ライター:ネットショップ 店長:上岡
笛奏者の永遠の夢「ひとり二重奏」
少し余談ですが、古代エジプトから発掘された遺跡から、紀元前2700年ごろに、笛2本をくくりつけて、一人で2本の笛を演奏していたということがわかっています。
これはデュエット用ではなく、単純に音量を大きくしたかったからだろうと推測されていて、2本の笛は同じ調で同じ指孔の数となっていたそうです。(ただし、リードは1つ)
▲イメージ映像
同じような時期の楽器がウルの王立墓地(シュメール)から見つかっていますが、こちらは笛2本・リード1つの楽器ではなく、各管にリードがつけられる構造になり、さらに指孔の数も違ったそうです。
こちらは2本がくくりつけられておらず、メロディーを吹く管と、伴奏をする管(ドローンの原形とされています)とに分かれ、1人二重奏思考が強めになっています。
わざわざ遺物として王様のお墓から発掘されたことからもわかるように、古代のパイパーはとっても身分の高い人たちだったようですね。
スパルタなあの子はバグパイパー
そういった歴史を経たバグパイプが当時の巨大な都市であり、高いレベルの技術者がたくさんいたローマやギリシャにたどり着いたことで、バッグ以外の部分もたくさん改良されました。
古代エジプトの時代は大麦などをリード 兼 管体として使用していましたが、リードと管体を分け、管体にはより硬い木材を使用して、大きな音量が出るようにしました。
管体が丈夫になったことにより、指孔の数が増え(11孔という記録が残っています)演奏の幅も広がったんだろうなと思います。
昔からパイパーが身分高めの地位にいたように、ローマなどでも正式に宗教儀式用のパイパー楽団が組まれ、またスパルタ教育でおなじみの戦闘民族の地スパルタでは、人類史上初のバグパイプ演奏を伴った軍隊の行進が行われました。
国家をかけた戦いに、自分たちが侵攻している神様の力を借りたいという思いは共通なので、ローマでも戦闘のたびにパイパーが戦地に同行しました。(この慣習は今でも受け継がれていますね)
さて、ローマ帝国は領土の拡大に熱心に取り組んでいました。
領土の拡大の方法はいつだって戦って負かした敵の陣地をもらっちゃうジャイアン方式だったわけですが、その戦いの度にパイパーが同行していたことにより、急速にヨーロッパ全土にバグパイプ文化が広がったんです。
もちろんローマさんは、海の向こうの英国にも触手を伸ばします。
この辺りは「ざっくりしたケルトの歴史」コラムで書いていますので、興味のある方はそちらも読んでみてください。
スコットランドとバグパイプのミステリー
さて、今やスコットランドを象徴するアイテムのひとつ「バグパイプ」ですが、この起源を明確にする発見は実はまだされていないんです。
いくつかの説があるみたいですが、ひとつはこの話の流れのまま「ローマが英国に侵攻した際にバグパイプの文化が渡った」説。
ただし、ローマが侵攻を開始するより前の時代の英国の硬貨にバグパイプらしきものが描かれていたということもあり、実はもっと前に、ローマ・ギリシャあたりを通さず独自に流入してたんじゃないか、それはきっと地中海の文明をゲットしたスペインが、仲良しアイルランドに広めて、そこからスコットランドに来たんだろう、など色々言われています。
実際のところはどうなのかしらねー、などと解明されていない歴史のロマンを想像しながら演奏を聴いたり、自分で演奏したりするのもまた、バグパイプの楽しみ方なのかもしれませんね。
(歴史パート終わり)
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