バンド文化というもの:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

先日、あるアイリッシュミュージックの演奏者が、自分はお金のためにアイリッシュミュージックをやっているという発言をしたというエピソードを人づてに耳にしました。これを私にささやいた人はそれを頭から批判的トーンで語りました。私もはじめは、そんなにお金になる場面なんかあるのか?といぶかしかったのですが、よくよく聞くと、そのように演奏料の出るイベントはそれなりにあるらしいのですね。それと、楽器を教えるという需要もけっこうあるとか。なるほど。

この話をきいて私が思い出したのが、ここ京都におけるアイリッシュパブ文化の黎明期のことです。fieldが2000年にアイリッシュパブとして誕生してから、1年もたたないうちにウチよりももっと規模の大きいアイリッシュパブが出現し、数年で京都のアイリッシュパブはどんどん数が増え続けました(今はある程度減りましたが)。その頃のことです。どこそこのパブのセッションに行くとギャラがもらえるというウワサをあちこちで耳にするようになりました。当然というか何というかfieldのセッションはそんなものは出ませんので、ウチのセッションに来ている連中も、私の居ない所でこそこそとそんな話をしているというようななかなか独特な雰囲気が漂った時期があったのです。

また、その頃は、開業まもない大阪USJでアイルランド音楽を演奏する仕事があり、これはキツイけどお金になるというようなウワサも駆け巡っていましたし、実際、私もここで演奏しないか?という声をかけてもらったことがありました(拘束時間が長いので行けませんでしたが)。

そうですね。その頃の雰囲気は確かにあまり良いものではなかった。好きで集まってやっている演奏愛好者が何やら分断されていくようなそんな殺伐とした空気が蔓延したものです。

が、その頃に私が気づいていなかったことを、ごく最近、ふと思い出したのです。

私は、1980年代中盤に今で言う音楽専門学校に勤務していました。そこは、前時代に隆盛を誇ったジャズスクールから派生した音楽スクールでしたが、世の中はジャズよりもロックやポップスが全盛となり、そのような新しい音楽の需要にも応えていかなければならないという経営的要求があったのを覚えています。

では、日本で、このジャズが隆盛を誇った時代というのはどんな状況だったのか、です。その名残は1980年代にも確実に存在していて、ナイトクラブやキャバレー(これらが今はもうほぼ存在していませんね)、祇園界隈の小洒落たバーなどには決まってジャズの生演奏が入っていたのです。今で言うライブではありません。あくまで店のBGMとしてジャズの生バンドが雇われていたのですね。

そして、地元のジャズミュージシャンにはこのようなお店と契約して毎晩いろいろなお店で演奏するというような売れっ子ミュージシャンが存在していたりするわけですが、こういう場合のジャズのバンドはいわゆる後年のロックやポップスのバンドとはいくぶん色合いが違います。がちっと決まったメンバーで運営されているわけではないのですね。リーダー以外の人はその時々でメンバーが変わっていても当たり前というようなスタイルです。その日、いつものメンバーの1人が体調を崩すとかそんな事態は普通にあるわけで(うっかり別の仕事を入れてしまったとか)、そうすると、すぐに代打を用意しなければならない。ここに若手ミュージシャンの活路が生まれるわけです。

この様な状況で演奏されていたジャズは、いわゆるスタンダードジャズというもので、音楽の構造としては、テーマのメロディがあって、その後はコード進行だけが繰り替えされて各楽器がアドリブソロを回してまたテーマメロディに戻るという形式がほぼ決まっていました。なので、スタンダードと呼ばれる数十曲のテーマメロディとコード進行さえ知っていたら、ぶっつけ本番でも演奏が出来るわけです。ロックやポップスのバンドの様に、バンドとしての入念なリハーサルはまったく必要なかったわけです。
    
こうして、ジャズスクールには確実な需要が生まれました。この数十曲のスタンダードジャズの曲を覚え込んで、コード進行があれば自由にアドリブソロが演奏できること。これを身につければすぐにでも仕事が回ってきた。ジャズスクールはそれを教える。

が、ここから時代が変わっていくのですね。世の中の音楽の主流が、だんだんロックやポップスに移行していくのです。この移り変わりの時代に、私はこの仕事をしていました。

ジャズスクールの看板をコンテンポラリーミュージックスクールに掛け替えて、ジャズ以外の音楽を指向する人達の需要にも応えようとするわけです。

この新しい若い世代がイメージするプロミュージシャンは、旧来のローカルなナイトクラブで毎晩演奏するというようなスタイルではなかったのです。ヒット曲を飛ばし、あるいは、ヒット曲を飛ばした歌手のバックバンドや、レコーディング専門のスタジオミュージシャンなどの姿が、彼らが追い求めるプロのモデルになって行くのです。

つまり、ローカルなナイトクラブレベルでは想像もつかないような大きな規模の音楽ビジネスに食い込んでいかなくてはならくなって行くわけです。そこで、ここから始まるのが、とにかく東京に出なければ話にもならない、という風潮でした。今、思えば、あの頃が、職業としての音楽というものの大きな転換点だったのではないかと思いますね。

そうです。私はかつてこの様な状況を目の当たりにしていたのです。しかし、極最近までこのことに気づかなかった!

