アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。
当ブログにて、不定期にバックナンバーをお届けします!
クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.253
- アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
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Editor : 竹澤友理
August 2017
こんばんは!
夜分におやすみのところ申し訳ありません!!
ただ、今月も内容は濃ゆくなっておりますので、どうか、お時間のある時にみなさま目をお通しください〜〜!!
それでは8月号の読み物編をお届けいたします!(たけざわ)
音楽的?:field洲崎一彦
先日、当セッションでちょっと興味深い光景があった。クラシックバイオリンの演奏家の人が飛び入り参加したのだ。アイリッシュ音楽は弾いたことがないしセッションというものに参加するのも初めてだという。楽譜があればなんとかなるという事でまわりの人間がそれぞれ手持ちの楽譜を出してテーブルに広げた。そして、何人かがその楽譜をのぞき込んでああだこうだと選曲を決めた。そしておもむろに演奏が始まった。
さすがに、クラシックバイオリン奏者というのはえらいもんで、初めての曲でも楽譜を見ながらつるつると弾いてしまう。何の淀みもなくつるつると弾いてしまう。おまけに艶のある太い甘い非常に美しい音色が飛び出してくる。専門技術というのはこういう事を言うのだろうな、とまったく感心する。
フィドルビギナーとしてはとても同じ構造の楽器を持っているなど信じられないなと思いつつ、私は自分の楽器を抱えたままぼうっと演奏に聴き入ってしまった。
しばし、その甘い音色に酔っていたのだが、そのうちに耳が慣れてきたときに、ん?と思った。聞き慣れているメロディーの曲なのだが聞き慣れているアイリッシュチューンに聞こえない!そう。アイリッシュチューンに聞こえないのだ。何なんやろうこのサウンドは?そんな事を考えながらその美しい音に再び耳をゆだねる。
これはこれで、とても心地よいサウンドだし美しい音楽なのだ。あえて言えば、もっと不快なサウンドをかき鳴らす自称アイリッシュフィドラーはいくらでもいる。
アイリッシュチューンとしては確かに踊り出したくなるような躍動感は感じられない。でもしかし、そんな躍動感を出すアイリッシュフィドラーにはウチのセッションでも滅多にお目にかからない。だから、一概に躍動感が無いからいつものアイリッシュチューンに聞こえないというわけでもない。
どちらかと言うと、美しすぎるのだ。メロディの流れ、音の上下する様がめちゃくちゃ美しい。だから、アイリッシュチューンに聞こえない。そして、アイリッシュであることすら忘れさせるかのような心地よいサウンド。本当にこれって何と表現したら良いのだろう。
ひとことで言えば、音楽的、と言うことなのだろうか。これが、そういう事なのだろうか。
そして、まわりのセッション陣の出す音がすごく無神経なものに聞こえる。はっきり言って邪魔している。セッションの一角で生まれつつある美しい世界を確実に破壊している。
そんな事を感じながら、楽器を操る技術というものは、例えば、ややこしい装飾音が入れられるように正確に指が動くというような機械的なものではなくて、それが、より音楽的なイメージによって制御されるかどうかなのではないだろうかと思った次第。
確かに、アイルランド民族音楽には特有の表現世界があって、まったく接したことが無いという演奏者にはすぐにはそれを再現することは難しいと思う。が、しかし、音楽は音楽的に演奏されるべきで、その限りにおいては、それが、アイルランド民族音楽の特色を表現していなくても、その演奏者の感性が表現される心地良い音楽になり得るのではないか。
以前、このコーナーに、音楽に国境はあるよ、と書いたが、この、音楽的という次元においては確かに音楽に国境は無いのかもしれないと、うんうん、うなってしまったのでした。
音楽的などというキーワード見つけてしまうと、今まで以上にややこしい且つ危険な観察に行きつきそうで、ちょっと怖いもんがありますね。(す)
★Guest Writer★連載: Camino a Ortigueira / オルティゲイラへの道 (後編):Koji Koji Moheji×Tominho
──前回、ガリシアでのことを伺いしましたが、そもそもガイタはどのようなきっかけで始められたんですか?
