【インタビュー】フルート奏者キャサリン・マケヴォイ


出典 https://journalofmusic.com/

スライゴー、ロスコモンの演奏スタイルの代表格とされるベテラン女性アイリッシュ・フルート奏者キャサリン・マケヴォイCatherine McEvoyのインタビューを日本語でお届けします。

2018年にTG4グラダム・キョールの「今年の音楽家賞」を受賞したときのものです。

翻訳:村上亮子

原文:http://journalofmusic.com/focus/it-was-beauty-sound-interview-catherine-mcevoy

それは音色の美しさでした

フルート奏者のキャサリン・マケヴォイが、TG4グラダム・キョールの「今年の音楽家賞」を受賞したと発表されました。

キャサリンは自分の音楽人生について、またこの賞が彼女にとってどのような意味を持つのかについて「音楽ジャーナル」に語ってくれました。

キャサリン・マケヴォイは、同じく音楽家である兄のジョンと、よくこのことを話し合いました。

10代の頃にアイルランド伝統音楽を学ぼうと思ったのはなぜだろうか、ということです。

親が強いたのではありません。

1960年代~70年代にイングランドのバーミンガムで育って、両親は典型的「アイルランド人」でしたが、「決して私たちに音楽を強いることはありませんでした。」とキャサリンは言っています。

2人で話してみて、音楽をしようとしたのはむしろ自分達だったとわかりました。

広く称賛されているフルート奏者のキャサリン・マケヴォイは先ほどTG4グラダム・キョールの受賞者として発表されました。

ベルファストで次の2月に生放送のコンサートで受賞される予定です。

受賞の電話を受けた時、彼女は興奮して驚いて、「電話で本当に興奮して…泣き出してしまいました。」と言っています。

私の心はアイルランドにある。

キャサリンは1977年にイングランドからアイルランドに移住しました。

それは多くのアイルランド人が反対に出ていった時代でした。

私の心はアイルランドにある。

そこが私の行く所よ、って思いました。

子供時代の音楽への道筋を見ると、70年代のジャンルの広がりがよくわかります。

彼女はバーミンガムの様々な民族が住む町で育ちました。

隣の人はイタリア人で、もう一方の隣はソマリアの人でしたが、同じ通りにはアイルランド人も住んでいました。

彼女の両親は2人ともロスコモン出身でした。

キャサリンは11歳の時に教区のダンスパーティーでアイルランド伝統ダンスに出会い、レッスンに行かせてほしいと頼みました。

教室を開いている女性はアン・キングという人で、ショーン・マグワイアSean McGuireやフォー・スター・カルテットFor Star Quartetやマイケル・コールマンMichael Coleman の曲に合わせて踊らせました。

それで自分は音楽が好きなのだと気付きました。

彼女はダンスの練習のためにレコードを家に持って帰らせてくれました。

キャサリンはダンスの演奏をしてくれるアコーディオン奏者に楽器を教えてほしいと頼んで、3年間習いました。

ハンズワースのアイリッシュ音楽界にさらに深くかかわるようになって彼女はバーミンガム・ケイリーバンドでピアノを弾き、それからホイッスル奏者のトム・マックヘイルTom McHale がホイッスルで何曲か教えてくれました。

しかしターニングポイントとなったのはアイルランド音楽家協会のイベントでジョシー・マクダモット Josie McDermott とペグ・マグラー Peg McGrath がフルートを吹くのを聞いた時でした。

