【メルマガ:クラン・コラ】Issue No.237

アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。

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クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.237

アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
Editor : 竹澤友理
November 2016

こんにちは!

作業をしているPCの都合上、また発行日を一日遅らせてしまいました…!

ご心配おかけしました。

さて、すっかり年の瀬ですね。皆様2016年はどのような一年を過ごされましたか?

今年の1月から今月までのあいだに、様々な物語があったことでしょう。

特に今年は国際政治の面からの変動が激しかったように思います。北欧ケルト圏についても歴史的な動きが相次ぎました。国際的にせっぱつまっている時代にこそ、音楽シーンは変わらずに豊かでありたいですね。

さて、今月号からEditor’s Choiceのコーナーが始まります。

編集の竹澤が、若い世代のケルト音楽奏者や関係者を中心に執筆をお願いし、ケルト音楽について毎月違う顔ぶれで語っていただくコーナーです。

クラン・コラの読者層どうしの交流や議論のきっかけにもなればと思っています!第一弾は、京都の理系大学院生で、アイリッシュ歴7年のフルート奏者の方にお願いしています。どうぞお楽しみください!(竹)

5年間で変わったこと2:field 洲崎一彦

クランコラが休刊していた5年という月日はけっこう長いものです。

fieldアイ研を取り巻く音楽状況にも相当な変化があったように思います。

まず目立ったのは直接アイルランドに渡り音楽修行をする若者が何人も出てきたことです。それまでは、現地に行くと言っても数日間の旅行程度のものであったのが、数ヶ月から年単位の留学と呼んでも良いような例が目立つようになりその動きがより具体的で活発になって来たことが印象的でした。

彼らがもたらした色々な情報は非常に刺激的なものでした。これにより、field周辺のアイリッシュ愛好者が、よりアイルランド本国のトラディショナルに忠実な方向を探求する指向と、あくまで自分達の楽しみ方でマイペースにアイリッシュ音楽を楽しむ指向に流れが二分されて行った傾向があったように思います。

また、同時にアイルランド音楽に関する情報がネットを通じていくらでも入手できることが既知となり、例えば従来のfieldアイ研のようなサークル的な人の集まりに頼らなくても、ひとりで必要充分な情報に触れ得ることが当たり前の状況になっていきます。

これらの環境の変化は凄まじいスピードで進みました。fieldアイ研黎明期のような、「アイルランド音楽に興味があるだけで充分楽しく充実した会話とセッションが何時間も続けられるような牧歌的な雰囲気」がなくなってしまったと嘆く人達には、現地経験者がもたらす刺激はマニアックで閉鎖的な印象に映り、オタクが牧歌的なセッション現場に急激に押し寄せて来たような圧迫感を感じると言った例もありましたし、逆に、「自分たちのやってることが本当のアイリッシュでは無いと言われても自分たちが楽しければそれでいいじゃないか」という極端な居直りを見せる人達の出現も同時に起こり、現地経験者からは本場の音楽情報を尊重せずしてアイリッシュ音楽をやっていると言えるのか?という疑問の声も出始めます。

ここで、本来なら、この両派がお互いの立場や考え方を尊重しつつ相互に刺激し合うという活性が欲しいところなのですが、実際にはそうはならない。結局、人々は安全に楽しみたいとでも言ったらいいのか何というのか、その時に自分が欲している刺激以外の刺激を極力排除しようとするのですね。

極端に言うと、なるべく見慣れぬ情報(人間)と接することなく自分をアウトプットしたい、とでも言うのか。一種、自分の中の何かを護る為に安全第一でふるまっているうちに引きこもってしまうと言うか、もぞもぞと、それぞれがこういう動きに落ち着いて行ってしまう。

結果、そういうどんよりとした雰囲気が外部からどう見えたのかという部分を考えますと、新しく興味を持った人や入門者の人にそのハードルを上げる作用を及ぼしていたのではないか。