初めてバグパイプに興味を持ったのはエビアですね。アストゥリアスのパイパーで、電子バグパイプを使ったBusindre Reelを聴いたのがきっかけです。でも当時はハイランド・パイプスしか知らなかったので、4年ほど東京パイプバンドでお世話になりました。
でもある時、自分が最初に興味を持ったパイプは、本当はスペインのガイタだったのかと気づき、入手方法やレッスン情報をネットで探しました。その頃にはエビアだけでなく、カルロス・ヌニェスやブディーニョの音楽も聴いていました。ガリシアのガイタもアストゥリアスのガイタもスペインの同じ楽器だと思っていたんですが、違う楽器だと知ったのもこの頃です。どちらも大好きですが、結局ガリシアのガイタを選び、セイバネの工房に発注しました。初めてのガリシアは、そのガイタを受け取りに行った時で、スソのレッスンもセイバネの紹介です。
──通算で何回くらいガリシアへ?
4回くらいですね。レッスンで課題をもらい、日本に持ち帰って消化して、また現地で新しい課題をもらって、というサイクルです。例えば前回、替指の話をしましたが、ガイタって実は純正律の楽器なんです。だから平均律のピアノと合わせるとうねる。そこで違う指使いで微調整するといったテクニックも前回学び、今回のフェスで実践しました。
──オルティゲイラのフェスは、どんなフェスなんですか?
ガリシアの北に人口6000人くらいのオルティゲイラという町があって、毎年7月第2週の木曜〜日曜に開催されています。75年にフランコの独裁政権が崩壊するんですが、その当時アイルランドやブルターニュではチーフタンズやアラン・スティーベルの音楽がヒットしていて。この影響で、ガリシアでもミジャドイロやエミリオ・カオを中心としたケルティック・ムーヴメントが起こり、78年に初開催となります。今ではスペイン最大級のケルト音楽祭です。無料なので、毎年数万人がテント泊をして、毎晩未明まで楽しんでいます。
──そんなオルティゲイラに今年初挑戦されたわけですが、10年以上ガイタを演奏されている中で、どうして今年エントリーしたんですか?
フェスの存在自体は、ガイタを始めた時から動画等で知ってはいたんですが、Runasというコンテストを知ったのは、ハモニカクリームズが優勝した時でした。
確かに、エントリーしようと思えば、昨年でも一昨年でもできたんでしょうけど、今年はアルバムを作りながら、あの舞台に立っている自分の姿がイメージできたんです。それまでは、オルティゲイラはずっと夢の世界でした。“Cross the Line”というアルバムで言うと、ひとつラインを越えられる予感がしたんです。
──実際の演奏はどうでしたか?
皆さんの投票のおかげで予選を1位通過でき、決勝はトリで演奏させていただきました。会場のボルテージが最高に高まっている状態での演奏だったので、ものすごく盛り上がりました。とても素晴らしい時間でした。
結果は惜しくも1点差で2位となりましたが、ステージが終わった後、「すごくよかったよ!」「君たちが僕の中では一番だ!」と温かい言葉をいただきました。外国人である自分の演奏や音楽をちゃんと受け止めてもらえるのだろうかという思いはありましたが、今回のステージを通じて、自分のスタイルや音楽、信念を貫いて大丈夫なんだと、自信が持てました。
──前回のインタビューで「現地の人たちに受け入れてもらえる演奏」が1つのラインだと伺いましたが
はい、そのラインは越えることができたと思います。海を越えて、日本からガリシアへ、人種に関係なく音楽を届けることができて嬉しいです。1つラインを越えれば、今まで見えていなかった次のラインが自然と見えてきます。次はそのラインに向かって頑張ります。
──Runasにはまた挑戦しますか?
