【最新号:クラン・コラ】Issue No.327

クラン・コラはケルト音楽、北欧音楽に関する話題をお届けする国内でたったひとつのメールマガジンです。

毎月20日頃に読みもの号として各ライターからの寄稿文をお届けします。

この音楽にご興味のある方ならどなたでも寄稿できますので、お気軽にお問い合わせください。

今月号から、アイルランドのスライゴー在住のライター、松井ゆみ子さんが執筆陣に参加くださいます。

なかなか行くことの難しいアイルランドからのリアルな記事をどうぞお楽しみに!

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クラン・コラ Cran Coille:ケルト・北欧音楽の森 Issue No.327

Editor : hatao
August 2021
ケルトの笛屋さん発行

知られざるスライゴーの魅力:松井ゆみ子

https://celtnofue.com/blog/archives/8424

わが音楽遍歴、または余はいかにして心配するのをやめてアイリッシュ・ミュージックを聴くようになったか・その1:大島豊

今年の2月、ICF、Intercollegeate Celtic Festival で「録音でたどるアイリッシュ・ミュージックの歴史」という講座を担当しました。Zoom によるその講義の後半で、ぼくがどうやってアイリッシュ・ミュージックに親しんできたかをざっとふり返ってみました。断片的にはあちこちで書いてもいますし、拙著『アイルランド音楽:碧の島から世界へ』の話の根幹にもなっています。けれども、まとまった形で語ったのは初めての試みでした。出逢いから半世紀近く経ってみると、それなりに蓄積してきたこともありますし、アイリッシュ・ミュージックを知ってまだそれほど経っていない人たちにとっては、昔話をするのも、あるいは意味のあることかとも思えたからでもあります。幸い、あれは面白かったといってくれる人が複数いて、やって良かったと思えたことがまずあります。

もう一つ、本誌の数号前で洲崎さんが、アイリッシュ・パブ field の出発の頃、そして功力さんとのデュオの出発の頃をふり返ってらして、これがたいへん面白かった。洲崎さんはぼくの知らないところで、自分なりにアイリッシュ・ミュージックを発見し、手さぐりで探索されてゆくわけですが、その様子に大いに共感するとともに、もちろん異なるところもあって、そこが何とも面白い。なぜ、面白いのか、よくわからないのですが、面白い。あるいはアイリッシュ・ミュージックという共通の相手に近づいてゆく、つまり共有してゆくアプローチが異なることが面白いのかもしれません。

面白いことにはもう一つあって、昔話は面白い。昔はどうだったか、という話は無条件で面白いところがあります。それは別世界でもありながら、今につながっている。歴史の面白さです。

そこで、ぼくがアイリッシュ・ミュージックとどうやって出逢い、どんな具合にこれまでつきあってきたか、ふり返って書いてみるのも、やはり面白いのではないか。わが国における異文化接触とその吸収の一つのケース・スタディになるかもしれない。それに、こういうことは書いておかないと消えてしまいます。書こうとしていることはぼく個人のことではありますが、一方でぼくがまったく孤立していたわけでもない。ぼくの世代のある集団、他と比べると極めて小さなものではあるにしても、ある集団の一員でもありました。そういう集団の動き、流れの記録にもなるでしょう。

あんまり長くなるつもりはありませんが、どうせなので、自分の音楽遍歴を最初からふり返ってみようと思います。なるべく個人の体験として、というより体験の記憶になるでしょうから、事実とは異なることもあるでしょう。可能であれば、両方を併置してみたいものです。

ぼくはアイリッシュ・ミュージックだけ聴いてきたわけでもなく、またアイリッシュ・ミュージック中心に聴いてきたわけでもありません。自分の中でも波はあって、アイリッシュ・ミュージックから言えば、どっぷり漬かって、他には見向きもしなかった時期もあれば、すっかり離れていた時期もあります。ひとつにはぼくが楽器をやらなかったというのがそうなった理由であるでしょう。ICFの時にも、楽器をやろうとは思わなかったのかと訊かれて、そういえば、なぜかやろうとは思わなかったとあらためて思い返したくらいです。

