を明るくします。それもあって、この[08]はユーモラスなことではアルバム随一。ちなみに楽曲の美しさでは[10]が、豪奢な愛らしさにあふれて、頭抜けています。無伴奏フィドルのソロに続く爆発するバンドのスリルには何度聴いても息を呑みます。

ハープは難易度の高いことをやるわけではありません([04]のハーモニクスを交互に入れるのは難しそうだ)が、身体にすっかり馴染んでいます。これに比べてしまうと、《LJUS》の時はまだ初々しさがみえます。ギター的にリズムをつける時のアクセントの付け方はレベルが違います。

サポート陣ではアコーディオンの活躍が目を惹きます。参加している曲では、アンサンブルの一角として、メインの3人とまったく対等にからみ合います。加えて、出番は多くないが、コントラバスがいい味。低域を支えるよりも、全体の膨らみを増します。

全体にテンポの選択がうまい。[08]の後半を除いて、アップテンポといえる曲は無く、ミドルからスローが基調ですが、参加しているミュージシャンはいずれもすぐれたリズム感覚を備え、曲の中でも自在に変化します。アルバムを通して聴いても、気持ちよく曲が流れる。

先にも触れましたが、これはフォーク・ミュージックの範疇ではないでしょう。スウェーデンでいえば、リェナ・ヴィッレマルクとアレ・メッレルが ECM でやった “Nordan” Project の手法とも違います。あそこにはまだジャズの手法を使う意識が働いています。フリーフォートは、各楽器が独立し、いわば自分の存在をぶつけ合います。シャナヒーでは、ミュージシャンの個性は明瞭ながら、たがいに最も気持ちがよくなる形の絡み方を見つけようとします。

このアルバムは1個の「芸術品」と呼ぶべきでしょうが、グリーグ、シベリウスやニールセンのようなクラシックではもちろんありません。伝統音楽を素材とし、あくまでも素材の味を活かし、何かのひな型や枠組みにあてはめるのではなく、素材の潜在性を最大限に引き出し、楽曲そのもの、メロディそのものを可能性いっぱいまで展開しています。やはり言葉の最も広い意味で「ジャズ」と呼んでいいものではないか。あるいはむしろ、これもまたフォーク・ミュージックであり、フォーク・ミュージックの可能性を極限まで拡大している、と言うべきでしょうか。

ここに生まれているものは新しいものです。それも、新しいものを作ろうとして生まれたものではない。楽曲との対話のうちから生まれています。それは聴けばわかります。何かをめざして組み立てていったものではない。対話を繰り返しながら、楽曲の、音楽の向かおうとする方へどこまでも進んでいった。ですから複雑精緻でありながら、どこにもストレスがかかっていません。ごく自然に流れています。聴き手もごく自然に気持ちよくなります。聴くほどに、楽曲の内部へ、音楽の内部へと惹きこまれます。求心的ですが、通常求心的な音楽に付随する窮屈さがまったくありません。緊張と弛緩が同居しています。

シャナヒーのアルバムはいずれも録音が優秀ですが、これも精緻なアレンジとダイナミック・レンジの広いパーカッションをしっかり捉えた録音が見事です。

<編集者追記>
シャナヒーの新譜”She was under the tree”はこちらから、送料・税込み
2850円で購入できます。

https://celtnofue.com/items/detail.html?id=798

試聴動画はこちらです。

ジャン=ミシェル・ヴィヨン & イヴォン・リオウ さんのセッション:field 洲崎一彦

先日、我らがhatao氏が招聘したフランス・ブルゴーニュのフルート&ギターデュオ、ジャン=ミシェル・ヴィヨン & イヴォン・リオウ のお2人が、fieldセッションに遊びに来てくれました。今回のツアーは各地のライブが大好評で、この日も京都拾得でのライブ後にふらりと遊びに来ていただいたい格好でした。私も各地のライブ評判は耳にしていましたし、その昔、私達がアイルランドとブルターニュの違いも知らない頃にむさぼるように聴いていたCD群の中にあったコルノグというバンドのフルート奏者がこのジャンさんなんだという事ぐらいしか知識が無かったのですが、今回のツアーの評判はちょっと私の往事のイメージ以上に大好評で、この日、拾得のライブに行く事ができなかった私は興味津々でご両人のセッション来訪をお迎えしたという次第です。

ウワサが広まるのは早いもので、彼らがfieldセッションを訪れるというウワサをどっからともなく聞きつけた人達がすでにセッションに大勢集まってる所に、彼らは現れました。

10人前後のセッションに彼らが入って行きます。さっそくまわりの人達と挨拶を交わしすぐに演奏が始まります。なんじゃこれは!さっきまでのセッションサウンドとまったく違うサウンドが瞬時に鳴り響きます。10人に2人が加わっただけですよ。それで何故こんなに音が変わってしまうのか!