このフルートの演奏を聞いて、『これは何?』と言ったものでした。

私はすっかり虜になってしまいました。

ウールワースで買ったシェイマス・エニスのレコード

10代の半ば頃、両親が古いドイツ製のフルートを買ってくれ、キャサリンは独学で練習し始めました。

兄のジョンは寄宿学校でバイオリンを習い始めていましたが、週末には帰ってきて、一緒に音楽を聞きました。

ジョンはアイリッシュのレコードを買うようになりました。

ダブリナーズDublinersのようなグループのレコードです。

キャサリンはウールワースでシェイマス・エニスSéamus Ennisのレコードを買った時のことを覚えています。

ジョンは今では有名なフィドル奏者で、アイルランドに住んでいます。

彼らが学びたいという気持ちになったのはなぜなのでしょうか。

どうして学び始めたのでしょうか。

私たちの中に「演奏したい」という気持ちを起こさせたのは何でしょうか。

私はそれは美しさだと思います。

音、リズムの美しさ、そして幸せな気分。

キャサリンの演奏はスライゴー₌ロスコモン・スタイルのいい例だと言われ、彼女のアルバム”The Home Ruler” にはそれが鮮やかに表れていますが、彼女が強く意識していたものではありませんでした。

彼女にとって最も大切な資質は音楽にパンチがあるということ、そしてリズミカルで生き生きしていることです。

私がそのスタイルで演奏していると教えてくれたのは別の人でした。

私が演奏する時そういうことは考えません。自分のやり方で演奏しているだけです。

自分が聞いてきたものを演奏するのです。

本能的なものです。

きちんと座って勉強したことがあったかしら?ええ、ありました。

でもそれは何を勉強していると気づかない時だったと思います。

私は自学している若者でした。

フルートの先生についていなかったのです。

当時レコードを出していたフルート奏者のものを聞いていました。

…マット・モロイ Matt Molloy、シェイマス・タンゼイSéamus Tansey、ロジャー・シャーロックRoger Sherlock、ジョシー・マクダモット Josie McDermott、ペグ・マグラーPeg McGrath などです。

本当に熱中しました。

ポットの中に全部放り込んだら、何が起こるか。

私はこのスタイルを身に付けました。

それが一番多く聞いたものだからです。

回復の道

2年前、マケヴォイが再びフルートを吹けるかどうかは、どちらともいえない状況でした。

右手の指の腱を傷つけて吹けなくなり、回復に時間をかけなければならなかったのです。

吹けなくなるという可能性に直面した時期がありました。

そうなったらフィドルを習うわ…私はひどく落ち込みました…どういう結果になるかはわかりませんでした。

最悪でしたが、多くの人が支えてくれました。

ダブリンのカブルストンでの定例セッションやウィリー・クランシー・サマースクールでのレッスンが回復への重要なステップになりました。

たぶん一番いい治療は演奏することだったのでしょう。

指や手首の運動をすることになりますから。

私の演奏が変わったかって?スタイルの点では変わりませんでした。

5時間ぶっ続けのセッションはやめました。

でも、2時間や2時間半なら耐えられます。

音楽でのアイデンティティー

マケヴォイは聖ジョゼフ小学校で視力障害のある子供に音楽を教え、また個人レッスンもしています。

今教えている生徒の一人はマット・モロイの甥(姪)の息子(または兄弟の孫息子 grand-nephew)です。

モロイと言えば彼女が最も影響を受けた人の1人です。

グラダム・キョールの賞を取ったことは彼女にとって大きな意味がありました。

とても興奮しました。

本当に誇らしくて、両親や友達、それから長年支えてくれた人に見ていただくことができました。

彼女の夫のトム・マクゴーマン Tom McGorman も音楽家で、3人の子供もそうです。

彼らの生活の中で音楽の果たす役割は今も続くテーマです。

家でこのことをよく話し合います。

音楽、それが私の本質でしょうか。

私はまず母親です。

10年間家で子供を育ててきました。

彼らは床を這いまわる赤ん坊で、鍋ではジャガイモが煮えていて、私は立ったままフルートを吹いていました。

音楽は生活の一部でした。

音楽のない生活なんて想像もできません。

TG4 グラダム・キョールの授賞式は2月17日(日)にベルファストのウォーターフロント・ホールで行われます。

詳しい情報は http://www.gradam.ie/ または https://www.waterfront.co.uk/ をご覧ください。

2018年10月21日投稿

原文:http://journalofmusic.com/focus/it-was-beauty-sound-interview-catherine-mcevoy