出典 Foto Nando Iglesias para O Cantar dos Frautares
ショセ・リス(Xosé Liz)
スペイン北西部に位置するガリシア州。
そのガリシアで今最も注目を集めている音楽家がショセ・リス (Xosé Liz) 氏。
これまでにRiobóやAnxo Lorenzo、Lizgairo、Sondeseu、Entre Trastes、Beladona、Ardentíaなど、40を超えるプロジェクトに参加してきた傍ら、カルロス・ヌニェスなどの多くの音楽家を輩出してきたビーゴの伝統音楽院 (ETRAD: Escola Municipal de Música Folk e Tradicional) でフルート科およびギター・ブズーキ科の教員として教鞭を執っています。
そんな同氏が18世紀から現代に至るまでの期間に制作された14種類の貴重なフルートを用いて、初のソロアルバムを発表することとなり、これを機に編集部は同氏へのインタビューを行いました。
――音楽との出会いは、どういうきっかけだったんですか?
ショセ・リス:音楽を始めたのは、かなり遅い方で。17歳の時かな。
伝統音楽には全く興味はなくて、ピンク・フロイドとか、ロックとかを聴いていて。
でも、うちの父はトラッドが好きだったから、ミジャドイロ(Milladoiro: ケルトの影響を受けた、ガリシアでは最も有名なバンド。ガリシアのチーフタンズとも呼ばれる)とかのカセットをかけていた。
生まれた時からずっとそんな感じ。
その中で個人的には、Galicia no País das Maravillasというアルバムに収録されているAuga das Bailadeirasという曲がお気に入りで。
家には学校で使う笛があったから、それでアルバムを全部コピーし始めた。
そんな流れで、父に「ガイタ (バグパイプ) を吹きたい」って言ったら、「大学入学資格試験に受かったら買ってやる」って言われて、無事受かって吹き始めたわけ。
それで、エンリケ・オテーロ (Henrique Otero) や、モシェナス (Nazario Gonzáles Iglesias, “Moxenas”) のレッスンを受けた。
――大学入学資格試験を受けたということは、コンセルバトリオ (音楽院) へは?
ショセ・リス:音楽院にも音大にも行ってなくて。
エンリケ先生は音大教育に初めて伝統楽器を持ち込んだ人だったけど、レッスンは個人的に受けていた。
その後モシェナスを紹介してもらって、とっても良くしてもらったんだけど、膵臓の病気でその後亡くなられて。
でも亡くなる前に、シャラバル (Banda de Gaitas Xarabal) というパイプバンドを率いていたアントン・コラル (Antón Corral: 伝統楽器職人としてビーゴに工房を設立した他、カルロス・ヌニェスなど多数の音楽家を育てたことで有名) を紹介してもらった。
「シャラバルは素晴らしいガイタ奏者をたくさん輩出しているから」と。当時はマルコス・カンポス (Marcos Campos) もいて。それで試験に受かって、結局8年いたのかな。
その頃から、いろいろなグループで演奏するようになって。
最初はガイタや、ベーム式の金属製のモダンフルートや、レキンタ (伝統的な木製のG管やF管のフルート) などを吹いていた。
ブズーキとかギターとか、弦楽器を弾くようになったのはもっと後で、26とか27歳の頃。
当時はBeladonaというバンドにいて、コード弾ける人が必要だったから、ポルトガルギターを買って、オープンCで弾き始めた。その頃もガイタはレッスンをずっと受けていて、もちろんアントン・コラルからは伝統音楽全般について学んだけど、弦楽器の場合は先生もいなかったから、ほぼ独学。
――いわゆるアイリッシュ・フルートと呼ばれる木製のD管のフルートは、どういうきっかけで始めたんですか?