また、入門者たちも彼らは彼らで個人的に情報を収集してひとりで探求するという、結果的に引きこもって行く傾向を加速させた、のではないかと思います。

具体的に言えば、fieldなどのオープンセッションに入門者がなかなかやって来なくなった。新しく興味を持った人は自分で情報を調べて思い思いに自分ひとりで楽器を弾きはじめると言ったコース、これが現在一番ポピュラーな入門パターンになっているのではないかと思われるのです。

しかし、これは、ある意味、今はそういう時代だと言えばそれまでなのですね。例えば、ロックなどのリアルに人が集まってバンドを組むことから始まるはずの音楽も今ではコンピューターの打ち込みで音楽を作って動
画サイトに投稿するという活動のスタイルが定着して来ているのですから。

「人と接する機会をなるべく回避しながら自分をアウトプットする」方法がネットという空間で可能になった世界。これは、音楽以外の分野でもどんどん伸張して行ってる世界であって、これからの表現活動はこの世界を抜きにしては考えられないでしょう。

そんな流れの中で、セッションという独自の合奏と社交の文化を持つアイリッシュミュージックはこれからどのように進んで行けばいいのでしょうか?

以上、少々まわりくどい表現になってしまいましたが、これは、 セッションの場として17年続けている京都のイチIrish Pubから見えたひとつの風景にすぎません。それ故に、出来るだけ断定した印象を持たれる表現を避けようとしたのです。

また、この事はここで言いたい微妙な部分を表しているとも言えます。つまり、fieldアイ研黎明期の、周辺のアイリッシュ音楽愛好家の動向は、私のような立場にいるとだいたい把握できたのです。どのあたりにどんなミュージシャンがいるのか、どこでどんな風なセッションがおこなわれているのか、誰それがどんなユニットでどこそこでライブをするのか、等々。

それが、ここ数年はたとえ京都という狭い範囲に限ったとしても全くとらえどころがありません。つまり、私たち古手の人間にすれば、セッションという生の人と人との交流から生まれる音楽文化だとイメージしていたアイリッシュ音楽が、実は私の周辺ではだんだんそういう姿ではなくなって来た事態にあたふたとしているというのが現状なのです。だから、私の観察は、ごく私的な視野による観察に過ぎないのではないか、私が把握していない未知の世界がきっとあるのだろうという現状に対する不安を含んでいます。

前述の、「人と接する機会をなるべく回避しながら自分をアウトプットする」という事がこれからのすべての表現文化の主流になって行くのだとしたら、ある意味、アイリッシュ音楽を楽しむために作ったこのIrish Pubもそろそろ時代の要請に合わなくなり始めて来たのかもしれません。つまり、私のパブは当初の目的であったアイリッシュミュージックの文化基地という役割をもはや終えてしまったのではないかという焦燥にかられる昨今であり、まさにこの地点に向けて加速して行った5年という時間ではなかったでしょうか。

その焦燥の最中に、5年振りにクランコラが復活して、私にまたこのような発言の場を与えられた事も、ひとつ何かを象徴しているような気さえしています。

うーん、やや悲観的に聞こえるラストになってしまいましたが、私個人的には決して悲観的ではありません。ばりばりやる気でっせ!(す)

Celtic Colours 2016 ジョンジョンフェスティバルその3:おおしまゆたか

「ケルティック・カラーズ」は今年20周年を迎えて、世界最大のケルト系フェスティヴァルになっているが、大規模な商業イベントという感じが無い。どこまでも手作りの感触で、おそらくこれは当初からあまり変わっていないのではないか。手作りというのは音楽の質ではなく、フェスティヴァル全体や、それぞれのコンサートの組立て、運営のやり方の話だ。一つにはそれぞれのコンサートのサイズが小さいこともあるだろう。

ケープ・ブレトンには大きな都市はなく、小さなコミュニティが全島に散在している。コンサートに使われる、それらのコミュニティにある施設は当然大きくはない。収容力は数百人。それも音楽専用ではなく、せいぜいが多目的ホール。ジョンジョンフェスティバル2日目の公式ライヴの会場は、ボランティア消防署付属の、ホールとはいうものの天井の高さは3メートルほどで、まあ大きめの会議室といってもいいくらいなところだ。簡単な椅子を300並べて満員である。人口が希薄で常駐の消防署を設けられないので、普段は別の仕事を持っている人びとが、いざ火事となるとここへ駆けつけ、消防士に変身して出動するのだろう。楽屋はホールの隣りの車庫。消防車があり、壁のロッカーにはすぐ着られるようにしたままのユニフォームが並んでいる。周囲は集落らしいものもなく、道路沿いにかなりの距離をおいて人家が点在している。

