【最新号:クラン・コラ】Issue No.345

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森

Editor : hatao
January 2023 Issue No.345
ケルトの笛屋さん発行

地元の名ミュージシャンたち:松井ゆみ子

地元の名ミュージシャンたち:松井ゆみ子

わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その18:大島豊

音楽とそれがよってきたる場所の関係がなぬきさしならぬものであることは、それまでの音楽体験の中でわかってきていました。それまでの体験の中で場所による違いを最も明瞭に感じていたのはクラシックでした。

当初、右も左もわからず、ロマン派も古典派もバロックも知らずにやみくもに聴きだしてはいたものの、聴いてゆくうちにそうした時代による違いはわかってきます。加えて、作曲者の出身地による違いも、最初は漠然と、そしてだんだんと明瞭に聴きわけられるようになりました。そうしてとにかく片端から聴いてゆくなかに、これは好きだ、こういう音楽をもっと聴きたいと思える楽曲も現れてきます。そして行きついたのは、地域特有の響き、フレーズを格とした音楽でした。作曲家の名前でいえばリムスキー・コルサコフ、ムソルグスキーであり、ラヴェル、ダンディンであり、シベリウス、グリーグであり、コダーイ、バルトークでありました。こうした人たちが、各々に出身地の伝統音楽をベースにしていた、というのはもっとずっと後になって知ることになりますが、各々に特徴的な音楽が場所による違いであることはわきまえるようになります。

ロックにあっても、ブラックホークにおいて松平さんはミュージシャンの出身地による違いに焦点をあてていました。アメリカとイギリス、アメリカの東部と西部と南部という具合です。同じ西部でもカリフォルニアとワシントンではサウンドが違うし、東部でもニューヨークやフィラデルフィアの都市と、ニューヨーク・アップステートでは音楽が違うわけです。最後にはさらに細分化して、ミネソタのような州やアトランタのような都市をクローズアップすることになりました。

「トラッド」と呼ばれた伝統音楽においては場所と音楽の関係はさらに密接になります。ラグビーでは昔から五ヶ国対抗戦、今は六ヶ国対抗戦が最高峰とされています。この五ヶ国はイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランスでした。フランスはともかく、前の四つはラグビー以外では普通「国」とは認識されません。ブリテン群島の伝統音楽に踏みこんだとき、ぼくらの前に現れた風光もまたこの四つがまったく別々の伝統をもっていました。伝統が異なる場所はそれぞれに「国」になります。

もっとも四つの「国」個々の伝統がどれくらい異なり、どういう特質を備えるかということは、まだわかりませんでした。ただ、なんとなく違うのはわかりますし、しかもその違いが決定的であることもわかります。つまり、どこがどうとは適確に言えないけれど、聴けば違いはわかるわけです。

イングランドとスコットランドは、基盤になっている文化がゲルマンのものとケルトのものというところで大きく異なり、したがってその違いも対照的です。ですが、アイルランドはいささか厄介です。スコットランドと共通することは確かですが、イングランドの要素も大きい。そもそも言語も英語がメインです。

スコットランドの人びとはイングランドと地続きであるためか、対抗心が強烈です。影響という面では、スコットランドがイングランドから受けたものはアイルランドが受けたものより遙かに大きいはずですが、自分たちはイングランドとは違うという意識がより強烈です。いわば自意識が強い。アイルランドの人びとはそこまで違いを意識しません。少なくともしていないように見えます。

別の角度から言うと、スコットランドの人びとはイングランドの影響を排除することによって帰属意識を確立しようとするのに対し、アイルランドの人びとは自分たちの独自性を増幅することによって帰属意識をより鮮明にしようとします。

もう一度視点を変えると、伝統音楽のフィールドでアイルランドとイングランド各々のミュージシャンたちのコラボレーションは、そう頻繁ではありませんが、いくつもなされており、しかもすぐれた成果を生んでもいます。一方、スコットランドとイングランドのコラボレーションはちょっと思いつきません。

ドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《Broken Hearted I’ll Wander》はアイルランドとイングランド各々の文化の最も幸福な出逢いと融合の一つです。だからこそ、そこにさりげない形で増幅されているアイルランドの特質が耳に入ってきたのでしょう。それは、これがアイルランドだ!とわかったのではありませんでした。はじめは、どうもなんとなく他には無いものがここにはあり、それがアイルランドに由来するものらしい、という形でした。アイルランドの要素はくり返し聴くうちに、だんだんと沁みてきたのです。

ここに聴かれるアイルランドの特質を耳につくままにあげてみます。

まずホィッスルとイリン・パイプの音色。冒頭、フォークナーの歌を導くのがまず2本のホィッスルです。ティン・ホィッスルは今ではあまりにもあたり前になりましたが、1980年頃にはまったく事情は違いました。今でもまだそうですが、ホィッスルの音色にはアイルランドのカラーがあります。前提なし、条件なしにホィッスルの音を聴くと、アイルランドが浮かんできます。少なくともぼくはそうです。ポーグスなどを先に聴いてきた人はまた違うかもしれません。

パイプの音にはさらに一層アイルランドの色が濃く現れます。1981年当時、uillean pipes をどう読むのかもわかりませんでした。その頃は「ウリアン・パイプ」と読んだりしていました。ちなみにこれが「イリン・パイプ」または「イレン・パイプ」が最も近いとわかるのは、ずっと後年、リアム・オ・フリンが来日し、パイプについての講演をしてくれた時でした。ボシィ・バンドのレコード・ジャケットなどで楽器の姿はわかりますが、その持ち方、演奏のやり方などは雲をつかむようなものでした。

あるいは冒頭の〈The Ploughboy〉で歌の後にジグを続けるという形も、アイルランドの他では聴いたことがありませんでした。しかもそのジグの曲調も、今聴けばまさにアイルランド産以外のものではありません。当時はこれをアイルランド産と明確にはわかるはずもありませんでしたが。

さらに〈Tommy Peoples; Mary Shore〉のフィドルのソロ。〈The Home Ruler; Cross the Fence〉のメドレー2曲目でのフィドルとパイプのユニゾン。ダンス・チューンの演奏がメロディ楽器だけで、リズム楽器が何も無いというのも、それまで他では聴いたことがありません。

そして何よりもドロレス・ケーンの力みとか力瘤とかがまったくないにもかかわらず、あらがいようもなく浸透してくる発声と歌唱。フォークナーの歌唱にも力みや力瘤はありませんが、しかし比べてみるとそこには日常とは一線を画した姿勢が明瞭にあります。いうなれば、日常生活にどうしてもついてくる雑味、しがらみなどを断ちきって、純粋な歌の世界を生みだそうと努めるベクトルです。ドロレスにはそうした意識がありません。歌はおしゃべりとまったく同列のレベルであって、呼吸と同じく、半ば無意識にしていることです。それでいて、その声と歌唱はこの世とは別の異世界を呼びだしていて、聴く者はその異世界にするりと引きこまれてしまいます。もうひとつありがたいことに、お噺とはちがって、ドロレスの歌が終れば、ぼくらはまたするりとこの世界へと戻してもらえます。

留めとして6曲目、アナログ盤ではA面ラストの〈Mouth Music〉。これはスコットランド産であることはライナーノートに書かれていますが、本家の Puirt a beul を聴くことができたのは何年も後で、当時はこれがいったいどういうものなのか、さっぱりわかりませんでした。わからないままに、おそらく元はスコティッシュ・ゲール語のエキゾティックな響きと、歌によるダンス・チューン演奏、らしいそのスタイルには、ぎょっとして魂を掴まれたのです。

これらを「アイルランド音楽の特質」と当時、理解していたわけではありません。ただ、イングランドでもスコットランドでもない、ウェールズでも、もちろんブルターニュでもない。録音がダブリンとあるからには、これはアイルランド産なのだろうと漠然と見当をつけていた、というのが正直なところです。漠然とした見当ではありましたが、そのぼんやりとした認識は決定的でした。

