アイリッシュ・ミュージック、ケルティック・ミュージックを中心としたヨーロッパのルーツ音楽についての情報、記事、読物、レビューをお届けする月2回発行のメールマガジン「クラン・コラ」。
当ブログにて、不定期にバックナンバーをお届けします!
クラン・コラ Cran Coille:アイルランド音楽の森 Issue No.247
- アイリッシュ・ミュージック・メールマガジン 読み物編
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Editor : 竹澤友理
May 2017
こんばんは!緑葉の美しい季節になってきましたね。
Editor’s Choiceのコーナーはハープ奏者 山中 梢さんです。
ハープとダンスチューンについて興味深いお話をいただきました!
先月に引き続き、ケルトの笛hataoさん、ケルトの笛店長 上岡さんがそれぞれに連載の2回目の記事を寄せてくださっています。
お楽しみください!(竹)
セッション考:field洲崎一彦
さて、今回はアイルランド音楽におけるセッションというものを考えてみたいと思います。何故、今、あらためてセッションかと言うと、先日、他のジャンルの楽器演奏者にアイリッシュセッションの事を説明していて、すんなり理解してもらえなかったというエピソードがあったのです。
アイルランド音楽の他にもセッションをやる音楽はいろいろありますが、よく耳にするのは、ブルースやジャズですかね。こういうジャンルのセッションは、曲のコード進行を決めておいて、その上で各楽器がソロまわしをして行くという形式で行われることが多いのですね。バンドで演奏される場合にも、ソロのパートが用意されていてそこでメンバーがアドリブソロを演奏するわけです。そうですね、アドリブというヤツですね。だから、アイリッシュセッションと言うと他のジャンルの人達は反射的にアイリッシュもアドリブをする!とまず、思い込んでしまうみたいなのです。
アドリブというのは即興演奏のことですから、すごく厳密に考えると、アイリッシュにもそれはあり得ます。メロディのちょっとしたニュアンスや装飾音などはその時によって即興的に変わることが多々ありますし、伴奏楽器にしてみればコードの選び方が伴奏者によってその場でどんどん変わって行くということが普通にあって、複数の伴奏楽器がいる時は和音がめちゃめちゃになるような事態も起こってしまいます。なので、アドリブというものをキーワードに説明せざるを得ない時は、アイリッシュの場合は伴奏がアドリブをします、と表現したりするのですが、これはこれで、混乱を生むみたいなのですね。
他のジャンルの演奏者がなぜアドリブということに注目するかというと、それらの音楽のセッションにはソロまわしと言って参加している楽器が順番にソロになってアドリブを披露するという構造があるからです。誰かがソロをしている時はその他の人は伴奏にまわるわけです。なので、セッションは半ばアドリブ合戦というようなものになりがちでカッコイイアドリブソロを弾いた人が花形になるわけですね。なので、なかなか初心者は上級者がやってるセッションには入りづらい。初心者であっても参加すればソロがまわってくるのでこれはなかなか勇気がいることなのです。
だったら、アイリッシュセッションでは誰が花形になるのか、ですね。これはもう断然曲を始める人になります。その人がどんな曲をチョイスしてどんな曲にメドレーでつなげていくのか、何回繰り返すのか、こういう所にセッションホストのセンスが光るわけですが。これもなかなか他のジャンルの人にはすっと判ってもらえません。そのホストがどんなに巧い演奏者でも最初に弾き始めるだけで、その後にわっと他の人が同じメロディを弾いて入って来るとホストの人の巧い演奏をかき消してしまうではないか、と。
こういう風に言われると、うーん、そうですね。。。。としか反応できませんよね。そこだけ取れば確かにかき消してますよね。ああ。何て説明したらええんやろ! と、まあ、いつもこんな具合になってしまう。
おまけに、演奏の音が大きいと、太鼓(バウロン)や伴奏(ギターやブズーキ)楽器は多くの場合あまり歓迎されません、などと言うと、えー!?そしたらアイリッシュの人はどこで自己主張するの?!とか、目を見開いて質問されることになります。
いやはや、確かにそうです。アドリブソロもしない、伴奏は控えめに?
でも、さっき、アドリブは伴奏がするって言ってたよね?! なのに控えめでなくてはアカンの??
