わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その25:大島豊

ライター:大島 豊

今世紀の初め、ぼくの音楽の聴き方に一大転機が訪れます。それまでぼくはずっとスピーカーで音楽を聴いていました。中学生の時に買ってもらったオーディオ・セットから始まり、社会人になってあるオーディオ・ショップに入り浸ってのめりこみ、金額にすれば数百万をオーディオに注ぎこむまでになりますが、1990年代後半にアナログからCDにメインのメディアが転換した他はずっとプレーヤー、アンプ、スピーカーという組合せでした。

2002年に、それまで使っていた高額なピュア・オーディオ製品を下取りに出して、Bang & Olfsen のミュージック・センターとスピーカーを買いました。ミュージック・センターというのはCDプレーヤーにFM、AMラジオのチューナーが一体化したもので、スピーカーはアンプ内臓のアクティヴ・スピーカーです。その頃のバング&オルフセンはミュージック・センターとアクティヴ・スピーカーのセットが主力商品でした。趣味としてのオーディオはもう卒業して、簡便ながら質の良い音の B&O で音楽を聴くことに集中しよう、と考えたのです。

けれども、この B&O のセットはあまり活躍することがありませんでした。もう記憶が定かではありませんが、その少し前だったはずです。本誌『クラン・コラ』の共同創設者の菱川さんがブログでオーディオ・テクニカのヘッドフォンを買い、それで聴いたヴォーカルのすばらしさを絶賛しているのに遭遇しました。それまでヘッドフォンで音楽を聴くことはほとんどまったく考えたこともありませんでした。

菱川さんの記事はぼくにとっては衝撃でした。スピーカーよりもヘッドフォンの方がよりよく音楽を聴けるのか。とはいえ、その頃はヘッドフォン、イヤフォンは今のようにオーディオの主流ではありません。それはオーディオの世界では「アクセサリー」の一部で、情報もあまりありませんでした。インターネットはありましたが、そこに情報があったとしても、それを集めてくるスキルはまだ未熟でした。それでも、携帯用のCDプレーヤーを買い、安いヘッドフォンで、屋外を歩きながら音楽を聴くことの愉しみを発見していました。どんなヘッドフォンを使っていたかはもう忘れていますが、KOSS Porta Pro を買った記録があります。

音楽を聴くためにスピーカーの前に座らなくてもいい、というのは画期的でした。さらに、音楽を聴きながら外を歩くと、目に映る風景、風光によって聞えてくる音楽の味わいも変わるということに驚嘆しました。その変化にぼくは夢中になりました。そしてもう一つの要素がそこに加わります。シャッフル再生です。アナログとCDの決定的な違いは、演奏する順番を変えられるかどうかです。シャッフルによって1枚のアルバムの中に限られるものであっても、曲順が変わることで各々の曲の表情も、全体の情景もまったく変わってしまいます。次に何が来るのだろうというスリル、おー、これが来たかというスリル。元のアルバムではぱっとしなかった曲が活き活きと鳴りだし、大のお気に入りだった曲が輝きを失う。そうして、せっかく買った B&O のプレーヤーとスピーカーのセットは埃をかぶるとまではいかなくても、メインの装置の座からすべり落ちたのでした。

時代は大きく変わっていました。2003年04月、Apple は iTunes, Ver.4 をリリースします。ここでAACのフォーマットに対応しました。AAC は MP3 同様不可逆圧縮のフォーマットですが、MP3 よりも音が良いと言われていて、任天堂やソニーのゲーム機でも採用されていました。早速手許のCDを iTuens で AAC にリッピングした音を聴いて、これなら行けると判断し、ぼくは持っているCDを片っ端からリッピングしはじめました。以来、CDを買うとまずリッピングして、ファイルにしたものを DAP で聴くことにしています。現時点でライブラリーはアルバム・タイトルで11,000以上、容量にして3TBを超えていますし、フォーマットも一度 AIFF でリッピングした後、FLAC や ALAC に変換して聴いていますが、半分以上はこの時リッピングした AAC のままです。DAP はまず最初は iPod でした。2002年年末に iPod 20GB を買っています。以後、2年ごとに容量が大きくなるにつれて2004年に 40GB、2006年に 80GB と買い直し、2008年からは iPod touch に乗換えます。

ここでシャッフル再生が新たな意味を持ちだしました。iPod の中には数百枚のCDが入っているわけで、アルバムを超えたシャッフルが可能になったのです。1枚のCDの中ではある程度進めば、選ぶ対象はせまくなってきて、後はあれとあれしか残っていない、とわかります。数百枚ではもうわかりません。予想がまったくつかないスリルとサスペンスは限りがなくなりました。これにはどっぷりとハマりこみました。もうCDで1枚ずつ聴くなどというのはまどろっこしくなります。新しくCDを買えばまずリッピングしてDAPにほおりこみ、シャッフルで聴く。

スピーカーで聴いていた時、聴く単位はアナログにしてもCDにしてもアルバムでした。2枚組、3枚組のこともありますが、1タイトルのまとまりです。シャッフルで聴く単位はトラックになります。アルバムが意識にのぼるのは、このトラックは誰のどのアルバムに入っているか、と後から確認する時になります。そうするとアルバムは一つのまとまりのある作品というよりも、そういうトラックが集まったものになってきます。

この時期、ぼくが多少ともクラシックを聴いていたなら、あそこまでシャッフルにハマりこむことはなかったかもしれません。長い曲、交響曲や〈ゴルトベルク変奏曲〉をシャッフルで聴くことはおそらくなかったからです(〈ゴルトベルク変奏曲〉は面白いかもしれません)。しかし、2010年代も後半になるまで、クラシックに戻ることはなく、今世紀初頭にはその前の時代の余波でひたすらアイリッシュ、それにスコティッシュを聴いていました。それも圧倒的にインストルメンタル、つまりダンス・チューンです。そうするとますますアルバムの意味は薄れていきました。

そこで、ぼくはもうアルバムのようなパッケージは意味が無い、と勝手に思いこんだのです。ぼくとしては時代の進む先を読んだつもりでしたが、その実、それによって音楽との交際に、少なくともその一部に空白が生まれたのでした。以下次号。(ゆ)