そして、このアルバムに続けて、もう1枚、別の角度から音楽を生む土地としてのアイルランドを訴えるレコードに出逢うことになります。メアリ・ブラックのファースト・アルバムでした。以下次号。(ゆ)

「好き」の光景:field 洲崎一彦

さて、年も明けて令和5年になりましたね。皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。今年もよろしくお願いいたします。そして、年が改まったのを機に、この際、「ガンダム」に引きずられるのを一旦ストップしようと思います笑。

前回はたたき上げのアニメオタクの方との「ガンダム対談」を通して、「好き」のパワーを目の当たりにしたというお話しをしましたが、この「好き」というキイワードは年を越した今も私の心に突き刺さっています。

折しも、この1月はfieldがアイリッシュパブになって丸23年を迎えます。パブが23年ということはイコール「fieldアイルランド音楽研究会」(以下、アイ研)も23周年になるわけです。2020年の1月に行ったパブ20周年パーティーを最後にコロナ禍に突入したので、今回のパーティは「復活パブ周年パーティー」となります。20周年のパーティーの時は同様にアイ研20周年でもあるので、これを記念して、サークル「アイ研」の元になった2つのバンド「field アイルランド音楽研究会」と「バトルスティックス」の当時のメンバーに集合をかけて集まれる範囲の元メンバーで再現ライブを行ったのでした。これは懐かしさもあって非常に盛況でした。

ここで、アイ研の歴史をとうとうと語るのも間延びしてしまいますが、簡単に紹介すると、2000年1月に「coffee / gallery field」が「Irish PUB field」に様変わりをした同じ5月に、上記の様にそれまでアイルランド音楽の演奏で個別に活動していた「fieldアイルランド音楽研究会」と「バトルスティックス」という2つのバンドが合体してセッション活動を中心とするサークル「fieldアイルランド音楽研究会」に再編されたのでした。

当初は新入部員もどんどん集まり、非常にエネルギッシュかつ世間知らずな集団で、お呼びでない所にまで出没してセッションテロを敢行し、同好の先輩諸氏からも不審の目を向けれらがちでしたが、年を経るにつれて、セッションがどういうものであるかも学び、他の同好の先輩たちとも交流を深め、次第に落ち着いた集まりになって行きました。しかし、初代部長のI氏が京都から大阪に転居したのをきっかけに、だんだん独自の活動が低迷して行き、2010年に「アイ研10周年コンサート」の大花火をを大々的に打ち上げたのがろうそくの最後の輝きの如くその後はだんだんその存在感もしぼんで行ったという経緯があります。事務が滞り、部費徴収(年間360円)に不具合が出てこれを撤廃してからはその実態はほぼ消滅し、現在は最後の部員名簿を頼りにMLが細々と連絡網として機能しているだけになりました。

今回の23周年パーティーでこんなアイ研にスポットを当てるのはもはや時代錯誤で、アイ研はもはやオワコンですよという意見も多かったのですが、私は個人的にあの頃のことをリアルに思い出して見たいという衝動にかられて(寄る年波ですか)いろいろとネタを模索していたその時です。コロナ禍全盛の一昨年に混沌の物置になっていた店の最奥の魔境の断捨離を敢行した折に見つけたいくつかの古いVHSビデオテープ。あれには何が入っていたのか?とふと思い立ってさっそくまたそれを掘り出してきて再生してみたのです。

するとそこには、2000年5月に日本ツアーを行っていた当時のアイルランドで最も勢いのあったバンド、アルタンの面々が京都公演の後に当店にやって来てくれて、出来たばっかりの当時のアイ研の面々が歓喜の悲鳴を上げながらこれを迎え、セッションに持ち込んでいく様が映し出されていたのでした。

うわ!みんな笑うほど若い!というのも衝撃ですが、そこに映し出される混雑の中にうごめく人達が全員満面の笑顔笑顔の連続なのです。

当時はまだネットが普及していませんから、私達がアイリッシュチューンを覚えるのはもっぱら日本でも手に入るCDが何よりの頼りということになります。なので、アイルランドでも商業的に成功しているミュージシャンやバンドのCDがお手本になるわけです。ということで、このアルタンやチーフテンズ、デ・ダナン、ルナサというあたりが私達の一番のアイドルというわけです。その本物が目の前に現れたのですから、これには私らおっさんでも黄色い声が出てしまいます。

