何かがあるから何かが伝わる?:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

さて、今回は、前回の「勉強して面白がるのもアートだし、直感的に面白がるのもアートだ」に関係しているかもしれないし、関係していなかもしれないお話しです。hatao氏の「ダンス曲はクラシック音楽のように何かを表現する芸術たりえるのでしょうか」という疑問に対して、「それは、すべて、聴き手の感性次第なのだと思う」と前回私は言ったわけですが、いやもしかしたら、表現されたものの中に「何か」があれば、誰かがそれを確実に受け取るのではないかという風に、少し違うニュアンスの事を思った体験をお話しすることにします。

初開催から毎年夏の終わりに30年間に渡って行われているアイリッシュミュージックのイベントがあります。それが、滋賀県高島のガリバーキャンプ村で行われている「アイリッシュ・トラディショナル・ミュージック・キャンプ」です。コロナ禍で2020年から2022年の3年間は開催が中止されたのが、今年は4年振りに復活したのでした。

このイベントには毎年、関西は言うに及ばず、東海(主催が愛知のカフェカレドニア)、関東、年によっては中国、九州からの参加者もあり、音楽愛好家のみならずダンスの愛好家の皆さんも一緒になって集う、最盛期には参加者が100名を超える大きなイベントでした。

そして、今回、4年ぶりの開催です。実は、我がfieldの周辺もこのコロナの期間にアイリッシュ音楽環境が激変していたわけで、fieldは毎年fieldアイ研で希望者を募ってバンガロー1棟借り、2棟借りの団体参加をしていたのですが、この3年間の間に、ずっと懇意にしていた立命大の民族音楽サークルが消滅し、近年ではこのキャンプに参加すること自体がfieldアイ研の外形をかろうじて保つ役割になっていたわけなので、自動的にこの3年間でfieldアイ研の実態自体が怪しくなってしまっていたのでした。

そうか、アイリッシュキャンプが久しぶりに復活するのか!!と、晴れ晴れとした気持ちになったのもつかの間、ん?もはや、こちらの事情が例年どおりではないぞ。。。という現実に気が付くのでした。

私個人としましては、このアイリッシュキャンプで数年来続けている、主催カフェカレドニアのH氏が歌うトラッド・ソングの伴奏を楽しみにしていたという事もあり、これは今年は個人で参加しようかと思案しておりましたが、プライベートな事情も重なって、キャンプではなくて、参加者有志のライブが行われる初日の土曜日だけ日帰り参加をすることにしました。

そして、いざ、当日です。集合時間に現地に到着したのですが、例年ならその広大なキャンプ場のあちらこちらからホイッスルやフィドルの音が聞こえてきて、楽器を持った人々がうろうろしているのどかな空気にあふれているはずなのに。まったくそう言った雰囲気がありません。ありゃりゃ。。と思いつつ、1時間後には始まるはずのライブ会場の方に行ってみるのですが、そこでも、一般客の子供達が遊んでいるだけ。。。

結局、主催者の方々が高速道路で大渋滞に巻き込まれてしまって、そろって到着が遅れてしまったという事情でした。それで、いつもはだらだらしているだけの私もマイクやスピーカーをライブ会場まで運ぶのを手伝ったりしていたわけなのですが、それで、今回の参加者が30数名であることを知りました。例年の半分かそれ以下なのですね。おまけに、この3年間でここガリバーキャンプ村の経営会社が変わって、細かいシステムや施設、設備の使い方もいろいろ変化していて、キャンプ場自体の雰囲気もわずかに変わってしまっていたのです。到着時の雰囲気の違和感はこういう所からも来ていたのですね。

そういう様々な事情が重なって、例年はこのライブの出演もあらかじめ希望者を募って当日にはプログラムが配られるというような案配だったのですが、今回はその場で演奏者を募って実施するスタイルで、ある意味、逆に堅苦しくなく、気軽な感じがいい雰囲気を出していました。

そこに、ご家族で参加されていた、ある方のパフォーマンスが非常に興味深かったのです。えーと。お父さんがフルートを吹き、お母さんがステップダンスを踊り、中学生ぐらいのお嬢さんがけん玉をするという、まさに、和やかな雰囲気まんまんのファミリーパフォーマンスです。

けん玉?と、?、になった方もおられると思いますが、ここで、お父さんが、娘は楽器をやっていないので得意のけん玉で参加します、とアナウンスされておもむろにフルートを吹き始めます。たぶん、アイリッシュリールだったと思うのですが、その早いテンポに合わせてお嬢さんがけん玉、つまり、サイドの部分とお尻の部分に交互に玉を乗せる動きを始めるのです。玉が着地した時にカチッと音が鳴りますから、それは一種のパーカッションになるわけです。が、その単純な反復運動、いや単純な反復運動がゆえにお嬢さんの手元が時々危うくなる。それを、お父さんは娘を心配しつつ凝視しながら、見るもすごい集中力でフルートを吹かれるわけですね。そのうちに、さらに、フルートのテンポが上がります。見ている方はお嬢さんは大丈夫なのかと手に汗を握るようなドキドキ感で2人を見つめるのです。そして、何度かお嬢さんは玉を落としてしまうのですが、そのたびにお父さんのハッと言う緊張感も私たちにビシビシ伝わって来ます。

ここで、気が付くと、フルートとけん玉は見事なシンクロを見せていて、けん玉の着地音がフルートの演奏をあおり、フルートのリズムがけん玉の運動をあおるというような状態が出現しているのです。つまり、非常に躍動感のある理想的なダンスチューンが現れてしまっていたのです。

けん玉は、玉を放り投げる時の反動、玉を受ける時のショック吸収の動きが加わってその間にカチっと言う着地音がするわけです。パーカッションで言えば、打音と打音の間すべてに身体の動きが伴っているようなものです。つまり、その着地音だけではなくて、お嬢さんの身体の動き全てをお父さんは凝視して集中している(娘を思いやる心配げな眼差しとともに)。

私は、以前観た、マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの演奏を思い出しました。ギターのデニス・カヒルは傍らでフィドルを演奏しているマーティン・ヘイズをずっと凝視しながら身体の動きを同期させているあの姿を。デニス・カヒルは演奏中はたぶん自分のギターの手元を一度も見なかったのではないかと思えるほどの集中でマーティン・ヘイズを凝視していた、あの光景。

確かに、まずは、このお嬢さんの頑張りに私たちは目を引かれた。途中からは心の中で皆ガンバレ、ガンバレとお嬢さんを応援していた。そういう舞台設定も大きく作用していたかもしれません。しかし、その裏では、フルートとパーカッションの素晴らしい音楽が出現していたのです。

演奏が終わると、間もおかずに割れんばかりの拍手に包まれました。もしかしたら、多くの方はこのお嬢さんに拍手を送ったのかもしれません。が、そこにあった素晴らしい音楽は確実に観客に皆さんの潜在意識に入り込んでいたのではないでしょうか?

つまり、ここで私がしたような分析などしなくても、何かわからんかったけど、すごかった!と思った人々は大勢いたはずなのです。そこに何かがあれば、その何かを分析学習しなくても、インパクトとして伝わるものは伝わるし、受け取る人は受け取る、と、まあ、こういう事を感じたのでした。

そうか。何かがあれば良いのです。インパクトですね。何か、人をびっくりさせるような何かを考えることにしましょう(違うって!)笑。(す)