ライター:茶谷春奈
はじめまして、茶谷春奈(ちゃたにはるな)です。
和歌山生まれ・和歌山育ちの生粋の日本人ですが、ケルトにまつわる地、スペイン・ガリシア地方の伝統音楽を伝える一人として2024年から活動をさせていただいています。
今回は、ケルトにご縁のある皆さまに、ぜひガリシアのことを知っていただきたく、わたしの体験談やガリシア音楽についてのお話をシェアさせていただきます。
わたしは、母がピアノ教室を営む家庭で育ったので、小さいころから音楽は身近にありましたが、ガリシア音楽に出逢うまでは、今まで特に音楽を学んだり人前で演奏をしたりしたことはありませんでした。
しかし、昨年ワーキングホリデーでスペインを訪れた際、偶然参加した村のお祭りでガリシア音楽に出逢い、あまりの感動と懐かしさに、これは運命だと感じ、この音楽を奏でる一人になりたいと思い、音楽活動を始めました。
滞在していたのは、スペインの北西端、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という街から車でさらに1時間ほど西へ向かったところにある、「カマリーニャス」という人口2000人ほどの小さな村です。森と海に囲まれ、信号機が一台もないほどのへんぴな田舎村で、日本人一人、生活を初めて3週間目のまだまだ言葉もうまく話せない時期でした。
ガリシア音楽に出逢ったときの感動は今も忘れられません。まるで心の中に太陽が昇ってくるような…、初めて耳にするリズムやメロディなのに、何故か無性に懐かしく、喜びに溢れるエネルギーが心の底から湧き上がってきたのです。このような感覚になったのは生まれて初めてでした。自分の生まれ故郷から遥かこんなにも遠く離れた土地で、まさかこのような体験をするとは…。とても不思議でした。
感動のあまり、思わず「わたしもやりたい!」と口にしてしまいました。すると、ある一人がその場でわたしに「パンデレタ」という打楽器を持たせてくれ、見よう見まねで叩いてみると、初めてにもかかわらず、基本的なリズムが叩けてしまいました。まるでわたしの手が元々それを知っていたかのように、自然と動いてしまったのです。
そのとき…、(わたしはもともとはスペイン語を学ぶためだけにスペインへ行き、偶然その村に滞在していましたが)この土地の人々、音楽と出逢ったのは運命だと感じました。「わたしもガリシア音楽を学びたい!」と言うと、村の人々が、「そんなにやりたいなら…!」と言って、村の音楽グループの仲間に入れてくれました。
それから10か月間、村の人々から見よう見まねで学ばせていただき、ガイタ・ガレガ(ガリシアのバグパイプ)とパンデレタ(タンバリンのような打楽器)という二つの楽器の演奏と、パンデレタを叩きながらガリシア語の歌を20曲ほど弾き語りができるようになりました。
ガリシア音楽は、主にお祭りのための音楽です。毎月行われる様々な村のお祭りで、楽器演奏者や歌い手、踊り手などが心を一つにしてパフォーマンスをします。明るく弾むようなメロディが多く、その場にいると身体が勝手に踊り出しそうになります。(実際にわたしが日本で演奏をさせていただいた際にも、ご高齢者が集う音楽会にて、参加者の皆さんが自然とリズムに乗って踊り出してくださったことがありました。)
楽器は主に、ガイタ・ガレガや、パンデレタ、ボンボ(大太鼓)、タンボル(中太鼓)などがあります。
ガリシアの土地には、大昔はケルト人が住んでいたと、村の人々から聞きました。実際、至る所にケルトの集落跡や遺跡、シンボルマークなどが多く残っています。ケルト人は自然とともに暮らしていた民族で、薬草で病気を治す知識などを持った「魔女」と呼ばれる人々がいたそうです。しかし、ローマ帝国時代の支配でケルトの人々はほぼ絶滅し、今では魔女の叡智は完全に失われてしまいました。しかし、その土地の生活や文化、特に音楽には、ケルトの記憶が今もかすかに息づいているように感じます。
ガリシア音楽のリズムやメロディは、日本ではなかなか耳に触れられない独特のものです。しかし、日本で演奏させていただいて、「初めて聴いたのになんだか懐かしい感じがする」とおっしゃる方に何人も出逢いました。そう感じるのはわたしだけではないのだと知り、嬉しくなりました。わたしたち日本人の中にも、もしかするとケルトの記憶はあるのかもしれません。
これを読んでくださったあなたにも、いつかガリシア音楽に触れていただける日が来ましたら嬉しいです。