こういうホールに椅子を並べ、ポータブルPA装置を持ち込んで会場をつくる。サウンド・チェックがすむとミュージシャンやスタッフには食事がふるまわれる。この食事を作るのも、給仕するのも、ボランティアのスタッフ。食事は品数はそう多くないが、なかなかにおいしく、量もたっぷりしている。いかにもプロが作るような凝ったものではなく、家庭料理の味わいだ。コンサートにやってきた聴衆に対しても飲物や食べ物が販売されていて、これも同じスタッフたちが準備、応対している。

島に公共交通機関と言えるものは無いも同然なので、移動はすべて自家用車。コンサート会場にもほとんどの人は車でやってくる。駐車場が無いところでは臨時の駐車場を設ける。これを管理するのもボランティアのスタッフだ。

こういうスタッフの平均年齡は高めだが、どの人もみんないかにも楽しんでやっている。ボランティアというのはもともと楽しくてやるものだが、それにしても、その楽しみ方がごく自然だ。おそらくこのフェスティヴァルだけではなく、他にも様々な活動にボランティアとして参加して、しかもそうした活動を楽しんでいるのだろう。

こうして生まれるイベントの手作り感は、音楽をより身近にする。コンサート自体にしても、ミュージシャンたち自身がまず楽しんでいて、聴衆はその楽しみを分け合い、ともに楽しむという感覚なのだ。実際、ジョンジョンフェスティバルもこの場にいて演奏することが楽しくてしかたがない様子があふれていたし、それは他のミュージシャンたちも同じだった。

この2日目の会場には、なぜか全然出番のないフィル・カニンガムが来ていて、ラストの参加ミュージシャン全員でのアンコールの演奏の組立てには音頭をとり、演奏にも参加していた。フルックのセーラにアコーディオンを貸すのでその楽器を届けに来たということだったが、ひょっとしてジョンジョンフェスティバルの噂を聞き、たまたま時間があったから自分の眼で確かめに来たのではないか、という妄想をあたしは抱いた。終演後、口をきわめて誉めていたのは、スコットランド音楽のレジェンドの一人であるだけに、聞いていて嬉しかった。

2日目のジョンジョンフェスティバル以外のミュージシャンは、スコットランドのゲール語歌唱では男声のトップであるアーサー・コーマックが開幕で、トリがフルック。ジョンジョンフェスティバルは2番手で、その後に休憩が入り、休憩後は地元出身の若手女性フィドラーだった。アーサー・コーマックもフルックももちろんすばらしかったのだが、音楽伝統の底力をまざまざと見せつけられたのは、このまだ録音も公式には出していない若いフィドラーだった。彼女は約30分の持ち時間で2曲、というより2つのメドレーしか演奏しなかった。

ケープ・ブレトンのフィドル音楽では、1曲のリピートは2回までで、どんどん別の曲に移ってつなげてゆく。アシュリィ・マクアイザックにしても、ナタリー・マクマスターにしても、5、6曲というのは普通だ。この姉さんのとりわけ2番目のメドレーが止まらない。もう終りかと思う瞬間に新たな曲をくり出してくる。新しい曲に移る度に、声にならない溜息のようなものが会場にあふれる。それがだんだん声になってくる。10曲までは数えたが、そこからまだまだ続く。当人はむしろクールな顔で、坦々と曲をくり出してくる。単調ともいえるほどなのだが、聴いているこちらが煽られてくる。熱くなってくるのだ。演奏に派手なところがあるわけではなく、動作もただフィドルを弾いているだけだ。20分もやっただろうか、ついに終った瞬間、大歓声があがり、皆立ち上がった。

