わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめて アイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その23:大島豊

ライター:大島 豊

1980年代後半から1990年代一杯と20世紀から21世紀への「世紀の変わり目」にかけて、アイリッシュ・ミュージック、アイルランドの伝統音楽とそこから派生した音楽は空前の盛上りを体験します。後に「ケルティック・タイガー」と呼ばれるようになる、これまた空前のアイルランド共和国の経済成長が大きな要因です。この時の経済成長によって、1960年代にはヨーロッパで最貧国の一つとされていたアイルランド共和国は、国民1人あたりのGDPでUKを抜き、当時絶好調だった東南アジア諸国の成長率も抜いて、経済面で世界のトップに躍り出ました。

この島に人間が住むようになって以来の6,000年間、この島の住人は貧乏でした。ごく少数の人びとが一時的にあり余るほどの金を持つことはあっても、圧倒的大多数は食うや食わず、赤貧洗うがごとしの状態がずっと続いてきました。華麗極まる装飾写本や、現在でも再現できない精巧な加工技術による装飾品、あるいは豊饒多彩な文学作品などは生みだしてきたものの、島全体としてはずっと貧乏だったわけです。その点ではユーラシア大陸の反対側の端にあるわが列島の状態に共通します。縄文以前、列島に人間が渡ってきて以来、1960年代にいたるまで、列島の住人はずっと貧乏でした。いわゆる高度経済成長期にわれらが列島に起きたことが、1990年代のアイルランド共和国に起きたのです。

われらが列島と決定的に違っていたのは、アイルランドは文化の島だったことです。モノよりも、文学、音楽、絵画、演劇、映画といった文化の産物を蓄積し、伝えてきていました。われらが列島にそうした文化が無かったわけではありませんが、どちらかというとそうした方面は添え物で、この列島の住人が最も得意としているのはモノ作り、それも小さなモノを作ることにあります。これを一言で言えば、アイルランドの人びとは形の無いものを好み、われらが列島の住人は形の有るものを好む、となりましょう。

アイルランドの文化はいずれも、みんなが懐に余裕ができたことによる恩恵を受けました。その中で最も大きな恩恵を受けたものの一つが伝統音楽でした。ここにも二つの側面があるように見えます。一つは伝統音楽を演奏するプロのミュージシャンが増えたこと。もう一つは、プロではない、在野のミュージシャンたちの活動がより盛んになり、広がり、層が厚くなったこと。この二つは両輪となって、アイリッシュ・ミュージックが現在謳歌している空前の繁栄へとつながります。

伝統音楽を演奏するプロのミュージシャンが増えたこと。レコードも出せるようになりましたし、有料のコンサート、ライヴも増えました。そしてそれ以前には無く、1990年代に起きたことは、アメリカやオーストラリア以外の海外の市場ができたことです。ダントツで世界の先頭を行く経済成長をはたしたことは当然世界中からの注目を集めます。いかにしてそれが可能になったかが最大の関心ですが、そもそもアイルランドとはどういうところで、何があるのかにも人びとの眼は向かいます。この時、アイルランドの伝統音楽に人びとの眼を惹きつけたのは一つは映画『タイタニック』の大ヒット、もう一つが『リバーダンス』でした。

『タイタニック』の三等船室でのダンス・パーティのシーンは映画の中でも最も印象的なものの一つですが、この映画の企画のそもそもの出発点にこのシーンを見せることがあったというと言い過ぎでしょうか。とはいえ、あのシーンが映画本篇中最大のターニング・ポイントであるのを見れば、まったくの妄想とも言いきれません。また一方で、映画ヒットの後で来日したソーラスのメンバーが、あの映画公開後、パブなどで演奏していると、映画で演奏されたメドレーのリクエストを受けることが格段に増えたと言っていました。

『リバーダンス』はダンスと歌によるエンタテインメントとして、オペラやミュージカルとは異なる新たなフォームを生みだします。そのダンスもバレエやモダン・ダンスとは異なる、いわゆる「打撃系」つまり体の動きとその動きが生む音の相乗効果を体験させるものです。従来からもタップ・ダンスはあったわけですが、アイリッシュ・ダンスは遙かにワイルドで同時にセクシーな魅力が新鮮な衝撃でした。そして『リバーダンス』という企画が可能になったのは、共和国の経済成長のおかげです。

『リバーダンス』がダブリンで開かれた「ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト」の幕間のためのショーから生まれたことは、そのことを象徴します。伝統から一歩離れたモダンな衣裳に身を包んだダンサー、それも伝統的なソロまたはペアだけでなく、多数の集団を加えた形による7分間のエキジビションは、驚異的な経済成長をしているアイルランドの姿そのものに見えた、と言ってもおそらく言い過ぎにはなりますまい。「ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト」はヨーロッパ全域で絶大な人気をもち、その視聴者数は数億人にのぼります。その人びとがこの時、アイルランドの伝統音楽をベースとした音楽と伝統ダンスをベースとしたダンスの組合せを体験したのでした。その影響はまことに大きく、多岐にわたりますが、ここでも一つ象徴的な現象をあげれば、数十年後、全アイルランド・チャンピオンを競うフラー・キョールのダンス部門のファイナルにモスクワのアイリッシュ・ダンス教室に通うロシア人が入ることになります。

話が少し先走りました。『リバーダンス』のダブリン初演は1995年2月。その前、1990年代の前半に、伝統ダンスはいざ知らず、少なくとも伝統音楽の世界では経済成長の影響が現れはじめていました。ぼくにとってその最も印象的なできごとはまずは、1990年の《Red Crow》、1992年の《Harvest Storm》、そして1993年の《Island Angel》というアルタンのアルバム三連発です。

何はともあれ《Red Crow》です。アルタンのアルバムの国内盤を出していたMSIの担当者がいち早く送ってくれたサンプル盤を初めて聴いたときの驚きと嬉しさは忘れられません。凄いものが出た、という興奮のまま、途中から座っていられずに立ちあがり、聴きおわったとたん、その担当者に電話をかけていました。この時にはフランキーにがんが見つかったたことはすでにわかっていたはずですが、そんな杞憂を吹きとばす快作でした。ほんとうに演りたい音楽の方法論を摑んだ、その形を見つけた歓びがあふれています。怖いもの無しの勢いがあります。プランクシティ〜ボシィ・バンド以来のモダンな語法を受け継ぎながら、伝統そのものから立ちのぼる香りが馥郁とあふれています。マレードとポール・オショーネシィによるダブル・フィドルの快感。さらには、ダーモット・バーン、ジョニィ・リンゴ・マクドノー、ガーヴァン・ギャラハー、ドーナル・ラニィ、モイア・ブレナックといったゲスト陣。アイリッシュ・ミュージックに何か起ころうとしている。予感というよりも確信を打ちこんできたのでした。

続く《Harvest Storm》と《Island Angel》、そしてやはり1993年に聴いたダーヴィッシュのセカンド《Harmony Hill》によって、すでに何か、どころではない、何かとんでもないことが起きていると思い知らされることになります。以下次号。(ゆ)