【バックナンバー:クラン・コラ】Issue No.300

アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森

アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
Issue No.300
August 2019

ケルト音楽の古楽 3 Chris NormanとBaltimore Consort:hatao

今年の1月、2月に連載してそれきりになっていた「ケルト音楽の古楽」、半年も空いてしまいました。いいのです。誰も期待していない趣味の連載なので、自分のペースで書きたいときに書いてゆきます。でも、もし私と同じ趣味の方がいたら、hatao@irishflute.info までコメントをいただけると、書き続けるモチベーションになります。

さて、かつてガチガチのトラッド指向だった私が古楽に興味を持つきっかけになったのは、カナダ人フルート奏者のクリス・ノーマンChris Norman氏を知ったことでした。そのノーマン氏を知ったのは偶然というかご縁で、もう15年くらい昔、教室に通っていた生徒さんがノーマン氏のCDを貸してくれたからです。

ノーマン氏はアイリッシュ・フルート奏者としてはマイナーですから、このきっかけが無ければ知ることもなかったでしょう。

ノーマン氏はもともとオーケストラのモダン・フルート奏者で、フルートに挫折してリンゴ農園でリンゴ摘みのアルバイトをしていた頃にアイリッシュ・フルートと出会ったという異色の経歴で、クラシックで培った演奏技術を活かし、トラッドとクラシックのクロスオーヴァーを得意としています。

ノーマン氏がバロックの有名作曲家テレマンをアイリッシュ・フルートと「フィドル」と演奏する動画があります。とってもカッコいいので、見てみてください。

ノーマン氏は演奏家としての仕事のほかに、毎年カナダのノヴァスコシアで世界の伝統音楽の笛奏者を招いたBoxwood festivalによって教育活動をしたり、近年は木製フルートの製作もしています。

ノーマン氏のインタビューを日本語訳していますので、こちらをお読みください。

https://celtnofue.com/column/musician/interview/norman.html

初めてノーマン氏を聞いたときは、フルートの音色がいつも聴いているマット・モロイの音色と全然違うので、モダン・フルートなのかな? と思ったほど。彼が演奏する楽器は同じ木製のフルートであるものの、アイリッシュのようにくすんだ、ぶっとい音色ではなくて、澄みきった音色、そしてすーっと音が消えてゆく表現に、多彩なタンギング。アイリッシュに傾倒していた自分にとっては異質で、上品すぎて最初はあまり響かなかったのですが、聴くうちにその演奏やテクニックの凄さに気が付きました。のちに、彼の演奏スタイルのもとになっているのは古楽だと知ることになりました。

すっかりファンになった自分は、ノーマン氏のホームページを見て、たくさんのCDアルバムが出ていることを知り、片っ端から注文しました。ハンマー・ダルシマーのKen Kolodnerとヨーロッパからアジアまで世界中の伝統音楽を演奏するHelicon、スコティッシュ・フィドルのAlasdair Fraserとのケルティック・フュージョン・バンドSkydance、オーケストラとの演奏など、多彩なジャンルでアイリッシュ・フルートを演奏しており、私はアイリッシュ・フルートの持つ可能性に目を見開かされました。今では廃版になったCDも多く、あのときに買い揃えておいて本当によかったと思います。ついでに言えば、ノーマン氏はアイリッシュ・ピッコロ、ホイッスル、スコティッシュ・スモールパイプも演奏するマルチ笛プレーヤーです。

こうしてノーマン氏に心酔し、彼を追いかけて台湾、ニュージランドの講習会に参加したのも良い思い出です。間違いなく、私が最も影響を受けたフルート奏者です。

今回ご紹介するのは、そのノーマン氏がかつて参加していた、アメリカのボルチモア・コンソートBaltimore Consort。

https://baltimoreconsort.com/

ウィキペディアによると、1980年にイングランド・エリザベス期の音楽を専門に演奏するグループとして設立。ルネサンス音楽以降の初期音楽や、イングランドのブロードサイドバラッド、16世紀〜17世紀のスコットランド、イタリア、フランスの音楽を演奏するグループで、クラシックと民俗音楽のクロスオーヴァーしたスタイルを得意としています。これまでに20枚近くCDを発表。今も精力的に活動しており、つい今月も、新譜” The Food of Love: Songs, Dances, and Fancies for Shakespeare”が発売されたばかりです。

特にUK(イングランド、スコットランド、アイルランド)の音楽を多く手掛けており、スコットランドの音楽を特集したCDとしては2タイトル、

・On the Banks of Helicon- Early Music of Scotland(1990)
・Adew Dundee- Early Music of Scotland(2003)

アイルランドの音楽を特集したCDとしては

・The Mad Buckgoat- Ancient Music of Ireland(1999)