感心したのはそれだけの豊冨なレパートリィを持っていることとともに、始めから終りまでまったく乱れることなく、ペースも崩さず、弾きとおしたそのスタミナだった。これはおそらくケイリなどでダンス伴奏することで鍛えられてきたのだろう。それも含めて、伝統が彼女を背後で支え、ドライブしていたのだ。

今年の「ケルティック・クリスマス」でとうとうチェリッシュ・ザ・レディースが来日した。あたしらのような昔からのファンにとっては、どうしてもライヴで見たかったバンドの一つだ。ようやく見ることができたそのライヴはもちろん永年の渇を癒されるものだったのだが、リーダーのジョーニィ・マッデンのはじけぶりに半ば呆れながら、ふと思い出したのが、ケルティック・カラーズでのこの若い姉さんフィドラーだった。彼女にしても、ジョーニィ・マッデンにしても、それぞれの音楽伝統に支えられ、押し出されて、あの音楽ができている。

一方で、その同じ伝統は彼女たちの表現形式を限定してもいる。

彼女たちはいわば大きな伝統の貯水池についた蛇口のようなものなのだ。そこから迸る伝統の水は、背後のすさまじい水圧そのままに一点突破してくる。一方で、蛇口からの水の勢いや方向をコントロールすることは不可能だ。それぞれが耐えられる範囲で水を噴出させるしかない。

その貯水池から遠く離れたわが国のミュージシャンたちは、貯水池から長いパイプを引いているのだ。当然、水圧は低く、場合によってはポンプをつけてこちらから吸いこまないと水はやってきてくれない。反面、水を飛ばす方向やスピードをコントロールすることはできる。

ジョンジョンフェスティバルがケルティック・カラーズで提示したのは、このコントロールによって変化をつけることだった。音量の大小、テンポの緩急、異なる地域のレパートリィの組み合わせ、などなど、様々な手法を適用して、音楽伝統を背負ったミュージシャンには思いつかない形で音楽を組み立てたのだ。そして、現地の聴衆はこれに熱狂的に反応した。

土台には貯水池を作っている伝統へのリスペクトがあるのはもちろんだ。その音楽、伝統が大好きで、それを演奏することは何よりの愉しみであり、また栄誉でもある。その伝統を受け継いできて、今それを世界中の人びとと分かち合ってくれていることへの感謝がある。

その上で、伝統からは離れている故に可能な形、それまで伝統には見られなかった形を示す。

リスペクトと感謝とともに重要なのは想像力だ。伝統の肝心のところは壊さずに新たな形を作るには、おおいに想像力を働かせる必要がある。ジョンジョンフェスティバルの音楽には、この三つの要素がたっぷりと染み込み、作用していた。

このことはわが国の他のミュージシャンたちにとっても、一つのヒントになるだろう。リスペクトと感謝を忘れずに想像力を羽搏かせることで、伝統に漬かって育ってきた人びとと対等にわたりあえる。さらには、その伝統に新たな要素を加える可能性も生まれる。アイルランドの、あるいはより広くケルトの音楽伝統が世界中に広まった結果、広まった先から新たなフィードバックが起き、そこから伝統がより豊饒になってゆく。これはたぶん夢ではなく、蓋然性すら伴なったことではないか。

ジョンジョンフェスティバルが、バンドとしても、メンバー個人としても、今回の経験から学んだことは、おそらくあたしなどには想像もつかない大きなものであるだろう。それらはこれから時間が経つにつれて、豊かな実りをもたらしてくれるはずだ。そしてまた、わが国のアイリッシュ、ケルティックをベースとする音楽シーンに与えるものも巨大なものであるだろう。

同時に、かれらが現在トップ・ランナーであるにしても、突出しているわけではない。音楽のレベルとしてジョンジョンフェスティバルと肩を並べるミュージシャンたちは他にも少なくない。かれらもまた近いうちに世界へと飛び出してゆくだろう。そしてジョンジョンフェスティバルとはまた別の形で、伝統音楽に衝撃を与えてゆくだろう。そういう時代に生まれ合わせたことを、あたしは心から感謝し、その幸運を噛みしめている。

