わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その28:大島豊

ライター:大島 豊

つい先日、O’Jizo が結成15周年記念のライヴをしました。ライヴそのものもすばらしく、フィドル2本、ドラムス、イリン・パイプが参加したフル・バンドでの演奏も含めて、O’Jizo の音楽の魅力を満喫しました。と同時に15周年ということの意味をあらためて噛みしめたことでありました。ということは O’Jizo のスタートは2008年です。そしてこの O’Jizo とジョンジョンフェスティバルの登場が、ぼくにとっては驚天動地の事態が明らかになるきっかけでした。つまり、現在につながる、国内でアイリッシュ・ミュージックを演奏する人たちの出現です。これがいかに大変なことだったか、少なくともぼくにとっては世界がひっくり返ることだったか、今となっては説明するのがきわめて難しい。

ある新種の生きものが出現し、またたく間に広がって、ごく普通の存在となり、周囲もその存在をあたりまえのものとして受け入れた後で、その生きものの出現そのものが大事件だったと納得してもらう。

こう書いてみれば、その難しさが多少わかりやすくなるでしょうか。そう、アイリッシュ・ミュージックを我が物として、すなわち音楽家としてのすべてを注ぎこんでこれを演奏しようという人たち、実際に演奏している人たち、カネを払っても耳を傾けるに足る水準で演奏している人たちという存在は、2008年というよりは、そのもう少し前、2000年代半ば以前にはほとんどまったくと言っていいほどいなかったのです、この国には。

この年とはっきりさし示すことはできませんが、しかし世紀が変わって少し経ってからの現象であることは確かです。2001年4月創刊の本誌の前身では、創刊2年目の2002年10月から、記事の号とは別に、ライヴやレコード・リリースの情報を集めた情報号を毎月出していました。そこに載せていたのはぼくが自分で行きたいライヴの情報が主でした。載せていた情報はアイリッシュ・ミュージックに関するものだけに限ってはいませんでしたが、記事の号とは別にせざるをえないほど、情報が増えていたわけです。ですから、アイリッシュ・ミュージックを専門に演奏する人たちのアクトが現れていることには当然気がついていました。けれどもそれがわが国のアイリッシュ・ミュージックにとっては空前の規模で起きている現象であるとは認識していなかったのです。

ぼくがアイリッシュ・ミュージックを聴きはじめてそろそろ半世紀になりますが、この時まで、2000年代半ばになるまで、そのライヴに行くというのは、海外から来日する人たちを除いてありませんでした。世紀が変わる前にもこの国でアイリッシュ・ミュージックを一流の水準で演奏している人たちは皆無ではありませんでした。札幌のハード・トゥ・ファインド、関西のシ・フォークはその例外の代表です。ですが、この人たちのベースは東京からは遠いですし、それ以前に、そのライヴに行こうということを思いつきませんでした。そういう習慣が無かったのです。

O’Jizo とジョンジョンフェスティバルに象徴される国内のアイリッシュ・ミュージシャンたちの出現によって、そういう状況は根底からひっくり返されました。この二つがぼくにとっての象徴になったのは、かれらが東京をベースとしていたからです。関西でも同様の事態が起きていることはわかっていましたが、その実際の演奏に触れられるのにはやはり時間差がありました。

国内のミュージシャンによるライヴに行きはじめたのがいつ頃か、2005年以前の記録がみつからないため、はっきりしませんが、2006年からはライヴに行くことが明瞭に増加します。2007年、2008年には日常的に行っています。

もう一つ、かれらが象徴となった理由は、バンド結成とほぼ時を同じくして、アルバムを出しはじめたことです。国内のアイリッシュ・ミュージシャンたちのアルバムはそれ以前から出ていますし、水準も高いものがありました。ただ、この二つのアクトには、質の高さに加えて安定感がありました。一時的な試みやミュージシャンたちの楽しみというよりも、固定したメンバーがある目標をめざして持続的に精進している姿が見てとれました。

もちろんこの二つだけがそうだったというのではありません。かれらやその他、一斉に湧いて出てきた、とぼくには思えた国内のアイリッシュ・ミュージシャンたちの存在と活動を最も明瞭に提示して、ぼくがそれらをひとつの波にも比すべき現象と認識する契機となったということです。当然、他の人たちにはまた別のアクトが象徴となりましょう。

そして、国内のアイリッシュ・ミュージシャンたちが出すアルバムによって、アルバムという形式が備えている可能性にも目を見開かされることになりました。

アルバムがあれば、ライヴで演奏される楽曲を、あらためておちついてじっくりと聴きこむことができます。何度でもくり返し聴くこともできます。好きになった曲、刺さる曲だけを聴くこともできます。曲によっては他のミュージシャンたちの演奏と聴き比べることができます。

これらはリスナーにとってのメリットです。一方、ミュージシャンにとってもアルバムを出すことはメリットがあると思われます。自分たちのやっている音楽のプロモーション・ツールとして最も強力なものの一つです。それ以上に、ふだんライヴで演っていることを再検討する契機になります。そこから次のステップへの契機が生まれます。そして本当に良いものができれば、作品として、後々に残るものになります。

音楽を聴くデフォルトは現在ではすでにストリーミングになっていますが、西洋クラシックの交響曲や『ニーベンルクの指輪』のような作品、あるいは1曲の演奏が6〜8時間かかるモロッコのヌゥバのような音楽を除いて、アルバムという単位は今後も存続するだろうと今は思います。

ライヴは一期一会です。後期のチーフテンズのように、毎回まったく同じことをくり返すにしても、まったく同じライヴは二つとありません。日常から離れた至高の体験ができることもありますが、終ってしまえばそれっきりです。残るのはそうした体験の記憶だけです。音楽というメディアの宿命です。

アルバムはその宿命をひっぱずし、裏をかいて音楽を作品として残すことを可能にします。文学や美術、映像と同様に作品として残せます。映画という形式も、デジタル化によるテレビ・ドラマの革命によっても滅びることはなく、むしろかつてなく隆盛になっているように見えます。アルバムもストリーミングの中にあって作品としての存在をむしろ大きくしていくのではないかと思います。

アルバム製作には目もくれないようにみえる K-pop も出てきていますが、あれは音楽というよりは、音声と動画の合体とストリーミングによる新たなメディアとぼくはみています。あそこで音楽を採用しているのは、音楽そのものに価値を見出すよりも、最も効率的に最大多数に働きかけることが可能な手段としての価値を認めているから、というのがぼくの見立てです。

今年はぼく自身、ストリーミングで音楽を聴くことがぐんと増えました。そこにはいろいろな要素がからんでいますが、レコードを買うことはやめないにしても、音楽を聴く方法としては、今後はストリーミングがメインになっていくだろうと予想しています。その場合にも、アルバムという単位は、かつてのアナログ時代のようにすべてに共通する枠組みではなくても、リスニングを律するスタンダードでありつづけるでしょう。そのことについて次回書いて、この連載のしめくくりにします。(ゆ)