ああ、そんなに前に言ったこと覚えてなくていいから。。。。と、心の中で泣きそうになるわけです。
こういう感じって何やらモロに「文化のギャップ」としか言いようのない雰囲気があるではないですか。
音楽に国境は無いとは、誰もがよく口にするフレーズですが、こういう文化的なギャップというものは、予想以上に大きく横たわっているのではないかと思うのです。ここでは、セッションを例にとりましたが、このギャップはセッションにとどまるものでは無いと思います。
また、アイルランド音楽だけが特別なのでも無いと思います。特定の土地に根ざした音楽は民族文化そのものなのですから、ブルースやジャズも元はアフリカ起源の文化とヨーロッパ人移民の文化の融合から生まれています。
つまり、こういうちょっとした事に、民族文化同士のギャップと、音楽に国境は無い!の狭間に板挟みになってしまうよーん。と、いう案外深遠な問題が含まれているのですね。
週に2日ないしは3日のセッションを自分の店で続けていると、こんな風な心の叫びがどんどんたまっていくことにもなるです。押忍!(す)
Colleen Raney——アメリカで伝統をうたう試み:おおしま ゆたか
アメリカはオレゴン州ポートランドをベースにするシンガーの、これまでに出した録音を聴いてみる。
近くは tricolor の《うたう日々》でハンツ・アラキとともに1曲うたっている。告白すれば、この人に注目したのはこの歌唱だ。
ちなみにここでうたっている〈Danny Boy〉のアレンジは、無数にあるこのうたの歌唱でもベストといっていい。ヴァース後半の高く上がる旋律を上げずにうたうことで、このうたの極度にセンチメンタルな性格を換骨奪胎してしまっている。ひょっとすると、上げないメロディの方が伝統に近く、上げるようにしたのは作詞者とされる Frederic Weatherly か、あるいはメロディを楽譜にした George Petrie あたりの才覚なのではないか。そう妄想ないし邪推したくなるくらい、アラキ&レイニィの歌唱はストレートに心に響く。
現在、北米最高のアイリッシュ/ケルト系女性シンガーとうたわれるが、確かにこれまでのアメリカのシンガーたち、例えば Cathie Ryan や Connie Dover、あるいは Robin Petrie とは一線を画する。こうしたシンガーたちは、いかにもアメリカらしいシンガーで、そこに長所も欠点もあった。共通するのは、自分がアイリッシュやケルトのうたをうたうことに、一点の曇りもなく、疑問を感じていないことだ。うたいたいうたを、うたいたいようにうたうことに、ためらいは愚か、後ろめたさもない。それはもう見事なほどにない。
アイルランドのシンガーだと、モーラ・オコーネルのような人でも、そういう姿勢は無い。音楽は自分よりも大きなものだという感覚が根付いている。
このあたりはアイルランドとアメリカの文化の土台の違いではある。
コリーン・レイニィもアメリカ人である以上、うたいたいうたをうたいたいようにうたっているわけだが、そのうたいたい形が、これまでのアメリカ人シンガーよりも伝統の筋に近いようだ。少なくとも音楽伝統の価値を自分とは別のものと認め、なおかつその価値を自分自身のもつものと対等と見なしているようにみえる。
他のアメリカ人シンガーたちは、伝統の存在や価値を認めても、自分にとって意味があるところのみ認める。気に入らないものは無視するのだ。いや、意識的に無視したり、取捨選択をしているわけではない。彼女たち、彼らは無意識のうちにそうなってしまう。あくまでも自分のものとしてしかうたえない。伝統の中で、その流れをなす分子のひとつとしてうたうということができない。おのれの世界、これがアイルランドやケルトだと自分が創りあげた世界を表現するためにしかうたえない。
レイニィのうたにはアメリカ人としてのそうした自意識が薄い。少なくともそう見える。彼女の歌唱は抑制が効いている。感情にまかせて歌いあげるようなことはしない。うたにおのれの感情を託すことが少ない。うたの感情をしてうたわせている、ところがある。どのようにうたうかもさることながら、どのうたをうたうかに表現の大きな部分を託している。