があります。

いずれも、古楽やトラッドを取り扱うアメリカのレーベルDorian Recordingsから出ています。ノーマン氏がいた頃は、彼がパイプスやホイッスルも吹いており、より民族色が濃かったのです。

古楽バンドがケルトのトラッド曲を取り上げるとき、ダンス曲がどうしてもクラシック臭くなってしまうことが多いのですが、さすがノーマン氏が入ると、本物のトラッドのノリになり、それをガンバやリュートが伴奏するのですから、トラッド耳のリスナーにも十分に楽しめるものになります。ですから、トラッドファンはぜひ初期作品を聴いてみてください。

このシリーズ、気が向くままに続いてゆきます。(hatao)

日本のアイリッシュセッションは崩壊するのか?:field 洲崎一彦

前回では、日本の人間関係の文化とかそういうものが、実はアイリッシュセッションが本来持っている文化と相容れないのではないかという、セッションを主催するものとしては身もふたもない議論をしてしまいました。 ここで終わってしまうと、まさに身もふたもない。そこで、もう少し突っ込んで考えてみることにしました。

日本において趣味の世界における人間関係の文化を他の例で考えてみると、つまり、集団で行う趣味の世界というものにはどういうものがあるか、ですね。今は、音楽はちょっと脇に置いておきます。と、すると、どうしてもオタク文化に行きあたってしまう。オタク文化は恐らくもともとは各自個人的な趣味の世界だったものが、その収集物や情報交換のために人が集う所から始まったと、おおざっぱに言えばこういうことだと思います。そこでは、いつしか、その人間関係の中で、オタク言葉が生まれオタク的表現が成立して行きます。これは、独特の人間関係の距離感を最優先させる日本人の人間関係の文化から発生したと考えても良いと思います。

そして、オタク文化は、その言語表現にとどまらず、一種の作法やファッションにまでその範囲を広げ、今や、世界にこの独自の文化を輸出するまでに至っています。

という風に考えると、アイリッシュセッションも日本的なオタク文化で本国とは違う形で発展しても良いのではないかと思えて来るものもあります。また、現に、一部のセッションではそのようなオタク文化が醸造されている片鱗をすでに見ることができるという観察も可能でしょう。

だったら、それで何の問題もないではないですか!

いや、問題はあるのです。

アニメやゲームなどの世界での趣味の行動の中心には何があるかを考えてみましょう。そこには、元々個人的に好きなものに関連するモノの収集という芯があったわけです。個人個人が個人個人のこの部分を満足させるために他人と交流するわけです。それが、むやみな、競争やモノの奪い合いなどを回避して参加者全員が平和に楽しみを享受することに、このオタク文化は実は非常に合理的に機能していると言えます。オタク文化の持つ独特の人間関係の距離感は確実に乱暴な争い事を回避することができます。

が、セッションの目的の半分は音楽をすることです(もう半分は人間交流とした場合)。たとえ、乱暴な争い事が回避されたとしても、その事によって、音楽がきちんと出来なくなればセッションの目的の半分は崩壊してしまいます。

では、何が残るのか。人間交流が残ります。つまり、現在の日本で行われるアイリッシュセッションの行き着く先は、人間交流としての場という単一目的の場ということになります。

そこでは、本来目的の半分を占めていた音楽はすでに崩壊しています。楽器を演奏していてももうそれは音楽ではなくなっているというような世界ですね。この事は前回いささか乱暴な論旨で議論しました。

例えば、時々、アイリッシュセッションを説明する場合に耳にする表現で、音楽をツールとした人間交流の場、という言い方がありますが、もはや、音楽ではないのですから、これも違います。一見音楽に見えるようなものをツールとした人間交流の場。こういうことになりますまいか。

でも、考えて見れば、このような人間交流の場があって悪いというとこはないのかな??。??ちょっと頭が混乱して来ましたね。

こういうお話しをしていると、以前小耳にはさんだアムウェイの都市伝説のようなエピソードを思い出します。アムウェイというのは知っている人は知っていると思いますが、20年以上前に日本で一世を風靡した一種の会員制のビジネスです。今の感覚で会員制のビジネスと言うと怪しさばりばりですが、アムウェイは違法な部分がまったく無い新しいビジネスとしてアメリカから輸入されたと聞いています。

これが、日本では、一時期盛大に流行した果てに、気がついたらしゅーっと尻すぼみに衰退して行きました。現在も規模やシステムを変えて存在していると思いますが、最近まったく耳にしないのは確かです。しかし、アメリカではひとつのビジネスの形として一定の定着を見せているばかりか、アムウェイ社の会長が全米商工団体の会頭を務めた事もあるという大企業だということです。

