再びブズーキの話をしよう:field 洲崎一彦


出典 Irish PUB field

ライター:field 洲崎一彦

前回は、ブズーキの話からとんでもなく話題が飛んでしまいました。そこで、今回は前々回のブズーキのお話しから続けたいと思います。

1998年の後半に私は人性初めてブズーキという楽器を手に入れました、という所からでしたね。そして、功刀くんの執念でこの楽器のチューニングも判明した。じゃあ、後は弾くだけ。。。。とは言っても。。。

とりあえず、この楽器でコード(和音)というものがちゃんと弾けるものなのかどうかも知らないのです。なので、とりあえず、ブズーキで弾いているのだろうと思えるCD音源を聴きまくってマネをするぐらいしかとっかかりがない。

まず、目を付けたのがパトリックストリートというバンドの歌モノの伴奏をしているのがどうもブズーキっぽい(今から思えば、歌ってるのがアンディアーバインなので、当たりですね)。とにかくマネをしてみる。すると、ほう、なるほどなるほど、と、たどたどしいながらも少しづつ再現できるようになって行く。

とかなんとか、ぼちぼちやってると、前回書いたあのお正月ライブの話が飛びこんで来ます。沖縄の功刀くん遠隔操作で集められたメンバーでお正月にライブをするという話。もう秋も押し詰まった頃です。次々に、課題曲のカセットテープが沖縄から送られて来る。ダービッシュとアルタンのCDから選ばれた曲たち。どれが、ブズーキの音?てな感じで聴きまくるわけですが、ダービッシュなんか、ブズーキとマンドラという復弦の楽器が2本入っているらしい。それと、どうもチューニングが違うような気がする。もしかしたら、半音高い?と、四苦八苦しながらとにかく復弦できこえてくる音をとことんマネする。気の遠くなるようなお話し。。。

とにかく、こんな調子で、私のブズーキという楽器との格闘が始まるのでした。

こうして、1999年お正月のライブでは、私はギターとブズーキを併用して挑むことになります。何の曲にどのように使ったかなどはあまり覚えていませんが、とにかくここで試運転をしたわけです。

ところで、この年末、功刀くんは例の自分のブズーキも携えて帰省して来ました(私の楽器より高価な方)。当然、そのブズーキを私は触らせてもらう。え?ぜんぜん違うやん。。私のに比べて格段に音がいい!おまけにネックが私のより少し長くて格段に弾きやすい!あとは、私のは弦を張り替える時にテールピースがマンドリン型なので普通のギター弦は弦端の玉をうまく外さないと張れない。なのに、功刀くんのはちゃんとギター弦もそのまま張れるような構造のテールピースが付いている。がーん。がーん。何もかもが数段上ではないか。。。。。まあ、私のよりずっと高価なんやから当然と言えば当然なんやけど。。。

しかし、私はそんな悔しい素振りは意地でも見せず、毅然として自分のブズーキでこのライブに臨むのでした(パチパチパチ)。 

その後、この年の5月には、まだパブになる前のfieldでアイリッシュセッションを行うことになります。手探りのよちよち歩きのセッションですが、これを月イチで行うことになりました。そんな中で私は徐々にブズーキに慣れていくわけですが、慣れて行けば行くほど、お正月に触ったあの功刀くんのブズーキの印象が日に日に大きくなって行きます。ほな、私もアレと同じの買えばいいのですが、スっとそのように動けないのが私のセコいところ。

その時、あっと、思い出したあの春日楽器の謎のブズーキのこと。すっかり忘れていた!至急、功刀くんに連絡して、アレまだ持ってたら送ってくれと。

届いた春日楽器くんは、あのまま放っておかれたんでしょう、弦がサビサビでなかなか厳しいお姿だったので、ボディを磨いて新しく弦を張り替える。以前と違ってチューニングの仕方は判っているので、すぐにチューニングしてジャラーンと弾いてみる。実に良いかんじ!少なくとも、この時の私のブズーキよりもぜんぜん良いわけです。しかし、ネックが長すぎて今度は非常に弾きにくい。。。

そこで、2フレットあたりにカポをして、その状態でチューニングすることにします。おお。これや!これが、求めていたブズーキや!という達成感に包まれるわけです。このようにして、しばらくは、この楽器が私のメインの楽器になるのです。