書きながら思い出しましたが、その大御所ミュージシャンがライブ後にいわゆる打ち上げにやって来てくれた。が、ライブ終わった打ち上げの席で果たしてあんな大物達が私ら素人のセッションなんかに参加してくれるのだろうか?と、当時はアイリッシュミュージシャンのそういう習慣も知らない我々は恐る恐る彼らの様子をうかがうわけです。

部長I氏が私の耳元でささやきます。

「マレードさん、フィドルケース持って来てるで!」

「いや、トゥーリッシュさんは手ぶらやん」

「せやな、ダーモッドさんもキーランさんも手ぶらやな」

「ムリにセッションに誘ったらあかんのちゃうか?」

「うーん」

「とりあえず、店のバウロンにサインもろてくるわ・・・」

とかなんとか言うてる間に、アイ研切り込み隊長のシンゴがいかにも突撃斬り込み隊のように唐突にバンジョーをかき鳴らし始め、ヨコヤマがフィドルで即これに続く。これを合図にアイ研の面々が次々にセッション戦線になだれ込んで行く。アルタンの人々はそれを微笑ましく眺めてくれている。

「あかん。ほほえましく眺めてくれてそれで終わったらあかんのや。。。」

部長がつぶやく。

その時、背後からいかにもデリカシーの無い(笑)野太いフルートの音が高速リールを炸裂させた。振り返る我々の目に飛びこんで来たのは勇者hatao氏の爆裂フルートなのだ!さすが、アイ研の笛魔神!

この時、深く腰掛けていたマレードさんの腰が浮いた。

「あ、マレードさんフィドルケース開けよるで!」

「あ、トゥーリッシュさん、ヨコヤマからフィドルと分捕っとる!」

「よし、いまや!」

ということで、ダーモッドさんにはボタンがいくつか取れかかっているボロボロのfieldのボタンアコーディオン。キーランさんには当時の私のいやにネックの短いバッタもんブズーキ、ダヒさんには当時の部長ご自慢の愛器コサカギターを素早く手渡してまわる。

そうして、ついにアルタンのメンバー全員がセッションの最前線に踊り出してくるのだった!

部長と私はお互いに涙目でうなづき合うのだが、自分達の楽器をお供えしてしまったので、この奇襲セッションの演奏に参加することが出来ないのだあ!しかしもうそんな事は関係ない!

ぶちょーよ!fieldをアイリッシュパブにした目標はもはや遂げられたぞ。明日からもうパブを閉じてもええで!と口走りながら私もぶちょーも涙にむせぶのだった。完

いやはや、今これを書きながら、昨日チラリと見ただけのVHSテープに残された映像の刺激に触発されて、こんなことあんなことを堰を切るように思い出してしまいました。

これ。「好き」のパワーそのものではないのか!

前回の話題にもつながるが、私達にもこんなに「好き」のパワーがほとばしってた頃があったんや。私達はこのことを永らく忘れてしまっていたのではないか!

さっき、部長I氏にLINEして、こんな映像が見つかったから今度の周年パーティーで、この映像をモニターに写しながら、私と対談ショウをしないか?と打診した次第です。

さて、どうなりますことやら。

fieldのパブ23周年パーティーは、1月29日(日)19時〜22時、fieldにて開催します。パーティー時間内は全ドリンク500円均一でサービスいたします。パーティーチャージなどは不要です。お時間のある方は是非遊びにきてくださいね。

今回はちょっと宣伝くさくなってしまいました笑。(す)

編集後記

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

ケルト音楽に関係する話題、例えばライブ&CDレビュー、日本人演奏家の紹介、音楽家や職人へのインタビュー、音楽旅行記などで、1000文字程度までで一本記事をお書きください。

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

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