ライター:field 洲崎一彦
前回は、コロナ中断期間を経て、当セッションが再開し、コロナ中に出会ったフィドラー君という新しい登場人物が出て来たところまででした。
このフィドラー君、私のハラヒレホロハラ・ブズーキにさんざん伴奏をさせて遊んだ果てに、その後、セッションで隣同士でフィドルを弾く場面がやってきた。彼はだいたい上級者の部類に入る人ですから、当然のことながら、私のギコギコフィドルなんて目じゃない。けれど、私としてはちょっとぐらい格好つけないとあかん。なので、いつものちょっと控えめな態度ではなくて、何思われてもええから思いっきり弾いてやれ!と頑張るわけですね。
そして、セッションが終わって、このフィドラー君が言った、一言。
「スザキさん、フィドルもブズーキと一緒ですね」
あ。
私はあの忌まわしいブズーキから逃れるために頑張ってフィドルに挑戦して来たのです。なのに。一緒、て?、何言うかこいつ! がーん。がーん。
「・・・・どこが一緒なん?」
「いや、伴奏してるみたいでしたよ」
「え?メロディ弾いてたで」
「でも、そんな感じがしたんです」
これは、いったい何と解釈すべきなのか。。。。
おまけに、このフィドラー君は、セッションでも私にブズーキは持って来ないのですか?とブズーキを要求してくる。つまり、フィドル弾くなということか笑?
確かに、私のフィドルはすぐに隣の弦に弓がこすれて雑音も多いし音程も合って無いのは自覚してます。トライし始めた頃は、周りのみなさん温かい目で我慢していただいていたでしょうが、最近はそこまで皆さんのお邪魔をしているという自覚はあまりなかったのですが(鈍感力?)。
どちらかと言うと、かつてのブズーキ時代の方が、セッションでも時折独特の空気が流れていました汗。それを、この目の前の青年はフィドルやなくてブズーキを弾けと言うのです。自分はフィドル弾きにくいけどスザキさんのブズーキ面白いなんて言う。
正直言って、フィドルを始めた時は本当に音を出すだけで必死でしたし、なんとか皆さんのご迷惑にならないようにセッションの場に居ることに必死でしたから、ブズーキ時代にいろいろと悩んだ、ナンチャラ・ビートの事など全く頭から消え去っていました。おまけに、弾ける部分だけ弾くというような変な事をやっていましたから、全体の流れ、あるいは進み方などと言う理屈には頭が行かなかった。おまけに、まわりの皆さんのように、音符の順番にきちんと音を出すということが出来ない自分に負い目を感じつつ、自分はこれが楽しいんや!という開き直りで図々しくセッションに居座り続けていたものでした。
これは、どういうことなのでしょう。こういうフィドルと、ああいうブズーキが一緒だなんて言うのは???
つまりこれはですね。私という人間の内から生まれる何かの感じが楽器というものを通して音に出るということを考えると、楽器など関係ない!メロディーも伴奏も関係ない!私という人間のどこかから湧き出る何か、その元が同じである以上、表に出て行くものは同じなのだと言うことなのでしょうか。
そして、このフィドル青年はこの私の奥深くの元を嗅ぎ取ったということなのでしょうか。
恐らくそうなのでしょう。彼は何かを嗅ぎ取った。自分がフィドルを弾きにくいと言いつつ面白いという。こういう一見矛盾した感性はどこから出て来るのか。私は、私で、逆にこういう彼に俄然興味を持ち始めます。そして、パーティなどの機会には進んで彼とデュオ演奏(私:ブズーキ)をやる機会を持つようになります。いったい、この青年が私の奥の何を嗅ぎ取ったのかを知りたいと。
もしかしたら、私が永らく呪縛されていた、ナンチャラ・ビートの感覚を彼が元々持っていたのか?と希望的観測をしたこともありました。が、それはまったく違っていた。彼は、極端に言うと、幼少の頃より純粋培養のようにアイリッシュ・フィドルしか弾いてこなかったという経歴を持つ人だった。そこではない?としたら、まさにもっと根源的な何か。私の奥底にある根源的何かに反応したということなのか。
具体的に話をしたこともありました。でも、判らない。また、演奏の折りには、何かちょっとでも私の方からのアドバイスというか注文を言葉で伝えると、途端に彼のフィドルはヘロヘロに乱れてしまう。まさに、言葉にしてはいけない領域なのか。
同時に、私もどんどんブズーキ弾くのが面白くなって来る。以前のように、どこか、心に引っかかる何かなどまったく無い自由で緊張感のある状態にどんどん解放されて行くのですね。これは、もう、彼の謎を探ることなど不毛で、私はこのまま面白がればいいのではないか?という軽い心境にもなってくる。
そうですね。これまでこの長いシリーズで吐露して来た通り、私はアイルランド音楽を演奏することに於いて、周りとの整合性にずっと悩んで来たわけです。私の演奏がなかなか周りの演奏者と馴染めないということ。その時その時で、私なりにいろいろな工夫をし悩み抜いてやってきたわけですが、結局はアイリッシュの伴奏というものに対してほぼ諦めの境地にまで行ってしまったのでした。いやそれでも、アイリッシュをやり続けるモチーベーションを失いたくない一心で、2014年ごろからまったくの初心者としてフィドルに転向した。そして、これからは焦らずのんびりとフィドルを練習して、セッションでいつもニコニコと楽しむ平穏な爺さんを目指そうと。
そこに、このような謎の青年が忽然と現れる。ここは、相当考え込みました。ちょうど、こういう事を考え込んでいた時に、正確には昨年の11月から、このコラムに、自分のブズーキ、いや、アイリッシュ人生を振り返ってみようという動機で、この長くなってしまったブズーキ・シリーズを書き始めたのです(気がついたら丸1年ですね!)。
書いているうちに、どんどん、話題が広がって行って収拾がつかない所まで行ってしまいましたが、なんとか、かんとか、書き進みながら、だんだんと、整理が出来て来た所も大きかったのです。自分のこれまでの道のりが見えるようになって来た、と言うか、何と言うか。
気がつくと、私もけっこう年を取ってしまった。身体は急激に劣化しています。なので、どうしても平穏な日々に憧れてしまう。そういう弱気構造も自覚はしていました。「私はブズーキに挫折しました」。こう言い切ってしまうことがどれほど甘味で魅力的だったかということ。おまけに、コロナ禍という非常な時代にあっては、将来に対する明るい発想などもまったく持ちにくかった。そこに突然現れた謎の青年、フィドラー君。彼の名前は金子綾くんと言います。
と、こう書けばなかなかドラマティックな大河ドラマのような筋書きになってしまいますが笑。まあ、この彼がこの年寄りにまた何か夢を見させてくれるのかもしれない、と、軽く妄想モードにも入ってしまう今日このごろなのです。
1年間のご静聴、まことに、ありがとうございました。
さてさて、次回からはもう書くネタがなくなってしまったぞ笑(す)

