ライター:茶谷春奈
¡Bos días a todos! みなさんこんにちは!
ケルトの故郷、スペイン・ガリシア地方の伝統音楽を演奏している、茶谷春奈です。
前回は、ガリシアの伝統衣装についてお話させていただきました。
今回は、その他さまざまなお祭り衣装の紹介や、洋服に関連して、現地発祥の伝統技術であるレース編みについてなどのお話をさせていただきます。
前回、ガリシアの伝統衣装は何重にも重ね着をするので重いという話をしましたが、もちろん暑くもあるので、冬場の寒い時期は温かくてよいのですが、夏のお祭りで演奏するときには薄くて軽い夏用の衣装を着ていました。
夏の衣装はどのようなものかというと、たとえば船乗りがモチーフの白と青が基調のデザインで、いわゆるセーラー服によく似たものや、白いブラウスに青いスカートとバンダナというスタイルが多かったです。また他には、田舎の農家を模した、白と茶色で、あえてボロボロに見えるようなデザインが施された衣装を着ている人たちもよく見かけました。
私の滞在していたガリシアの地域は大西洋に面しており、昔は皆、海側に住んでいた人たちは漁師、陸側に住んでいた人たちは農家だったので、今でもお祭りのときは皆、昔の人々を模倣してそのような格好をしているのだそうです。日本の夏祭りで浴衣を着る感覚と似ているのでしょうか。ガリシアのお祭りでは、音楽だけでなく服装までもが古くから受け継がれてきているということがとても興味深かったです。
ちなみに村の人々は、普段は日本と全く変わらない現代風の服装をしているので、お祭りの日だけみんなで仮装をすると、突然、まるで異世界にタイムスリップしたかのような気分になりました。そして、仲間同士でお揃いの衣装を作ったりもしたので、久しぶりに学芸会のような気分も味わいました。
他にも、私の住んでいた「カマリ―ニャス」という村では、毎年7月に一番盛大に祝われるお祭り「フェスタ・ド・カルメン」の日に、皆が皆、全身真っ白の服を着て、肩や腰に虹色のリボンを着けるという習慣もありました。それは漁の守護聖人に祈りをささげるお祭りで、その期間中は村が虹色で溢れるので、華やかでとても美しかったです。
次に、衣装といえば、カマリ―ニャスの人々にとって欠かせないのが「レース飾り」です。それは、日本の組み紐のように糸を一本一本編んで作るもので、この村が発祥の伝統技術だと言われています。昔は村の人々は、男性は漁、女性は皆レース編みを生業にしていたそうです。
レース編みは、どこの家庭でもおばあちゃんから娘へ、孫へと代々受け継がれており、最近までは女性なら全員がやり方を知っていたそうです。現地で知り合った40〜50代の女性たちは、「わたしたちが小学生の頃はまだ、学校が終わって家に帰ると遊ばせてはもらえず、毎日レース編みをしなければならなかった」と言っていました。
実際にやり方も教えてもらいました。まずはデザインを決め、型紙を作り、その紙をクッションに貼り付け、木の棒にくくり付けた何十本の糸をその模様に合わせて待ち針で留めながら一編み一編み、編んでいきます。木の棒がぶつかり合って、カチャカチャと音が鳴ります。手とり足とり教えてもらい、簡単な模様であれば私もなんとか編むことができるようになりましたが、一つの目を編むのに4本の糸を決まった順番に絡め合わせなければならず、とても複雑で手間のかかる作業だったので、慣れるまではとても難しく感じました。しかし、年配で長年レース編みを日課にされてきている人たちは、テレビを見ながら、手元を見ずにでも猛スピードで正確に編むことができていて、とても驚きました。
今では、時代とともにさまざまな新しい仕事が増え、日本と同じように、ガリシアでも田舎から都会へ移住する若者が増えているそうです。一方で、レース編みに取り組む女性は年々減ってきています。時間がかかる割に安くしか売れないからだそうです。また、日本でも洋服やカーテンなどのデザインとして「レース模様」が取り入れられているように、最近では機械で安くより簡単に作られるようにもなってきたからです。
そんな中、今でも手編みにこだわり、この伝統技術を後世に受け継ぎたいと情熱を持ってレース編みに取り組んでいる女性たちもいます。カマリ―ニャスでは、年に数回、レース飾りを使った洋服のファッションショーなども行われており、レース編みは村のシンボルとして大切にされています。
私も実際に作ってみて、想いを込めてじっくり編んだレースが出来上がったときの喜びは格別でしたし、この村の独自の洋服文化として本当に貴重で素晴らしいものだと感じたので、この伝統文化をこれからも大切にしていきたいです。
昔は村の女性たちは、日中は道端で集い、輪になって皆で座ってレース編みをしていたそうです。そうしながらお喋りをしたり、ときには歌ったり、台所から食器を出してきてそれを楽器代わりに叩きながらまた皆で歌ったりしていたそうです。それを子どもたちが見て、自然と歌を覚えていったのだそうです。レース編みの輪が、ガリシア音楽が今日まで受け継がれるのにとても重要な場のひとつになっていたのではないかと思います。