このアムウェイが、何故、日本で勢いを失っていったかというエピソードがなかなか面白いのです。アムウェイは会員個人がその商品のセールスマンとなって個人的裁量でセールスを伸ばすというシステムです。これを、アメリカ人は文字通り自由な新しいビジネスとして純粋に受け入れてその仕事に邁進しました。が、日本ではアメリカでは起きなかった2つのことが起こったというのです。

1つは、日本では、知人友人達にセールスをしまくって人間関係を壊してしまう人達が続出した。

もう1つが、ある人のセールスグループはその商品というよりその集団自体に目的を置く、つまり人間交流に目的を置く参加者を増大させてしまって、結局商品が売れなくなった。

アメリカの人達は、これはあくまでビジネスであると認識していたので、はじめから友人知人にはセールスしなかったというのです。日本では、ここが曖昧なまま知人友人にセールスをかけてしまったり、人間交流の側面が目的となってセールスの面が崩壊してしまうという結末に至ったと言うのです。

このあたり、前述のアイリッシュセッションの議論に、ちょっと似た臭いを感じることは出来ないでしょうか?

アムウェイの目的が商品を売ることだとすると、セッションは、あくまで、音楽の場なのです。

あ、今ここで行われているのは音楽ではない!と誰かが気づいた瞬間に、日本のアイリッシュセッションはその根元から崩壊してしまう運命にあるとは言えないでしょうか。

*アイリッシュセッションを主催する立場からはさらに自らの首を絞めるような話になってしまいましたね。(す)

Faile Tokyo イベントレポート後編:天野朋美

【イベントレポート後編】Féile Tokyo(フェーレトーキョー)

Colleen Raney——アメリカで伝統をうたう試み・その22:大島 豊

アメリカのケルト系シンガー、コリーン・レイニィの録音を聴くシリーズ。4枚めのアルバム《Here This Is Home》の第9回。最後のトラック〈Craigie Hill〉を聴く。今回で終るはずが、録音数が多くて聴ききれず、次回に持ち越し。次回には終らせたい。

11.Craigie Hill05:22
前回この歌をスコットランドの伝統歌としたが、アイルランドの歌だった。お詫びして訂正する。もっともスコットランド、パースシャーには Craigie Hill と呼ばれる丘があり、ゴルフ・コースもある。

この歌はアメリカ、ここではアメリケィへの移民の歌の一つ。移民する男の別れの歌。歌のなかの Craigie Hill はドゥーリンに近い地名で、最終連にうたわれるが、実際にはこれも歌の中にあるように、アントリム州の港町だ。とりわけ18世紀にここから大量の移民が北米に渡っており、コリーンの祖先もその中にいた。

有名な歌で、多数の録音がある。その大元は Paddy Tunney のもので《Voice Of The People》Vol.04に収められた録音が最もアクセスしやすいだろう。

とはいえ、決定的な歌唱でこれを広めたのはディック・ゴーハンの1981年のメルクマール《Handoful Of Earth》所収のヴァージョン。あたしがこの歌をスコットランドの歌と思いこんだ理由の一つはここにある。

01.Paddy Tunney, Voice Of The People 04, 1965, 4:28
パディ・タニィ (1921-2002) はファーマナ出身の父とドニゴール出身の母の間にグラスゴーで生まれたシンガー。ソース・シンガーとして第二次世界大戦後のアイルランド、スコットランド、イングランドの若い伝統シンガーたちに大きな影響を与えた。録音も多い。この歌にも複数の録音がある。

02.Dick Gaughan, Handful Of Earth, 1981, 6:15
決定版。このアルバムはゴーハンにとってそれまでのキャリアの集大成であり、ブリテン諸島の伝統歌謡のうたい手として第一人者であることを決定づけた傑作。同時に、スコットランド歌謡伝統のシンボルと思われていたかれのルーツが母方を通じてアイルランドにあることを表明し、宣言したものでもある。この歌唱も、アイルランドから北米への移民の痛切な心情を聴く者の胸に深くうちこんでくる。

移民が辛いのは、住みなれた故郷を離れなければならないことも然ることながら、自分の願望や意図とは無関係に、そうせざるをえない状況に置かれるからだ。移民とは遠く離れた異国に赴くことだけでなく、一国の中でも起こりうる。その原因が天災であるならばまだしも、人災であることが多いことも、移民の重荷をさらに重くする。

ゴーハンの歌とギターは、そうした歌の核をもあらわにする。移民の辛さを歌にまぎらすのではなく、誰にでも起こりうるその事態を歌によって体験させる。かれの歌を聴くことで、聞き手は自分も移民になる。他人事ではないとアタマで理解するのではなく、カラダで納得する。

