ライター:field 洲崎一彦
前回は、「1970年代の日本のジャズ喫茶文化が海外で見直され、受け入れられている」というニュースを切り口に、BGM vs 非BGMの戦いの予感に高揚感を覚えているというお話でした。そこで、大型スピーカーによる圧倒的音圧に身を委ねるという私自身の過去の記憶をたぐりよせたわけですが。。。。
大音量で鳴る音楽を前にしては、無理矢理その大きな刺激に向かわせられるわけで、隣の人との会話もさることながら読書すらままならない。今だと、スマホの通知音も聞こえないしSNSを見ようという気すら起きないという強制的な外部圧力があるわけですね。
これは、よく考えて見ると、今風の表現をすると、個人の自由意志を奪われる状態と解釈出来るのではないかと思うのです。年寄りの愚痴になるかもしれませんが、私たちの青春時代の昭和は、世の中がもっとゆっくり回っていて、色んなところがアバウトでしたが、個人の自由意志というものには社会全体が鈍感だったと思うのです。つまり、自由が無かった。
私は高校に入った頃にかろうじて自室が与えられる環境にありましたが、ビートルズを聴き始めた中学時代には家に自分の部屋などない団地住まいでした。家族共用の部屋に古い古い家具調ステレオ装置がありレコードは聴くことができましたが、ふすま1枚の隣室でTV(白黒)がついていると当然レコードなど聴けません。
そうして、高校時代に自室が与えられた!友達の従兄弟さんのレコードプレイヤーなどを譲り受けたり、せこい苦労を重ねて自室でレコードが聴けるようになった。そりゃもうガンガン聴きますわな。すると、如何に独立した部屋とは言えまわりは迷惑千万。うるさい!と家族が飛び込んで来る。と、私の音楽鑑賞は突如一巻の終わり。
今、イヤホンでどんな大きな音で音楽を聴いていても、余程の音漏れが無い限り外からこれを制止されることは滅多にないわけです。個人の自由意志は尊重されるべしという風潮も蔓延している。ずっとずっと自由な世の中なのです。この社会風潮の差というものも実は非常に大きいことではないかと思うわけです。
不自由な中で、様々な困難を乗り越えて、求めるものに到達したモノへの思い入れは、ぱぱぱっとスマホを検索してイヤホンから流れてくる音楽への思い入れなど比べものにならない大きな刺激なのですよね。
例えば、当時の記憶をたどればですよ。あのキングクリムゾンの1stアルバムの1曲目、「21世紀の精神異常者」。レコードに針を落とすと、プチプチとしたホコリを拾うノイズとともに、ボー、ブーという低い効果音が鳴って、突然あの印象的なイントロが大音量で鳴り響くわけです。今日はどれぐらいボリュームを上げてやろうか、、すぐに家族が飛んで来て制止されるかもしれない、でも、ボリューム上げておくほうが、このイントロの衝撃はたまらんものがある。エイ!まだ昼間やし上げてやれ!てなもんですわな。
思えば、こういう聴き方をしていた。スリル満点です。そして、こういう刺激は、すでに50年以上を経た今でも忘れることが出来ないのです!
前述のキングクリムゾンなどは今やもうロックの古典なわけで、若い人達も好きな人はけっこう知ってる。で、あの1stアルバムは、ビートルズで1番売れたアビーロードを抜いてその年の売上トップになったアルバムなのでしょう?とか、ネットで知ったようなうんちくを語って来る。
そんなもんどうでもええんや!そんなん調べてるヒマあったら、でっかいスピーカーであのイントロを聴いてみろ!いや、聴くんやない。あの衝撃に身をさらしてみろ!
てな、もんです。
こんなこと言うとですね。若者たちも困ってしまいます。
「このおっさんは、身体的衝撃のことを言うてるのであって非常に野蛮な感じだ。自分らみたいにちゃんと高尚に音楽の話をしようとしているのではない。。。」
「こんなおっさんとは音楽の話出来んなあ。。。」
「まして、一緒に音楽やるなんて、とんでもない。。。」
これは自虐でもなんでもありません。好きなモノに到達するアプローチが、もう既にそのモノ自体の価値観に影響を及ぼすというようなお話なわけで、これは恐らく音楽に限った話ではないかもしれない。
定年後に、若い時に憧れた高価な旧車バイクを入手して、来る日も来る日も自ら修理し、痛む腰をいたわりながら恐る恐る跨がる高齢おやじの執念とか。若い時にあこがれた自給自足カントリーライフ!少々時間もお金も出来た今、山村の古民家を買い取ってコツコツと自ら修復に通い続ける高齢おやじの執念とか。そういうのと同じなのかもしれません。ある意味、これは、執念なのですね。
「BGM vs 非BGMの戦い」などと気取っている場合ではないかもしれません。うーん、さし当たりどのように言い換えようか。。。
でけた!
「執念 vs レジャーの戦い」これでどうじゃ!
もう随分昔になりますが、1980年代に突如起こったアウトドアブームの火付け役とされる「BE-PAL」と言う雑誌があってですね。特集のゲストに、大戦時から約30年間グアムのジャングルに隠れ住み70年代に救出された横井庄一さん(当時、耐乏生活評論家)を迎えるという興味深い企画がありました。横井さんに最新式アウトドアグッズを使ってもらって驚きの声を録ろうという編集部の主旨に反して、横井さんは一言つぶやいた。
「遊びだな」
その後、編集部はこの横井さんのインタビューを再編集した本を出すのですが、これのタイトルが、
「もっと、困れ」
こんな話が、今脳裏をかすめました。
ややもすると、私は今、同じような台詞を若い人達に向かってもうすでに吐いているかもしれない。。。笑
ますます、誤解が広がりそうな気配?笑。

