歌の小径の散策・その13 Blackwater side:おおしまゆたか

ライター:大島 豊

この歌もまたアイルランド起源であることは明らかながら、アイルランドのうたい手による録音は少ない、という印象がある。もっとも、ちょっと検索してみれば、それが錯覚なのはすぐわかる。

この歌があたしにとって特別なのは、初めてそれと意識して聴いたのがアン・ブリッグスの歌唱だったからだし、サンディ・デニーが歌っていたからだ。アイルランドやスコットランド、イングランドの伝統歌の録音に夢中になりはじめた初期の頃のことで、タイトルとメロディと大体の歌の内容がセットで体の中に入ってきた数少ないものの1つ、というよりは、ひょっとすると最初のものだったかもしれない。それくらいアンとサンディの歌は強烈だった。

アン・ブリッグスのヴァージョンは1971年トピック・レコードから出たファースト・アルバムのオープナーである。あたしがレコードを買いだした1970年代半ばでもこのレコードは普通に買えた。つまり、その類のレコードを扱っている数少ない輸入盤専門のレコード店、たとえば高田馬場にあった「オパス・ワン」などにはまずいつでもあった。CBSからのセカンドは噂には聴いていたが、「ブラックホーク」以外の場所で現物を目にしたことは無かった。その後、セカンドもCD化され、さらにはお蔵入りしていた3枚目もリリースされて、むろん入手して聴いたが、あたしにとってはファーストまでの伝統歌を歌うシンガーが最高だというのは変わらない。そしてこの歌は、伝統歌のうたい手としてのアン・ブリッグスのベストの歌唱の1つであり、うたい手としてのアン・ブリッグスの本質が剥出しになってもいる。伝統とは無縁の現代娘が、ながく歌い継がれた歌を、表面的には何の装飾もなしにそのまま歌って、まぎれもない「いま」の歌として表現できる。アンのこの歌のこの歌唱によって、あたしはそのことを叩きこまれたのだ。

この原稿を書くために、例によって Tidal にずらりと出てくる録音を片っ端から聴いていった。パディ・タニー、シーラ・スチュワートなどのソース・シンガーから、ドリィ・マクマホン、リアム・クランシィなどの先駆者、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン・グループ、あるいはカラ・ディロン、ムイレン・ニク・アウリーヴ、アルタン、アン・ワイリー、デイリ・ファレルといった後に続くうたい手たち、さらにはここで初めて名前を聞く人びと。

これくらいの名曲になると、誰がどう歌っても悪くなりようがない、ということは別にして、どれも力演である。どれも聴きごたえがある。惹きこまれる。それぞれに工夫を凝らし、うたい手としてもてるものを惜しみなく注ぎこみ、歌の魂を伝えようとしている。

なかでもバート・ヤンシュはこの歌が好きなのだろう、何度も録音し、またライヴ録音も多い。バートの初録音は1966年の《Jack Orion》。かれのソロとしては3枚目。アルバムとしては4枚目。シンガーとしては声域が狭く、この歌も歌いにくそうにも聞える。一方そのギターはやはりユニークで、ミュージシャンとしてのバート・ヤンシュはギターと歌の組合せによって世界を構築している。コーダのギターによって、このヴァージョンは他の全てのヴァージョンから離れて屹立している。

バートの伴奏でアンが歌うという「夢の共演」もバートとその時代を描いたドキュメンタリーのサントラ《Acoustic Routes, Vol. 2》2013 で聴くことができる。そこでのアンの歌唱は、40年の隔たりをまったく感じさせないのに驚く。上記、バートのしめくくりのギターの谺も聴くことができる。

にもかかわらず、ファースト・アルバムに収められたアン・ブリッグスの歌唱は、あたしにとっては、他のどのうたい手のどの歌唱よりも共感してしまう。切れば血の滴るような生々しさで体に入ってくる。いつ聴いても新鮮で、半世紀の時間の経過は欠片も感じさせない。今朝、吹きこみました、というようだ。

A・L・ロイドによるアルバムのライナーノートでは、アンはこのヴァージョンをアイルランドのトラヴェラーのシンガー Mary Doran の録音から習ったとある。ギターは Stan Ellison なる人物のアレンジを元にしている。

検索すると Stan Ellison についての情報が出てくるのは、恐しい時代になったものである。マンチェスターのポピュラー音楽の歴史にやたら詳しいウエブ・サイトに、この人物についての記事がある。それによればエリスンは1971年にTrailer Records から出た Lee Nicholson のファースト《Horsemusic》でギターを弾いている。エリスン自身はブルースを歌い、弾いていたらしいが、イングランドやスコットランドではブルースと伝統音楽の境界がごくゆるいことはずっと続いていたのだろう。

アン・ブリッグスはイングランド生まれ育ちだが、若い頃、友人に誘われてエディンバラにヒッチハイクしてバート・ヤンシュと出会い、あるいはスイーニィズ・メンと共に中古のボロ・ワーゲンにぎゅう詰めになってアイルランドを回っていた。ブズーキもこの時に覚えて、この楽器をブリテンに持ちこむことになる。有名なセカンド、名盤として一時は中古盤に法外な値段がついていた《Time Has Come》のジャケットで肩にかついでいるのがそれだ。どうやら根っからの放浪者らしい。

同時代にあってアンは知る人ぞ知る存在だった。伝統歌、フォーク・ミュージックの世界の外では知られていなかった。レコードは出てもヒットとは無縁だったし、その録音がラジオで流れることもなかった。彼女の歌を聴くことができたのは、たまたまフォーク・クラブやフェスティバルで歌うところに遭遇したか、何らかの動機でそのレコードを聴いた人間だけだった。本人は商業的成功は眼中に無かった。有名になりたいという志向も無かった。アンの歌唱がとび抜けていたことはもちろんだが、その歌唱が同時代とそれ以後の伝統歌のうたい手たち、フォーク・ソングのうたい手たちに絶大な影響力を及ぼすことになった裏には、その無欲さもある。無欲でうたうことで、その歌唱はさらにパワフルになった。

誰もが誰かに見られたい、聴かれたい、知られたいと望んでいる今の世の中では、場違い、時代遅れとされるのだろうが、本当に見られる、聴かれる、知られるだけの価値を備えるのは、欲望とは無縁の、表現への集中からしか生まれないことは、時代を超えた真理、とあたしは思う。40年経っても変わらぬ歌をうたえるのも、そのおかげだ。

この歌の Blackwater はウェクスフォドにあると、パディ・タニーは歌とともに、「トラヴェラー」のパディ・ドーランから教えられたとしている。ところが、ウェクスフォドにはそういう名の川はどうも無いらしい。もっとも、だからといって、歌をうたい、聴くのに何らかの支障があるわけではない。

なお、この歌のタイトルには Blackwaterside と一語のものと、side を別にするものと、Black water side と全部別にするものがある。少しずつ検索結果が変わる。(ゆ)