確かBeladonaではモダンフルートを吹いてませんでしたっけ?アントン・コラルもD管は吹いていなかったはずです。
ショセ・リス:確かに。モダンフルートを吹いていたのは、とにかくミジャドイロの大ファンだったから。
ショセ・メンデスはモダンフルートを吹いていたからね。
でもある時、ミジャドイロがチーフタンズのA Chieftains Celebrationというアルバムに参加することがあって。
あのアルバムにはいろんなグループが参加したんだけど、ミジャドイロも参加して、Galiciaというタイトルでガリシアのレパートリーを数曲セットで演奏していた。
その中にDanza de Cariñoが入ってるんだけど、ハープソロの後にマット・モロイが突然フルートで歌い出すところがあって。
それを聴いて「なんだこのフルートの音色、モダンフルートより1000倍いい音するじゃん」って思ったわけ (笑)。
それでアイリッシュ・フルートを吹き始めた。
でも当時は高くてすぐには買えず、最初は確かオランダのメーカーだったと思うけど、Arie De Keyzerのエントリーモデルのフルートを1本買った。
当時で500€くらいだったかな。
ショセ・リス:アイリッシュ音楽が特に好きだったわけではないけど、マット・モロイを聴いてから、ボシー・バンドとか、プランクシティとか、他のフルート奏者の演奏とかを聴き始めて。
でもアイリッシュ・フルートとの出会いは結構遅かったと思う。
やっぱり、モダンフルートは汎用性が高いでしょ。
フォーク・ロック系のうちのバンドは、いろんな調で演奏していたし、明るい音色もバンドサウンドには合っていたし。
結局自分のプロジェクトで木製のフルートの録音をしたのは、Lizgairoで1曲だけだと思う。
――奏法などはどうやって学んだんですか?
ショセ・リス:独学。とにかく聴いて覚えるしかなくて。
マスタークラスは何度か参加したり、昨年からはバリーバーニーで開催されるフルート・ミーティングのコースに参加したりしたけど、レッスンでは基本的に個別の奏法というよりも、レパートリーを教わるので。
だから逆に自分のレッスンでは、奏法を教えた方がいいと思っているんだけど。
だって、レパートリーはYouTubeもあるし、学べる場所はごまんとあるので、その方が効率いいでしょう。
出典 Foto Nando Iglesias para O Cantar dos Frautares
――ガリシアでもマスタークラスを受けられる機会はあったんですか?
ショセ・リス:ジャン=ミシェル・ヴェイヨン (Jean-Michel Veillon) のクラスはサンティアゴで2回、ラリンで2回あったかな。
その後、アルフォンソ (伝統音楽院のフィドル科の教員) がやってるGalicia Fiddleの関連でも1回。
マイケル・マックゴールドリックも、Celtic Rootsというケルト圏の子ども関連のプロジェクトでビーゴに来ていただいた時に、音楽院で1回お願いして。
その時は生徒というよりも、通訳として、カットやロールとは、みたいなことを解説したと思う。
ショセ・リス:でも、最近フルート・ミーティングに参加して、自分の吹くフルートが他とは違うことに気付いたというか、ガリシアの音楽の影響を受けていることに気付いたというか。
演奏していると、ガイタやリアス・バイシャス (ガリシアの沿岸地域の名前) のスタイルがにじみ出てくる。
例えば、ホタをアイリッシュのようにロールを使って装飾したりはしないし。
――ガイタのレパートリーをフルートで吹くスタイルは、どうやって確立したんでしょうか?
ショセ・リス:例えば、ガイタは音が途切れない楽器なので、スタッカートよりもレガートで吹いたりしているし、レキンタの伝統があるウジャの地域のスタイルも好きで、守りたいと思っている。
でも、例えば循環呼吸でガイタのように全く音を途切れさせずに演奏することには興味がなくて。
やはり、例えガイタの曲であっても、メロディーは呼吸を必要としていると思うから。
ガイタにはそれができないだけで、メロディーは実際には呼吸を必要としていると思うから。
――CDについて聞かせてください
ショセ・リス:前からずっとフルートの録音をしないと、とは思っていたものの、他のプロジェクトがあったものだから、なかなか出来ず仕舞いで。
実際、フルートのために用意していたレパートリーはずいぶんRiobóに「吸血鬼のように食われた」し (笑)。
でも、Riobóは解散という運びになって、ならば自分でやるか、と。
ショセ・リス:それに、レキンタやフルートを教える教員としての建前上、フルートのソロ作品を残しておきたかった。
フルートの講師として各方面から呼んでもらうことも多いのに、録音作品がブズーキばかりだというのでは、示しがつかないから。
楽器は14種類のフルートと、ギター、ブズーキ、パーカッションを含めて全て自分で演奏していて、レパートリーの内訳は、3分の1がガリシアの音楽、3分の1がオリジナル、残りの3分の1が他の地域の伝統曲。
スコットランド、アイルランド、ブルターニュ、ポルトガル、フィンランドなど。
――どうしてまたフィンランドの曲を?
