ライター:大島 豊
アイルランドで最も美しいメロディをもつラヴソングにゆっくりひたろうと思ったら、話がまったく思いもよらぬ方向に行ってしまった。どうもうまくいかないものである。そこで今回は明るく笑えるユーモラスな歌で気を晴らしたい。
この歌を聴いたのは歌のタイトルを名乗るバンドのファースト・アルバム、それもオープニングの1曲だった。1987年のことである。何かというと昔の話になってしまって恐縮だが、これも老人故とご勘弁ねがいたい。それにしてもこれがもう40年に近い昔のことかとあらためて驚く。あたしの感覚としてはつい昨日のことのように、新鮮で瑞々しい記憶なのだ。メンバーは全員40代か30代。それでいて、当時ですらすでにアイリッシュ・ミュージック界の大ベテラン、ほとんどレジェンドの域だった。このメンバーがバンドを組むのは、言うなれば、プランクシティとボシィ・バンドとデ・ダナンが合体するようなものだった。
いや、そういう昔をひきずっていたのではない。新しく出発するのだという気概がそこにはあった。気心の知れた仲間でありながら、この面子が一つのバンドとしてやるのはこれが初めてだった。一緒にやるとどういうことになるか、前から一度試してみたかったことをやってみようじゃないかという冒険精神とともに、どう転んでも、このメンバーでそうひどいことになるはずはないという自信もうかがえた。その自信ははアルバム全体に通じる余裕、ゆったり構えた悠然たるテンポにまず現れていた。その上でまさにこのオープニング・ソングのような、これまで聴いたことのなかった楽曲や解釈の新鮮さに、長かった夜が開ける黎明の光が見える気がした。
実際1987年は、1990年代のアイリッシュ・ミュージックの世界的な盛り上がりが始まった時と、後からふり返るとわかる。この年はマレード・ニ・ウィニー&フランキィ・ケネディ名義のセカンド《Altan》とデ・ダナンの《Ballroom》も出ている。いろいろな意味で決定的なヴァン・モリソン&チーフテンズの《Irish Heartbeat》が出るのは翌年だ。つまり、あのアルバムでアイリッシュ・ミュージックなるものに出会い、次に聴くものを求めた人たちにこれぞまさにアイリッシュ・ミュージックの真髄、まずこれを聴いてくれと、こちらも自信をもってさし出せるものが、パトリック・ストリートのファーストだった。
もっともそうしてさし出した例が実際にあったわけではない。《アイリッシュ・ハートビート》を聴いて仰天した人たちのまずほとんどにとって、あれはヴァン・モリソンの新境地に他ならず、チーフテンズというおっさんたちに注目した人たちが少数いたにしても、そこから先の広大な世界は想像を絶していた。その世界を世間一般の皆さんが垣間見るには、映画『タイタニック』の三等船室のシーンと『リバーダンス』を待たねばならなかた。
それにしてもパトリック・ストリートのファーストのこの音楽の瑞々しさはどうだろう。新鮮でみずみずしく、これから来るものをさし示すと同時に、それ自体が時代を超えた輝きを放ち、何度聴いても初めて聴いたときと同じ歓びを与えてくれる点で、あたしにとっては、マレードとフランキィのファースト《北の調べ》と双璧だ。
あたしは幸いにもプランクシティ、ボシィ・バンドによるモダン・アイリッシュ・ミュージックの勃興にほぼリアルタイムで立会えたのだが、その時は一体何が起きているのか、皆目見当もつかなかった。わけもわからないながら、何やら新しいことが、それまで聴いたことのない不思議な音楽が聞えてきた、という感覚だった。それがアイルランドの伝統音楽で、しかも新しい形だということは、後からだんだんにわかっていったことだった。
マレード&フランキィとパトリック・ストリートの場合には現れた瞬間にそれとわかった。80年代の沈滞をうち破るものがついに出た、重く垂れこめた雲の一角が切れて、光がさしこんできたとわかった。
聞えてきたのは、アンディ・アーヴァインがジグのビートに載せて飄々とうたう歌だ。軽やかに、人なつこいがベタつかない声が、軽い巻き舌でうたう。感情はこもらないが、突きはなしてもいない。どちらにも偏らない、釣合いのとれた声と歌い方。
興味深いことに、アンディはずっと後の録音、ノルウェイの Lillebjorn Nilsen とのライヴ《Live In Telemark》では、テンポもより速く、アグレッシヴとも言える勢いのある歌をうたっている。
歌われている内容は喜劇だ。少なくともここでアンディは喜劇として歌っている。語り手本人にしてみれば、笑える話ではない。一方でこんな失敗は笑うしかないだろう。怒ったりすればますますみじめになるだけだ。
それに語り手で主人公はパトリック・ストリートに二度と行かないかもしれないが、この歌を聴き、教訓を肝に銘じたはずの若者たちの中には、やはり同じ失敗をする連中がいるだろう。そしてそいつらもまたこの歌をうたう。そうして歌は受け継がれていく。
むろん、そんなはずはない。当事者の船乗りは歌などうたわない。この歌は話を聞いた歌作りが作ったものだろう。それに元になった実例はあまりに数が多すぎて、どれか一つの例、あるいは似た一群の話と特定することなど不可能だ。
つまりこの歌は人間誰しもに共通する弱点を歌っている。そういう弱点があることが人間である証。人間とは失敗する生きものだ。そしてその失敗を笑い話にして歌えるのもまた人間だ。そうやって失敗を乗りこえて生きてゆくのが人間だ。
アイリッシュ・ミュージックの新しい位相の開幕を告げるのに、これ以上の歌があるだろうか。
アルタン同様、パトリック・ストリートもその後傑作アルバムをつるべ打ちに出してゆく。1990年のサード《Irish Times》、1993年の《All In The Good Times》、あるいは1999年の《Live From Patrick Street》はとりわけ心に残る。1990年代、アイリッシュ・ミュージックの世界進出をリードした両輪の片方のオープナーとして、この歌、アンディがみつけてきたというこの歌は燦然と輝いている。(ゆ)
<編集部から>
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