クラン・コラはケルト音楽、北欧音楽に関する話題をお届けする国内でたったひとつのメールマガジンです。
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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.330
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Editor : hatao
November 2021
ケルトの笛屋さん発行
Sean Corcoran氏を偲んで:Micheal 菱川
必聴ラジオ番組:松井ゆみ子
日本でもpodcastで聴けると思うので、ぜひ! 伝統音楽の「キモ」を伝える素晴らしい番組です。
「The Rolling Wave」 RTE radio 1(現地では毎週日曜日21時〜22時)
現プレゼンターは、イーファ・ニ・マコーマック Aoife Nic Cormaic。フィドル奏者で、古今のミュージシャンへのインタビューは特筆もの。自身が聞きたいと思うポイントがあるからだと思います。視点が鋭く、いつも貴重な話をたくさん引き出して、番組を奥深いものにしています。
高齢なミュージシャンたちの多くは歯が抜けていたりして、それだけでも言葉を聞き取るのが容易くないのに加えて各地の訛りもすごく、それをものともせずにスムースに会話を進める彼女の力量に感心するとともに、伝統音楽に対する興味と情熱を強く感じながら聴いています。
長寿番組で、彼女の前のプレゼンターはイーリアンパイプス奏者のピーター・ブラウン。軽く10年以上は担当していたと思います。
アイルランドのメディアには多くの著名ミュージシャンが制作に関わっていて、音楽好きにはたまらない番組がたくさん。おいおいまたお伝えしたいと思います。
拙著「アイリッシュネスへの扉」をお読みくださった方たちは「え??」と思われるかもしれませんが引っ越しをしました・笑
詳しくは近々、拙著を出版したヒマールのHP内で執筆しているわたしのブログに書きますので、お時間のあるときにお読みいただけたら幸いです。
新居はファームハウス。新たな扉が開けそう。
まだ混乱を極めた状態の新居なもので、今回は短い原稿ですがお許しくださいませ!
わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その4:大島豊
まず余談を一つ。
チーフテンズが来年結成60周年を迎えるのを記念して、元々のレーベルである Claddagh からレーベル横断のベスト盤が出ることになり、それを機会にこれまで国内ではCD発売されていなかった初期のアルバムがリイシューされます。このことは先日のパディ・モローニの死去とは別に企画されていたもので、偶然に追悼の意味もこめられることになりました。そのライナーを依頼されて、あらためてファーストから聴きなおしてみました。
ちなみに、1977年の《Live!》をリアルタイムで聴いてその音楽に脳天かち割られて以来、「チーフテンズ」と呼びならわしてきて、もう染みついているので、それに、パディ・モローニの発音も「チーフテンズ」としか聞えないので、こう表記しています。「チーフタンズ」の表記に慣れている方には異様に見えるかもしれませんが、不悪。
チーフテンズがかれらだけで演っていた『10』までのアルバムを聴きかえしたわけですが、この時期のチーフテンズはかれらにしかできないことを、かれら以外思いつきもしなかったことをやっていた、とあらためて認識しました。相当に実験的なこと、ほとんど前衛的とすら言えることを思いつき、実践しています。だけでなく、それによって実に新鮮な魅力にあふれる音楽を生みだしています。伝統音楽の可能性を掘りおこし、展開し、その先にあるものを探ろうとしています。少なくとも伝統音楽とは何か、伝統音楽に何ができるか、をあらためて問いなおし、ユニークな解答を出しています。
改めて聴き直してみると、発見もいろいろあります。後世への影響もその一つで、プランクシティやボシィ・バンド、デ・ダナンにはあまり見えませんが、ダーヴィッシュ以降のバンドにはかなりの影響を与えていると思います。
パディ・モローニとチーフテンズがやったことが功罪なかばするのは当然として、少なくともこの初期のチーフテンズが試みたことをまったく無視するのは伝統音楽にとってはマイナスでしかないでしょう。これもまたすべてを肯定する必要もありません。けれど、無心に耳を傾け、その目指していたところを汲みとり、学ぶべきところを積極的に取り入れることは、伝統を生みだし伝えてきている社会の外にあってその伝統を基にする音楽をやろうとする時、大いに利益になるはずです。