一方で、それぞれのうたの解釈については、かなり大胆だ。時に伝統を無視するような態度も見せる。チャイルド・バラッドをアメリカーナとして演奏したりもする。しかし、それはむしろ自然な流れとして演奏されている。テクノロジーの発達が無かったとしたら、アパラチアから徐々に伝わったバラッドはこう演奏されていたのだろうと思わせる。伝統の筋に近いとはそういうことだ。伝統はアイルランドやブリテンにだけ存在するのではない。
アメリカ人でもアメリカの伝統の流れに添おうとする人と、より自分の世界に入りこむ人がいる。コニー・ドーヴァーなどは後者の典型だ。アイルランド人やイングランド人が自分なりの「アメリカ」を創りあげ、その中でうたう(例えばゲイ&テリィ・ウッズ、例えばロニー・レーン)ように、ドーヴァーは自分なりの王国としての「ケルト」を創りあげ、王国の女王となる。そこではアメリカ自身の伝統も、王国に貢献しないものは排除される。うまくいけば、そうした王国は独自の輝きをはなって、そこに入るものを酔わせる。ドーヴァーは最も成功した例だ。
レイニィも王国を築いているとすれば、それはもっと開放的で、より広い受け取り方を可能にしている。とともに、うたい手よりも個々のうたに聴く者を導く。その点で、レイニィはこれまでぼくが聴いたどのアメリカ人シンガーよりも、うたに寄り添い、うたを押し出し、うたに奉仕している。北米「最高」のうたい手という意味が、うたい手自身よりもうたそのものを前に出すことを意味しているのならば、その賛辞にぼくも声を合わせよう。
こうしたことを念頭に置いて、レイニィがこれまでに出している4枚の録音を聴いてみる。まずはこの4枚を確認しておく。
2008, LINNET
2011-01, LARK
2011-09, CUAN
2013-10, HERE THIS IS HOME
いずれも本人のレーベル Little Sea Records からのリリースで、Bandcamp で入手可能だ。
https://colleenraney.bandcamp.com/
最新作は YouTube でも聴ける。
https://www.youtube.com/user/ColleenRaneyMusic
最初の2枚はやはりポートランドをベースにするハンツ・アラキがプロデュースしている。《CUAN》はギター、ブズーキ奏者の Colm MacCarthaigh との連名。最新作はダブリンで、ルナサのベーシスト、トレヴァー・ハッチンソンのスタジオで録音。トレヴァーがエンジニアを勤め、ベースも弾いている。
という経緯からも想像されるように、最初の2枚は性格が似ており、あとの2枚はそれぞれにユニークだ。
ちなみにレイニィは5月前半はノース・カロライナ、後半は南カリフォルニアをツアーし、その後で新録にかかる、と公式サイトには出ている。順調にいけば、リリースは今年末か来年初めだろう。
次回から1曲ずつ聴いてゆこう。(ゆ)
★Editor’s Choice★ハープとダンス音楽:山中 梢
優雅で癒しの音色が特徴のハープと、大衆的で賑やかなイメージのダンス音楽。一見対照的とも言える二つだが、アイルランド、スコットランドなど世界各国では、「ハープでダンス音楽を弾く」ことは今や珍しいことではない。
私がハープを始めたきっかけのひとつはアイルランドのダンス音楽が好きだったからなのだが、では何故フィドルなどの人気のある楽器を選ばなかったのかというと、理由はいくつかある。その中でも一番の理由は、ハープでダンス音楽を弾くことの「ギャップ」に惹かれたからだった。
当初、ハープについて無知だった頃、私のハープに対するイメージは「綺麗な音を奏でながら静かに優雅な曲を弾く」というものだったため、ダンス音楽を演奏したいと思っていた私にとって、ハープはどちらかというとあまり興味がない楽器だった。
しかし、現在では、Laoise Kelly、Michael Rooney、Michelle Mulcahy、Gr?inne Hambly、Catriona McKay、Rachel Hairなど、多くの一流ハープ奏者たちがハープでダンス音楽を見事に演奏している。彼らの演奏はリズミカルであり、それぞれの個性がアレンジによく出ている。初めて聴いた当時、私にとってそれはとても新鮮で、「ハープってこれだけ色々なことができるんだ!面白い楽器だなぁ!」と、とても魅力的に感じたのだった。真面目そうな女の子が意外とお笑い大好きだったり、パッと見冴えないサラリーマンが、実はあるジャンルにおいて凄腕のプロであることを知った時の感覚に似ているかもしれない。もちろん、今ではダンス音楽だけでなく、ハープの得意とするエアーや美しいワルツを弾くことも楽しく感じるようになったので、ハープのもつ「色んな顔」をたくさんの人に楽しんでもらいたいと思っている。