さて、この頃ですね、後のアイ研ぶちょーのIさんが当セッションに登場するのは。彼は初対面の時は思いっきりクセの強い人でした笑。いきなり、無言で勝手に手を伸ばし、私のこの春日ブズーキもどきを手に持ってじゃらんじゃらんと弾き始める。ふーんと小さくつぶやいてそれを置き、さっと自分のギターをケースから取り出しておもむろにセッションに入る。誰や?この人は?!と思っていると、まわりにいた立命大サークルの若者達にわんわん指示を飛ばす。あ、このサークルの奴らの先輩とかOBの人なんかな?と思っているうちにふっと帰ってしまう。ああ、こうやって思い出してみると若い時の彼は強烈でしたね笑。

そんなIさん。立命大サークルの若者とアイリッシュ・バンドを組んでいる社会人の人だということがだんだん判ってきます。そして、何回目かの登場でやっと私に話しかけてくれた。そこで、私は元はギターを弾いていたが、CDでミホール・オドンネルのギターを聴いて何を弾いてるのか判らないと悩んでいるウチににブズーキという楽器に興味が移ってしまった、というような事を話すと、ああ、ミホールはこうこうこういうチューニングでこうやって弾いてるんやと、ぱぱっと自分のギターのチューニングを変えて目の前でそれを弾いてくれたのです。これが、私が生まれて初めて目の前で見た(聴いた)DADGADチューニングのギターでした。大びっくりでした。おまけに、この人の抱えているギターが、なんでも京都のとあるギター職人に特注して作ったという思いっきり音のでかいギター!いったい何者なんやこの人は!

それからは、彼はセッションに来るたびに私の横に陣取って、ここはコードがぶつかるからブズーキはこの音を弾いた方がいいとか、ああでもないこうでもないと、その場その場でいろいろ教えてくれる。そのうちに、私たち2人のギター&ブズーキの伴奏がセッションのムードメイカーのようになって行くのでした。

まだ、セッションに関して何の知識もなかった頃ですからまったく意識もしていませんでしたが、今から思えば、この頃のセッションは知らぬ間に伴奏のIさんが今で言えばセッションホストという役割になっていたのだと思います。つまり、大音量のギターを抱えたギタリストとその子分のようなブズーキストが常にガンガンに伴奏しまくるセッションなわけですね。今ではあまり見ない光景ですよね笑。

そうしているうちに、2000年末には功刀くんが沖縄から京都に転居して来てこのセッションの常連になる。功刀くんは元々はクラシックバイオリンの優等生だったわけでちょっとした早弾きなどは寝てても出来る体勢。おまけに、専門家もびびるほどの野太い音を出す。私たちのどんな大音量かつ乱暴な伴奏なんかにはびくともしない。

そのうちに、スピード競争なる遊びにまで発展します。つまり、Iさんと私が伴奏で曲のテンポをどんどん加速する。初めは全員で演奏しているのですが、早さについて行けなくなった人から脱落していき、誰が残るか?という遊びです。ここでいつも最後まで残ったのが当時立命大の下級生でピアノアコーディオンを抱えたMくんと功刀くんの2人だった、Mくんは後にプロのアコーディオン奏者になるのですから、今となっては心温まるエピソードですね。まあこの遊び、、、すでにもう音楽と言えるものではありませんが笑。

こうなって来るとですね。私がほっとひといきついていた春日ブズーキもどきという楽器。2フレットにカポをして使っていた楽器。これが心許なくなてきます。以上のような環境で週2回ペースでセッションが繰り広げられるわけです。大音量バキバキギターさんの横でブズーキ弾いているわけです。音量も何もかも足りないのですからおのずと右手のピッキングに力が入ります。気がつけばもうたたきつけている。薄いピックだとすぐに割れる!だんだんと分厚いピックを使うようになる。

するとですね。2フレットをカポで押さえているだけですから、ここがずれてきますね。つまりチューニングがすぐに狂う。おまけに楽器のサウンドホールという穴のまわりは傷だらけ。その上、今度は、こんな細い弦ではやってられないと太い弦に張り替えたりする(太い弦ほど音量が出る)。これって、楽器からしたらの破壊行為と言っても過言では無い。

