歌の小径の散策・その3 Bonnie Light Horseman:おおしまゆたか

ライター:大島 豊

アイルランドをイングランドともスコットランドとも異なる独自の伝統をもつ歌の国と認識しはじめたきっかけの一つがドロレス・ケーン&ジョン・フォークナーの《Broken Hearted I’ll Wander》であることは以前に書いた。このアルバムを買ったのはロサンゼルスのサンセット・ストリップにあった Tower Records だった。ここでは他にフェアポート・コンヴェンションの「解散ライヴ盤」《Farewell, Farewell》も買った。当時、あたしは仕事で半年間、ウェストウッドに部屋を借りていて、このタワー・レコードには足繁く通ったものだ。どちらもリリースと同時だったはずだ。どちらも輸入盤、つまりアメリカ盤では無かった。

《Broken Hearted I’ll Wander》の中でもA面ラストの〈Mouth Music〉に衝撃を受けたことも以前書いた。最近みわトシ鉄心がこれをカヴァー、というのか、演っていたのには個人的に懐しく、またやはりねえ、という共感も抱いた。

〈Mouth Music〉で受けた衝撃をおちつかせ、あらためて収録されている楽曲に耳を開いたのが、B面ラストの〈The Bonny Light Horseman〉である。アルバム・タイトルもこのコーラスからとられている。ここでこの歌をうたっているのはドロレスだとずっと思いこんでいた。なぜかはわからない。この歌がナポレオン戦争で斃れた恋人を憶う女性の立場からうたわれているからかもしれない。しかし、実際にはこれをうたっているのはフォークナーの方だ。このことは案外重要ではないかと近頃思うようになった。

Bonny Light Horseman または Bonnie Light Horseman、そしてそれぞれに定冠詞が着いたり着かなかったりする。”bonny” はスコットランドで使われる表現で、アイルランドではスコットランドと縁の深い北東部アルスターで使われる。意味は “beautiful, pretty; handsome, fine, attractive; goodly, healthy” と Chambers Scots Dictionary にある。スコットランドの伝統歌では Bonnie Prince Charlie が有名だ。1745年のロンドンの王権に対するハイランド最後の叛乱の旗頭 Charles Edward Stewart (1720-80) の愛称である。たいへんな美男、イケメンだったと伝えられる。この歌の軽騎兵もまた、少なくともうたっている女性の眼にはたいへん魅力的に映っていたのだろう。死んだ者は美化されることはあるにしても、この歌の場合はそうひねくれなくても良さそうだ。

戦争によって仲をひき裂かれた恋人が戦場で斃れて還らなかったというのは普遍的なテーマだ。もっともこれが普遍的テーマになりはじめるのがフランス革命とそれに続くナポレオン戦争で、この歌は同じテーマをモチーフとしてその後生まれるすべての歌の元祖と言えるかもしれない。

というのも、対外戦争に一国の全住民が動員されることはフランス革命以前にはなかったからである。それまでの戦争で戦った兵士たちは傭兵か奴隷か、さもなければ志願者だった。形としてはジンギスカンの軍隊は全ウルスを挙げて外征したが、あの場合ウルスの外への略奪は生計を立てる方法の一つである。戦争をするために出てゆくのではなく、羊を飼うのと同じように生活物資を得るために出てゆくので、戦争はその結果として起きるし、兵士たちは日常活動の一環として従軍し、戦った。

フランス革命で「国民」が誕生する。そして革命の成果、共和国を守るために戦う時、戦うのは共和国を生んだ国民、一般庶民になる。ロシア遠征までのフランス軍が破竹の進撃を続けたのは、ナポレオンの天才だけでなく、兵士の士気が高かったからだ。フランス以外のヨーロッパ諸国の軍隊は傭兵だ。かれらは戦争のプロであるから、自分の命が危なくなればさっさと逃げる。フランス軍の兵士たちはいざとなれば自分の生命の安全は無視する。この2種類の軍隊が戦えば結果は目に見えている。フランス以外の諸国は自分たちも「国民」を作り、これを動員して軍隊を作るまでは太刀打ちできなかった。むろん「国民」は一朝一夕にできるものではない。そこで徴兵によって戦争のアマチュアである一般庶民を動員することになる。家に帰りたかったら戦って勝て、というわけだ。かくてたくさんの男たちが帰れなくなり、〈The Bonny Light Horseman〉が生まれることになる。

ちなみにこれ以後の戦争はアマチュアが戦うものになる。少数のプロ、職業軍人、士官が多数のアマチュアの兵士を指揮する形だが、士官たちといえどもいざ戦争になるまでは、実戦を経験していたわけではない。たとえば南北戦争では、南北両軍は戦いながら、戦争のやり方を学んでいる。今世紀に入って、戦争の姿はまた変わっているが、それはまた別の話。