ハープを勉強していく中で、ハープでダンス音楽を弾くことで大事とされていることは、「アレンジ」と「リズム」だそうだ。
「アレンジ」というのは、装飾音の付け方や伴奏などでそれぞれの個性を出すのだが、ハープの場合、メロディーと伴奏を同時に弾くことをはじめ、伴奏のみを弾くこともできれば、ギターのようにかき鳴らしたり、打楽器のように叩いたり、弦をリズムに使う奏法もあったり、弦を弾く高さによって音色を変えることもできるなどなど…様々なテクニックを使って奏することができるため、アレンジは無限大に広がる。そして原曲を壊さず、どのようにアレンジするかが評価の対象とされている。
そして、ハープに限らず全ての楽器に共通する「リズム」は、ダンス音楽を演奏する上で最も重要と考えられている。現代では、インターネットの普及のおかげで、数多くの一流奏者たちの録音を容易に聴くことができるが、セッションやライブ、コンサートなどで彼らの奏でるリズムを肌で感じることは、やはり実際にその場にいる者にしか体験することができない。
残念ながら、日本ではハープでダンス音楽を勉強できる機会がまだまだ少ないのが現状だ。今まで何度かハープを持ってセッションに参加したこともあるのだが、自分以外にハープ奏者を見かけたことはまだ一度もなく、セッションにハープ奏者をあまり見かけないのは本場アイルランドでも同様だ。その理由は、まだまだハープ奏者の数自体が少ないことに加えて、楽器の大きさからくるスペースの問題や楽器の運搬が大変であることなどが原因なのかもしれない。そのため、最近ではメーカー側もより軽量なものを開発するという動きが起きている。
それでもここ数年、日本のハープ界では変化が起こってきている。それは日本でのハープフェスティバルの開催だ。日本のフェスティバルは、主に日本で活躍するハープ奏者たちが中心となって運営しているのだが、ハープフェスティバルを開催できるということは、それだけハープ人口が増えてきている証ではないだろうか。また、今年はスコットランドのハープ奏者であるRachel Hairがジャパンツアーの中、日本のハープフェスティバルやワークショップの講師としても来日した。このように世界で活躍するハープ奏者が日本に講師として来日するケースは今までなかなかなかったことなので、これは大きな変化だと思うし、これからこのような機会がどんどん増えていって欲しいと願っている。
私は今までアイルランドやスコットランドのそれぞれ2つのハープフェスティバルに参加したことがあるのだが、現地のフェスティバルは、システムなどの違いはあれど、構成はほとんど似ているように感じた。どちらも約5日間の期間の中で、世界中からハープを学ぶために子どもから大人までたくさんの人がフェスティバル会場にやってくる。クラスは初級〜上級クラスなど各レベルごとに分かれ、毎日のレッスンの中で、ダンス曲、歌、アンサンブル、伴奏法などを一流の奏者たちから学ぶことができる。また、夜には連日世界で活躍するハープ奏者たちのコンサートやセッションを堪能することが出来るのも魅力のひとつだ。講師は毎年少しずつ違うので、もし自分の理想とする奏者がいるのであれば、ぜひ現地のフェスティバルに参加してみてはいかがだろうか。
ハープ以外のところで見れば、世界で活躍する奏者たちが来日してツアーをしながらワークショップを開く機会が増えてきていることは、日本で民族音楽を勉強する身にとっては大変嬉しく思う。私の周りにも現地に行って音楽を学ぶ人は多いが、やはりなかなか気軽に行ける距離ではないので、一流の奏者たちから直接学べる貴重な機会が今後も増えて欲しいと思う。古くから大事にされてきた曲がどのように伝わってきたのかを実際に彼らの口から聞き、彼らの奏でる音を肌で感じ、一緒に演奏する。これからますますこのような機会が増えていくことで、さらに世界と日本が繋がり、日本の民族音楽界がより進化していくことを願っている。
