出典 https://blog.mcneelamusic.com/
アイルランドの楽器メーカーMcNeelaが公開しているブログの中から、伝説的なアイリッシュ・フルート奏者の一人であるマット・モロイについて解説している記事を許可を得て翻訳しました。
原文:Modern Day Traditional Irish Flute Legend – Matt Molloy
現代のアイリッシュ・フルートの伝説 – マット・モロイ
私が伝統的なアイルランド音楽の生ける伝説について書く3回目の投稿は、マット・モロイについてです。その名前は、例えば居心地の良いパブ・セッション、美しいソロ演奏、そして迫力ある大規模なトラッドグループといったイメージをすぐに連想させ、アイルランドの伝統音楽と同意義になっています。
彼の名を冠したパブは、メイヨー県Co. MayoウェストポートWestportにあり、今年で創業30周年を迎えます。この場所は世界中のアイルランド音楽ファンにとっての聖地であり、ここで優れた伝統音楽のセッションを聴けば、もう他のセッションを探す必要はないと言えるでしょう。彼は1955年からフルートを演奏しており、それ以来、ほぼすべての主要なトラッド・グループで演奏してきました。「名人」や「巨匠」という言葉では彼を表現するには足りないほどです。
幼少期
1947年1月、ロスコモン県Co. RoscommonのバラハダリーンBallaghaderreenに生まれたマット・モロイは、8歳でアイリッシュ・フルートを始めました。彼の父、叔父、祖父はフルート演奏に熱心で、モロイが興味を持つと、父が自ら指導するようになりました。
モロイ自身は次のように語っています。
私は音楽を吸収して育ちました。それしか言いようがありません…… すっかり夢中になってしまったのです。そして父や叔父、祖父も同じでした。単純に、この楽器の音が私の心に響くのです…… 私はこの楽器でこそ、自分の気持ちを最もよく表現できるのです。
― https://www.mattmolloy.com/
彼の最初のフルートは、ドイツのピアノメーカーであるウーリッツァーWurlitzers製で、1920年代に父がニューヨークで購入したものでした。それは長い間しまわれていて、ほとんど演奏されていませんでしたが、モロイの輝かしい音楽の旅はこのフルートから始まりました。その音色は小さく、甘美で、ソロ演奏には適していましたが、セッションやグループ演奏では音が埋もれてしまったため、やがてより力強いルーダル&ローズ製のフルートに替えることになりました。
モロイは、与えられたすべての機会でフルートを演奏しました。隔週で開かれる家族の集まりや、隣に住んでいた熱心な教師でありアイルランド伝統音楽の愛好家の存在が、若きモロイに演奏を探求する十分な場を与えました。また、彼は訪問してきたケーリー・バンドにもよく知られており、ステージに飛び入りしてフルート奏者の代わりを務めることもありました。そのおかげで奏者はステージを降り、ダンスを楽しむことができたのです。驚異的な才能はもちろんのこと、こうした行動もあって、彼は非常に人気がありました。
彼の努力と練習は実を結び、19歳までに全アイリッシュ・フルート選手権での優勝を果たし、無数のフラー・キョールや音楽コンクールで優勝を重ねました。
出典:1976年頃のザ・ボシー・バンド(Facebook提供)
ダブリンでの音楽活動初期
マットは1960年代後半にダブリンへ移り住みました。当時のダブリンは、フォーク音楽の大規模なリバイバルが始まろうとしていた時期でした。彼は数多くの音楽セッションの中でパディ・モローニPaddy Moloneyと出会い、それが現代の伝統的なアイルランド音楽史の一幕となったのです。
1979年にモローニはマット・モロイをザ・チーフタンズThe Chieftainsに招きましたが、それ以前にモロイはアイルランド音楽史において最も愛され、影響力のある伝統音楽グループの一つであるザ・ボシー・バンドThe Bothy Bandを結成していました。
マット・モロイは、ドーナル・ラニーDonal Lunny、パディ・キーナンPaddy Keenan、パディ・グラッキンPaddy Glackin、トニー・マクマホンTony McMahonと共に1975年にバンドを結成し、後に兄妹であるトリーナ・ニー・ドーナルTríona Ní Dhómhnaillとミホール・オ・ドーナルMícheál Ó Dómhnaillが加わりました。
▲約3分20秒頃のモロイのソロに注目
モロイの「膨大なレパートリーとその組み合わせのセンス」がザ・ボシー・バンドに革新をもたらし、ロックンロールに慣れ親しんだ国際的な観客にとって、アイルランド音楽を超越的な体験へと昇華させました。これにより、彼らはその後の伝統音楽グループの新たな基準を築いたのです。
― メリリー・ハーパーMerrily Harpur (The Irish Times)
バンドは1979年に解散しましたが、モロイのフルートとパディ・キーナンのイーリアン・パイプスが絡み合うデビューアルバムの「The Kesh (jig)」は、アイルランドの木製シンプル・システム・フルートに新たな可能性をもたらした伝説的な演奏として、今も語り継がれています。
モロイは1978年、プランクスティPlanxtyの第二期メンバーとして参加しました。当時のバンドには、アンディ・アーヴァインAndy Irvine、ドーナル・ラニーDónal Lunny、クリスティ・ムーアChristy Moore、そして故リアム・オグ・オフリンLiam Óg O’Flynnといったアイルランド音楽界の巨星たちが名を連ねており、世界的な成功を収めていました。