何よりも、独創的なアイデアとそれを確実に形にしてゆく演奏能力の高さには、聴いていて興奮します。個人的にはパディ・モローニのパイパーとしての実力の高さにあらためて目をみはる、というか耳をそばだてました。ホィッスル奏者としてはショーン・ポッツとの共作になる傑作アルバムがありますが、パイパーとしてはついにソロ・アルバムを作らなかったことが、まことに残念です。
———–話題が変わり、ここから連載の続きです(編集者↓)———–
家には早くからテレビがあり、幼ない頃からテレビを見ていたわけですが、どういうわけか、ぼくはテレビっ子になりませんでした。テレビを見ることが視聴覚によって情報や刺激を受け取ることのほとんどを占める子どものことです。今ならさしづめスマホ中毒でしょうか。ぼくの世代の子どもの頃の最大の娯楽はテレビを見ることでした。友だちと遊ぶことも娯楽でしたし、それも大きな割合を占めてはいましたが、家の中での娯楽として最も大きなものはテレビでした。祖父は囲碁が好きでしたが、ぼくは碁も将棋もチェスも積極的ではありませんでした。麻雀は家族はもちろん親戚、近所でやっている人はいませんでした。高校ぐらいで存在は知ったはずですが、実体験したのは大学に入ってからで、やったのは両手の指で数えられる程度です。トランプは家族ではあまりやった覚えがありません。一番熱中したのは、大学1年の後半から2年のはじめにかけて「大貧民」が流行した時です。ボードゲーム、野球盤、どれも一通りで入れこむまでは行きませんでした。あるいは娯楽という行為に入れこめない性格、でしょうか。
ぼくはまた映像を見るのも好きではないようです。テレビはほぼまったく見ませんし、映画も自分から積極的に見ることはしません。音楽ビデオすら、あまり見ません。音楽やダンスなどの芸能は映像を見ることで初めてわかることも多いので、ほんとうはもっと見るべきでしょうが、どうしても必要にならないと見ようという気になれません。YouTube でしかリリースされていない音源などを視聴するときも、映像はなるべく見ないで、音楽に集中しようとします。そういう傾向がどこから出てきたものか、よくわからないのですが、あれだけ小さい頃から毎日テレビを見ながら、中毒にはならなかったところからすると、自分の中のコアの部分に、映像、というより動画に対して耐性ないし受け入れられないところがあるのだろうと思っています。テレビまんがや子ども向けのドラマを見ながらも、覚えているのは主題歌の方で、話の中身はきれいさっぱり消えています。
体を使って何かをする、スポーツ、武術、それにそう、楽器の演奏も熱中したことはありません。ぼくの世代の男子は小学生のとき、ほぼ全員が野球をしています。当時は男子小学生のやるスポーツとしては、野球がほとんど一択でした。少なくとも近隣一帯、東京都港区ではそうでした。学校の校庭での遊びもゴロベースなどの簡易野球がメインの一つでしたし、学校の外でチームができていました。ユニフォームと道具を揃えて、休日に近所の空地でやっていました。その頃は近所にまだあちこち空地がありました。『ドラえもん』をはじめとする藤子不二雄作品に頻繁に出てくる土管のある空地に象徴される空間です。そういう空地は野球をやるための空間として、日曜などは取り合いとなっていました。少年野球大会も盛んでした。今のリトル・リーグをめざす本格的なものから、遊びの延長まで、レベルも様々でした。ぼくもそういうチームの一つに入っていたわけです。ぼくらのチームはユニフォームを着て遊ぶのが面白いだけで、スポーツとしての野球の面白みを追求するなど思いもよらないというレベルで、大会に出て記録的な大敗をしたこともあります。
楽器についても、事情は似たようなものでしたが、一つ、他のものには無かった要素があります。先生の存在です。ぼくが通ったのは港区立南山小学校、都内の小学校の中でも最も古い学校の一つで、ぼくらが6年の時、創立90周年で盛大な式典をしました。港区内は子ども人口の減少が激しく、小学校の統廃合も盛んですが、南山小は存続しています。
当時の南山小ではクラス替えは6年間で1回だけ。1〜3年と4〜6年はクラスが変わりませんでした。これも今はまったく様変わりしています。当時はそれなりにメリットがあったのが、その後デメリットの方がずっと大きくなった、ということでしょう。当時もすでにデメリットはかなりあったと子供心にも思っていましたが、一つメリットと言えるものが音楽の授業でした。
