ライター:まりお:京都field店 店長
皆さんはアイリッシュブズーキという楽器を見たり聞いたりしたことがありますか?
近年のアイリッシュ・パブやアイリッシュ・ケルティックのコンサートでは主に伴奏楽器として活躍しています。
伴奏といってもジャカジャカとコードを弾くだけではなく、カウンター・メロディを担当することも多いのが特徴です。
ではさっそく見てみましょう。
この動画の右側がアイリッシュブズーキです!(ヤイリ製)
二つともよく似ていますがネックの長さなど少しずつ違いがあります。
洋梨のようなボディ
ベース並に長いネック
ギターのようなフラットバック
そんな見た目の特徴を持っているのが「アイリッシュブズーキ」です!
一体どのぐらい前に誕生した楽器なのでしょう?
実は「アイリッシュブズーキ」はアイルランド音楽において比較的新しい楽器といえます。
ざっくりとブズーキの歴史
ブズーキの歴史には諸説ありますが、遥か古の時代のメソポタミアで誕生したといわれており、その後エジプトやトルコといった中東地域に伝わり、やがて古代ギリシャに伝わったようです。
グリークブズーキには3コースタイプと4コースタイプがありますが、20世紀後半になる頃には復弦4コース(CFADチューニング)のブズーキがギリシャを中心に普及したようです。
アイリッシュブズーキが登場したのも20世紀後半です。
※アイリッシュブズーキの起源に関しては、17世紀のイギリスのシターンやギリシャのブズーキのどちらが影響を与えたかについて論争があります。一部の研究者は、アイリッシュブズーキが17世紀のイギリスのシターンに起源を持つと主張しています。シターンはリュートファミリーの一員であり、その構造や演奏スタイルがアイリッシュブズーキの発展に影響を与えたと考えられています。
両方の理論には支持する証拠がありますが、アイリッシュブズーキの起源に関する議論は未解決のままです。
アイリッシュブスーキはどのようにして生まれた?
アイリッシュブズーキ誕生に深く関係した人物を挙げるとすれば
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- ジョニー・モイニハン
- アンディー・アーバイン
- ドーナル・ラニー
は外せません。
1950年代後半〜1960年代前半
アイルランドからの移民バンド「クランシー・ブラザーズ」が1956年にニューヨークでデビュー。
そしてアメリカで大活躍。
これがのちに逆輸入的にアイルランドでも流行り、若者たちの関心がアイリッシュ・トラッドにも向きます。
※クランシー・ブラザーズのギターやバンジョーの伴奏による歌はアイルランド民謡の伝統的な唱法とはいえないが、人々の関心をアイリッシュ・トラッドに向かせた大きなきっかけとなります。
この頃ジョニー・モイニハン、アンディー・アーバイン、ドーナル・ラニーはティーンエイジャー(10代の若者)。
ドーナル・ラニーはクランシー・ブラザーズのコピー・バンドをしていたらしいですよ。
1960年代後半
アイルランド伝統音楽のバンド、「スウィニーズ・メン」に在籍していたジョニー・モイニハンがギリシャの伝統楽器であるブズーキをアイルランドに持ち込みます。
同じく「スウィニーズ・メン」に在籍していたアンディー・アーバイン。
モイニハンのブズーキとアーバインのマンドリンの「復弦楽器の高速のインター・プレイ」はアイリッシュ・フォークで前例のないものでした。
これが後に結成するプランクシティのスタイルに大きく影響します。
1972年
ドーナル・ラニーの旧友のフォーク・シンガー、クリスティ・ムーアのバックに、アンディ・アーヴァインやリアム・オ・フリンと共にプランクシテ(Planxty)を結成。
ここで化学反応が起きます。
ここでドーナル・ラニーはアンディ・アーヴァインの所有するさまざまな弦楽器の中から「モイニハンを通じて知ったブズーキー」に興味をもったのです。
そしてギターのようなフラットバックを持つ新しいブズーキが開発されました。
これが後に「アイリッシュ・ブズーキ」としてアイリッシュ・トラッド・ミュージックに定着していくのです。
▲ボールバックのギリシャのブズーキー
▲フラットバックのアイリッシュブズーキ
またリアム・オ・フリンとの出会いも化学反応でした。
彼の音楽的背景は、ほかの3人とは大きく異なっていました。
彼ら3人がロックンロールやジャズなど大衆音楽から、バラッド・グループ・ブームによってアイルランド伝承歌に移行していったのに対し、リアム・オ・フリンは「名フィドラーの両親のもと」で伝承音楽に囲まれて育ったのです。
プランクシティはアイルランド音楽界に新風を巻き起こしました。
そしてアイリッシュ・トラッドに新しいスタイルを確立し世界的発展に大きく影響します。(ドーナル・ラニー曰く近年のアイリッシュ・ミュージックの盛り上がりは70年代後半からだったと言います)
以上がアイリッシュブズーキ登場までの流れでした!