絶対します。2位という結果は、日本人ガイタ奏者として大きな一歩だとは思うんですが、目標は優勝だったので、とても悔しい思いもしました。次こそは優勝を。その時にはまた応援していただけると嬉しいです。
──Runasは初日でしたが、他の日は?
翌日の夜にLuarという、ガリシア州の公共放送のバラエティ番組に生出演しました。今使っているガイタの職人さんがテレビ局に連絡を入れてくれたそうなんですが、詳細は事前に告げられず、出演が決まったのは前日で。ガイタとパンデイレタで1曲演奏してきました。
フェスではいろんな人に会えました。Rioboなどでガイタを吹いているマルコス・カンポスとか。Facebookではつながっているものの、まだ会ったことのない人も多いので、いい機会になりました。
──他のアーティストの演奏は?
全ては見ていませんが、個人的にずっと見てみたかったTejedorの演奏が素晴らしかったですね。アストゥリアスを代表するバンドです。海外勢の参加も多いフェスなんですが、最終日のメインは全部ガリシア勢で。Os Carecos、Tanxugueiras、Treixaduraなど、歌とパーカッションで盛り上げる伝統的な演奏も最高でした。
──今回は日本からの出演が多く、メディアでも「今年の注目は日本人だ」と取り上げられていましたが
最終日に「日本とケルト音楽」という1時間のコンサートがあったんです。前日にメインで演奏したハモクリ、旅行中のhataoさん、現地でレコーディング中の高野陽子さん、留学生でオカリナ奏者の米村俊さん、うちのバンドの5組で参加しました。でも主催者との調整がいろいろとあり、当日まで詳細未定で。自分の名前も元々プログラムに入ってなかったんですが、急遽お呼びがかかり。結局はゲスト招聘組のハモクリに後半をお願いして、自分たちは前半の30分を担当しました。俊さんはソロを吹いたり、hataoさんとオカリナのデュオをやったり。私はバンドの曲もやりましたし、ハモクリの長尾さんと渡辺さんに加わっていただいて、hataoさんと一緒にジグやリールも演奏しました。最後はうちのバンドと陽子さんとhataoさんとでアイリッシュや沖縄の歌を。小さな劇場でしたが、100人くらい入って満席でしたね。
──今後はどんな活動をしていきたいですか?
今また新しいビジョンが見えていて、CDも5枚分くらいのアイデアがあるので、それを少しずつ形にしていきたいです。それから、ガリシアの音楽を日本でももっと知っていただきたいと思っていて、年内にガリシア音楽のセッションを考えています。最初は名古屋と大阪での開催を検討中です。敷居は低くし、アイリッシュ好きでも、楽器好きでも楽しめるものにしたいと思っています。その時には読者の皆さんにも集まっていただけると嬉しいです!
連載:欧州伝統音楽の旅 第一章・ブルターニュでフルート伝統の最深部を見
る:ケルトの笛 hatao
まだ6月下旬だというのにパリはすでに猛暑だった。いろいろな人種が詰め込まれた冷房の効かない電車を降りると、強いアンモニア臭を放つ駅舎が、芸術の都と憧れられているパリの印象を気持ちよいほどに壊してくれた。
僕は、ヨーロッパ各地の伝統音楽と楽器について調べるため、 2か月半の旅に出た。最初の国はフランスだ。伝統音楽を求めるならパリに用はない。翌日、高速鉄道TGVに乗り、ブルターニュの中継駅Guingampまで約3時間、フルート職人のジル・レアール(Gilles Lehart)さんに会った。
ジルさんはおしゃべり好きといわれるフランス人には珍しく、寡黙な男性だ。ブルターニュの田舎で農家だった家を改装して工房にしている。「去年は庭のリンゴの木から瓶400本分のシードルを作ったんだ」と優しい語り口で自慢のシードルをごちそうしてくれた。りんごの香りと果汁の甘味が強い発泡性のお酒だ。味覚は何よりも異国に来たことを感じさせる。