こんな私を見かねてか、Iさんは氏の爆音ギターを製作したギター職人の先生を紹介してくれるのでした。それが、K弦楽器工房のKさんでした。Kさんはそのころ独自にアイリッシュブズーキを研究し試作器も何本か完成していたというタイミングだった。よし、ここはと。私はKさんにブズーキの製作をお願いすることにしたのです。

まず、Kさんは私の春日ブズーキもどきにえらく興味を示し、なめるように眺め、現状のこの楽器のどこに不満があるのかを細かく尋問して来ます。

私は答えます。とにかく、

これを弾いてると今すぐにでも壊れそうで色んなな所がビリビリいって危なっかしい!

もっと太い弦を張って思い気入り強く弾いてもびくともしない楽器が欲しい!

音色のバランスはどうでもいいからとにかく大きな音が前に出る楽器が欲しい!

絶対、ピックガードをつけてほしい!

Kさんは言います。この楽器をしばらく預かってもいいか?と。日々のセッションで弾く楽器がなくなるのでなるべく早く返してくださいね、ということで渋々OKします。

そして、待つこと数ヶ月。K氏はニコニコしながら出来上がったばかりのぴかぴかのブズーキを抱えてやって来た!

。。。あ。。。しまった。。

私は、この春日ブズーキもどきを2フレットにカポをつけたままお渡ししたのです。私の説明が足りなかったのです。。Kさんはそのカポがたまたまついていたものだと考えて、この新作ブズーキのネックを春日ブズーキもどきとまったく同じ長さで作っちゃった。。。つまり、カポを外した状態。目の前に出来たてほやほやのぴかぴかのブズーキがある。ちょっともうこれはさすがにもう何も言えない。ここからネックを短くしてくれなんて。。とてもとても笑。

が、Kさんいわく、頑丈さと、余韻よりアタックの強さを考えて、ブリッジをギターと同じ作りのものにしました、と。これは、一見あのブズーキのシャラーンという余韻が少なくなりギターの様なガツンとした音になるのですが、確かにアタックがすごく効くのです。反応が早いというやつですね。それから、ネック長は春日を参考にしましたが、とにかく音を前に出すために表板の面積を春日より広くして厚みを薄くしましたとのこと。確かに注文通りです。見た目の大きさのわりには低音が出ないくせに音が大きく前に飛ぶ。これでええんや!って感じ。

いっそ、ギターのようなボディにしたら低域高域のバランスが良かったかもしれませんねとKさんは言うのですが、そんなん遠くから見たら、ただギター弾いてるようにしか見えないのは面白くないでしょう、と半笑いで返す。

こうして、決して優等生とは言えないけれど非常に個性的なブズーキがやって来たのです。

ネックの長さが気になってはいましたが、カポを外して弦長を長くすると弦の張りが増すわけでその分大きな音が出るような感覚になる、という風に納得してこの長さに頑張って慣れることにします。また、弦の張りが強いのでそれに負けないようによりたたきつけるようにピッキングしなければならないのですが、これで反応がすごく早くなってまた非常に良い感じなのでした。これでようやく、Iさんのギターの横で弾いてもなんとか張り合える武器を手に入れた!

こうして私はブズーキ入門を果たし、「やかましい」スザキブズーキ人生の第一歩が始まるのですね。「やかましい」ブズーキはこの後も、第2、第3のヤマがやって来て、さらに「やかましさ」に拍車がかかることになるのですが。そのお話は、また次の機会に笑。

私は、その後も何台かのブズーキを入手しますが、このKさんのブズーキは今でも現役で、ここぞという力の入る演奏が必用な時はこの楽器でないとダメというような存在になっています。何がいいのかというとやはり反応の早さなのです。何回か前のクランコラで、経年劣化か?音質が気に入らなくなってきたとぼやいていたのはこの楽器です。

しかしですね。私は今、メロディ奏者を邪魔しないようなソフトなタッチで伴奏をするにはどうすればいいのかを悶々と悩み始めている所なのです。鳴りのバランスがいい上品な音の楽器で笑。(す)