学生とアイルランド音楽:山田直也

はじめまして、今号の書きものを担当させていただく山田というものです。

地元から出て以来、アイルランド音楽とはかれこれ7年ほどの付き合いになります。長いような短いような。そんな7年の間にも色々あったわけですが、今回は今の若い人たちの様子について書かせていただこうかと思います。

今の関西、しいては京都圏には、3つのアイルランド音楽と付き合いのあるサークルがあります。

まずは出前ちんどん。立命館大学にあり、アイルランドに限らず、多様な国や地域の音楽を演奏しているサークルです。今ではちんどんでの出張演奏が多いようですが、四条富小路アガルのアイスクリーム屋Hobson’sをはじめとして、各所でアイリッシュなどの演奏も精力的に行っています。バンド単位で音楽を作り上げていく方針で、十人十色の音楽を聞かせてくれます。

次に民音之会。こちらは京都文教大学にあり、アイルランド音楽と南米の音楽・フォルクローレをメインに演奏しています。こちらも度々依頼を受けて様々な場所で演奏を行っており、直近の演奏としては、冬の定期演奏会が12/24の15時30分開演で予定されています。出前ちんどんとは一風変わって和気あいあいとしたスタイルで楽しませてくれます。

最後にOne More Pint(OMP)。母体は京都大学にありますが、多数の大学の学生が参加しており、この3つの中では唯一アイルランド音楽だけを演奏しているサークルです。外部での演奏は稀ですが、京大の学祭などで集大成として演奏しています。

それ以外では自分たちのペースで気ままに音楽をしているようです。それぞれホームページやTwitterアカウントがありますので、演奏に興味のある方はのぞいてみるとよいでしょう。

さて、上に挙げました通り、音楽との付き合い方は三者三様で、さらに場所が離れている関係か、今まではそこまで交流があったわけでありませんでした。ですが最近は様子が一変してきています。

第3水曜日にIrish pub Gnomeで行われているセッションで、「ルーキーセッション」というものがあります。5,6年ほど前に民音之会によって立ち上げられたセッションで、立ち上げ当時より度々参加していましたが、はじめはこじんまりとしたセッションでした。今ではすっかり各サークルから多くの人が集まるようなセッションになり、一つの交流の拠点となろうとしています。また、ある時から合同の演奏会も年に1度ほど開催するようにもなりました。

あとは毎年開催されているアイリッシュキャンプで何かが出来たらよいのに、と勝手に考えていますが…お節介ですね。現状、どうしても年による振れ幅は多少あるものの、それをも乗り越えて、互いに刺激し合えるような関係になってもらえると嬉しいですね。いやはや、未来は明るい!

ところで、関西以外ではどうでしょうか。それ以外の地域では、アイルランド音楽を嗜む若い人はいないのでしょうか。

もちろんそんなことはありません。東京藝術大学のケルト音楽研究部(通称G-Celt)や基督教大学のRince(リンカ)、広島県立大学のアイリッシュミュージックサークル等が主に活動していました。ところが最近、都市圏はもちろんのこと、信州や岩手といった地域にまでアイルランド音楽が波及しています。何故でしょうか。

ICFというイベントをご存じでしょうか。ICF(Intercollegiate Celtic Festival)は、G-Celtのメンバーが始めた、アイルランド音楽とアイリッシュダンスの合宿型イベントです。翌年3月に第8回目の開催となり、今では参加者が100名をゆうに越えるほどの大きなイベントとなりました。Intercollegiateの名の通り多数の大学生が参加しており、また部分参加も可能なので、社会人でも参加できます。

そうです。各地で細々と演奏していた人や、ただ音楽に興味を持って来てみた人、同じ年代の人と交流してみたい人等、色んな人が一堂に会し、音楽漬けの日々を同じ場所で過ごすのです。私も過去数回参加していますが、そこで受ける刺激はとても大きなものでした。

そして地域を超えた繋がりをも形成してくれます。このイベントは間違いなく、この国の若い人たちに、この音楽への興味を持たせる一つのきっかけとなっていることでしょう。

これをきっかけにして新しく出来たサークルでも、今では積極的にライブ活動をしたり、ケーリー(アイルランドのダンスパーティー)に参加したり、ケーリーバンドと呼ばれる、ダンスの伴奏専門バンドを結成する(!)等精力的に活動しており、こちらの未来も明るくて嬉しい限りです。