僕とジルさんとの付き合いは長い。最初の注文をしてから、 もう10年以上になるだろう。ここを訪ねるのも2度目だ。「ケルトの笛屋さん」でジルさんのフルートを販売しているが、驚くべきことに、ジルさんが日本に向けて販売したフルートは、ブルターニュで販売した本数に並ぶのだそうだ。
ジルさん本人はもともと音楽家で、優れたボンバルド/ビニウ奏者だ。ある晩、彼が演奏するフェスト・ノーズに連れて行ってもらったことがある。体育館のような広い屋内で、1人または2人の演奏者グループが代わる代わるワイン樽の上に乗って演奏し、 踊りの輪は深夜まで途切れることがなかった。
ジルさんの家に滞在中、ブルターニュを代表するフルート奏者のジャンミシェル・ヴェイヨン(Jean-MichelVeillon)さんが訪ねてきた。KornogやDENなどの伝説的グループで80年代からブルターニュ音楽を発展し世界に広めた立役者だ。
ジャンミシェルさんは幼少からボンバルドでブルターニュ音楽を演奏していたが、若いころ、当時ブルターニュで流行っていたスコットランドやアイルランドの音楽をフルートで演奏しはじめた。そのあとで、自分の文化であるブルターニュ音楽をフルートでも演奏するのはきわめて自然な流れだった。当時はフルートを求めようとしても質の悪い骨董品しか手に入らなかった。最初のフルートを、ナイフでめちゃくちゃに改造して最初の録音を作ったそうだが、そのフルートは今でも大事に残している。さらに良いフルートを手に入れるためにボンバルドを作っていた友人ジルさんにフルートを作ることを勧めそうだ。
ジャンミシェルさんはブルターニュの新たな伝統を作るために、ブルターニュ音楽のボンバルド演奏や歌だけではなく、世界の様々な音楽を参考にした。中でも北インド古典音楽の竹笛バーンスリーやアラブのネイ、日本の尺八からは大いにインスピレーションを得たそうだ。ジャンミシェル氏のもとからは、若いフルート奏者が次々と育っていった。そして、フルート奏者の増加に応えるかのように、ブルターニュには数多くのフルート工房が生まれた。
ある時、ジャンミシェルさんが教師を務めたスタージュ(ワークショップ)に、16歳の少年がやってきた。ジャンミシェル氏はいつも、参加者のレベルを見極めてレッスン内容を考えるために1曲演奏をさせるのだが、その少年の演奏に、彼は脳天を吹き飛ばされた。そして、こう言った。「君にはここで教えることは何もないから、ブルターニュに来なさい」。
その少年の名前はシルヴァン・バルー(Sylvain Barou)。今や彼の活躍はブルターニュだけに止まらず、アイルランドのDonal LunnyやPadraig Rynneとのトリオ、ペルシャ音楽やインド音楽などの最高峰の音楽家とのプロジェクトを通じて世界中に広がっている。新世代のフルート奏者の王者である。
ある日、幸運にもシルヴァンさんに初めて会うことができた。この20年ほど、僕は彼の活躍に注目をしてきた。彼はちょうどパリから帰ったばかりで、フルート1本のみで演奏する文字通りのソロ・アルバムを計画中だという。
彼は自身のフルートの変遷について話をした。「最初は安いドイツ製の骨董フルートだった。その後、Lehart、Hamilton、Wilikes、Aebi、Grinterと、私はつねにより良いフルートを求めてフルートを持ち替えた。今はブルターニュのStephan Morvanだ。しかし、次のフルートはきっとJezequelになるだろうね。Morvanはブルターニュを離れてフランス南部に引っ越してしまったし、なにしろ、Jezequel氏の家は僕の家の隣なのだから。」その横で、フルート職人のポル・ジェゼケル(Pol Jezequel)さんが満足そうに微笑んだ。
シルヴァンさんは最近までブルターニュの州都レンヌ(Renne)に住んでいたのだが、かねてより自然豊かな環境で暮らしたいと思っていた。ポルさんが彼に言った。「隣が空いたから、住まないか」。その家は、森の中の丘にある、太陽の注ぐ広々とした庭を持つ家だ。ブルターニュの最高峰のフルート奏者とフルート職人が隣同士に森の中に暮らしているのである。