ザ・チーフタンズ時代
1979年、プランクスティのアルバム『After the Break』のリリース直後、モロイはプランクスティを去り、パディ・モローニの要請を受けてザ・チーフタンズに加入しました。ダブリン出身以外のメンバーとしては、バンド史上2人目の加入となりました。
現在も彼は、グラミー賞を受賞したこのアイルランド伝統音楽のスーパーグループの一員として活躍を続けています。
出典:ザ・チーフタンズ(Facebook提供)
その後、マット・モロイはポール・ブレイディPaul Brady、アイリッシュ・チェンバー・オーケストラIrish Chamber Orchestra,、ミホール・オ・スーラボーンMícheál Ó Súilleabháin,、シェイン・マクガワンShane McGowan、ドーナル・ラニーDónal Lunnyらと共演・共作を行ってきました。
彼が関わったアルバムはソロ、コラボレーション、グループ作品を含め数えきれないほどありますが、中でもドーナル・ラニー(ブズーキ)との共演を収めたセルフタイトル・アルバム『Matt Molloy』は、史上最高のアイリッシュ・フルート・アルバムと称されることが多い作品です。
また、1993年にモロイのパブ(メイヨー県ウェストポート)で録音された『Music at Matt Molloy’s』は、世界的に最も知られる伝統音楽セッション・アルバムの一つとなっています。このアルバムは、世界中にトラッド音楽ファンを生み出し、年間を通して観光客がモロイのパブに押し寄せるきっかけとなりました。私自身も、国際的なトラッド音楽シーンに小さな居場所を持てたのは、少なからずマットのおかげだと思っています。
正直、彼について語り続けることはできますが、要するにマット・モロイは1960年代以降の偉大なトラッド音楽のすべてに貫かれる卓越した系譜を体現する存在であり、アイルランド音楽界の巨人なのです。
モロイ独自のスタイル
マット・モロイは、フルート奏者というよりもイーリアン・パイプス奏者やフィドル奏者のレパートリーを好んで演奏することで知られています。また、彼は「ハードD」を演奏した最初のアイリッシュ・フルート奏者であり、この奏法はその後、コナル・オ・グラダConal Ó Gradaをはじめとする多くのトップ・フルート奏者に受け継がれています。
イーリアン・パイプスの「ハードD」に似たこの奏法は、モロイが独自に開発したアンブシュア(口の形)の技術によって生まれました。エッジの効いた複雑で力強いDの音を出すもので、彼のアルバム『Matt Molloy』に収録された「The Gold Ring Jig」で完璧に表現されています。
さらに、マット・モロイはフルートをE♭キーで演奏するスタイルを確立したことでも有名です。本来、アイルランド音楽ではDキーが一般的ですが、モロイが友人からE♭キーのフルートを譲り受けた際、Dキーのセッションでは使いどころがなかったため、やむを得ず新しい試みを始めたことがきっかけでした。
フィドル奏者のトミー・ピープルズTommy Peoples,は、音を明るくするためにDキーから半音上げて演奏することを好んでおり、モロイのE♭フルートを聴いたことで、新たな演奏スタイルが生まれました。モロイはE♭フルートで最初のアルバムを録音し、それ以来、多くのアイルランドのミュージシャンがE♭で演奏するようになりました。このスタイルは現在も受け継がれており、トラッド音楽を始めたばかりの人々をしばしば混乱させる要因となっています。
宇宙にて、Catherine ‘Cady’ Colemanとマット・モロイのフルート(出典:NASA [Public domain])
マット・モロイは、アイリッシュ・フルートの可能性をかつてないほど高めた人物であると言えるでしょう。これは比喩的な意味だけではなく、文字通りの意味でも当てはまります。というのも、彼の愛用するPratten Perfected fluteが、2011年のセント・パトリックス・デーにアイリッシュ・アメリカ人宇宙飛行士でフルート奏者のCatherine ‘Cady’ Colemanによって国際宇宙ステーションで演奏されたからです。モロイとはHoustonで数年前に出会っていました。
現在のマット・モロイ
2018年10月にリリースされたアルバム『Back to the Island』は、マットにとって20年以上ぶりのソロアルバムとなりました。そして彼の演奏は、歳を重ねるごとにさらに円熟味を増しています。
マット・モロイは、最初のソロアルバムの時点で既に完成されたフルート奏者だった。彼はそれ以上上達する必要はなかった。しかし、私にとって『Back to the Island』は、それから半生を経た彼の演奏にさらに洗練された流れを感じさせ、長年積み重ねた経験の結晶のように響いている。
― Dave McNally
私は今年1月、ダブリンのThe Cobblestoneで行われたマット・モロイのライブを観ました。共演者はジョン・カーティーJohn Carty、Brian McGrath 、アーティ・マグリンArty McGlynn。そして予想通り、信じられないほど素晴らしい夜となりました。この生ける伝説が、そう簡単に歩みを止めるとは思えません!
マット・モロイズ・パブにて(出典:Instagram提供)
そして、もしかしたらあなたがウェストポートに立ち寄ったとき、モロイが彼のお気に入りのバーの「古くて暗くて居心地のいい隅っこ」で、パイントを一杯か二杯傾けながらフルートを吹いているところに運よく出くわすかもしれません。そして、アイリッシュ音楽のファンにとっては、これ以上の幸せはなかなかありません。