スタンダードジャスの世界とアイリッシュミュージックの世界がこれほどまでに似た音楽構造だったことを。アイリッシュも数十曲のダンス曲を知っていれば、その日初めて顔を合わせるメンバーとだって演奏が出来てしまう。だからこそ、セッションも成立する。ロックやポップスのようにバンドを結成する必要もない。また、楽器を教える需要があるという点も当時のジャズとよく似ている。実は何もかもがよく似ている。もっとも、往年のジャズ流行の時代に比べればアイリッシュミュージック自体の需要規模ははるかに小さいわけですが、世の中の様々なカルチャーが少数多派の時代になってきていることを思うと、規模の話はここでは置いておきます。

また、fieldがセッションを開始した2000年ごろのアイリッシュミュージックの状況と言えば、他のジャンルからの参入者が多かったわけです。私の記憶では、フィドルはクラシックバイオリンの経験者がほとんど。ホイッスルやフルートはブラスバンド経験者がほとんど。そこに、ロック崩れのギタリストやバウロンニスト。というような感じだったと思います。また、この頃にはイキの良いアイルランドのアイリッシュミュージックのバンドが(アルタン、ルナサ、ダービッシュ等)こぞって来日公演をしたものでした。それに触発されて、バンドやろうぜ!と鼻息を荒くするのは決まってロックからやって来た人々だったように思います。

ここですね。今となって思うのは、何故当時私はこういう部分にピンと来なかったのか。かく言う私も以上のようなジャズスクールの仕事をしていたとは言え、もともとは学生ロックバンド出身です。

つまり、バンドという発想は、ジャンルによってその内容とニュアンスがぜんぜん違っているという事実です。ロックやポップスのバンドというのはどうしても運命共同体のような側面が出て来る。ジャズでは必要な時に集まるのがバンド。ブラスバンドやクラシックはどうなのでしょう?オーケストラに所属するクラスの人達以外は、時々、そのような臨時編成のオケに参加する機会を探したり、仲間で小編成のユニットを組むといった感じになるのでしょうか。とすれば、ロックとジャズの中間的な雰囲気でしょうか。

そういう私もそうでした。私がアイルランド音楽をやり始めたのは、功刀丈弘氏と一緒に作ったバンド、まさにバンドだったのですから。そして、何も知らなかった私は、生まれて初めてやるセッションでは、このバンドのメンバーの一部と共に、このバンドのレパートリーしか演奏できなかったのです。

このようなロックバンド文化から来てみると、どこそこのパブのセッションに行くとギャラがもらえる!などというのは、実に奇妙な話に写り、せっかく組んだバンドもそんな雰囲気の中で一気に分断されるという違和感が広がるわけですね。

が、バンドが運命共同体ではない世界。個人個人が楽器1本で渡り合う世界から見れば、お金もらえるならそれはそれでラッキーで良いんやないの?で、身のこなしが軽いですわな。

また、これを逆から見た時に、こっちの方からロックバンドを見たら、何かと人間関係に縛られた粘着質の雰囲気をそこに見るのかもしれないではありませんか。ただでも狭い世界です。そのような人間関係に縛られる雰囲気に対して、ああ、あれはお金稼ぎなので、の一言で飛び越えてしまえるドライさ(当時のジャズ界ではこれを「バイショー」と称して一言でかたづける習慣でした)。ある意味、こちらの方がスマートだと判断する人達も大勢おられるでしょう。

そして、前述の、お金のためにアイリッシュミュージックをやってると言い切る奴がおるぞ!と、鼻息を荒げたのはやはりロック出身の人なのでした笑。

また、これは又聞きなのでなんとも言えないですが、この、お金のために、言う部分も、自分は狭い人間関係のしがらみでアイリッシュミュージックをやっているのでは無い!という、自己主張であることも充分考えられるのではないかと思うのです。

音楽ジャンルによってバンド文化の様相がこのように違っているという、今さらながらにすごい発見をした気分になったので、これも物議を醸し出す話題かもしれな非常に微妙な話だったのですが、思い切って書いてみた次第です。

まあ私は根っこがロックバンド文化の人間ではありますが、こうなったら、お金くれるのならどこにでも演奏に行きますよ!笑。