ジェゼケル氏が僕たちをランチに招待してくれた。庭の炭火のグリルで魚やナスを焼き、バロウ氏が中東料理のひよこ豆のディップを作り、チーズやワインや郷土独特の特別なソーセージでもてなしてくれた。ポルさんが「フルートを吹く以上に料理人として才能がある」とジョークを飛ばすシルヴァンさんの料理はブルターニュの美食の中でも最高だった。
ポルさんはフルートだけでなくソリッドボディーのエレキギターを作っており、日本から中古のヴィンテージ・エレキギターを安値で仕入れたと自慢げだ。そんな彼は、実は最近まで6年間フルート作りを休んでいた。その理由は本人にしかわからない。ただ「最高だと思うものしか売りたくないんだ」とだけ言った。彼のフルートは、そう言うだけあって、信じられないほど良く鳴るフルートだ。それがアイルランド音楽を演奏するための「 アイリッシュ・フルート」とは違う次元の楽器であることはすぐに理解できた。ぼくは迷いもせず「あなたのフルートを買いたい」と言っていた。6年待っても良い。この楽器にはその価値があるはずだ。渋い顔をするだろうなと思っていたが、ポルさんは、あっさりとうなづいた。しかも、もし良かったら目の前にあるフルートを買わないか、というのだ。その楽器は、彼の40歳の誕生日に奥さんがプレゼントした、今ではもう希少なコーカスウッドの材木から作られたもので、木目がメノウのように美しい8キー・フルートだった。こうして、僕は今、ストーリーのぎっしり詰まった楽器を持って欧州を旅している。
今やブルターニュ音楽では当たり前のように演奏されているフルート。どうして短期間にフルートがこれほどまでに人気を博して定着したのだろうか。
シルヴァンさんが言う。「フルートをブルターニュの伝統音楽に持ち込んだジャンミシェルがフルートの父であれば、それを支えたジルは母だ。そして、フルートはブレトン人の趣味に合うんだ。なによりもフルートは世界中にある普遍的な楽器で、どんな表現も自在にできるからね。」
ジル・レアールのフルート(予約受付中)
https://celtnofue.com/items/detail.html?id=65
編集後記:竹澤 友理
今月から、欧州をひとりトラッド音楽巡りされているhataoさんの連載が始まりました!界隈におけるコアな奏者との対話や、hataoさんご自身が欧州紀行で思索された内容などなど、非常に濃い記事を長期スパンでお届けいたします!
おおしまさん、上岡さんの連載は9月号より再開いたします!エディターズチョイスのコーナーですが、来月より拡張してお届けする予定です。こちらもおたのしみに!
また、ゲストライターとして編集の方までご連絡いただき、2回にわたる貴重なインタビュー記事をお寄せくださったTominhoさん、掲載にご協力いただいたKojiKojiさん、誠にありがとうございました!また機会がありましたらぜひお気軽に編集までお声かけ下さいませ〜〜!
以上、毎度の次回予告でした笑!来月もよろしくお願い致します。(たけざわ)
クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)
★クラン・コラでは読者の皆さまから寄稿を募集します。ケルト音楽やヨーロッパの伝承音楽について、書きたいテーマでお寄せ下さい。詳しくは編集部までご連絡ください。
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「クラン・コラ」とは
日本のケルト音楽普及に尽力されたライターのおおしまゆたか氏と、京都でアイリッシュ・パブ feildを経営する洲崎一彦氏が編集し発行されていた、国内におけるケルト音楽の情報を網羅したメールマガジン「クラン・コラ」。
2011年に一度休刊しましたが、5年の沈黙を経て2016年に復刊!
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