ぼくはとにかくいろいろな音楽を聴くのが好きで、それも新しもの好きです。世の中には、まだ聴いたことのない、けれどもすばらしい音楽はいくらでもあることは身にしみてわかっています。そのこと自体、これまでに学んだことの一つですけれど、それがわかる前から、とにかく聴いたことのない音楽を聴くのが好きです。たとえアイリッシュ・ミュージックの中でも、聴いたことのある人とない人の録音が目の前に並べば、聴いたことのない人から聴きます。

新しもの好きというのは音楽だけでなく、本でもモノでも食べ物でも、新しいもの、知らないものはとにかく一度は試したくなります。だから、これはもう性格の基本にあるのでしょう。ジャーナリスティックでもありますが、移り気で飽きやすい。試してみても、まずたいていのものは試しただけで終ります。本当に新しいものはそんなにあるもんじゃあありません。それがわかっていても、試さずにはいられません。楽器をやろうと思わなかった理由の一つにこの新しもの好き、飽きやすい性格があるかもしれません。

楽器をやろうと思わなかった理由はともかく、とにかく演るよりも聴く方が先、演る時間があれば、1曲でも1枚でも多く聴きたい、ということでこの半世紀過ごしてきました。ですから、これから書くことも、ぼくがどんな音楽にどうやって出逢い、何を聴いてきたか、そしてそれはアイリッシュ・ミュージックを聴くにあたって、どう影響しているか、ということになるでしょう。

ぼくは1955年に東京で生まれ、20歳まで東京に住んでいました。30代半ばまでは都内に通勤していましたし、住居も今にいたるまで神奈川です。アイリッシュ・ミュージックに初めて接したのは1970年代半ば、それも1975年ということはなくて、おそらく1976年頃です。アイルランドに行ったのは1990年代末、それも二泊三日という滞在だけです。

いとも簡単にアイルランドなりどこへなりと行ってしまう、今の人たちからすれば、ありえないかもしれません。ぼくがそもそも仕事以外で海外に出たのは、新婚旅行とこの時と、そして数年前、John John Festivalの追っかけでカナダに行った時の3回だけです。ぼくの世代にとって、海外旅行には壁がありました。このこともいずれ書くことになるでしょう。また、ぼくが極端なまでの出不精で、国内ですら旅行はほとんどしたことがないこともあります。

一方で、地球上で好きなところに住めるとすれば、まずアイルランドに住みたい。二番目は南極です。両者の理由はまったく異なりますが、旅行や留学で行くのではなく、住みたい。そこに骨を埋めるつもりで住みたいのです。もっとも東京生まれの東京育ちということは、どこにあっても一時滞在者でもあります。たとえ、そこで死んでも、やはりそこに逗留しただけで、住んだことにはたぶんならない。それでも、この二つの土地には死ぬまで逗留してみたい。

ぼくにとって聴くのが愉しい音楽はいろいろあります。ヨーロッパ各地をはじめ、アラブ・イスラーム地域、インド、中央アジア、奄美、琉球といった地域のルーツ・ミュージックまたは伝統音楽が主な守備範囲ではありますが、ここ10年ほどはグレイトフル・デッド、とりわけそのライヴ音源にぞっこん惚れこんでいます。その他のロックやクラシックやジャズなどの商業音楽にも好きなものがあります。いわゆる伝統邦楽も面白い。ジャンルやフォーマットよりは、聴いて面白いかどうかを重要視します。ぼくにとっては、バッハとグレイトフル・デッドの音楽は同じ地平にあります。

アイリッシュ・ミュージックはその中で、特異な位置を占めています。それがどういう位置で、どうやってそうなったか、がこの連載のキモの一つにもなるでしょう。(ゆ)

天下一品:field 洲崎一彦

少し前の、京都が緊急事態とまん延防止が出る狭間の時期でしたか、夜20時半までお酒を出すのが解禁だった時でした。久しぶりの昔の音楽仲間がひょっこりたずねて来てくれました。彼は昔の音楽仲間の内では普段から普通に交流があった人なのですが、コロナ時代になってそんな日常も完全に無くなり、顔を合わせるのは2019年以来ということになります。彼はずっと音楽活動を続けている人ですから、ライブもままならなくなったこのコロナ時代をどうしているのか?というような話題になります。

