ライター:大島 豊
Moya Brennan & Cormac de Barra がデュオとして4枚目《Voices And Harps (IV)》を出した。前作《Timeless》2019 は聴いていたが、その前に2枚あることを今回初めて知り、遡って聴いてみた。4枚の中で最も印象的なのは2011年のファースト《Voices And Harps》収録の表題作だった。ということで、今回はこれを聴いてみる。
なお、この歌にも moves と moved、through と thro’ のヴァリエーション、そして She と He と、少なくとも8種類のタイトルがある。元々は男性視点の歌であって、これを女性視点に替えて、He と歌うのは最近のことに属する。この形では何といってもシネイド・オコナーの歌唱がメルクマールではある。また Our wedding day というタイトルもある。Roud のカタログ番号では 861番。
はじめに基本的情報を押えておく。この歌が最初に収集された、つまり伝承されていたものが記録されたのは20世紀初頭、詩人の Padraic Colum (1881-1972) と音楽学者の Herbert Hughes (1882-1937) によってで、場所はドニガル。ヒューズはこれを1909年に Irish Country Songs Volume I に収めて公刊する。カラムの方も1922年の Wild Earth and Other Poems に収めるが、こちらは伝統歌であることに触れていないそうだ。なおヒューズ版は3連、カラム版は4連から成る由。フィールド録音としては1952年に Peter Kennedy がラウズ州ダンドークで、1953年にアラン・ロマックスがロンドンで録音したものがある。またビル・リーダーが1957ないし58年にロンドンのカムデン・タウンで録音したものもリリースされている。
最も古い録音とされるのは1936年、スコットランドの Father Sydney MacEwan が moved で Parlaphone に吹きこんだもの。1941年にアイルランドの有名なテナー John McCormack がやはり moved として録音した。マーガレット・バリィはこのマコーマックの録音を聴いて覚えたと言っている。そしてその後のヴァージョンは基本的にバリィが1955年3月10日に歌い、イワン・マッコールが録音したものを手本としている。もう一つ、ソースにより近いものの一つと思われるものにスコットランドのトラヴェラーの一人 Belle Stewart が〈Our wedding day〉として歌い、ピーター・ケネディが1950年代に録音したものもある。
歌詞もメロディも面白い。歌詞の方では、もうすぐ婚礼の日ね、と言っていたフィアンセが市(いち)の中をあちらこちら歩きまわっていたかと思うと、いきなり幽霊になって訪ねてくる。おまけにその幽霊がやはり「もうすぐ婚礼の日ね」と言うのだ。もはやホラーだ。カラムが含め、バリィが歌っている第三連は何を言っているのか、よくわからず、娘が死んだ事情は明らかではない。
かと思うと、シネイド・オコナーに代表されるように、語り手の視点を変えると、実に現代的なテーマを孕んで、その射程を大きく拡げてゆく柔軟性も備えている。
この歌はアイルランド産の伝統歌の中でもとりわけ広くとりあげられている。〈Danny boy〉などと異なり、歌としては伝統の奥深くまでつながる出自ながら、ジャズやロックだけでなく、実に様々なジャンルで、各々のフォーマットに合わせて姿を変えて解釈されている。その一方で、核としてのメロディと詞は驚くほど変わらない。その様は、伝統の枠を超えて、ジャンルを超えてとりあげられることも少なくないアイルランドの伝統歌の中でも異様にも、不思議にも見える。こうなると、〈Scarborough Fair〉がサイモン&ガーファンクルによって原曲とは似ても似つかぬラヴソングにされてしまい、それが原曲から離れて普及したのにも比べたくなる。
このメロディにあたしはコネマラのシャン・ノース歌唱の歌に共通するものを感じる。シャン・ノースの伝統歌にはメロディにある性格を共有する一群がある、とあたしは思っている。浮世離れしているメロディだ。アイルランドの他の伝統歌、これまでとりあげてきた歌とは明らかに違うキャラクターだ。シャン・ノースがアラブ歌謡に通底する、どちらの伝統もおたがいに聴くと似ていると感じるらしいが、さもありなんとうなずけるキャラでもある。もともとはアイルランド語の歌詞で歌われていたものが、英語版が作られ、そちらだけ残ったのだろうか。だから第三連の意味がつかみにくいのかもしれない。これをウェイン・ショーターがやっていると言えば、このメロディが他の伝統歌にはなかなか無い魅力を備えていることの一つの証明になろうか。《Alegria》2003収録。なお《Emanon》2018、《Celebration, Vol. 1》2024 に収められたライヴ録音は原形をまったく留めていない。音楽としてはまことに面白いが、当面のテーマからは外れる。
面白いことに、聴けばメロディはモードに基いていて、普通のポピュラー・ソングの音階ではないとわかるのだが、皆さん、その点はあっさり無視しているようでもある。シャルロット・チャーチのようなクラシカルな人たちは、まだ古楽などで馴染がありそうだが、ポップスやロックやの文脈でとりあげている人たちもほとんど気にしていない、と聞える。あるいはヘタなホラーそこのけの歌詞に気をとられるのだろうか。この歌詞も普通のポップスやロックの歌の歌詞からはかけ離れているけれども、ひょっとすると、その異常さに誰も彼もが惹かれるのだろうか。
歌詞の最後の恐怖を最も実感させるのは、ヴァン・モリソン。おそらくこの歌のヴァージョンでも最も数多く聴かれているだろうチーフテンズとの共演盤《Irish Heartbeat》のラストほど聴いていて怖くなる音楽も稀だろう。
もっとも歌が無く、メロディだけを演奏している録音も少なくない。この形では Davy Graham のライヴ演奏は、特に後半展開するところがブルーズになってゆく。こんな演奏はやはりこの人にしかできまい。
解釈として面白いのはイングランドのフォーク・ルーツ・レゲエ・バンド e2k のもの。バックのインストルメンタルのアレンジと演奏はまことにあっけらかんとして、歌の内容など知らないよ、と言っているようだ。女性シンガーの方も一見情感たっぷりに入れこんで歌いながら、肝心のところでは突き放している。
きっかけとなった Moya Brennan & Cormac De Barra の演奏は、モイヤのヴォーカルにハープを合わせたシンプルな解釈。もともとクラナドの歌唱は感情をこめない点では伝統歌唱の唱法に則っていて、ここでもモイヤは盛り上がることはしない。ただ、その声には名づけようのない、ある感情がこもっているのは、この人の特異なところではある。
とはいえ、今回聴いたなかでのベスト・ヴァージョンはアイルランドのバンド The Haar による。セカンド・アルバム《Where Old Ghosts Meet》収録。ちなみにここでは〈Carrickfergus〉〈Danny boy〉はじめ、アイルランドの定番中の定番を並べる。
しかし、Tidal では数百曲が出てくる。重複もあるし、アメリカのシンガー・ソング・ライター Bill Morrissey のもののように、まったく別の自作曲もあるが、それを除いても200は下るまい。ほとんどはお目当ての曲。こうなると、いっちょう全部聴いてやろうじゃないか、という気にもなる。果たして聴けるか。待て、次号。(ゆ)