セントパトリックスデイにあたってワシも考えた:field 洲崎一彦

ライター:field 洲崎一彦

3月はセント・パリックス・デイであります。コロナ下で3年間中止になっていた世界各地のセントパトリックス・デイ・パレードが再開され、世界各地のパブでは緑の服を着た人々であふれかえる。fieldでも2020年3月のセントパトリックスデイ・パーティを直前に中止せざるを得なかったので、先日行ったfieldセントパトリックス・デイ・パーティは痛恨のリベンジパーティとも言えました。再びこの時期の賑わいが戻ってきたことには本当に感慨深いものがありました。

そこで、あらためて私はセントパリックス・デイというものに思いをはせるというか、アイルランド音楽に関わっていることで今まで当たり前のように接していたこの記念日に考えを巡らせざるを得ない心情になったのでした。

fieldパブを開店した2000年1月。もうすぐセントパトリックス・デイというアイルランド最大のお祭りの日らしいで!、と、いつものようにぶちょー氏がわいわい言い出します(3月にはまだアイ研はできてませんが)。なんやそれ?って言うてると、事情通のあっしー氏が、それはセントパトリックス・デイというのですと講釈をたれる。いやはや、ネットがまだ今みたいに普及していなかった頃ですから、なにやら会話も牧歌的ですね。ほんなら、何かイベントしようかと、先輩演奏者たちに声をかけてライブパーティを開催した。今思えばこれがfieldパーティの最初でした。

その次の年だったか、次の次の年だったかには、セントパトリックス・デイというのは街でパレードをするらしいという話が舞い込んでくる。その頃、fieldに巣くっていたアイリッシュ音楽の学生さんは立命大の民族音楽サークルの人達が多かった。ここは「出前ちんどん」と言って、民族音楽とちんどん屋さんのサークルだったわけで、聞きかじったアイリッシュ音楽におけるセッションの事を、どこにでも出没して演奏を繰り広げるのがアイルランド音楽だというちょっとした誤解から始まって、それなら日本で言うとちんどん屋さんというわけじゃないかという美しい誤解が完成した。すると、彼らは大学校内をアイルランド音楽を演奏しながら練り歩くという活動を始め、これが後に、地元商店街や老院ホームなどから呼ばれて本格的にちんどん屋稼業にのめりこむ部員を輩出することに繋がって行きます。

つまり、彼らはセントパトリックス・デイ・パレードというものを知る以前から、アイルランド音楽を演奏しながら既にパレードしていたわけなのですね。あとは緑の衣装を着るだけで一丁上がりということになります。しかし、彼らはそのままスムーズにセントパトリックス・デイ・パレードに移行することには至らなかった。なんでや?

ある時、京都では初めてとなるセントパトリックス・デイ・パレードが開催されます。京都新聞ではその模様が写真つきで掲載されました。あ。私たちは事前に主催者からお誘いは受けていたのですが、それが3月17日当日でなかったこともありうっかりその日をやり過ごしてしまっていたのでした。新聞を見て、あ、あいつが写ってる、あいつも写ってると、普段セッションに顔を出す人達の姿と共に、出前ちんどんの知った顔もちらほら確認できる。あ。やられた!来年は乗り遅れないようにせなな!と意を固くします。

出前ちんどんの面々の後日談が入ってきます。あれは、僕らの思ってたのとちょっと違うものでしたと。似て非なるものに敏感な若者たちです。ちんどん屋にはビラを配ったりお店の宣伝をしたりする明確なメッセージがあるのだが、あれはただ歩くだけなのです、と。道行く人は、たぶんデモか何かと勘違いしていたのではないかと思うのですが、デモにしては何も主張していないのですよ。というわけです。

翌年もこのパレードは開催されました。今年こそは参加するぞ!と息巻いていたのですが、パレード開催日の前からお天気が下り坂で当日は荒れ模様の予報です。大雨でもパレードするのかなあと不安になりながら誰かが主催者に問い合わせるのですが明確な答えが返ってきません。それで、予報どおり大雨の当日になって、私たちは、これは楽器が濡れるで、というような意見のもとに恐らく中止だろうという勝手な判断を下してしまうのです。もとより、出前ちんどんの面々はすでにそれほど積極的ではなかったし。