アイリッシュ・ミュージックの導入期(2):ケルトの笛 hatao
この春にアイリッシュを始めたみなさん、楽しんでいますか? 楽器を始めたてのころはうまくいかないことやわからないことも多く、なかなか楽しむまでの余裕がないかもしれませんが、それもまた楽器を学ぶことの楽しみですので、あまり頑張りすぎず、気楽にやってくださいね。
「頑張る」と言えば、私はライブ会場でティン・ホイッスルを売っているのですが、買った人が「練習頑張ります」というのを聞くといたたまれなくなります。真面目な方は、楽器はがんばって練習しないと習得できないと思っているのでしょうね。伝統音楽は技巧的なことをしなくても演奏を楽しめる音楽ですので、「頑張らずに楽しんでくださいね」と声をかけます。まあ、お客さんにしてみれば本当に頑張るつもりなんかなくて、社交辞令かもしれませんけれども。
音楽講師を長くしている経験から、生徒さんがどうやったら無理なく楽しみながら音楽を続けられるかを工夫しています。アイルランド方式に突然リールやジグを吹いてみせて、まねさせるというスタイルは個人的には大好きなのですが、多くの方が脱落してしまいます。私の生徒さんは中高年が多く、吹奏楽やオカリナやフルートやリコーダーなど何か別の楽器経験を経てやってくるケースが多いため、楽譜で音楽をすることに慣れすぎているのです。また、アイリッシュをほとんど知らず聴いてもいない状態で入会される方も多いです。そこで、そういった方が無理なく伝統音楽に親しめるように、ゆっくりでシンプルな曲から楽譜を使って練習を始めることも多いです。アイルランドのレッスンとは異なり、言葉や実演で説明も尽くします。説明半分、演奏半分といった配分でしょうか。ダンス音楽ばかりだと飽きられてしまうので、時々楽譜を使ってアンサンブルしたりもします。
そんな方法で教えている私ですが、先日東京で豊田耕三君が企画してくれたセッションにはフルート奏者が20名ほど集まり(!)、ほとんどが彼の生徒だったようですが、セッションで意欲的に演奏していたのは素晴らしい光景でした。
彼のレッスンはアイルランド方式で楽譜を使わないそうですが、実は私もそれがもっとも効率がよいと考えています。曲と一緒にリズムや変奏など楽譜に書ききれない様々な情報を伝達できるからです。彼の生徒の多くが青年層だったことにも私の生徒との違いを感じました。私も、生徒がついてこれるようであれば楽譜を使用しない方針で教えようと改めて感じた出来事でした。
こうやって私のように手取り足取りと道を作ってあげるのが最も効率的な学習方法なのかどうかは、わかりません。与えられることに慣れすぎると、自主性を失うようにも思います。音楽を習得するということが何を目的にしているのかにもよります。セッションで演奏できるようになりたいのであれば、セッションに通って録音して曲を覚えるのが最速の学習方法でしょう。ですが、中高年の方は生涯学習として頑張らずに音楽を長く楽しみたいとか、演奏が上手にできなくても良いから知識を得たいという欲求を持っている方も多いと感じます。それぞれの目的にかなった学習方法を教える側も習う側も自覚できれば良いでしょう。
最後に宣伝になりますが、アイリッシュを知らない方が日本でよく知られている曲で導入期を楽しめる楽譜を出版しました。「音楽のおくりもの」と題したこのCD付き楽譜集には「庭の千草」や「グリーンスリーブス」などのイギリス・アイルランドの曲のほか、ポルカやジグやリールやホーンパイプも含めて35曲を収録しています。CDは私のほかフィドル、ハープ、ダルシマー、コンサーティーナ、パイプなどで演奏しています。
https://celtnofue.com/play/giftbook.html
ざっくり学ぶケルトの国の歴史(2)攻められがちな島の話:上岡 淳平
音楽は文化の上に立ち、文化は仕事や生活が形作り、土地や歴史がそれらの土台となっている、その流れを知ることが、伝統音楽に触れる上でもとても大切!というようなことをモットーにしていますので、前回から簡単な歴史紹介連載を(場違いな感じをすごく感じながら)はじめさせていただきました。
