ガリシア滞在記〜伝統音楽を学ぶ〜:茶谷春奈

ライター:茶谷春奈

Bos dias a todos! (ガリシア語で、”みなさんこんにちは!”)

ケルトの故郷、スペイン・ガリシア地方の伝統音楽を演奏している、茶谷春奈です。前回は、わたしがガリシア音楽に出逢ったときのお話をさせていただきました。

今回は、わたしがガリシアに住み、現地の人たちから直接伝統音楽を教えてもらっていた頃のお話を書かせていただきます。

スペイン語を学ぶため、ガリシアへ渡航してまもなく、その土地の伝統音楽に出逢い、運命を感じたわたしは、すぐに現地の音楽グループの仲間に入れてもらい、毎週行われる練習に参加し始めました。

その音楽グループというのは、さまざまな形があるのですが、バグパイプや打楽器など、色々な楽器演奏者が集うオーケストラ型や、”カンタレイラス(歌い手)”と呼ばれる、ガリシア語(その地域の方言)で歌うのが専門のグループなどがあり、それぞれの村にいくつものグループが、伝統音楽を継承すべく活動していました。

多くのグループでは、小学生からお年寄りまでが合同で練習を行っており、毎月さまざまなお祭りやイベントが開かれるたびに演奏に行く機会があります。

わたしは、オーケストラ型のグループと歌い手のグループの両方に所属させてもらっていました。

初めは、ガリシア語はおろか、スペイン語すらまだろくに話せなかった “よそ者” のわたしを、温かく迎え入れてくれた現地の人たちには、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。

どうしてもガリシア音楽が学びたかったわたしは、嬉しくて毎回の練習が楽しみで仕方ありませんでした。

ガリシア音楽がどのように受け継がれてきたかというと、おじいちゃん、おばあちゃんから子へ、孫へ、と、ほぼ口伝のような形で伝えられてきています。練習するときに、楽譜などはありません。

子どもたちは、大人が演奏するのを何度も見たり、聴いたりするうちに、自然と曲を覚えていくので、大人になる頃には、自然と、曲名を聞くだけで誰もがその曲を歌ったり演奏したりできるようになっていくようでした。

演奏の際、上手・下手は関係がないようで、「楽しむことが一番大事!」というのが、多くの人の口癖でした。

そういうわけで、わたしも、最初は見よう見まねで、まずはパンデレタ(タンバリンのような打楽器)の練習から始めました。

誰も、教えてはくれません。みんながやっているのをよく観察して、あ、このメロディのときはこんなリズムなんだな、メロディが変わったら、次はこんなリズム…と、みんなの真似をして叩いていきます。何度も繰り返すうちに、だんだんと曲やリズムを覚えていきました。

パンデレタの演奏は、一定の速いリズムで長く叩き続けるのですが、初めの頃は、1分も続けるとすぐに腕が疲れ、長くは続けられませんでした。それでもこの楽器が大好きで、毎日毎日、少しずつ練習していくうちにだんだんと長く、何曲も続けて叩けるようになっていきました。

何ヵ月か続けていくうちに、打楽器の叩き方には法則があることに気づきました。

みんなが『”ムイニェイラ”!』というと、決まって “タタラ・タタラ・タタラ・タタラ … ” というリズムの曲が演奏されます。

みんなが『”ホタ”!』というと、決まって “タンタカタン・タンタカタカ・タンタカタン … ” というリズムの曲が演奏されます。

ああ! なるほど、それぞれのリズムには名前がついていて、みんなはそれを基準に息を合わせているんだ!とわかりました。

今では、ムイニェイラ、ホタ、パソドブレ、マネオ、ルンバ、など、さまざまな種類のリズムが名前を聞いてわかるようになりました。

次に、カンタレイラス(歌い手)グループの練習では、歌詞がすべてガリシア語で、今では使われていない古い言い回しが出てくることが多いので、なおさら覚えるのは大変でした。

現地の人たちは皆、歌詞を暗記しています。子どもたちは、耳で聴いて少しずつ歌詞を覚え、自然と歌えるようになっていきます。

わたしは、紙に書いてもらった歌詞をたよりに練習しました。

ここで、突然ですが、わたしが初めて覚えた歌の一部を紹介させていただきます。(原文に、日本語で意味を添えています。)

『DOUS PASOS DE TOUTON』

Se pasares polo adro
もしあなたが、わたしのお葬式の日に

O dia de meu enterro
墓地を通りがかったら

Dill’a terra que no coma
大地に言ってください

A trenza do meu cabello
“わたしの髪の、三つ編みだけは食べるな”と。

Oye Manolo, no llores tanto,
ねぇ、マノロ。そんなに泣かないで。

Por que se te oye n’el camposanto
お墓まで聞こえるんだから

n’el campo santo n’el cementerio,
お墓まで…お墓まで…

Oye Manolo, por ti me muero
ねぇ、マノロ。あなたのために死にたいの。

これは、ガリシア版『千の風になって』のような曲だなあと、個人的に思っているのですが、亡くなってしまった彼女が、お墓から彼”マノロ”に対して語りかけている、という歌です。

切ない歌詞の内容に反して、意外とメロディは明るく、テンポがよく、歌いやすいので、実は大人にも子どもにも人気の曲でした。なので、グループで演奏活動に行くときは、いつも必ずと言っていいほど、この曲を歌っていたのです。

ところがある日、現地の老人ホームのレクリエーションに招かれ、いつものようにグループでこの歌を歌った際、とある事件が起こりました。

グループのリーダーが、場を盛り上げようと、歌う前に『この中で “マノロ” さん(この歌に出てくる男性の名前)はいますか?』と声をかけたところ、何人もの手が上がりました。”マノロ” という名前はとても一般的な名前なのです。

それから、『これから歌う曲には、”マノロ”が出てきます。皆さんよろしければ手拍子をしながら一緒に歌ってくださいね!』と促すと、お年寄りたちはワクワクした顔で曲が始まるのを待ちました。

みんなで歌っている最中は、楽しく盛り上がっているように見えたのですが、のちに…

『老人ホームで、”死んだ”だの、”お墓”だの、連呼する歌を歌うとは縁起が悪い!しかも名指しで!』

とクレームが来てしまったのでした。(笑)

そんなこんなで、現地で音楽を学ぶ日々は、ときどきこのようなハプニングもありましたがとても楽しく、興味が尽きませんでした。グループのメンバーは皆フレンドリーで優しく、現地の人々とも音楽を通してたくさん交流をさせていただくことができました。