が、気になった私は雨の中自転車で、行われていればここを通るだろうと予想される通まで様子を見にいったのでした。そこに到着するまでに雨はいつしか雪に変わっていて京都には珍しく風もけっこう強い。そんな中向こうから楽器を弾きながら歩いて来る集団をみつけました。が、私は思わず足がすくんでしまってその集団に向かって駆け寄るというような気持ちが萎えてしまったのです。風の強い雪交じりの雨の中、ぞろぞろと楽器を持って歩く10人前後のずぶ濡れ集団。

暗い、あまりにも暗い。道行く人もいない。当然見物人もいない。これは、、、

ただ、歩いている難民の群れではないか。。。。

折しも、東京で行われた大きな規模のセントパトリックス・デイ・パレードの様子が写真や動画で伝わってきました。え?と、これも驚きの光景でした。すごく大勢な人々が参加していて、みなさん満面の笑顔、笑顔、どれもこれもお祭り気分が伝わって来るすっごく楽しそうな雰囲気。まあ、天候に恵まれなかったのだとしても、あの日の京都のパレードの暗さはいったい。。。

このようにして、私たちの京都セントパトリックス・デイ・パレードの第1印象はかなり最悪なものだったわけです。

その後も毎年京都のパレードは開催されました。しかしその時期にいつも決まって何か理由があって私たちは参加に踏み切れないでいたのですが、そんな中、今年は大阪でもパレードが開かれるぞ!おまけに京都ではパレードの後にとある商業施設の中の仮設ステージでライブ演奏などの企画が入って何やら例年とは雰囲気が違うらしい!このような話をもたらすのは決まってぶちょー氏です。。。

だが、ちょうどこの日はfieldのパーティと同じ日に重なってしまったのです。それならばとぶちょー氏、そのころはまっていたランの実力発揮とばかり、大阪のパレードのゴール地点から京都までランを決行し、京都の会場にゴールしてそこを賑やかした勢いでfieldのパーティに滑り込むという大企画を企てたのでした。また、それを当時ポピュラーになり始めたiPhoneのFaceTimeを使って実況中継を送り、それがfield店内の大型TVに映されてfieldは大盛り上がりというなかなかの企画が展開したのでした。

が、生放送の実況とは残酷なものです。大阪はいざ知らず京都の会場に走り込んだぶちょー氏はほとんど会場側の人達に相手にされず、という惨状がfieldのTVに映し出されてしまう。。

パーティ中の私たちは画面の中で、向こうのスタッフに冷たい反応をされるぶちょー氏の姿に大爆笑!していると、まあそこはfieldと目と鼻の先だったわけで、すぐにぶちょー氏がfieldパーティに登場。当然のこと大爆笑と大拍手に迎え入れられる郷愁漂わせる大盛況のfieldパーティとなったのでした。

このように、何か積極的なエモーションによって私たちはセントパトリックス・デイ・パレードに食らいつこうとするわけですが、その都度空回りを起こす結果が待っているという連続。

そして。ついに、2020年1月。fieldのS店長は意を決して、当時京都の若者アイリッシュ演奏者を束ねるU氏と意気投合し、こうなったら、今年は正式な主催者のやるパレードとは別に、我々でゲリラのパレードを行おうと話が盛り上がるのです。今から思うと廃部壊滅間近の出前ちんどん現役部員を引っ張り込んで、ちんどん屋スタイルでfield付近の街角を練り歩く。出前ちんどんの皆さんには当日のfieldパーティの宣伝ビラをまいてもらって、そろいの緑の衣装までAmazonであたりをつけて準備は着々と進んでいました。そこへ、コロナ旋風が巻き起こりあえなく崩壊。

そうです。何をどうしても。fieldとセントパトリックス・デイ・パレードというのは相性が悪い。これはもう相性が悪いとしか言いようがないんです。

そして、今年の3年ぶりの京都パレード。その日はfieldには別のイベントが入っていて仕方無く断念。そして私たちのfieldパーティが3月19日に行われたのでした。ここまでパトリックスさんにソデにされ続けた私たちは、そうだこの際!パトリックスさんにパーティに来てもうしか助かる道はないで!と、パーティ数日前に企画を練り、当日はパーティ時間のほぼ半分の時間を使って大々的に「コント:セントパトリックスさん」が繰り広げられたのでした。

めでたしめでたし。

センパトパーティが終わると、半年以上断続的に続いたfieldパーティも秋頃まではしばし中断します。やっと平和なfieldがやって来ますね笑。(す)