アイルランドの伝統音楽には、そういった歴史を歌った(憂いた)曲がいくつもあり、それらの歌詞のニュアンスを知ることに、少しでも役立てていただければ嬉しいです。
今回は民族としての「ケルト」と、ブリテン島の征服の歴史をひとつ。
ブリテン島やアイルランド島に定住する前、ケルトの人たちはヨーロッパ大陸に住んでいた。
場所はというと、年代によってまちまちだけれど、東はトルコの奥から、西はフランスやスペイン、南はイタリアの真ん中ぐらいまで生活場所を転々としていった。決して、領土を広げたわけではなく、ただ移動していたそうです。(元祖転勤族)
当時(紀元前1000年ごろ)としては、かなり武装癖のある人たちだったようで、鋭利な武器、鎧を身にまとい、武装した馬車をイージーライダーよろしく乗り回しながら、各地の戦争にも傭兵として参加していたんだそう。
そんなワイルドなケルト人が作った町の中にはイタリアの「ミラノ」もあったりする。
でも、時代はうつろうもので、時が経つにつれてケルトの人たちは、支配する立場から支配される立場に変わっていったそうな。
ちなみにブリテン島にケルト人が入植したのと、大陸でケルト人が栄えて衰えたのは、だいたい同時期。この大陸ケルトと島ケルトに、実際DNA的共通点があるのかないのかってところは、今でも論争の的になっているんだそう。
それでも、ケルト文様と呼ばれるグルグルっと一筆で書けちゃうっぽい素敵な模様の起源は、中央アジア(モンゴルとか)だとも言われているので、全く他人ってことはないだろう。
そんな頃、ブリトン人の住んでるブリテン島に、ケルト人がやってきた。
金髪で背も高く、美しい青い瞳のたくましい、じゃっかん武装癖のある肉食系な男子がやってきたもんだから、ブリトン女子はメロメロに。当然ケンカも強かったので、あっという間にブリテン島、そしてお隣のアイルランド島を征服したそうな。
そうして島ごとケルト化計画は完了し、こからしばらくは、のんびりと暮らしていたんだけれど、大陸の方に何とかって大きな帝国ができてしまった。
そう、「ローマ帝国」だ。
ローマ人は領土の拡大にご執心で、ひょっこりひょうたん島のようなブリテン島も「いっちょ征服してみっか」ぐらいのノリで軍隊を送り込んだ。(ほんとかな?)
でも案外強かったのがブリテン島のケルト人。何度か敗れたのち、ローマ軍は作戦を変え、ケルト人に紛れてじわじわと土地を占領していき(ケルト人よ、なぜ気づかなかった)紀元前も終わりに近づいたころ、もうひとバトルを経てようやくローマによる島征服、コンプリート。
でも、ローマ帝国側からすると、長い時間をかけて、がんばってGETしたブリテン島なんだけど、北にはとんでもなくワイルドな民族がいてコワいし(ピクト人とスコットランド人)、ちょっと西に進んだら山ばっかりで何もないし(ウェールズ)、南西に進んだって土地はやせてて使い道のないところが多いし(コーンウォール)、なんかステキな島が浮かんでるけど、さすがに遠いし(マン島)、結局現在のロンドン付近をきれいにすることに熱中せざるを得なかった。
それでもローマ人のおかげで、ブリテン島にもいろんな文化がもたらされ、しっかりと繁栄したんだけどね。そんな束の間の繁栄を楽しんでいたローマ人とケルト人だけど、肝心の帝国のことをほったらかしてたもんだからローマ帝国はグラグラ傾き始めたわけ。
さて、北に住んでるコワ〜い人たち。彼らに町が壊されないよう、ローマ人は町をぐるっと壁で囲っていたんだけれど(ハドリアヌスの長城とアントニヌスの長城)、ローマ帝国の勢力が弱まったころ、一気にどわーっとワイルドな人たちが(キャップのないコーラ片手に)攻め込んできた。
そして運の悪いことに、ほとんど同じような時期、アングロ・サクソン族(イギリス人の祖先と呼ばれる民族)の海賊野郎どもも南の海岸に着いていたんだそうな。
なんだか不穏な空気が漂い始めたところで、続きはまた次回。
「ハブ」としてのパブという文化について 3:竹澤 友理
いろいろと複雑な心境を抱えつつも、鬼のようにセッションに通っていた某学生の2年前の話のつづき。
「パブ」という場がそもそもどういう場所かを、わたしは当時まったく考えることがなかった。そりゃあお酒を嗜む場であることくらいはだれでもわかるだろうが、しかしそれが主たる目的ではなかった。
