やっぱり音楽の話をしよう!:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

さて、前回、音楽のことはどんどん論争すべしと言ったわけですが、実は、問題が出て来ました。音楽の感じ方というのは人によって千差万別だということです。つまり、ネット上での不毛な論争によくある「それはあなたの感想でしょ?」の一言で議論が崩壊してしまうということです。さらに、感じ方に加えて、音楽の目的も人によって千差万別だということです。つまり、「それはあなたの楽しみ方でしょ?」の一言で終わってしまい、音楽でまともな論争は初めから無理があるということになってしまいます。

これは困った。

では、音楽にとって何が不動の正義なのか、ということが気になってきますね。

それがいわゆる、ウケる、ウレる、ということになるのでしょうか? 「いやいや、ひとりで楽器を弾いてるだけでも充分に楽しいです!」という反論はすぐに思い付きます。では、音楽による正義は「楽しい」ということでいいのですか?

まあ、「音を楽しむと書いて音楽なのです」とか言うような言い古されて来たお話しもあるので、それはそれでいいのですが。。。そうすると、音楽というものは極個人的なものでその人が楽しんでいるのならそれでいいじゃないですか、と、なってやはり話が終わってしまいますね笑。

しかし、それならば、何故、人はつい音楽で論争してしまうのか。あ、いや、今はあまり論争しないわけですから、音楽に関して何か言いたくなってしまうのか、という問題ですよね。冷静に考えれば音楽はそれぞれ個人的なものなので別に自分はこう思うなどと外に向かって表明する必要はない。

あ、そうか。人と合奏する場合に音楽は極個人的なものではなくなってくる。そうです。これです。

合奏という作業においては、「それはあなたの感想でしょ?」では合奏できないですね。「私は私の思うように弾くから、あなたはあなたの思うように好きに弾いたらいいよ」で、ばっちり合奏が決まるのは、よほどのベテラン同士以外にはあり得ない。ベテランは積み重ねた数々の経験から、相手がこういう音を出したらこう、ああいう音を出したらこう、というふうにいちいち言葉にしなくてもお互いに音で読み取るわけですが、そんな強者ではない私たちは、あ、そこの間はどうやって取ってるの?等など、やはり確認し合わなければなかなかまともな合奏ってできない。

あるいは、普段から音楽の話をしてなんとなく感じ方が似ている人に狙いをつけて共に合奏するというような事って無意識にしてしまってますね。だから、音楽の話をわりと意識的にけしかけるみたいな。つまり、自分の音楽に対する思いは外に向かって表明しておかないと、なかなか、そういう人間に巡り会うことができないと。

ここで、よく世間で言われるところの、音楽は共通の言語であって音楽に国境はない、これですね。これは前にも言及したことがありますが、明らかに幻想です。例えばクラシック音楽など世界共通の教養とみなされているものを学んだ異国人同士であればしっかりした共通概念があるので、なんとかこの事は成り立つ可能性がありますが、やっかいなのは、民族音楽ですね。

同じ民族文化に属する人同士であれば、むしろ言葉にできない類いの共通認識があるわけで、この部分に関しては、せいの!えいや!で充分なコミュニケーションが可能でしょう。だからこそ、異文化人がこの種の音楽を理解するのは難しい。が、この難しさがまた、マニア心をくすぐると言いますか、多くの人が、より深くのめりこむ要因にもなるのでしょう。

しかし、もともとの民族文化に属する人たちの間では、それは多くの場合言語化されないわけです。なんとなく存在する共通認識なわけですから言語化する必要がない。とすると、非文化圏の私たちはこの事をどうやって理解すればいいのでしょうか。

こっからが雲をつかむようなお話になって来るわけですね。

つまり、オリジナルの文化圏の人はひたすら何も言わない。私たち非文化圏の人は、やたら、ああでもないこうでもないといじくり回すという事態が出現する、もうらちが明かない!と、本国を訪問してそこの音楽家に弟子入りしてみる。しかし、オリジナルの人は何も言わない。言ったとしても、自分達が当たり前だと思っていることをこの目の前の外国人にとっては想像も及ばないことであることすら想像できないわけですから、私たちが知りたい事に関してはやはり何も言ってくれない、というような皮肉なことが往々にしておこってしまうわけです。

これは、ジャズ修行の日本人がニューヨークに出かけていって地元のジャズマンとセッションとかしてですね。こうやってスウィングするのだよ!とか腕をぐるぐる回して指とか鳴らされて、オーイエー!とか言われて煽られますわな。するとその時はその場の空気でなんとなく判ったような楽しい気分になるんですが、帰ってくるともう判らない。あれはいったい何を言ってたんやろうと、なる。こういうことは普通に起こりますね。

だから、ジャズにしても独自の一家言を持っている日本人は多いのでしょう。同じように、我が民族音楽であるところのアイリッシュに至っては、そもそも日本でこれを演奏する人の数はまだまだ少ないわけで、ひとりひとりが未だ試行錯誤の最中だといっても過言ではない。と、なれば、確かにいろいろ感じ方や楽しみ方は極個人的なことなのですが、他の人はどう感じてるんやろうという所に興味を持つのは自然なことだし、情報交換という要素も有意義なのではないか。考えてみたら、論争などしている場合ではない。

という風に、音楽、特にアイリッシュにおいては、もっとどんどん論争すべし、という方向に持っていきたかったのですが、あらら、論争などしてる場合ではないという方向になってしまいました笑。

が、自分はもう充分にアイリッシュ音楽を楽しんでいるし満足している、と言い切れる場合は、確かにもうこんなにあくせく考える必要はないかもしれません。が、私等は、毎月感じ方が変わると言っても大げさではないぐらいに、頭の中はいつも、ああでもないこうでもないとあくせくしてしまっています。なので、そう、人助けだと思って、特に若いひとたち!私と音楽の話をしましょうね!

ただ、しゃべる人がいない寂しい老人だなんで思わないでね。まあそういう面もないではないんやけど笑。(す)

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