彼は、仕事が普通に出来ないから、その分時間がいっぱい出来たので、ラッキーと思って家にこもってずっと作品作りをしてるよ!と、満面の笑顔で語るのです。

彼とは、長年の交流の中で、時々顔を合わせては、お互いに今どんな音楽活動をしているのかというような話をして、時には焦らされ、時には逆に刺激を与えて、共にとりあえずは音楽を続けているというような事実を相互確認したりする仲なのですが、この時は、何かそういうこれまでのいつもの空気にこちらが乗り遅れるというか、スイッチが入らない感じというかに陥って、う、と返す言葉に詰まってしまうというような事態になったのです。

思わず出た言葉が、
「いや、今僕は音楽脳がリセットされてるねん。。。。。」

「え?あのYouTubeのバンドはどうなったん?」
「アイリッシュの方はどうなったん?」

と、いろいろ矢継ぎ早に突っ込まれるのですが、

「いや、もう全部無くなったんやわ。。。。。。」

。。。。。。。。。。。

「まあ。。
たまには、リセットもええよ。。。。
次ぎは、またとんでもないモノが飛び出してくるんちゃうかな。」

そう言って、彼はなんとなく会話を軟着陸してくれるのでした。

が、彼はどこか微妙に、同情風なまなざしになっていて、私はというと、その雰囲気に、え? そうなの? これって、可愛そうに思われることなん?と、どぎまぎしてしまったのですが、それ以上に、話の合わなさ、空気の違いみたいなものの方が気になってしまって、久々の彼との会話もそれからはあまり弾まずに終わってしまいました。

今現在において、自分のかつて動いていた音楽脳がぴたっと動かなくなっている、という自覚ですが、ある意味、こういうことを自覚するっていうこと自体が不自然な感じもします。

別にまあ趣味なんですから、気が付いたら没頭してる、ある時はあまり気が乗らない、というような流れが自然なのだと思います。が、この不自然さはやはり、この1年半以上ですか、それまでの日常環境がずたずたに分断されてしまったことから、前回お話ししたお寺のアイリッシュイベントとか、今回の久しぶりの音楽仲間とか、ひょっこり以前の日常環境の香りをかいだ瞬間に反射的に激しく違和感を感じてしまうということなのでしょう。つまりもう、私はすっかりコロナ時代の人間に変貌してしまったのか。。。

そうなると、ちょっと嫌なかんじもしますね。戦時中の戦争をあおる新聞(マスコミ)に毎日血湧き肉躍らせて、気が付いたら鬼畜米英を叫んでまわる町内のややこしいおっさんのようで。。。。。

あ。今、ひとつ、ちょっとアホなエピソードを思い出しました。

以前、ウチにいたロックバンドのギターやってる若いスタッフにハッタリかましたことがありまして、彼のリスペクトするギタリストのフレーズをたまたま昔コピーしたことがあったので、でや!とばかり目の前で弾いてやったのです。すると、彼は目をまんまるにして、どうやったらそんなギターが弾けるのですか?!と、わなわなして聞いてきた。

そこで、私は、たまたま昔弾いたことあるんや、などとノリの無いことは一切言わず、「天下一品のラーメンを食べ続けたらええんや!」と煙に巻くつもりで答えたのです。

後日談によると、彼はそれから本当に天一ラーメンに通いつめていたというウソのようなホントの話がありまして。

これを思い出したのですね。

そうです。このコロナ時代になって、音楽のみならず確かに外食もままならない。私はずっと天下一品のラーメンを食べていないことに気が付いたのです。京都はまた緊急事態になりましたが、お酒を出さない飲食店は20時までやっているはず。

そうです、とりあえず、私は天一を食うぞ! 話はそれからや! という晴れ晴れとした気分になるのでした。

アホなオチでごめんなさい。(す)

マット・モロイのようにフルートを吹くには:村上亮子翻訳

https://celtnofue.com/blog/archives/8409

編集後記

原稿が不足しがちな本誌に、寄稿してやっても良いぞという愛読者の方はぜひご連絡ください。

ケルト音楽に関係する話題、例えばライブ&CDレビュー、日本人演奏家の紹介、音楽家や職人へのインタビュー、音楽旅行記などで、1000文字程度までで一本記事をお書きください。

頻度については、一度にまとめてお送りくださっても構いませんし、毎月の連載形式でも結構です。

ご相談の上で、「ケルトの笛屋さん」に掲載させていただく場合は、1文字あたり0.5円で買い取りいたします。

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クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月1回刊)
発行元:ケルトの笛屋さん
Editor :hatao

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https://celtnofue.com/blog/archives/394