ショセ・リス:フィンランドの曲はポルスカ。
フルートにぴったりの曲ってたくさんあるので。
――確かシベリウス・アカデミーとは交流があったんでしたっけ?
ショセ・リス:そうそう、北欧音楽を真剣に吹いてきたというわけではないんだけど、うちの音楽院のフォーク・オーケストラのSondeseuがシベアカのビッグバンドと一緒にENFOというヨーロッパのフォーク・オケの合同コンサートをやったことがあって。その時にギターのローペ・アールニオ (Roope Aarnio) 先生と知り合ったんだよね。
CDに入れたいと思っているポルスカも彼が作ったもので、そういう経緯。
――フルートを教える教員の立場から見て、今のガリシアのフルートの状況はどう感じていますか?
ショセ・リス:ガリシアでは、一般的に言ってフルートはまだまだガイタ奏者の娯楽なのが現状。
でも、個人的には学校で演奏する場合でも、バルであっても、フルートを吹くなら、フルーティストであってほしいと思う。
単なる娯楽ではなくて、ガイタの曲をフルートに「翻訳」して、フルーティストの視点から音楽を捉えてほしい。
でも実際問題、フルート奏者はまだ少ないとはいえ、日曜日のセッションに行けば、今フルートは4人いる。
それはとても素晴らしい。
――でもセッションでは、アイリッシュを吹く人が多くて、ガリシアの音楽を吹く人は少ないように感じます。
ショセ・リス:確かに。でも、現状の質についてはとやかく言うつもりはなくて、フルートを演奏するという発想自体が素晴らしいと思う。
というのも、以前はガイタ奏者ばかりで、フルートを吹く人なんていなかったんだから。
自分なんか、いつもブズーキ弾けって言われ続けてきたことを考えれば、状況はすごく変化してきている。
その点は興味深い。
――ガリシア以外の地域ではどうでしょう?
ショセ・リス:最近は木製のフルートでフォークを演奏する人はたくさんいるけど、最も尊敬するのは、カスティーリャのハイメ・ムニョス (Jaime Muñoz)。
彼とはCrisol de Cuerdaというイベントを通じて知り合って、たくさん話しをしてきた。
彼の場合、木製フルートといっても、アイリッシュとはあまり関係がなく、むしろジャン・ミシェル・ヴェイヨンのように、自分たちのフォーク音楽をフルートで演奏するスタイルなんだけど、最近はフォークの枠に留まらず、バロックフルートなんかも吹いていて、この春にはマドリード王立音楽院の課程を終えるらしい。
でも興味深いのは、スペインでフルートというと、やはりアイリッシュの需要が高い。マドリードでもバルセロナでも、アストゥリアスでも、みんなアイリッシュを吹きたがる。
でもアイルランドでは逆に、アイリッシュ・フルートでガリシアの音楽を吹けと言われるから。
――フルート・ミーティングをガリシアで開催してはどうでしょう?
ショセ・リス:やってはみたいんだけど、木製フルートを演奏する人はやっぱり少ないから、人が集まるかどうか。
ガイタとホイッスルとセットなら、需要はあるかもしれないけど。
――今後の活動予定は
ショセ・リス:実はこの前の連休中にトリオを組もうかと準備をしていて。
CDは、リリースしたらプロジェクトとしては終了のつもりだったんだけど、CDが気に入った人からはライブをしてほしいと言われることもあるだろうし、そうなると全部自分1人で演奏するわけにはいかないのでね。
トリオを組んでレコ発ができないか、現在調整中。
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