ナポレオン戦争は全ヨーロッパが戦場となり、厖大な数の人間が巻きこまれた。そこで殺された無数の bonny light horseman にはまた無数の恋人がいて、その人びとの憶いがこの歌には結集している。と思えるくらい、この歌には不思議な魅力がある。

この歌には少なくとも3つのヴァージョンがある。歌詞はほぼ同じでメロディが異なるものが二つと、コーラスの詞とメロディは共通するところもあるが、ヴァースの詞とメロディが異なるものが一つ。前者のうち、あたしが最初に聴いたジョン・フォークナーのヴァージョンはどうやらスコットランドやイングランド起源(α版としておく)らしい。これと歌詞はほぼ同じで、メロディが異なるものは Mary Ann Carolan (1929-1993) がソースの一つで、アイルランド版(β版と呼ぶ)とみていいだろう。3つめはイングランド起源(γ版)と思われる。

“bonny” がタイトルにあるから、たぶんスコットランドが淵源になるだろうが、ナポレオン戦争を戦うため、ロンドンの政府は直接の支配下にあったブリテンとアイルランド全土に動員をかけたから、帰ることのなかった「イケメンの軽騎兵」はこれらのどこからでも出征した。

この原稿を書くために、あらためて手許にある録音を聴きだしたのだが、はじめこの3つのヴァージョンがうまく聴きわけられず、みんな同じじゃないかと思うようになった。そこで Tidal で検索し、出てきたものを片っ端から聴いていった。総数63トラック。計4時間26分48秒。時代的に最も古いのは1977年の Lal & Norma Waterson。続くのがメアリ・アン・カロランの1978年録音1982年リリースの Topic盤。最近のは年代がわかるのは2023年が最新。

スコットランドやイングランドのシンガーたちはα版であることが多いし、最初に聴いて好きになったのがα版だったから、あたしは当初、α版が主流と思っていた。このヴァージョンはより滑らかに流れるメロディを持ち、コーラスも低く始まって、だんだん高くなる、アイリッシュ・メロディの「黄金律」に従う。

フォークナーがα版を歌ったのも、かれがイングランド人であるからだろう。一方でこの歌を収めたのは、この歌がアイルランドの伝統にもあることを意識していた。ライナーノートによれば、このメロディはアルスターで採集されていて、アイルランドの音階を使っている。

メアリ・アン・カロランのレコードのショーン・コーコランによるライナーノートでは、うたはイングランド産で、アイルランドにはブロードシートの形で伝わったとある。フォークナーが依拠した Sam Henry 収集の版は北および西版で、カロランがうたっているのは南の版になる。コネマラのシャン・ノース・スタイルで歌う人もいるとそこにはあるが、あたしはまだ録音に遭遇していない。

こちらのヴァージョンは高低にはねるメロディを持ち、気分としてはホーンパイプである。レコードとしてリリースされたのは1978年の録音だが、1970年の録音ではカロランはもっと速いテンポで歌っていたそうだ。実際、β版はα版に比べると速いテンポになる傾向がある。

γ版をうたうのはウォータースンズ姉妹はじめほぼイングランドのシンガーに限られる。

当然ながら、北米のシンガーたちも歌っている。興味深いのは、カナダやアメリカのシンガーたちはβ版をベースにすることが多い。一方で、Bill Shute & Lisa Null が1980年の《American Primitive》でうたうのはγ版。このアルバムは出た当時、名盤として愛聴していたが、今回ウン十年ぶりに聴きかえすまで、これが入っていることは思い出さなかった。他の二つに比べるとずっと地味なメロディが印象に残らなかったのだろう。こうしていろいろ聴き比べてみると、これはこれでなかなか味のあるヴァージョンと思う。アイルランドやブリテンの伝統歌に接してまだ日が浅かった当時は、そうした味の微妙な違いがわからなかったこともあるとは思う。

β版を初めてそれと認識したのは Oisin の1980年の3枚目《Over The Moor To Maggie》である。Oisin は後にダーヴィッシュを作る Brian MacDonagh がメンバーだったダブリン・ベースのバンドで、1976年から1982年まで4枚のアルバムがある。手に入れたのはサードが出た時に、最初の3枚がほぼ同時だったと記憶する。あたしはこのサードが最高と思う。ここに〈The Bonny Light Horseman〉があるのを見つけて嬉々として聴いてみて驚いた。リード・シンガーの Geraldine MacGowan が歌うメロディがフォークナーのものとはまるで違っていたからだ。そして、繰り返し聴くうちに、あたしはこちらの方が好きになった。滑らかに流れるα版よりも、ごつごつと跳びはねるβ版のメロディに惹かれるのがどういう機序によるのかはわからない。ちなみに Oisin のアルバムも、Geraldine MacGowan の音源もストリーミングには出ていないようだ。