しばらくはもう呆然とこの状況に身を置くしかありません。感動というよりも驚きです。

側にいた人が、この人はクラシック畑の人なのですが、すごい音色だ!とつぶやいています。あ。よく見るとジャンさんは隣の人のフルートと楽器を交換して吹いているではないですか。それで、これほど違う音が出るなんて!

前にいたフルート吹きの人は、何をしているのかよくわからない!見たこともない奏法や!と声を出して驚いています。また、別の人は、ものすごい音圧や!とつぶやいています。

たしかに、これだけの人数で一斉に演奏しているのに、ただ1人のフルートの音がこれほどに耳に飛びこんで来るなんて初めて体験しました。音色、音圧といろいろ表現はあるのでしょうが、この場にいた皆が共通した大きなインパクトを感じていたのは間違いありません。

方や、対面位置でギターを弾いているイヴォンさん。決してガチャガチャかき鳴らすようなスタイルではありません。どちらかというと、丁寧に確実にストロークするタイプでいわゆるガンガン派手な音はまったくしないのですが、こちらも同じように、なんでこれだけの楽器に埋もれずその控えめなギターの音がこれほど際立つのか!というサウンドを出してしまう。

ぼうっと聴いていると、今ここで繰り広げられているセッションはこれほどの人数で行われているのではなくて、実はこのお2人のデュオ演奏なのではないかと錯覚してしまいそうになるのです。

もっと極端に表現すると、このお2人と他のセッションメンバーはまったく違う作業をしているのです。同じチューンを同じテンポで演奏しているという所で見かけ上は同じことをしているように見えるのですが、その実まったく違うことをしている。また、それをそのように自覚的に感じる人はこの場にはひとりも存在せず、皆がまったく同じ作業をしているのだという錯覚が唯一この場を成立させているに過ぎない。と、まあ、こんな風にまで感じさせる何かがありました。

前回の原稿で私は、
「日本で行われているアイリッシュセッションは、流れているベルトコンベヤーの上に次々と適切な音を皆で並んで置いていく工場の作業員のような動きではないんですか?と。本当は目の前のベルトコンベヤーは勝手に動いているわけではないのです、それぞれの演奏者が自分の力で動かさないとそれは音楽にはならない」

といような事を書きましたが、まさにこれに少し付け加えなければいけない。このベルトコンベヤーも同じコンベヤーに各人が音を置いて行くのではなく、各人がそれぞれのベルトコンベヤーに音を順番に置いて行く作業をしている。

そして、ジャンさんとイヴォンさんは、こういう人達と並んですわっているのですが、彼らは彼ら2人に共通するベルトコンベヤーを自分達の音を使って2人で一緒に動かしている。と、まあこれぐらいに違う作業をしています。

圧巻は、終盤にやって来ました。お2人が恐らくブルターニュの舞曲を演奏し、こうなるとついて行けるのは我らがhatao氏ぐらいしかいないわけですが、それにつられてダンスをする一団が自然に輪を作って踊り出すという感動的な場面の後にやって来ました。

チューンがアイリッシュに戻り、また全員が演奏に参加する場面が始まります。そこで、誰がつないだのか、fieldセッションのラストチューンの定番曲である、とあるリールにつながりました。私は、内心、あ。まずい!と思います。何故かというとこの時私の正面で演奏していたある人は、このチューンになるといつも極端に加速してしまうクセがあるのを知っていたからです。

セッションに参加した経験のある方なら共感していただけると思いますが、セッションで楽器を弾いているときに、誰かひとりがテンポを加速させるとまわりはどうしてもそれに従わざるを得なくなります。どうしてそうなるのかよく解りませんが、減速するのよりも加速するのに皆弱いというか自然に自分も合わせて加速してしまう。一旦こういう加速をすると止められなくなってしまう。するとどうなるかというと、これに相互作用が働くのでこの曲はさらにどんどん加速して行ってしまうというような事が起こります。

こういうわけですから、この時、私は反射的に、あ。っと思ったのでした。

そして、確かにこのチューンに移った途端にフッと少し加速しかけた。しかし、次の瞬間に何か重い重石が乗っかるかのようにこの加速傾向はグッと押さえられ、心地よい躍動の内にこのセットが終了したのでした。

たった、2人の人間が10人の加速を止めたのです。普通のセッションではまず考えられない事が起こりました。

お2人と他の10人がまったく違う作業をしていると言いましたが、多数の違う作業に力を及ぼす凄い力を見たように思いました。そうです。そこに力があれば、ただ勝手に回っている自分だけのベルトコンベヤーの上に順番に音を置いているだけの人のベルトコンベヤーを勝手に回ってるのではなくて、隣の人の力で強引に動かすことが可能なんや!