ドーナル・ラニー番外編
ここから余談です!
アイリッシュブズーキを開発したドーナル・ラニーに焦点を絞ります。
彼は2作目の発表後にプランクシティを脱退。
その後「ボシー・バンド」を結成します。
ボシー・バンドは「クリスティの歌を前面に押し出していたプランクシティ」に対して「より演奏面に重きを置いた音楽性」でした。
のちの世代がリールやジグを演奏する際のスタイルを確立させたパイオニアと言われています。
その後ドーナル・ラニーはプロデューサーとしても活躍していきます。
重要な作品として「コモン・グラウンド Common Ground 魂の大地」(1996年)があげられるでしょう。
クラウデッド・ハウスのティム・フィンとニール・フィン、U2のボノとアダム・クレイトン、シネイド・オコナー、エルヴィス・コステロ、ケイト・ブッシュといった豪華ゲストに加え、旧友のクリスティ・ムーアやアンディ・アーヴァインも参加。
その後もヴァン・モリソンやメアリー・ブラックなど豪華なアーティストと共演。
ドーナル・ラニーはアイリッシュブズーキを開発・定着化させただけではなく、ポップ音楽と伝統音楽の両分野で100枚近いアルバムをプロデュースしました。
伝統音楽とポップ音楽との垣根を低くし、多くの人々が伝統音楽に目を向けるきっかけを作った「アイルランド音楽の代表的存在の1人」といってもよいでしょう。
「本当の伝統音楽はこんなのじゃない!」と伝統音楽のあり方に危惧の念を抱く人もいるかもしれません。
しかし商業主義的なメディアを巻き込んで発展することで、「日の目を浴びることのなかった伝承音楽」に光があたり、結果的に伝統音楽を支えている側面もあるのです。(日本では「吉田兄弟」も、それに近い現象を起こしているのではないでしょうか)
ドーナル・ラニーはインタビューでこのようなことを発言しています。
ブズーキの奏でる和音の素朴な特質は伴奏する曲の色彩をそのままにしておくんだ
アイルランドの伝統音楽は単色のペン画みたいなもの。ブズーキだと古い音楽の性格を保つことができるんだよ
単線のメロディーから構成されるアイルランド伝統音楽の性格を残しつつ、ポップなサウンドに作り変える。
そこに伝統音楽へのリスペクトもしっかり感じます。
アイリッシュブズーキの歴史はまだ浅く、奏法やアプローチも人それぞれです。
これからどんな発展をするのかワクワクしませんか?
最後にドーナル・ラニーのアイリッシュブズーキソロをどうぞ!
アイリッシュブズーキはケルトの笛屋さんでも取り扱っております。
興味のある方は是非試奏しにいらしてください!
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参考資料・引用元
Irish PUB field 洲崎一彦
「直接インタビュー」
及川 和夫
「プランクシティから見たアイルランド音楽の 50 年」
五十嵐 正
「ヴォイセズ・オブ・アイルランド」
Wikipedia