ライター:hatao
前回は私のTune of the day(毎日曲投稿)活動についてお話ししました。
アイリッシュのチューンって本当に無限かと思うほど多いですよね。私は四半世紀アイリッシュを演奏していますが、知らないチューンはまだいくらでもあります。
プレーヤーは2種類に分かれます。新しいチューンを覚えるのに意欲的なのか、そうでないのか。意欲的なプレーヤーは、私のようにTune of the day活動をしてみたり、曲集を買ったり、セッションで知らないチューンがあれば即座にスマホに録音したり、自分の楽器で運指をなぞったりします。意欲的ではないプレーヤーは、セッションで知らない曲が出てきたら隣の人とおしゃべりしたり、バーに行ったり、スマホを見出したりします。こう態度の違いが、すごくわかりやすい。
まあ、同じプレーヤーにも新曲の習得に意欲的になる時期と、そうでもない時期があります。私もアイリッシュを全く聴きたくない時期が周期的にやってきます。そして、意欲的でなかろうと、セッションやCDで聴いているうちに自動的に覚えてしまうということもあります。なんとなく演奏できたけど、考えてみたら一度も練習したことなかったな……、なんていうこともあり、意欲的であろうとなかろうと、長く続けていればレパートリーは自然と増えるものです。
私はチューンを覚えることは英単語を覚えることと似ていると考えています。自由にくつろいで英会話を楽しむためには語彙力が必要です。そのためには単語を覚えるための努力が必要になります。アイリッシュの場合チューンを知らなければ演奏に加わることができず、文字通り「話にならない」わけですから、よりシビアなのですが。
あるいは、チューンは「話題」なのかもしれません。だから、チューンの背景情報や文脈を理解していないと一緒に演奏するミュージシャンと同じ会話を共有することが難しいのです。
アイルランドの伝統音楽家はチューンの背景情報をとても大切にします。コンサートでは、どこそこの誰々が演奏していて、自分は誰から習って……というストーリーを語ります。聴衆はそのことによって演奏者と伝統を共有することができ、音楽をより興味深く聴くことができます。
一方で日本人の私たちは同じ文化的「コンテキスト」を共有していないので、チューンとはすなわちメロディであり、つまりデーターベースサイトのabc譜のような「テキスト」なのです。伝統から切り離された私たちにとって最も高いハードルは、演奏技術やレパートリーではなく、文化的背景を理解することです。
最近、アメリカ人フィドラーと一緒にコンサートをする機会がありました。彼はたくさんのチューンを知っていて、非常に巧みにフィドルを演奏します。しかしチューンの背景についてはあまり知らず、どこかで覚えたランダムなチューンだ…と言っていました(”Just random tunes picked up from somewhere”)。伝統から切り離されているという点において、アジア人も白人も差はないのです。
先日のゆみ子さんの記事に、フィドル奏者のMartin Hayesの言葉として「ひとつのチューンをちゃんと弾けないうちは、いくらレパートリーを増やしても無駄だ」と言ったというエピソードが引用されています。彼の言う「ちゃんと弾く」には、チューンを巧みに演奏することのほかに、こうしたチューンの背景をきちんと理解して、その独特な良さを引き出すことも含まれているのかもしれません。
さて、Hayes氏の言うことはまったくその通りなのですが、ではどの段階でちゃんとチューンを弾けると判断できるのでしょうか。彼に比べたら私など、まだひとつもろくに演奏できている気がしません。というのは謙遜ではなく、25年前から演奏しているチューンですら、新たな演奏のしかたを見出したりするからです。
だからといって妖精の曲の伝説(※)ではあるまいし、1つのチューンだけを生涯延々と弾き続けていてはセッションに参加できません。私は、ひとつのチューンを深く理解することと、レパートリーを増やすことのどちらも重要なのだと考えています。そういうわけで、今後とも”hatao’s learn Irish tune everyday”を皆様のレパートリー開拓にご利用いただければ幸いです。
https://www.youtube.com/@hatao
※ある音楽家(フィドラーやパイパーなど)が森の中や丘で迷い、妖精に出会います。妖精たちは彼に素晴らしい曲を教えますが、その代償として、彼がそれまで知っていたすべての曲を忘れさせてしまいます。その結果、彼は生涯を通じてその 「妖精の曲」 だけを演奏し続けたと言われています。
(追記)今から何年も前、アイルランドのミルタウン・マルベイで開催されたWillie Clancy’s Summer Schoolの時に、パブ・セッションでバンドThe Boys of the Loughのフルート奏者Cathal McConnellを見かけました。1944年生まれ、当時は60代でしょうか。
セッションはとてもラフで、イケイケの若者が多数おり、新しく作曲されたと思われるモダンな曲を演奏していました。私は、Cahalのような重鎮がいるセッションで、なんと場違いな曲を…と思いました。
当然Cathalはその曲を知らないのですが、彼はカセットレコーダーを取り出し、録音しているではありませんか(当時はカセットレコーダーはすでに時代遅れでした)。
その年齢で、立場であっても新しい曲を覚えたいという熱意に私は心打たれたのでした。私も、いつまでも彼のようにありたいと思った出来事でした。