ほんの一時期だけだったが、京都にあるパブや喫茶のセッションをその月は全部行ったというようなキチガイなことをしたことがある。わたしはその時期ひたすら楽器が弾きたかった。下手な現状をどうにかしたくて、ほんの少しでも上達したくて仕方がなかった。セッションには当然のような顔をして楽器を人前で弾く度胸試しのような、且つ自分が上手くなるための何かしら、ヒントのようなものを得るためだけに行っていた。
いま思えば、なんというか、若々しいというよりも猛々し過ぎるような、まぁいずれにせよ相当に尖がった指向性で夜の京都をうろうろと独り徘徊していた。他人に本当の意味で興味を持てなかった時期でもあったように思う。本人としてもそれは非常に悩ましいことだったが、とにかく身の回りの気に入らないもの、思う通りでないものに対して当たり散らすように楽器に熱を傾けていた。そのような態度でいると、他人の奏でる音楽はもちろん、自分の一音さえ好きになれないものだ。それはそうと、とにかくパブにせっかく行っているのに楽器のことや技術的な巧拙しか頭になかったというのは、我ながらあまりの余裕のなさに羞恥を覚える。
どういうことかというと、一見お酒を嗜むための場所が人と人との「ハブ」(中軸、中枢)として非常に大きな役割を果たしているという事実に全く目もくれていなかったのだ。セッションに着いたら即、楽器を取り出し曖昧な笑いを浮かべつつ挨拶をして、その最中も頭の中は「はやくがっきひきてぇ〜〜〜〜」の一色という、単細胞生物の体たらくの極みである。あれだけ多くの時間をパブという場で過ごしておきながら、いったいどれだけの人との新しい関わりを避けてきてしまったのだろうと思うと、ほんとうにもったいないことをしたと感じる。
お酒も楽器も、コミュニケーションのツールに過ぎないということ。もちろんそれぞれに通になるのは価値のあることだ。ただし、手段を安易に目的化してしまうのではなく、あくまでより楽しいコミュニケーションのために腕を磨くもの。いや、むしろ腕なんか磨かなくてもあなたのコミュニケーションが十分に成り立っているのなら、それでよいのじゃあないか。そうして新しい会話やただただ楽しいひと時を過ごせているならば、それでセッションの場は成り立っているものだ。そういった気付きを得るまでには、同席した先輩方の振る舞いや各々そのパブの店主のおじさん方の一言二言があったりした。自分のなかの過剰に熱を帯びた部分(特に演奏面において)を冷ましながら、いろいろなひとの振る舞いをわたしなりに咀嚼した結論がこういった一つの真理だった。
まぁ、パブにくる人の目的なんて言ってしまえばそれぞれだし、自分の中で価値観に変動があったからと言って、これが正しいというのでもない。ただ、音楽をやりたいといいつつ他人に対する耳を塞いでいた自分が、少しはましに反省して耳を開けるようになった(当社比)というだけのはなしだ。
とはいえ、演奏に前のめりになる姿勢にはとても共感できるし個人的には大好きなままなので、いまは後輩をパブに連れてくる身になって、いろんな態度を示してくるそれぞれの人に対して、会話を投げたり目線でやり取りしたりに気を配っているつもりではある。セッションの場がその場にいる人と人との交流であるように、楽しさの一体感をなるべく多くの同席者と共有できるように。そんなことを頭の片隅に置きつつ。
意識の変化が行動に少しずつ現れてくると、周囲にもまた微妙な変化が生まれてきた。続きは次回。
編集後記:竹澤 友理
今回もボリュームのある記事になりました。
クラン・コラでは読み物編で原稿を書いてくださる方を常時募集しています。編集担当が関西在住のため、ライターが関西圏に偏りがちですが、関西以外のエリアでのケルト音楽プレーヤー、リスナー、パブオーナーの皆様と繋がれればと思っております。お気軽にご連絡ください。
クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)
★クラン・コラでは読者の皆さまから寄稿を募集します。ケルト音楽やヨーロッパの伝承音楽について、書きたいテーマでお寄せ下さい。詳しくは編集部までご連絡ください。
- クラン・コラ:アイルランド音楽の森(月2回刊)
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