いろいろ聴いてゆくと、より伝統に忠実に唄おうとする人たちと、伝統は伝統として尊重しながら、実際の演奏ではそこから離れ、各々に歌っている時空の状況に共鳴する形を探ろうとする人たちがいる。そして、後者がベースにするのがしばしばβ版なのだ。

あるいはα版のメロディはそれとして完成してしまっていて、あまりアレンジする余地がないのかもしれない。〈ダニー・ボーイ〉のメロディが無数にあるヴァージョンでほとんど変化が無いのに通じる。「黄金律」にはそういう意味もある。

β版は骨骼となる音さえ押えれば、あとは自由に展開できるのではないか。そして、凹凸の大きなメロディは、より少ない音で骨骼を押えることができる。

もう一つ、β版のメロディにはより多様な感情をのせることができそうだ。α
版のメロディは戦場で非業の死を遂げた恋人をひたすら憶い、慕う以外の感情がほとんど感じられない。どんなアレンジをしてみても、悲しみ、嘆きが前に出る。β版では、悲しみ、嘆きに加えて、たとえばナポレオンに対する怨みを前に立てた演奏がある。しかも怨みの源が一つではない。あんたがこんな戦争を起こさなければ、あの人は死なんくてすんだのに、という怨みが一つ。イングランドを叩き潰してくれると期待したのに、それをしてくれなかった、おまけにあたしのあの人まで死んでしまったという怨みが二つ。

この怨みは晴らすことができない。α版の悲しみ、嘆きと同じく、死ぬまで抱えていかねばならない。どこにも持っていきようのない、しかしどうにもいたたまれない感情だ。そして、この歌は、どの版にしても、癒しようのない悲しみ、嘆き、やり場のない怨みを、天与のものとして諦めて受け入れようとしない。感情を、記憶を、墓場まで、さらには自分の死んだ後にまで残そうとする。

どのヴァージョンにしても、実によくできている。名歌名曲と呼ばれるにふさわしい。これだけのヴァージョンを聴いて、まったく飽きるということがない。どの演奏、どのヴァージョンも、聴いてみると独自の説得力を備え、沁みこんでくる。いい歌のいい演奏を聴いたという満足感とカタルシスが湧く。名歌は名唱を引きだすものだが、箸にも棒にもかからないものがここまで無いものも珍しい。

63のヴァージョンの中には、土産物用に作られたと覚しき録音もあれば、クラシックの唱法で歌っているものもある。中には Rough Guide To Irish Traditional Music の編者の一人 Geoff Walis が、こんな連中は録音など出してはいけないとこきおろしているアメリカの二人組のものもある。あたしは基準がゆるゆるなのか、たくさん聴いているうちに感覚が麻痺したのか、そういうものも含めて、どれもこれも面白く聴けてしまった。歌の方がうたい手を引き上げて、駄唱を許さないのではないか、とまで思えるほどだ。

さらには、この人の録音はもっと聴きたいと思える優れたうたい手も何人も発見している。こんなアルバムがあったのか、と目を開かされ、耳からウロコが落ちたのも一度や二度ではない。

ちなみに63のトラックの中でお薦めを一つだけ挙げろと言われるならば、Liz Hanly の歌唱だ。《The Ecstasy Of St. Cecilia》2016に収録。

ハンリーはボストン生まれ。祖先はアイルランド移民で、アイルランド文化にどっぷり漬かって育つ。フィドルもよくするが、むしろシンガーである。しかし、当然ながら根っからのアメリカ人だ。発音もアーティキュレーションもアメリカンそのもの。煙草の吸い過ぎと言われてもおかしいとは思えないハスキー・ヴォイスも相俟って、こういう歌をうたうよりは、パンクかカントリーでもうたっている方が似合いそうに聞える。東部よりは南部を思わせるレイジーなスタイルだ。しかしこのアルバムではアイルランドの伝統歌やアイルランドのソングライターたちの歌を真っ向からうたっている。一見アンバランス、似合わないと見える組合せが、それ故にか、歌の本質を露わにする。もう一つのナポレオン・ソング〈Isle Of St. Helena〉もあるし、リアム・ウェルドンの名曲〈Dark Horse On The Wind〉もある。後者についてはいずれこの連載でとりあげるつもりで、その時にもハンリーにはご登場願うことになろう。(ゆ)

<編集部から>
機種依存文字の使用ができないため、原文の人名に使用されている特殊アルファベットを標準的な英文アルファベットに変更したことをおことわりいたします。