ぼくが在学していた時の音楽の先生は中山先生という非常に熱心な方でした。フルネームはついに知りません。4年になると音楽の時間ができます。週1回だったか2回だったか、もう覚えていませんが、3年間クラスが変わらないことを利用して、中山先生は3クラスあった各々のクラスに器楽の課題曲を与えていました。音楽室に備えられていた楽器はまず鍵盤ハーモニカ、加えてアコーディオン類、木琴、それにコントラバスと各種打楽器、というところでした。リードもウインドも無かったと思います。ぼくのクラスにはオルガンを習っていた女子と、なぜかフルート、クラシック用のベーム式を習っていた男子が1人ずついて、これも後に編成に加えられました。こういう編成で3年間、ある曲をまともに演奏できるように練習をする、というのが音楽の授業でした。中山先生は課題曲を自分で編曲して楽譜も配りました。もっとも楽譜の読み方の手ほどきをされた記憶はありません。ぼくのクラスの課題曲は「ラ・クンパルシータ」でした。毎年、少しずつアレンジが変わりました。年に1回、学芸会で全校に発表しました。
上記創立90周年記念式典では、中山先生は『タンホイザー』の序曲を式典用の音楽にアレンジし、6年生全員を動員して演奏する、ということもしました。
この音楽の時間がとても楽しかったか、と言われるともう覚えていない、と答えるしかありません。しかし、嫌だったという記憶もありません。ただ、全体の演奏がうまくできた時の快感は体験していた、と思います。それで楽器演奏が好きになる、やりたくなる、というところまではいかなくとも、音楽が耳に入ることを快感として体験していたのでしょう。加えて、生楽器の音を耳にしていたことも後々大きく作用したと思います。
もう一つ、中山先生は君は声がよろしいと言って、友人が指導していた小学生の合唱団にぼくを推薦しました。5年、6年と在籍し、週1回の練習に通い、定期演奏会や演奏旅行に出ました。けれど、この2年間の体験はむしろ苦痛でしかありませんでした。今から思いかえせば、他人と声を合わせることがどういうことか、わかっていなかったのでしょうが、その後自分では歌うことをしなくなったのも、このトラウマのせいと思っています。
したがって、中学3年でクラシックに遭遇するまで、ぼくにとって音楽体験、ポジティヴな音楽体験と呼べるものは幼ない頃のテレビまんが主題歌と小学校での音楽の授業の2つだけです。
もちろん、それ以外にまったく音楽が耳に入っていなかった、ということはありません。テレビのコマーシャル、商店街のBGM、たまたま点けたテレビが音楽番組だった、等々、日常生活で音楽を聞くチャンスはかなりたくさんあります。一方でわが家にはラジオを聞く習慣もありませんでしたから、平均的家庭、というものがあるとして、わが家の音楽環境は平均よりかなり下だった、と言えるでしょう。つまり、意識的に音楽を聞くためのツールや機会はほぼ皆無でした。
と書いたところで思い出しました。もう一つ、音楽への関心を培養した可能性のあるものがありました。ラジオの深夜放送です。以下次回(ゆ)
振り出しに戻るということは?:field 洲崎一彦
さて、前回で、私の音楽趣味はめでたく振り出しに戻ったのでありました。さて、振り出しに戻ったと自覚した上は、今度は何からどう始めたら良いのかということですね、次のお話しは。
本当は、このまま何も考えずに日常を送っている間に気が付いたら楽器を手にしていたとか、ふと耳に入ってきた音楽をぼうっと聴き続けてしまっていたとか、そんなストーリーが美しい感じがします。でも、こんなことを意識してしまうと、ふと気が付いたら、などという境地にはほど遠く身構えてしまうものなのですね。どうもいけません。ぎこちなく不自然です、この状態。。。
そんな折り、コロナでもうずいぶん長い期間会うことができなかった東京のアイリッシュ音楽仲間がたずねてきてくれました。彼は、わがfieldアイ研の活動が盛んだった時代にアイ研の琵琶湖合宿に参加してくれたこともあるアイ研では古株の人物で、もちろん、今もアイリッシュの演奏を続けている、私などから見ると、スマートに安定した大人の趣味人です。
そして、思わず話込んでしまったのは、このコロナ下でのアイリッシュ音楽界隈のいろいろな状況でした。東京方面でも閉店してしまったパブがある等、それなりに混乱もあったようなのですが、すでに再開されたパブセッションもぽつりぽつり出て来ているとの事でした。
京都では、プライベートセッションに近い形のもの以外はまだなかなか大っぴらにパブセッションを繰り広げる雰囲気にはもう一歩及ばないというような話をしつつ、やはり、コロナ以前から日本のアイリッシュ音楽界は、地下ではいろいろな分断が始まっていたのかもしれないという所で意見が一致しました。それが、コロナで一気に表に出て来ているのではないかと。
わがfieldでは、セッションが無くなり、ライブが無くなって、酒場としての営業も長期間ストップしていた間に、気が付けば、アイルランド音楽愛好家の皆さんはすっかり私達の視界から消えてしまいました。特に私はFacebookなどのSNSをまったくやらないので、皆さんの動向も皆目判らなくなり、まるで無人島に流されたような状況なのだという話をすると、実は、東京ではもうすでにセッションに来る層と来ない層という、やんわりとした分断がコロナ前から始まっていたとのこと。