これは、私にとって非常に新しい発見でした。

つまり、私のように理屈ごたごた書き並べるしか能の無い人間にとってはちょっとショックな事実なのですが、やはり、この圧倒的な演奏力がなければ、誰をも納得させることは出来ないのだ!という事を思い知らされた次第です。

あああ。と言って、私が今からそんな演奏力を身につけることなんて、ちょっと、気が遠くなるお話しですね。(す)

オーケストラアレンジで聴くケルト・北欧の伝統音楽 第9回 ハーティ:アイルランド交響曲:吉山 雄貴

【アイルランド交響曲】オーケストラアレンジで聴くケルト・北欧の伝統音楽

ざっくり学ぶケルトの国の歴史(最終回):上岡 淳平

アイルランド共和国の成立に沸いている中、他のケルト地域はどうだったんだろう?かけ足で見てみよう。

● スコットランド

スコットランドって国は英国に反発したり、かと思ったら英国仲良くしちゃったり、なんともフワフワした態度を取ってたんだ。

そんなフワフワした国だったから、お隣アイルランドが独立運動に沸きあがってる時も「独立はしたいけど現実味はないよね〜」とマイペースに暮らしてたんだって。

でも1960年ごろ、スコットランドの北側に油田を発見してから態度が一変。なぜかって?そりゃ、スコティッシュとしては「うちで見つけた大金をなぜロンドンに持って行かれるんだ?」と考えるのが当然ってもの。そしてついには、英国に「わしらも独立したいんじゃ!」と叫び始めたんだ。

でも鉄の女(当時の英首相)には全く届かず、ほとんどすべての要求を拒否された挙句、ずいぶん荒んだ状況に陥ってしまった。(映画「トレインスポッティング」参照)

● ウェールズ

じゃあ、ウェールズはどうだろう。

ウェールズはというと、議会やら国の体制やらが確立するずっと前から英国の一部になっていたし、そもそも一時的にしか独立した国として統一したことがなかったし、二度の手痛い失敗で、およそ独立に関しては考えられなかった。もちろん、独立を望むグループも存在するけれど、アイルランドのようにその運動が全国で活性化するってことはなかったんだ。

その代わり(というのも変だけど)ウェールズ語を残す運動はずっと行っていて、アイルランドのゲール語よりずいぶんと効果を上げ、今でも独自の文化を守ることに成功している。

● マン島

もうひとつマン島はどうだろうか。

ブリテン島とアイルランド島の間にポチッと浮かんだ小さな島は、特に政治的な問題に巻き込まれず(小さすぎて気にもとめられなかったのかな)1000年以上もケルトの文化を保っている。

ケルト系の人々が流れ込んだあと、ヴァイキングに征服されたので、現在マン島に暮らす人たちは「ヴァイキングの末裔」だと自負しているんだとか。

アイルランドでは不自然に残ったイギリス領(北アイルランド)の問題がずっと続いていた。この問題は残念なことに、今でも解決していないんだけどね。

● 独立以降のアイルランド

1995年頃から、アイルランドの首都ダブリンは急速な経済成長を遂げ、世界からケルトの虎と呼ばれたりもしたんだ。英国では、それまでロンドンの議会が取り仕切っていたスコットランドやウェールズ、北アイルランドの国政を「それぞれの地方でやりなさい」と方針転換した。

おかげで、今ではどの都市も自分の議会を持てるようになった。

つい先日、スコットランド議会で独立を主張する政党が過半数を超えたのをきっかけに、2014年秋に「スコットランドの英国からの独立」を問う歴史的な住民投票が行われ、それは否決されたんだけれど、この選挙は世界中に大きな影響を与えたりもした。

ウェールズと北イングランドは今のところ特に問題はないけど、今後どうなるかはわからない。

ちなみに歴史の中のケルト音楽というのは、平和な時代には癒しと交流の役割を果たし、激動の時代には今のネットやTwitterのような役割を果たしたんだ。今みたいに「英国による暴挙なう。」とつぶやくことはできなかったので、そういった事件を歌にして広めていく、っていう風にね。(ということは英国の悪口が多いのかな?)

それらはTwitterより上等なことに、当時の人々だけではなく「こんな過去があったことを忘れてはいけない」って思いを込めて、その子孫にも伝えられていったんだね。「伝承音楽」ってのはそういった背景があるわけで、そうやって伝えられてきた音楽をぼくらは聴いたり演奏したりしているんだ。そう思うと、なかなかロマンがあると思いませんか?

牧歌的で穏やかとは言えない歴史も多かったけど、今ではアイルランド、北アイルランド、スコットランド、ウェールズ、マン島、コーンウォール、ブルターニュ、ガリシアの人たち、きっとこんな気持ちで今夜も音楽を奏でているんじゃないかな。

「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」

ざっくり学ぶケルトの国の歴史(完)

編集後記

11月下旬から一気に冬がやってきました。そして今年も残りあと1ヶ月。

色々と音楽イベントが多いですから、身体に気をつけつつ、充実した年末をお過ごしください。

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