ただ一つ、東西問わず残念に思うことがあります。それは、「セッションに来てくれる人が少ない」ということです。

私がこの音楽を始めた当時、周りには誰もいませんでした。ただ一人で漫然と楽器を練習する日々…。それを変えてくれたのがセッションでした。

いまでは、だいたいどこにいてもこの音楽を楽しんでいる団体があります。そこに所属することで、一人で漫然とした日々を過ごすことはなくなるでしょう。確かに、それだけであればセッションに行く必要はないかもしれません。

しかし、セッションには色んな人がいます。それこそ老若男女、始めたばかりの人からべらぼうに上手い人まで、固定メンバーのこともあれば毎回変わることもあります。誰しもこの音楽に触れる背景があって、またその背景も千差万別、優劣なんてありません。

そんな多様な人たちの中でできる音空間を楽しむ—それがセッションの醍醐味です。ルールがわからないから、技術的に拙いから、世代が離れているから、と尻込みしなくともよいのです。まずは行ってみること、あわよくば演奏に参加してみること。こうして見えてくる世界もあるはずですから。

一方で、私たちセッション常連者も、自分たちの経ち振る舞いを今一度見直さなければならないかもしれません。新しく来た人に妙な遠慮をさせるようなこと、それだけはどうしても避けなければなりません。

さて、長々と若い世代の現状を語ってきました。ケルト音楽というものがブームになった頃からしばらく経ち、ほとぼりが冷めたころにこのアイルランド音楽を始めた私ですが、今また再び盛り上がろうとしているのかな、と感じています。このまま、一過性で終わるのではなく、一つの文化(というのは傲慢でしょうか)として定着してくれればよいのにな、と思います。

(京都工芸繊維大学 大学院工芸科学研究科情報工学専攻 山田直也)

編集後記

10月から復刊したクラン・コラですが、3カ月目を迎えて思うことがあります。

これまでライブ情報編と読み物編、合わせて6本のメールマガジンを配信してきましたが、読者の皆様の音楽シーンに、少しでもお役に立てているでしょうか。

北欧ケルト音楽について、さらに興味を深めるきっかけになれれば。さらにたくさんの人に、ケルト音楽に親しんでいただく主要な媒体の一つになれれば。感想などございましたら、ぜひお気軽にご連絡くださいませ!

さて、今月は私事で忙しくしていて自分の原稿を載せることができませんでしたが、次号からは年も切り替わりますし、継続して執筆もすることと、きちんと納期を守ることが目標です!!!笑

2017年もクラン・コラを宜しくお願い致します。(竹)

よいお年を!(竹)

クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)

★クラン・コラでは読者の皆さまから寄稿を募集します。ケルト音楽やヨーロッパの伝承音楽について、書きたいテーマでお寄せ下さい。詳しくは編集部までご連絡ください。

クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor : 竹澤友理

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日本のケルト音楽普及に尽力されたライターのおおしまゆたか氏と、京都でアイリッシュ・パブ feildを経営する洲崎一彦氏が編集し発行されていた、国内におけるケルト音楽の情報を網羅したメールマガジン「クラン・コラ」。

2011年に一度休刊しましたが、5年の沈黙を経て2016年に復刊!
編集・発行をケルトの笛屋さんが引き継ぎ毎月2回のペースで発行中です!

メールマガジンの内容

毎月2回、10日・20日に発行しています。

10日発行のPart 1は「情報編」として、発行日近くに行われる国内のケルト音楽ライブ情報をぎっしりと掲載!また、コンサート、ライブ情報の掲載依頼も随時募集しています。

20日発行のPart 2「読み物編」では、アイリッシュやケルト音楽・文化にまつわる話題お届けしています。クラン・コラの創刊者のおおしまゆたか氏、洲崎一彦氏をはじめ、さまざまな連載陣(店長含む)やゲストライターによる濃密で読み応えのあるメルマガとなっています!

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