今、かろうじて再開されたセッションに集まる人たちは、なんとなくセッション楽しそう、ではなくて、そうれはもう、セッションが自身のアイリッシュ音楽に必要不可欠と感じているどちらかというと古い愛好者が主になり、その分断があからさまになって来たとのことです
昔は、アイリッシュ音楽を演奏する人であれば、どこかのセッションには何らかの形で必ず顔を出していたものなので、そんな中でウワサも広まって、新しく腕利きの人が登場すればしたで、どんどん交流が広がって行ったし、どんな演奏者、愛好者がいるのかはだいたい把握することができていたのが、今では、セッションにはまったく寄りつかない新しくアイリッシュ音楽を始めた人たちが活動を広げて行き、突然、マスコミに乗った段階でやっと私達の目に触れるというような例も出て来ているので、昔のようにアイリッシュシーン全体を把握することが難しくなったと言います。
確かに、昔から、ひとつの趣味に対する人口は、東京圏では京阪神のざっと10倍の数が存在すると言われていますから、広がれば広がるほど、もちろん把握など出来なくなるのは当然だとは思いますし、京阪神にもそのような新しいタイプのアイリッシュ音楽演奏者が出て来ているのでしょうが、マスコミ世界が遠いこちらでは、私達の目に触れる機会もないわけですね。
つまり、ひとことで言ってしまえば、知らないアイリッシュ音楽演奏者がいっぱい出てきているようだが、その実体がよくわからない、というのが私達の共通認識ということになるのでした。
私達の会話の上では、なんとも寂しい世界になって来ましたね、というトーンなのですが、実は、ひとつの趣味世界の裾野が広がって行くと、こうなって行くのは当たり前の事であって、趣味を同じくする者とすれば、本当は喜ばしいことでなのですね。
この音楽が世間に広がることで、私達がこれを演奏するにおいても、それを聴いてくれる人が増えるという事態に繋がるわけですし、この趣味の世界ではその時々でとんがった主義主張を持つ人もそれぞれに存在しますから、少数派だった人たちが突然多くの人々の支持を得るチャンスがやってこないとも限らない。つまり、趣味人口が増えることで、分断は起こるでしょうが、全体で見るとそれぞれの活動が活性化されて、その内容も洗練されて行くという流れが出来てくるのであろうとは思います。
が、ここで、どこかでこれを認めたくないという気持ちが生まれてくるのも正直言って否めないところがあるのです。
それは、まだ、この趣味人口がほんのひと握りであった20数年前から関わって来ている身としては、趣味人口が少ないからこそ、この世界に安らぎを感じる人々が確実にいたことを見てきたからです。
また、私自身にも同じ心境が無きにしも非ずという部分があり、しかし、私の立場はこの趣味世界を広げるという大義名分によってパブ経営という仕事に結び着けてきたわけなので、実は、このあたりは普段は決して口にすることが出来ないジレンマだったということを、今ここで白状せねばなりません。
そうです。私が自分で見ないようにしていた部分。。。。
そうなのです。彼との会話は大いに盛り上がり非常に楽しい時間を持てたんです。が、数日過ぎるうちに、これまではたぶんわざと意識しないようにしていた私の個人的な問題。ずばっと言うと、趣味と仕事は両立するのか?というテーマが急激に意識の上に浮上してきたのです。
けっこう以前のことですが、その頃親しかったセッション仲間のひとりに、何かの会話の中で、スザキさんは本当はアイリッシュ好きじゃないでしょう?と言われたことがありました。その時は、なんでそんなことを言われなければならないのか!と少し憤慨した記憶がありますが、今から思うと、私の潜在意識の中にあったこの矛盾を、その彼はあの時点で何か感じ取っていたのだろうなと腑に落ちるところがあります。
振り出しに戻すと、とんでもないものが浮上してしまった。(す)
アイリッシュ・フルートの演奏スタイル:村上亮子翻訳
編集後記
原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。
ケルト音楽に関係する話題、例えばライブ&CDレビュー、日本人演奏家の紹介、音楽家や職人へのインタビュー、
音楽旅行記などで、1000文字程度までで一本記事をお書きください。
頻度については、一度にまとめてお送りくださっても構いませんし、
毎月の連載形式でも結構です。
ご相談の上で、「ケルトの笛屋さん」に掲載させていただく場合は、1文字あたり0.5円で買い取りいたします。
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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao
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