ギター1本の伴奏でうたうのは、すぐれて現代的、同時代的な形態だ。そしてそのギターは、伴奏というよりも歌に呼応し、反響しあって、これが遠い過去にあったことではなく、今現在、この瞬間にも起きている、移民せざるをえない人びとがすぐ隣にいるし、我々自身もいつでも移民になりうることを思い知らせる。

この歌唱が決定版というのは、これ以後の録音、歌唱はすべて、このゴーハンの歌唱にどう向き合うかを出発点にしているからだ。我々がこの歌を聴くとき、ゴーハンのこの歌唱が基準になる。

03.Patti Reid, Patti Reid, 1987, 4:18
北部イングランド出身のシンガーのデビュー・アルバムから。無伴奏。

04.Susan McKeown, Bushes & Briars, 1998, 5:34
ダブリン出身でニューヨークで大成したシンガーの3作め。無伴奏で始め、3番からギターが加わり、間奏ではイリン・パイプがリード。ゴーハンのヴァージョンをほぼそのまま唄うが、メロディはわずかに変えている。この人はこういうブルージーでジャズの風味もある崩し方がうまい。そこで他の誰でもない、この人の歌にしてしまう。

05.Roadie Rowdy Piper Band, Anyway, 1998, 5:31, Austria
オーストリアの男性ばかり4人組ケルティック・バンド。パイプ・バンドではなく、パイパー・バンド。ハイランド・パイパーがいるが、メインはギター、マンドリン、フィドル、ホィッスルなど。録音はこれ1枚らしい。この演奏もギター、マンドリン伴奏。3番からフィドルが加わり、コーダでハーディガーディも加わる。

今年春の「今日は1日ケルト音楽三昧」でも痛感させられたのは、ケルト系伝統音楽をそのまま演奏する活動が英語圏やわが国だけではなく、ヨーロッパではイベリア半島からロシアまで広がっていることだった。このバンドもその一環ではある。

06.Roisin White, The First Of My Rambles, 2000, 3:58
ダウン州出身のシンガー。パディ・タニィ直系の歌い手で、母親から厖大なレパートリィを受け継いでもいる。基本的に無伴奏で唄う人で、これも無伴奏。弾むような、リズミカルな歌唱はユニーク。

07.ULC, Spring, 2000, 4:48
デンマークのバンドで、Peter Uhrbrand, Sonnich Lydom, Seamus Cahill のトリオ。デンマークとケルト系の伝統音楽を演奏する。ヴォーカルはアイルランド人らしいカヒル。ピアノ伴奏で始め、2番からギター、フィドルが加わる。ハーモニカがドローンとして加わり、間奏ではリードをとる。デンマークの色が中心となり、抒情の極み。

08.Cara Dillon, Cara Dillon, 2002, 4:45
この人はこの声でいささか損をしているような気がしないでもない。いわゆる幼女声で、アニソンを唄わせたら、さぞかし合うだろう。声優では到底聴けないような歌を聞かせてくれるにちがいない。ここではピアノ伴奏で始め、途中からベース、ドラムスが加わる。3番から重ね録りで声を重ねる。この辺りのアレンジは、旦那のセス・レイクマンによるものだろうが、彼女の歌に見事に似合っている。

09.Don Stiffe, Start Of A Dream, 2006, 5:02
今世紀に入って頭角を現したアイルランドのソングライターでシンガー。外見はこの道ウン十年という顔だが、実際には若いらしい。わずかにハスキーな声で、クランシーズやダブリナーズ・スタイルで、無造作にうたっているようで、かなり巧い。間奏パイプとホィッスル。メロディをわずかに崩す、その崩し方がいい。ギター、ベース、シンセもつく。最終連でチェロ?を入れる。さらにパーカッション。なかなかにセンスがいい。

今回はここで力尽きた。以下、次号。(ゆ)

編集後記:hatao

暑い8月もお盆をすぎると、朝晩の風に秋を感じるようになります。この夏は、日本から大勢がアイルランドのフラーに挑戦したようですね。私の友人知人からもフェイスブックでレポートが続々と届き、羨ましいやら悔しいやら。一昔前を思うと、アイルランド音楽は本当に身近になりましたね。

私は秋にヨーロッパに行くことになりました。今年はスコットランド、ブルターニュ、ノルウェーにそれぞれ1週間ほど滞在します。

個人的な話ですが、今年はすごく久しぶりに滋賀県高島市のアイリッシュ・キャンプに参加することにしました。楽器店の出店もします。

詳しくはパイパー原口さんのブログに載っていますので、ぜひ一緒にセッションして遊びましょう!

https://piperscaffe.org/main/?p=39524

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

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