ライター:大島 豊
前々回書いたように、2003年に iTunes, Ver. 4 の登場によって手持ちのCDをすべてリッピングしてファイル化し、iPod でシャッフルで聴くことにハマりました。シャッフルは楽曲単位の他にアルバム単位でも可能です。つまり、アルバム自体はオリジナルの曲順で再生され、次にランダムに選ばれたアルバムが元々の曲順で再生される、という形です。けれどもシャッフルの面白さは、次に何が来るかにかかっている以上、楽曲単位の方が遙かに面白くなります。そうして聴いていると、誰の何という曲かは知りたくなりますが、どのアルバムに入っているかはどうでもよくなります。シャッフルに溺れこむうちに、アルバムという枠組みはだんだんに融解し、蒸発していきました。
折りから YouTube や SNS の走りで音楽に特化した MySpace が勃興して、楽曲単位でのリリースが目立ちはじめます。2007年元旦のブログに、
「昨年は YouTube をきっかけに、動画がネットでブレイクしました。MySpace 日本版も始まり、ネット環境も大きく動こうとしているようです。」
と書いています。この2006年にぼくは iPod 80GB とともに、初めてのポータブル・ヘッドフォン・アンプを購入しています。当時は Lightening の一つ前の iPod 独自のポートである Dock からポータブル・アンプにつないで、よりよい音で聴くスタイルが、当時生まれだしていたイヤフォン、ヘッドフォンとポータブル・プレーヤーによるモバイル・リスニングのマニアの間で流行っていました。iPod 自体、音が悪いわけではなく、むしろ、世代交替するたびに音は良くなっていましたが、マニアは何らかの形で自分の趣味を通そうとするものです。そしてここで生まれたマニアは爆発的に増加します。国内だけでなく、世界中で同様の現象が起きます。
今ではすっかり没落して、その存在すら忘れられた観のある MySpace ですが、当時は飛ぶ鳥落とす勢いで、メジャーなアーティストもこぞってページを持ち、またここからブレイクしたスターもいたと聞きました。日本語版の立上げにあたっては、ぼくらのようなところにも声がかかって、確か六本木にあったオフィスに説明を聞きに行きました。
そしてこの2007年には iPhone が登場します。
この状況を見て、ぼくはアルバムという形式に見切りをつけたのでした。これからは音楽はネットを通じてのリリースが中心になる。
もともと形式としてのアルバムに何らかの意味があるわけではありません。物理メディアの制約すなわち収録可能時間内にうまく収まるように楽曲をまとめたものというだけです。言ってしまえば、単に便宜的なものにすぎません。1曲が短かい、あるいは長くないポピュラー音楽の世界ではとりわけ、そうです。中にはアナログ・ディスクの片面全部で1曲というものもありますが、それはやはり例外的で、片面で1曲が宣伝になるほどです。そうであれば、ネットを通じて、動画やファイルの形でリリースできるのであれば、アーティストにとっても、リスナーにとっても、得られる恩恵は物理メディアであるアルバムとは比べものにならないくらい大きい。したがって、アルバムに固執するのは愚かと言ってもいい。
しかし、アルバムに固執していたのは、アーティストやレコード会社の側だけでなく、ぼく自身も含まれていたことに、当初は気がつきませんでした。傲慢のそしりを受けてもやむをえないところです。当時のぼくとしては、これからのメディアの行き先を読んだつもり、そしてその変化に対する備えもできているつもりでした。
音楽の上でものごころのついた時からぼくはアルバム単位で音楽を聴いていました。クラシックの場合はまだ曲単位になりますが、中学生で夢中になっていたのは交響曲のような大規模で長い曲が多く、いきおい、聴くのはアルバム単位になりました。ロックに入れこんでからは、シングルやヒット曲には見向きもせず、アルバムで聴くのがホンモノのファンだと思っていました。「ブラックホーク」に通うようになると、アルバム志向は完全に固まります。アイリッシュ・ミュージックを聴くのも、輸入盤が頼りで、輸入されるのはアルバム、LPだけでしたから、やはりアルバムが単位です。そうやってずっとアルバムという形を単位として聴いてきた人間が、いきなり今日からはアルバムで聴くのはやめた、と決意したとしても、実行できるはずがありません。
すると、どうなるか。音楽に向かう態度をあらためることばかりに気をとられたぼくは、音楽を聴くことそのものから離れだしたのでした。
新たにリリースされる音楽はあいかわらずアルバム、レコードの形がほとんどでした。アルバムという形式がはじめは便宜的なところから始まったとしても、大量に、長期間作られるうちに、それ自体の特性を獲得し、CDになってもその点は変わりませんでした。アルバムの形が続いてきたのは、それなりにアーティストにもリスナーにも益するところが大きかったためです。その中でアルバムの形を無視まではいかなくても、できるかぎりその形にとらわれないようにしようとすれば、音楽そのものから離れるしかありません。
折りから iPod とポータブル・ヘッドフォン・アンプと音の良いイヤフォン、ヘッドフォンの登場によって、一度は封印したつもりだったオーディオ・マニアが、ぼくの中でむくむくと頭をもたげてきたのでした。かくて、2000年代後半、ぼくは音楽のソフトウェアをあさるよりも、それを再生するハードウェアの方にのめりこんでいきました。音楽をまったく聴かないということは、ぼくにはできません。音楽はぼくにとっては食事やあるいは空気のような必需品です。ですから、どんなアーティストがどんな音楽をやっているかには一応注意をはらいながらも、何を聴くかよりも、どういう装置のどういう組合せで聴くかに、リソースを注ぎこんでいきました。
それはそれで愉しい日々ではあったわけですが、そこはかとなく後ろめたい気分は拭えませんでした。あるいはなんとなく淋しいという感覚。これでいいのかとまではいきません。意識の表層に浮かびあがることさえほとんどない。とはいえ、どこか無意識の奥の方にひっかかるものがある気がぬぐえない。
その状況がまったく思いもかけない形でうち破られたのが、2000年代も終ろうとする頃でした。何か、とんでもないことが起きているらしい。それまでのぼくにはまったく想像もできないことが始まっているようだ。いったい、これは何なのだ。何が、どうなっているのだ。その実態にようやく眼が慣れて、大まかなところが見えてくると、ぼくは一瞬、茫然となりました。いや、ある日、天啓があって、いきなりそのことに気がついて驚いた、というのではありません。むしろ、小さな、目立たない、けれども特徴的なできごとが積み重なっていって、ある閾値、臨界点を超えたときに、自然と焦点が合い、どういうことなのかが腑に落ちる。そういう形です。そして、しばし茫然となっているうちに、絶えて長く感じたことのなかった気持がふつふつと湧いてくるのを感じました。以下次号。(ゆ)